Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, October 30, 2008

*Cofession *Brain-Exam

●「懺悔(ざんげ)」(つぐない)

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昨夜、DVD『つぐない』を見た。
星は4つの★★★★。

そのDVDを見ながら、いろいろな
ことを考えた。

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先日、母の葬儀で、弔辞を述べさせて
もらった。
私はこうした弔辞では、原稿を書かない。
そのとき、思ったことを、そのまま
話すようにしている。

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【弔辞】

人は、夢と希望を前にぶらさげて歩くもの。
人は、こだわりとわだかまりを、あとに引きずって歩くもの。
私と母の間にも、いろいろありました。
しかしその母が、私の家に来た時のこと。
母は体調を崩したのか、それから一週間ほど、毎日、
下痢を繰り返しました。

便の始末は、私の仕事でした。
その母のお尻を拭いているとき、母が、ふと、こう言いました。
「お前に、こんなことをしてもらうようになるとは思わなかった」と。

私もそれに応えて、こう言いました。
「ぼくも、お前に、こんなことをしてやるようになるとは、思わなかった」と。
とたん、それまでのこだわりと、わだかまりが、ウソのように消えました。

で、それからの母は、子どもにたとえるなら、優等生。
デイサービスにも、ショートステイにも、ただの一度も不平、不満を漏らすことも
なく、すなおに行ってくれました。

が、いくつかの事故が重なり、近くの老人センターに入居することになりました。
(M幸の園)という、このあたりでも、いちばん人気のセンターです。
母は、そこに1年と4か月いましたが、亡くなる2日前の10月11日の夜のことです。
時刻は11時を回っていました。

見ると、母の右目のつけ根に、小さな真珠のような涙がたまっているのがわかりました。
それが枕もとのライトの光を受けて、輝いていました。
「なんだろう?」と思っていると、ワイフがベッドの向こう側に回って、こう言いました。
「あら、お母さん、目を覚ましている」と。

母は、向こうの窓側のほうに顔を傾けて眠っていました。
私も向こう側に回ってみると、母は、左目を半分、開けていました。

私はライトをつけると、それで自分を照らし、私の顔を、母の視線の中に置きました。
「母ちゃん、ぼくだよ、浩司だよ、わかるか、母ちゃん」と。

数度、それを繰り返したときのことです。
あの母が、酸素マスクの向こうで、ウォー、ウォー、ウォー、ウォーと、4、5回
大きなうめき声をあげました。
同時に、幾筋もの涙が、頬を伝って流れ落ちていくのがわかりました。

そのあと母はすぐ、再び何ごともなかったかのように、静かに眠り始めましたが、
それが私と母の最後の会話でした。

また当日は、朝から容態がよくないという連絡を受け、ワイフがそばにいてくれました。
が、午後になって安定したということで一度、自宅に戻ってきたのですが、直後、
センターから電話があり、「様子が変わったから来てくれ」と。

今度は私とワイフで、2人で行きました。

看護士さんが、「呼吸がおかしいでしょう」と言いましたが、私には、よくわかり
ませんでした。
母は、数度呼吸を繰り返したあと、無呼吸状態を繰り返していました。
私は母の横にいて、その数をずっと、数えていました。

そうして午後5時半ごろのこと。
それまでさがりつづけていた血圧が、5時を過ぎるころから上昇し始めたので、
やれやれと思いながら、その夜の準備にとりかかりました。
看護士さんは、「今夜が山です」と言いました。
それを聞いて、介護士の方たちが、私たちのためにベッドを、横に並べてくれました。

ワイフはそれまでの3日間、ほとんど眠っていませんでした。
それで私が、「一度、自宅に帰って仮眠してきます」と。
母には、耳のそばで、こう言いました。

「母ちゃん、1時間ほど、家で寝てくるからな。
すぐ戻ってくるから、それまでがんばっていてよ」と。

たまたま見舞いに来てくれていたワイフの兄と姉に、その場を頼んで、私たちは
自宅に戻りました。
が、戻るやいなやセンターから電話。
「血圧が測れません。すぐ来てください」と。

折り返しかけつけると、母はすでに息を引き取っていました。
それが母の最期でした。

そばで見ていた看護士さんの話では、「無呼吸状態が長いな……と感じていたら、
そのまま眠るように息を引き取られました」とのこと。
静かな、どこまでも静かな最期だったようです。

ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴るなり』の冒頭には、こんな詩が
飾られています。

「誰の死なれど、わが胸痛む。
 われも人の子なれば、それ故に問うことなかれ。
 誰がために、あのとむらいの鐘は鳴るなりや、と。
 あの鐘は汝がために鳴るなりや」

こうして人々は去り、母も去っていきました。
あたかも何ごともなかったかのように。

人は、夢と希望を前にぶらさげて歩くもの。
人は、こだわりとわだかまりを、あとに引きずって歩くもの。
しかし今、母は、すべてのものから解放され、あの世へと旅立ちました。
あとに残された私たちは、それをいつまでも心温かく見送りたいと願っています。

本日、母の葬儀に参列くださいました皆様には、母にかわり、
心から厚く、お礼申しあげます。
本当にありがとうございました。

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DVD『つぐない』を見ながら、私はずっと母のことを思い浮かべていた。
「あれでよかったのかなあ」という思いが、ずっと心から離れなかった。
そのときどきにおいては、できるかぎりのことをした。
……したと思う。
自分で自分にそう言って聞かせるが、しかし思い残すことも多い。
「ああしてやればよかった」とか、「こうしてやればよかった」と。
そういう無数の、小さな後悔が積み重なり、心を重くする。

たとえばそれがどうであれ、母自身は、信心深い人だった。
その遺志を尊重するなら、私は一通りの仏事をやり遂げねばならない。
49日の法要も、100か日の法要も、さらに一周忌、三周期の法要も。

DVD『つぐない』を見終わったとき、自分で自分に、再び、そう言って聞かせた。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2914)

【10月31日】(知力)

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昨日、こんなうれしいことがあった。
小学生と中学生たちと、(私の生徒たちは、みんな頭がキレるぞ!)
脳トレ競争をして、ほぼ5勝した。……5勝できた!

問題は、年齢によるハンディのないものを選んだ。

(1) 文章の早読み競争
(2) 数字の暗記競争
(3) 迷路問題(大人用の、超難解迷路)
(4) 暗算テスト
(5) ナンバーズ・ゲーム(市販のもの)

「ほぼ5勝」というのは、迷路問題で、最初に私ができていたのだが、「できた!」と
声をあげなかったことによる。
2位のD君が先に声をあげた。
それで私が2位になってしまった。

(1) 文章の早読み競争……30秒で、どこまで読めるかを、競争した。
私は全文を読み終えることができた。
しかも「先生は大人だから、大きな声で読め」とみなが言ったので、
私なりに大きな声で読んだ。
さらに全文を読み終えるのに、まだ数秒ほどの余裕があった。
子どもたちは、早い子どもで、全文の8~9割を読んだ。

(2) 数字の暗記競争
ランダムに、10桁の数字を、5列並べ、3分前後で、いくつ暗記
できるかを競った。
私が30点、2位のM君が、20点。
あとの子どもたちは10~15点ほど。
みんな、「先生は、すごい!」と言った。……言ってくれた。

(3) 迷路(大人用の、超難解迷路)
迷路については、先に書いた。

(4) 暗算テスト
足し算、引き算、掛け算、割り算などの混合問題。
答は2桁まで。
全部で、200問ほど。
これはダントツに私が一番でできた。
2番の子どもで、私の量の半分ほどしかできなかった。

(5) ナンバーズ・ゲーム(市販のもの)
私は1、2度したことがある。
しかし子どもたちのほとんどは、はじめて。
だから私が勝つに決まっていた。
……ということで、これは評価外。

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若いころは、子どもたちとこうした競争をすることはなかった。
私が勝つに決まっていた。
しかし昨日は、ちがった。
私のほうが真剣だった。
「満61歳」という数字が、気になった。

たとえば体力というものを考えてみよう。
今では、かけっこですら、子どもたちにはかなわない。
小学2~3年の子どもたちにすら、負ける。

が、知力では、そういうわけにはいかない。
もし私がこうしたテストで子どもたちに負けるようになれば、私は、(教える)という
職そのものを、やめなければならない。
子どもたちも、そう言った。
「先生がボケたら、BW(=私の教室)は、おしまいだね」と。

が、それだけではない。

音楽家にとって「耳」が命であるように、
また画家にとって「目」が命であるように、
私にとっては、「知力」が命。
たとえばものを書くときも、その知力が勝負。

が、加齢とともに、脳みその働きは、鈍ってくる。
とくにこわいのが、微細脳梗塞。
(もちろん大きな脳梗塞もこわいが……。)
こまかい脳こうそくが重なって、脳みそ全体の機能を低下させる。
たとえば話し方がかったるくなったり、繊細な会話ができなくなったりする。
当然、頭のキレも、鈍ってくる。

こうした競争をする背景には、自分で自分の脳みその状態を知るという意味がある。
というのも、脳みそというのは、全体に機能が低下したばあい、自分でそれを
知るのは不可能と考えてよい。
たとえば試しに、少し頭のボケかかった人に、こう聞いてみるとよい。
「あなたの頭は、だいじょうぶですか?」と。

するとほとんどの人は、こう答える。
「問題ないですよ」と。
中には、ムキになって、それを否定してくる人もいる。
自分がボケてきたことを、他人に悟られないようにするために、である。

そこでこうした競争が役に立つ。
こうした競争をすることで、自分の脳みその状態を知ることができる。

で、その競争で、私の脳みそは、そこそこにまだ健康であることがわかった。
よかった!
うれしかった!

……というわけで、昨夜は、いつもになく気分がよかった。
夜床に入ってからワイフにそのことを話すと、ワイフもうれしそうだった。

私「これなら70歳まで、がんばれそうだね」
ワ「そうね」と。