*Toilet Cleaning by Students
●子どものトイレ掃除
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先日、郊外のM中学校で、中学生を
相手に講演をさせてもらった。
その席でのこと。
約250人の子どもたちの中で、
家でトイレ掃除をいつもしている
子どもは、たったの1人だった!
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学校でのトイレ掃除について、こんな興味深い記事が、ヤフ^・ニュースに載っていた。
++++++++以下、(ヤフー・ニュース・カナロコ・11月5日配信)++++++
横浜市教育委員会が、特別支援学校を除く全市立学校計500校で、児童・生徒によるトイレ清掃をおよそ30年ぶりに復活させることが4日(11月4日)、分かった。
対象は小学3年生以上の予定。今月中旬以降、モデル校の小中学校十校前後に順次導入し、2009年度を試行期間と位置付けた上、10年4月から全校で本格実施する。教職員からは「身の回りのことを自らできるようになるのは重要」「感染症など衛生面に問題がある」など賛否両論が出ている。
市教委によると、県内の公立学校では、横浜市の児童・生徒だけが全くトイレ清掃をしていない。トイレという共有スペースの便器や床、ドア、ノブなどを掃除することで、物を大切にする心や規範意識を養おうという狙い。
少子化の影響からか、個人中心の考え方をしがちな子どもが増えているため、「公共の精神」を育てる目的もあるという。
++++++++以上、(ヤフー・ニュース・カナロコ・11月5日配信)++++++
私も自分でトイレ掃除をするようになったのは、29歳のとき。
自宅をもったときからだった。
が、それまでは、したことがなかった。
さらに教室のトイレ掃除をするようになったのは、ここ20年ほどのことである。
それまでは、ワイフに頼んでやってもらっていた。
今では、こと自宅のトイレについては、そこで食事ができるほど(?)、いつもピカピカに磨くようにしている。
一点のシミもなければ、汚れもない。
トイレについては、私には、大きなこだわりがある。
それについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。
で、その反動として、今は、そうしている。
当然のことながら、学校におけるトイレ掃除には、大賛成である。
衛生管理の問題はあるが、それは指導によって、じゅうぶん可能である。
ついでに言うなら、男子は女子トイレを、女子は男子トイレをそれぞれ掃除させたらよい。
男女の間でもちやすい偏見や幻想を、それによって解消できるかもしれない。
かく言う私は、初恋の女性(高校1年)が、ウンチをするのが、どうしても想像できなかった。
私は彼女だけは、トイレでウンチなどしないものと信じていた。(ハハハ!)
私が高校1年生のときのことである。
が、それだけではない。
「便」には、特別な意味がある。
90歳の母が私の家にやってきたときのこと。
便の始末は私がすることにしていた。
が、母は私の家にやってきて体調を崩したのか、
それからつづく1週間ほど、毎日、下痢を繰り返した。
その母の便の始末をしながら、・・・というより、それははじめてそれをした
ときのことだったが、それまでの母との確執が、ウソのように消えたのを
記憶している。
私と母の間には、いろいろあった。
ありすぎて、ここには書ききれない。
一時は「縁を切る!」「切れるもんか!」の大げんかをしたこともある。
が、そこにいたのは、ただの老婆だった。
どうしようもなく頼りなく、弱々しい老婆だった。
その母が私にこう言った。
「お前にこんなことをしてもらうようになるとは、思ってもみなんだ」と。
私も、こう言った。
「ぼくも、お前にこんなことをしたやるようになるとは、思ってもみなんだ」と。
とたん、あの母が、私が子どものころの、慈愛に満ちた、やさしい母に戻っていた。
それから6か月。
センターに入居するまで、母の世話はつづいた。
ときに、はねかえった小便を顔にかけられたこともある。
大便にしても、そうだ。
しかし私は、母の便を始末することによって、母の原点を見ることができた。
親子の原点といってもよい。
「母だって、一人の人間だった」という思いは、いつしか、「私だってそうではないか」
という思いに変わっていった。
たがいに仮面や体裁をかなぐり捨てたとき、私たちははじめて、たがいの本当の姿を知ることができる。
少しおおげさかもしれないが、トイレ掃除には、そういう意味もある。
男子だって、女子が自分たちとはちがわない、臭くて汚いウンチや小便をすることを知ればよい。
女子だって、男子が自分たちとはちがわない、臭くて汚いウンチや小便をすることを知ればよい。
そういう経験を通して、人間としての共通感覚を養えばよい。
で、今では「便」に対する考え方が、私のばあい、大きく変わってきた。
「汚いもの」という感覚は、(今でもないわけではないが)、以前とはちがって、かなり薄れてきた。
「食べ物が、変化したもの」という感覚に近づいてきた。
臭いや色は、それなりに克服しがたいものだが、それはしかたない。
人間は、かなり下等生物の時代から、便には嫌悪感をもつよう、本脳の一部として、
刷り込まれている。
その本脳の一部まで乗り越えることは、むずかしい。
しかしこんなこともある。
若いころ、まだ結婚した当初のことだったが、ワイフがふとんの中で、おならを出したり
すると、私はワイフをふとんの外へ蹴り出したりしていた。
しかし今は、ちがう。
ワイフのおならも、自分のおならのように感ずるようになった。
「同じものを食べているから、同じ臭いだ」と笑いあうこともある。
あのソクラテスは、「自分のクソはよい臭い」と言ったが、それは事実。
ワイフのそれについては、そこまではまだいかないが、これだけは自信がある。
いつかワイフがボケて、介護を必要とするときになっても、私はワイフの便なら、
始末してやることができる、と。
逆の立場だったら、ワイフも同じようにしてくれるだろう。
そういう信頼関係があるからこそ、そう思う。
生徒によるトイレ掃除、大賛成!
ぜひ、実行してほしい!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 生徒によるトイレ掃除 トイレ掃除)
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