Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, March 29, 2009

*March 30th 2009 (Identity of a Couple

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 3月 30日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●英語(Dennis Kishere’s Blog)

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今度、オーストラリアの友人のデニス君の
BLOGを、HPからアクセスできるように
した。

興味のある人は、私のHPより、
「Dennis Kishere’s Room」へと、進んでみてほしい。
彼の書く英文は、一級である。
いろいろと参考になる。

+++++++++++++++++

デニス君のBLOGの、アドレスに、注意してほしい。
そこには「Sunnington」という名前がある。
「サニングトン」と読む。
彼の父親が所有していたビーチ・ハウスの愛称である。
私とデニス君は、ことあるごとに、そのビーチ・ハウスで休暇を過ごした。
なつかしい名前である。
……というより、サニングトンという名前を聞いただけで、あのころの楽しかった
思い出が、つぎつぎと現れては消える。
遠い遠い昔のはずなのに、手を伸ばせば、すぐそこで、つかむことができるような
気がする。
人生にゴールがあるとするなら、青春時代こそ、そのゴール。
それ以後の人生は、たとえて言うなら、燃えカスのようなもの。
それを認めるのがいやだから、みな、必死になって、「今」というときに、
しがみついて生きる。

ここまで書いて、以前書いた原稿を思い出した。
その中で、『ロメオとジュリエット』について、書いた。

++++++++++++++++++

●マダム・バタフライ

 久しぶりに、「マダム・バタフライ」を聞いた。ジャコモ・プッチーニのオペラである。
私はあの曲が好きで、聞き出すと何度も、繰り返し聞く。

「♪ある晴れた日に、
  遠い海の向こうに一筋の煙が見え、
  やがて白い船が港に着く……
  あの人は私をさがすわ、
  でも、私は迎えに行かない
  こんなに私を待たせたから……」

 この曲を聞くと、何とも切ない気持ちになるのは、なぜか。遠い昔、長崎からきた女性
に恋をしたことがあるからか。色の白い、美しい人だった。本当に美しい人だった。その
人が笑うと、一斉に太陽が輝き、一面に花が咲くようだった。その人はいつも、春の陽光
をあびて、まばゆいばかりに輝いていた。

 マダム・バタフライ、つまり蝶々夫人は、もともとは武士の娘だったが、幕末から明治
にかけての混乱期に、芸者として長崎へやってくる。そこで海軍士官のピンカートンと知
り合い、結婚。そして男児を出産。が、ピンカートンは、アメリカへ帰る。先の歌は、そ
のピンカートンを待つマダム・バタフライが歌うもの。今さら説明など必要ないかもしれ
ない。

 同じような悲恋物語だが、ウィリアム・シェークスピアの「ロメオとジュリエット」も
すばらしい。少しだが若いころ、セリフを一生懸命暗記したこともある。ロメオとジュリ
エットがはじめてベッドで朝を迎えるとき、どちらかだったかは忘れたが、こう言う。

 「A jocund day stands tip-toe on a misty mountain-top」と。「喜びの日が、モヤのかか
った山の頂上で、つま先で立っている」と。本来なら喜びの朝となるはずだが、その朝、
見ると山の頂上にモヤにかかっている。モヤがそのあとの二人の運命を象徴しているわけ
だが、私はやはりそのシーンになると、たまらないほどの切なさを覚える。

そう、オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」
はすばらしい。私はあの映画を何度も見た。ビデオももっている。サウンドトラック版の
CDももっている。その映画の中で、若い男が、こう歌う。ロメオとジュリエットがはじ
めて顔をあわせたパーティで歌われる歌だ。

「♪若さって何?
 衝動的な炎。
 乙女とは何? 
 氷と欲望。
 世界がその上でゆり動く……」
 
 この「ロメオとシュリエット」については、以前。「息子が恋をするとき」というエッセ
ーを書いたので、このあとに添付しておく。

 最後にもう一つ映画の話になるが、「マジソン郡の橋」もすばらしい。短い曲だが、映画
の最後のシーンに流れる、「Do Live」(生きて)は、何度聞いてもあきない。いつか電撃に
打たれるような恋をして、身を焼き尽くすような恋をしてみたいと思う。かなわぬ夢だが、
しかしそういうロマンスだけは忘れたくない。いつか……。
(02-10-5)

++++++++++++++++++

*Romeo and Juliet

++++++++++++++++++

(Love Theme from Romeo and Juliet)

What is a youth?  Impetuous fire.  若さって、何? 燃えさかる炎。
What is a maid?  Ice and desire.  乙女って、何? 氷と欲望。
The world wags on,  世界は、その上で踊る。
a rose will bloom.... ばらは咲き、
It then will fade:  そして色あせる。
so does a youth,  若さも、また同じ。
so does the fairest maid. もっとも美しい乙女も、また同じ。
Comes a time when one sweet smile その人の甘い微笑みが
has a season for a while....  しばしの間、その季節を迎えるときがやってきた。
Then love's in love with me.  そして私と恋を恋するときがやってきた。
Some they think only to marry,  結婚だけを考える人もいる。
others will tease and tarry.  からかうだけの人や、じらすだけの人もいる。
Mine is the very best parry.  でも私のは、あるがまま。
Cupid he rules us all.  キューピッドだけが、私たちを支配する。
Caper the cape, but sing me the song,  ケープをひらめかせ、私に歌を歌え。
Death will come soon to hush us along. やがて死が訪れ、私たちを痛めつける。
Sweeter than honey... and bitter as gall,  蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦く、
Love is a task and it never will pall.  愛は、すべきこと、隠すことはできない。
Sweeter than honey and bitter as gall. 蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦い。
Cupid he rules us all." キューピッドが私たちを支配する。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●息子が恋をするとき

息子が恋をするとき(人がもっとも人間らしくなれるとき)

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。メールで、「今まで
の人生の中で、一番楽しい」と書いてきた。それを女房に見せると、女房は「へええ、あ
の子がねえ」と笑った。その顔を見て、私もつられて笑った。

 私もちょうど同じころ、恋をした。しかし長くは続かなかった。しばらく交際している
と、相手の女性の母親から私の母に電話があった。そしてこう言った。「うちの娘は、お宅
のような家の息子とつきあうような娘ではない。娘の結婚にキズがつくから、交際をやめ
させほしい」と。

相手の女性の家は、従業員30名ほどの製紙工場を経営していた。一方私の家は、自転車
屋。「格が違う」というのだ。この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしなかっ
た。が、二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。ちょっとしたつまづき
が、そのまま別れになってしまった。

 「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女とは何? 氷と欲望。世界がその上でゆり動く…
…」と。

オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」の中
で、若い男がそう歌う。たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲が私
たちの心を打つかと言えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではないのか。

私たちおとなの世界は、あまりにも偽善と虚偽にあふれている。年俸が1億円も2億円も
あるようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめてみせる。
一着数百万円もするような着物で身を飾ったタレントが、どこかの国の難民の募金を涙な
がらに訴える。暴力映画に出演し、暴言ばかり吐いているタレントが、東京都やF国政府
から、日本を代表する文化人として表彰される。

もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受け、
身も心も焼き尽くすような恋をするときでしかない。それは人が人生の中で唯一つかむこ
とができる、「真実」なのかもしれない。そのときはじめて人は、もっとも人間らしくなれ
る。もしそれがまちがっているというのなら、生きていることがまちがっていることにな
る。しかしそんなことはありえない。

ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。そしてそれを見る
観客は、その二人に心を合わせ、身を焦がす。涙をこぼす。しかしそれは決して、他人の
恋をいとおしむ涙ではない。過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。あの無限に広く見
えた青春時代も、過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。歌はこう続く。「♪
バラは咲き、そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」と。

 相手の女性が結婚する日。私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて
寝ていた。6月のむし暑い日だった。ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こ
なごなになってしまいそうだった。ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感
と切なさで、何度も何度も私は歯をくいしばった。

しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったことはない。そしてそれが
今、たまらなくなつかしい。私は女房にこう言った。「相手がどんな女性でも温かく迎えて
やろうね」と。それに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。私も、
また笑った。

++++++++++++++++++

青春時代といっても、決して虹やサンシャインばかりではない(ロッキー・ザ・
ファイナル)。
そのほとんどは、切なく、もの悲しい。
しかしそれこそ、人間が原点として感ずる、純粋さではないのか。
その純粋さを、歳をとればとるほど、どんどんと忘れていく。
俗に溺れながら、自分を見失っていく。

私が言う、「燃えカス」というのは、そういう意味である。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【夫婦の同一化】

●土下座

昨日、こんな話を聞いた。
父親が、何かの事業に失敗した。
その責任(?)を取らされて、父親が、家族の前で、土下座して謝ったという。
このところの大不況で、ありえない話ではない。
が、つぎのことを知って、言葉を失った。
父親に「土下座しろ!」と迫ったのは、母親、つまりその父親の妻だった。
妻が夫に向かって、「土下座して、謝れ!」と。
それでその父親が、子ども(小学生2人、幼児1人)の前で、土下座して、謝った。

この話を聞いて、何とも言われない重い気持ちに包まれた。
やりようのない閉塞感というのは、そういうときの気分をいうのか。

たとえそうであっても、つまり夫が事業に失敗しても、妻たるもの、そこまで
夫にさせてはいけない。
そのときはそれですんだとしても、それを見ていた子どもたちに、大きなしこりを
残す。

●こだわり

少し前だが、こんな話も耳にした。
婚約してまもなくのこと。
女性のほうが、男性を、自分の実家に連れていくことになった。
実家は、岐阜県の山奥にあった。

で、その実家を前にしたところで、道の向こうのほうから、
2人の女性が歩いてきた。
その女性の友人たちであった。
そのときのこと。
何を思ったか、その女性が、男性を近くの竹やぶに突き倒し、
「あんたは、ここに隠れていて!」と。

なぜその女性が、そういう行動に出たのかは、私にはわからない。
婚約者に不満をもっていたのかもしれない。
常識的に考えれば、そうなる。
あるいは一瞬の照れ隠しだったかもしれない。
しかしそういうことをされた男性の気持ちは、どうなのか。

結局のこのときの事件がきっかけで、男性のほうから婚約を破棄。
「どうしてぼくを突き飛ばしたのか?」という質問に、女性のほうは、
最後まで答えられなかったという。

●さらに……

子どもの前で、父親(夫)が母親(妻)の悪口を言うのは、タブー。
母親(妻)が父親(夫)の悪口を言うのも、タブー。
そのときはそのときで、子どもは父親や母親の話を聞くかもしれないが、
やがて親子の間に、大きなキレツを入れることになる。
これを心理学の世界でも、「三角関係」と呼ぶ。
家庭教育そのものが、崩壊する。

で、その悪口の中に、こんなのがあった。
これについては、以前にもどこかで書いたことがあるが、こんなのである。
ある母親(妻)が、子どもに向かって、こう言った。

「お父さんの稼ぎが少ないでしょ。だから私たちは、苦労するのよ」と。

母親としては、生活の苦しさを子どもに伝えたかっただけかもしれない。
子どもに妻としての、自分の苦労を理解してもらいたかっただけかもしれない。
しかしこういう言い方は、決定的に、まずい。

●遊離する女性たち

「ならば、はじめから結婚などしなければいい」と、だれしも思う。
家族の前で父親(夫)を土下座させた母親(妻)にしても、竹やぶに婚約者を
突き倒した女性にしても、また子どもに向かって、「お父さんの稼ぎが少ない……」
と言った母親(妻)にしても、だ。

こうした女性たちに共通する心理はといえば、(現実からの遊離)ということになる。
現実そのものに、根をおろしていない。
だから、そういう(おかしなこと)を、言ったりしたりしながらも、それを
「おかしい」とも思わない。
「夫婦」という「運命共同体」をつくりながら、その共同体から遊離してしまう。
「自分だけは、ちがう」と思ってしまう。
別の世界に、住んでしまう。

●夫婦は一枚岩

そうでなくても難しいのが子育て。
夫婦がバラバラで、どうして子育てが満足にできるというのか。
が、ここで書きたいのは、そのことではない。
何ゆえに、ときとして、母親(妻)は、家族から遊離してしまうかということ。
遊離して、自分だけの世界に閉じこもってしまうかということ。

簡単に考えれば、結婚相手に不満があったということになる。
不本意な結婚で、父親(夫)と同一化の形成ができなかったということになる。
常識で考えれば、「そういう夫を選んだのは、あなたという妻ではないか」ということに
なる。
さらにきびしい言い方をすれば、「そういう夫としか結婚できなかったのは、あなたの
責任」ということになる。
が、そういうことは、このタイプの母親(妻)には、理解できない。

●血統空想

「血統空想」という言葉がある。
ジークムント・フロイトが使った言葉である。
ある年齢に達すると、男児は、自分の血統を空想するようになる、という。
「ぼくの父親は、もっと高貴な人間であったはず」と。

この血統空想をヒントにすると、このタイプの母親(妻)は、父親(夫)と
結婚しながらも、夫を受け入れることができず、血統空想の中で生きている
ということになる。
言うなれば、「自己血統空想」ということになる。

「私の夫は、もっと高貴で、力のある人でなくてはならない」
「私はそれにふさわしい女性である」と。

フロイトが説いた「血統空想」は、父親の血統を疑うというものだが、このタイプの
母親(妻)の血統空想は、自分に向けられたもの。
だから「自己血統空想」(これは私が考えた言葉)ということになる。


この血統空想が肥大化して、家族から遊離する。
家族の一員でありながら、その家族に同化できなくなってしまう。
その結果として、父親(夫)に土下座させたり、竹やぶに突き倒したり、さらには、
子どもの前で、父親(夫)を、平気でけなしたりするようになる。

●同一化の形成

夫婦は夫婦になったときから、同一化を形成する。
「一体化」と言い換えてもよい。
その形成に失敗すると、ここに書いたような結果を生み出す。

「夫が恥ずかしい」「妻が恥ずかしい」と思うようであれば、すでに同一化は
崩壊しているとみてよい。
反対に、こんなことを口にする夫婦もいる。
「私は今の夫と結婚できて、幸せです」「私の夫は、すばらしい人です」と。

一見、すばらしい夫婦に見えるが、このばあいも、同一化は崩壊していると
みてよい。
本当にうまくいっている夫婦なら、つまり同一化の確立している夫婦なら、そんな
ことは、他人に言わない。
そういうことを言うということ自体、妻であれば、夫に対して、大きな不満を
いだいていることを示す。
その反動として、つまり自分の心を偽るため、そういった言葉を口にする。

そこで同一化のレベルを、段階的に示してみる。

●同一化のレベル

(レベル0)夫婦といっても、他人と他人との関係
(レベル1)夫婦といっても、形だけ。すべきことはするが、いつもそこまで。
(レベル2)共同作業はいっしょにするが、生き様を共有できない。
(レベル3)ほどほどにわかりあっているが、全幅に心を開くことはできない。
(レベル4)心を開きあい、共通の人生観、哲学をもっている。
(レベル5)一体性がきわめて強く、密接不可分の関係。

「理想としては……」と書きたいが、夫婦の形態は、まさに千差万別。
中身も千差万別。
それぞれがそれぞれの立場で、それなりにほどよくやっていれば、それでよし。
それぞれには、それぞれの家庭の事情もある。
問題もある。
また自分たち夫婦が、同一化の形成に失敗したからといって、大げさに悩む必要は
ない。
世の中には、月に2、3度しか会わなくても、それでもうまくいっている夫婦が
いる。
反対に毎日、ほとんどの時間をいっしょに過ごしていても、心はバラバラという
夫婦もいる。
大切なことは、その中でも、高度な次元で、たがいに尊敬しあって生活するということ。

そういう意味でも、子どもの前で、父親(夫)を土下座させてはいけない。
竹やぶに、婚約者を突き飛ばしてはいけない。
父親(夫)の悪口を言ってはいけない。
そんなことをすれば、結局は、その母親(妻)自身のが愚かということを、
自ら証明することなる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
夫婦の同一化 同一化の形成 同一化の崩壊 三角関係 自己血統空想 血統空想) 


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ア・ソ総理大臣
(Our very honorable Prime Minister of Japan, Mr. Taro Aso, has been to USA to meet
with Mr. President of USA but in vain. We really would like to request him to resign
from the Post for the sake of Japan. He speaks very un-understandable English as well
as broken Japanese. He is a very poor Japanese speaker and has less knowledge and
ability of reading of the Chinese characters. Now only 11% of the Japanese support him,
on the contrary nearly 80% of the Japanese say “No” to him. How come can such a man
be a Prime Minister of Japan? Only wise men can know he himself to be stupid. But
stupid men cannot know it. We know to which side he belongs. We are very much
ashamed of him.)

++++++++++++++++++

この原稿は、マガジン3月30日用。
その3月30日に、ア・ソ総理大臣は、
まだ総理大臣をしているのだろうか。

さっそく日米会談の模様がインターネット・
ニュースとして配信されているが、
「成果なし」(2月25日、ヤフー・
ニュース)、「象徴的意味しかない」(カルフォルニ大・
エリス・クラウス教授)とのこと。
毎日新聞は「空振り」と表現している。

通常ならあるはずの、共同記者会見も、
昼食会も、なし。
へたくそな英語でしゃべるから、
公式の会議録には、「記録不能」の
文字が並んだとか(同・ニュース)。

先日の日露首脳会談でも、そうだった。
ア・ソ総理大臣よ、もうおやめください。
これ以上、日本の恥を世界にさらさないで
ください。

心から、お願いします。

+++++++++++++++++++

どうしてあんな男が、総理大臣をしているのだろう?
おおかたの日本人は、今、そう思っている。
調子づいて得意の書道を披露したまではよかったが、
漢字の(廿)をまちがえた。
調子づいて得意の英語をしゃべってみたが、「記録不能」。
だいたい日本語だって、おかしい。
が、当の本人は、「解散しない」と。
どこまで権力にしがみつくつもりなのだろう。

今回の日米首脳会談についても、アメリカのマスコミは、
「1時間の会談のために、1万1000キロ」(CNN)と皮肉っている。
つまり無駄な会談だった、と。

であるなら、今度の日米首脳会談は、だれが企画したのか?
まさかア・ソ首相が、ねじり込んだというわけでもないだろう。
そう信じたいが、しかしア・ソ首相の思考回路からすると、ありえない話ではない。
功名をあせるあまり、ねじり込んだ。

毎日新聞は、こういう裏話を披露している。
「打診」という部分に注目してほしい。
いわく、『外務省関係者によると、日本側は会談後に両首脳による共同記者会見を打診。A
S首相の政権浮揚につながるとの思惑などからだが、空振りに終わった。大統領との昼食
会も議会演説を控えた「繁忙なスケジュール」(米側)に押され、かなわなかった』と。

最後の望みの綱(?)は、K国のテポドン2号。
この数日中に発射される可能性が、ぐんと高くなった。
もし発射されるようなことがあれば、ア・ソ総理大臣は、
それを口実に、またまた権力の座に居座るつもり(?)。
「極東アジアを守るのは、私の責務」とか、何とか言って……。
意図は、見え見え。

アメリカの新聞各紙も、「権力維持のため、苦労している」と、
つぎのように伝えている(時事通信)。

『(アメリカの)新聞各紙は「AS首相の支持率は1ケタに落ち込み、政治的に防戦を強い
られている」(ワシントン・ポスト)、「国民に非常に不人気で権力維持に苦闘している」(ボ
ストン・グローブ)と指摘。海外向けラジオ放送ボイス・オブ・アメリカは「多くの国民
は次の総選挙で自民党が過半数を維持できないと信じている」と伝えた』と。

ちゃんと見ている人は、見ている!
日露首脳会談も、日米首脳会談も、結局は、みんな、名聞名利のため。
国家的な必要性があったわけではない。

ところでどうして「麻生」が、「ア・ソ」かって?
その意味が知りたかったら、近くの外人に、こう言ってみたらよい。
「アッ、そう」と言うつもりで、「アッ・ソァ」と。
「ア」の音は、やや英語なまりに、「ア」と発音するのがよい。
ただしそのあと、その外人に殴られても、私は責任を取らない。

(補記)
麻生総理大臣のすることなすこと、すべて裏目、裏目と出てきている。
それはつまり、それがそのまま麻生総理大臣自身の人間性の表れとみてよい。
もともと国民に選ばれた総理大臣ではない。
国盗り物語よろしく、謀略に謀略を重ねて、今の地位についた。
その醜さを、日本人のみならず、今、世界中の人たちが感じている。

賢い人には、自分のバカさかげんがわかる。
しかし愚かな人には、それがわからない。
麻生総理大臣が、国民に、「おバカ宰相」(週刊B春)と呼ばれている理由は、
そんなところにもある。

(補記)
どんな職業にも、「資格」というものがある。
何かの国家試験の合格にせよというのではない。
ただ最低限の健康診断だけは、受けるべきではないか。
とくに脳の検査だけは、しっかりとやってほしい。
総理大臣にもなるような人だから、まさかとは思いたいが、
麻生総理大臣の言動には、首をかしげたくなるようなことが多い。
麻生総理大臣がそうというわけではないが、頭のおかしな人に、
国政を運営されたら、それこそこの日本は、たいへんなことになる。
麻生総理大臣も、一度、自ら進んで、脳の検査を受けてみてほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB. 09++++++++++++はやし浩司

●テポドン2号は、無視!(Let’s ignore the North Korean Missile!)
(It is very important for the Japanese just to ignore the ICBM test by North Korea. The
US Forces announce that they will shoot it down with anti-missile missiles but it is
their business. We, the Japanese, should just ignore it and we never shoot it down. In
case that we shoot it down, that means we give North Korea a permission to attack
Japan with short-range missiles. Now is the time when Mr. T. Aso, the Prime Minister
of Japan has been losing supports of the Japanese and now abt. 80% of the Japanese say
“No!” to him. I am afraid that T. Aso would utilize this critical situation for his own fame
and power. It may be very dangerous. We never let him do so. Moreover North Korea
does not deserve to do so. It is a very tiny and poor country. Then why should we commit
suicide with such a country? Only one single missile into Tokyo would cause chaos and
from that time on Japanese economy would be dropped to the hell. Then Mr. T. Aso,
please do not utilize this situation for your own sake, please.)

++++++++++++++++

K国が、テポドン2号(大陸間弾道ミサイル)の
発射に向けて、準備をしている。
今日のニュースによれば、レーダーの照射実験も
開始したという。
ミサイルの飛行を追尾するためのレーダーと
いうことらしい。
ここ数日~1週間が、山と言われている。

+++++++++++++++++

こうしたK国の動きに対して、アメリカ軍は、撃墜すると言明している。
何重もの迎撃態勢を整えたという。
が、もしそんなことをすれば、つまり撃墜すれば、日本はK国に、
日本攻撃の口実を与えてしまうことになる。
相手が、それなりに価値のある国であり、
まともな国なら、撃墜という手段もあるかもしれない。
しかし今、K国は、日本が相手にしなければならないような国ではない。
またその価値もない。

なぜK国は、ミサイル発射実験をするか?
言わずと知れた、国内向け。
ありもしない外国の脅威をつくりあげ、自国内で緊張感をあおりたてる。
それでもって、国内を引き締める。

かたや日本は、どうか。
こうした脅威をいちばん利用したがっている人物が1人、いる。
いわずと知れた、アソ総理大臣である。
恐らく……というより、彼の思考回路からして、「このときぞ」とばかり、
前面に躍り出てくるにちがいない。

(K国のミサイルを撃墜する)→(国内の緊張感をあおりたてる)→
(政権を安定させる)。

が、これはたいへん危険な構図と考えてよい。
日本がそのまま戦争に巻き込まれてしまう。

では、どうするか?

日本には、「シカト」という言葉がある。
今回ほど、この言葉が生きる場面はない。
私たち日本人は、K国のミサイルを、シカトする。
アメリカが太平洋上で撃墜するというのなら、それはそれで構わない。
しかし日本海、もしくは日本上空でというのなら、それを許してはならない。
「撃墜するなら、太平洋上で」と、しっかりと、アメリカに
釘を刺しておく。

そしてそのあと、ゆっくりと国際世論を味方につけて、K国を締め上げる。
国連という場は、そのためにある。
理由が、ある。

昔から『触らぬ神にたたりなし』という。
K国が(まともな国)なら、それなりの意味がある。
話し合いも通ずるだろう。
しかしあの国は、どうながめても、まともではない。
ひとりの独裁者に率いられた、狂った独裁国家である。
そんな国をまともに相手にしたら、それこそ、たいへんなことになる。
仮に東京に一発でもミサイルが撃ち込まれたら、日本経済はそのまま
奈落の底に落ちてしまう。
経済活動はマヒ。
株価はさらに大暴落。
円も大暴落。

だからK国のミサイルは、シカト。
ただひたすら、シカト。
どうせまともに飛ぶかどうか、わからないような代物である。
そんなミサイルのために、一発、数100億円~もするような迎撃ミサイルを、
何発も打ち上げて、どうする?

そこで、アソ総理大臣に、どうしても一言、言いたい。

アソ総理大臣へ

どうか、どうか、今回の緊急事態を、己の名聞名利のために
利用しないでほしい。

今、国民の80%が、あなたに「やめろ」「やめろ」の大合唱を繰り返している。
そういう声に、謙虚に耳を傾けてほしい。

はからずも私はアソ氏が首相に就任するかもしれないというころ、
自分のエッセーの中で、こう書いた。

「あんな人物が、総理大臣になったら、この日本はめちゃめちゃに
なってしまう」と。

本当に、そういう事態がやってきた。
やってきたが、あなたのような人物に、日本をめちゃめちゃにしてもらいたくない。

……ということで、一方、今こそ、私たちは心を引き締めて、冷静になろう!
アソ総理大臣の暴走に、警戒しよう!
(09年2月27日昼、記)

(補記)
自国の平和と安全を願うなら、他国の平和と安全をまず、考える。
それが自国の平和と安全を守る、大原則。
が、この原則も、相手が、まだまともという前提条件がつく。
残念ながら、K国は、まともな国ではない。
世界中でK国の人権問題が、なぜ論議されているか、そのことだけでもK国が、
いかにおかしな国かがわかる。

また日本について言えば、つい先週は、「日本を殲滅(せんめつ)させる」とまで、
言明している。
殲滅……?
恐ろしい言葉である。
脅しとはわかっているが、しかしそれを侮(あなど)ると、何をされるかわからない。
そのためにも、私たち日本人は、彼らにつき入らせるスキを見せてはならない。
ここはシカト。
ただひたすら、シカト。
彼らを静かに自滅させることこそ、日本にとっても、またK国の一般の人たちに
とっても、最善の策ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB09++++++++++はやし浩司

●公表(Publication)

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私は自分の実名を公表して、HPや
BLOGを開設している。
しかしこれはたいへん危険なことなのだ
そうだ(某パソコン週刊誌)。

そのため、名前はもちろん、近所の写真すらも、
載せないようにするのがよい、と。
そういうものから個人が特定されると、
いろいろとトラブルに巻き込まれることが
あるので、やめたほうがよい(同)、と。

++++++++++++++++

その雑誌を読みながら、横にいたワイフに、ふとこう聞いた。
「ぼくは、バカなことをしているのかなア?」と。
実名どころか、プライベートなことまで、洗いざらい公表している。

もちろん現在に至るまで、いろいろなトラブルはあるにはあった。
私の事務所に怒鳴りこんできた読者もいる。
BLOGに、「あのはやし浩司は、共産党員であるといううわさもある」とか、
「はやし浩司は、神戸大学で研究しているとき、女児に手を出した」とか、
とんでもないことを書いていた人もいた。
(これら2つについては、即刻、削除を命令した。)

数年前までは、ハングル文字での抗議文らしいものが、頻繁に届いた。
一部を知人に訳してもらったが、脅迫文に近いものだった。
今は、韓国、K国からのメールは、すべてフィルターにかけて、処分している。

ほかにも「ポケモン・カルトは、トンデモ本である」とか、など。
しかしこういったことを、イチイチ気にしていたのでは、文章など、書けない。
本など、出せない。
言いたい人には、言わせておけばよい。
書きたい人には、書かせておけばよい。

こうした中傷や誹謗には、もう慣れた。
10数年前、カルト教団についての本を5冊、書いた。
雑誌にも、記事を書いた。
もちろん別のペン・ネームを使ったが、それでもどこで知ったのか、毎週のように、
その教団の信者たちが、私の家にやってきて、あれこれ抗議して帰っていった。
多いときは、20~25人前後の信者たちがやってきた。

最初は、命の危険を感じたが、しかしそれも慣れ。
1年もすると、笑って見送ることができるようになった。
私はその経験を通して、(ものを書く)という勇気を身につけた。
つまり、怖いもの知らず(?)になった。

しかしこんなことを心配してくれる人もいた。
孫の誠司(HPなどのトップページに、写真を使っている)について、
「誘拐されませんか?」と。

その心配はないわけではないが、誠司は現在、アメリカに住んでいる。
息子夫婦は、住所を公表していない。
だからその心配はないと思うが、用心するに越したことはない。
そのあたりは、慎重に配慮して、原稿を書いている。

もちろん特定の個人への批判などは、しない。
商店名などでも、固有名詞を出すときは、その店の宣伝になるようなときだけ。
そういった気配りは、常識として、当然のことである。
しかしそれでもトラブルに巻き込まれたら……?
俗に言う、「炎上」というのである。
そのときはそのとき。
また考えればよい。

ともかくも、ときどき、「こんなことをしていて、何になるのかなア?」と
思うことはある。
今朝もそうだが、しかし陰でコソコソと隠れて何かをするというのは、
私のやり方ではない。
それに、今朝もそうだが、起きてすぐ、やりたいことがあるというのは、
すばらしい。
またそれができるというのは、すばらしい。

それにこのところ、BLOGへのアクセス件数だけでも、毎日、1000~2000
件もある。
HPへのアクセス件数は、その数倍は、ある。
みながみな、好意的に読んでくれているとは思わないが、励みにはなっている。
今、こうして書いている文章にしても、1万人以上もの人たちの目に留まる。
これを生きがいと言わずして、なんと言う?

読者のみなさんに感謝しながら、今日もがんばる。
薄曇りの、どこかやさしい暖かさを感ずる冬の朝。
全世界のみなさん、おはようございます。
今日は、2月28日、土曜日。


Hiroshi Hayashi++++++++Feb. 09++++++++++++はやし浩司

●田丸謙二先生

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ワイフが、「今月も、あと2日ね」と言った。
「?」と思っていると、「今月は、28日までしかないから」と。

ところで、今度の「歩こう会」では、鎌倉の建長寺から八幡宮まで
歩くことになっている。
さっそく、鎌倉の田丸謙二先生に連絡を入れる。
「先生の縄張りを荒らしますから、よろしく」と。
それに答えて、「4月に人工関節を入れる」とのこと。
プラス、「久しぶりだから、ゆっくりしていってください」という返事を
もらった。

帰りのバスの時刻もあるから、そうはいかないが、うれしかった。
プラス、先生に会うのが楽しみ。

先生と出会って、もう39年になる。
長いつきあいになった。
その間に、いろいろあった。
話し出したら、いつもたがいに、口が止まらない。

いつだったか、「ぼくは、東大で最年少で教授になった」と
話してくれたのを覚えている。
田丸謙二先生は、30代の若さで、東大の教授になった。
田丸謙二先生というのは、そういう先生である。

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●頭のよい人

頭のよい人というのは、いる。
たしかに、いる。
しかし悲しいかな、私のような頭では、その人の頭のよさはわからない。
つまり頭のよい人からは、頭の悪い人がわかる。
頭の悪い人からは、頭のよい人がわからない。

一般的に言えば、頭の悪い人というのは、自分では悪いとは思っていない。
先日も、どこか認知症ぽい女性(65歳)と話していたときのこと。
回りくどいことを、何度も繰り返して言った。
で、私が、「ぼくは、そんなバカじゃないと思います」と言ったら、
何がカンに触ったのが、突然、金切り声をあげて、こう言った。
「私だって、バカではありません!」と。

同じようなことは、子どもの世界でもよく見られる。
少し前だが、私がふと、「今度、大阪市で講演をすることになった」と言った
ときのこと。
1人の女子中学生が、ジロッと私を見て、こう言った。
「どうして、あんたなんかが……?」と。

さらに昔。
かなりの問題児(小3男児)がいた。
わがままで、自分勝手。
手がつけられなかった。
そのことを母親に告げようとしたら、その母親は、こう言った。
「あんたは、だまって、息子の勉強だけをみてくれればいい」と。

いろいろある。
あるが、私は、他人には、よほどのバカに見えるらしい。
(自分でも、バカだと思っているから、しかたないが……。)

この日本では、小さな子どもまで、人を、その地位や肩書きで判断する。
地位や肩書きがあれば、ペコペコする。
そうでなければ、そうでない。
しかし私が、こうまで無宿者で生きているかといえば、それには
理由がある。

こんな話をしても、信じてもらえないかもしれないが、真実を話す。

私がそのあと、「ひとりで生きてやろう」と考えたのは、田丸謙二先生に
出会ったからである。
頭のよい人には、たくさん出会った。
が、田丸謙二先生のときは、明らかにちがった。
「とても、この人には、かなわない」と思った。
私が人生で、敗北感を味わったのは、後にも先にも、田丸謙二先生に出会った
ときだけだった。
つまり田丸謙二先生は、今でもそうだが、それくらい頭がよかった。

だから私は、こう決心した。
「私ひとりくらい、無肩書きで生きてやろうではないか」と。
なぜそう決心したかはわからないが、今にして思うと、猛烈なライバル心が
そう思わせたのではないか。

ということで、以後、地位や名誉には、あえて背を向けた。
いろいろな話はあったが、すべて断った。
いくらがんばっても、30代で東大の教授になることなど、私には
できるはずもない。
ないから、最初から、あきらめた。
つまり私がしたいことは、すべて田丸謙二先生が、してみせてくれた。
だから私は、私で、別の人生を歩いてみたい、と。
今、こんな話をしても、だれも信じてくれない。
しかし事実は事実。

で、あのメルボルン大学で、田丸謙二先生と寝食を共にできたことは、
私にとって、人生最大の幸運だった。
田丸謙二先生が、私の人生の方向性を作ってくれた。
その先生に、また会う。

長い長い39年だったが、同時に、あっという間の39年だった。

(補記)
田丸謙二先生が、群馬県のどこかの温泉に行ったときのこと。
旅館のみなが、田丸謙二先生を、中曽根元首相と見まちがえたとか。
田丸謙二先生がどんな顔の人かは、このエピソードでわかると思う。

……そういえば、数年前、浜北市(浜松の北にある町)で、
いっしょに食事をしたときも、店長に、「中曽根さんですか?」と聞かれた。
私は似ていないと思うのだが、たまに会う人には、そう見えるらしい。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB. 09++++++++++++はやし浩司

●2009年度・大学入試問題より

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大学入試問題の内容が変わってきている。
たとえば……

神戸市看護大……小論文のテーマは、「ワーキングプア」。
正社員と非正社員の賃金格差などを挙げ、解消策を書かせた。

滋賀県県立大文化学部……小論文で「なぜかくも日本人はキャラクターが好きなのか」を
出題。滋賀県は、「ひこにゃん」で注目を集めている。

富山大医学部は、「大学に進学したいけど学費がない」など、読売新聞読者から寄せられた
悩みを紹介。その上で、自分ならどう考えるかを英文で書かせた。(以上参考:読売新聞0
90226)

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そこで私も挑戦。

●「なぜかくも日本人はキャラクターが好きなのか」

簡単に言えば、見た目でわかりやすいものを好むということ。
てっとりばやく、情報を吸収する。
それを如実に表しているのが、コミック本。
今の若い人たちは、図書館通いをするよりは、マンガ喫茶で時間をつぶす。
「キャラクターを好む」という現象は、その延長線上にある。
言いかえると、日本人の思考力が、それだけ低下しているということ。
……と言うのは、少し飛躍した意見に聞こえるかもしれない。
しかし論理、分析は左脳、イメージは右脳というように、
脳は分担して仕事をしている。
つまり右脳がそれだけ活発に働けば、一方で、左脳の働きがおろそかになる。
その分だけ、思考力は、低下する。

また、たとえば彦根というと、古い世代なら、彦根城。
彦根城といえば、幕末の大老の井伊直弼を思い浮かべる。
桜田門外で暗殺された、あの井伊直弼である。
しかしそうしてどんどんと掘り下げていくと、やがてカビ臭くなってくる。
が、それでは、町のイメージとしては、おもしろくない。
若い世代には、受けない。
そこで「ひこにゃん」となる。

「なぜかくも日本人はキャラクターが好きなのか」ということだが、
しかし私自身は、あのキャラクターと呼ばれる、シンボルマーク(?)が、
あまり好きではない。
どこか安っぽい。
どこか個性がない。
どこか幼稚ぽい。
「絵」としてみるかぎり、「見るに堪えない」。
それにこれだけ氾濫してくると、キャラクターがキャラクターとしての意味を
失ってしまう。

で、最初の結論に戻ってしまう。
簡単に言えば、見た目でわかりやすいものを好むということ。
視覚としてとらえ、イメージとして、それを脳に焼きつける。
キャラクターを瞬間、見ただけで、そこに「彦根」を結びつけることができる。
「彦根」という漢字だけでは、もろもろの情報の中に埋もれてしまう。
だから、キャラクターということになる。

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思いついたまま書いたので、大学の先生に評点されたら、「C」になるかもしれない。
しかしキャラクターというと、どうじても、あの(着ぐるみ)を連想してしまう。
遊園地やイベント会場で、よく見られる、あの着ぐるみである。

もちろんああした着ぐるみは、おとな向けではない。
子どもといっても、幼児向けである。
だから「なぜかくも日本人はキャラクターが好きなのか」と、私も含めて、
いっしょくたに「日本人は」と言われると、「?」と思ってしまう。
仮にもしそうであるとするなら、つまりは、それだけ日本人が、おとなに
なりきっていないということになる。

ただ誤解してはいけないのは、キャラクターと、シンボル・マークは区別した
ほうがよいということ。
キャラクター、イコール、シンボル・マークではない。
もちろんその逆でもない。
たとえば浜名湖のシンボル・マークは、「うなぎ」。
しかしそのマークが、擬人化され、さらに着ぐるみになると、「かわいい」という
よりは、不気味。
それを好きか、嫌いかと聞かれると、返答に困ってしまう。
もともと好きとか、嫌いとか、そういうふうに判断すること自体、おかしい。

最後に一言。
たとえば漢字のことを、英語では、「チャイニーズ・キャラクター」という。
「象形文字」のことである。
と考えると、今、この日本にあって、新しい漢字が生まれつつあるとも解釈できる。
「彦根」と書くより、「ひこにゃん」を描いたほうが、わかりやすい。
つまり、それだけのこと。
それ以上の意味はないし、また深く考えても、無駄。
そういうこと。


Hiroshi Hayashi++++++++Feb. 09++++++++++++はやし浩司

●2月27日

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昨日も、ワイフと町までの7・5キロを歩いた。
大またで歩いて、ちょうど9000歩。
時間にして、1時間30分。
途中、ちょっとした坂がある。
賀茂真淵記念館につづく坂である。

苦しそうに歩くワイフをうしろに、私はスタスタ。
坂には、自信がある。

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【7つの贈り物(Seven Pounds)】

ウィル・スミスの『7つの贈り物』を見てきた。
よかった。
感動した。
星は、4つの★★★★プラス。

「どうして新しい恋人と、人生をやりなおさないのかな?」という
疑問は残ったが、星は、4つ。
5つでもよいかなというところ。

今週から、『オーストラリア』『送り人(再配信版)』が始まる。
忙しくなりそう。


●暗い朝

足の筋肉痛で、目がさめた。
時計を見ると、午前4時。
そういうときは、起きてしまうほうがよい。
……ということで、起きて、そのまま書斎へ。

で、あれこれしていると、午前7時。
窓の外を見たが、まだ暗い。
居間へおりていって、外を見ると、厚い雲に覆われた曇天。
「道理で……」と思いながら、庭にハトの餌をまく。
こうして私の一日が、始まる。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB09++++++++++はやし浩司

【4】(子育て危険度)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
(一部を紹介します。もっと読んでくださる方は……
http://hiroshihayashi9.ninja-web.net/page012.html#label1
へ、おいでください。)

あなたのご主人は、どちらの大学ですか?
学歴に興奮する親たち(失敗危険度★★★★)

●おもしろい習性(失礼!)
 親というのは、自分で自分の子どもをバカと呼ぶのは平気だが、しかし他人に言われる
のを許さない。それはそうだが、それと同じように、自分の子どもが評価される場に落と
されると、独特の心理状態になる。動物的な嫉妬心や闘争心が刺激されるらしい。

その一つ、親、とくに母親は、学歴の話になると、興奮状態になる。これは親が共通し
てもつ習性(?)ではないか。夫の学歴、自分の学歴、さらに子どもの学歴となると、
興奮状態になる。なぜそうなのかということは、別として、これをうまく利用して、金
儲けにつなげている人たちがいる。いわゆる受験屋と呼ばれる人たちである。

●ある教育機器メーカーの戦略
 ある教育機器メーカーの説明会でのこと。私も興味があったので、招待状をもって、そ
の会にでかけた。予定では九時三〇分に始まるということだったが、行ってきると、黒板
に、「一〇時から」と書いてあった。そこでしばらく待っていると、うしろのほうからヒソ
ヒソ話が聞こえてきた。サクラである。主催者の教育機器メーカーが送り込んだサクラで
ある。

耳を傾けると、「あなたのご主人は、どちらの大学ですか?」「あなたのお子さんは、将
来、公立、それとも私立?」と。とたん、会場の中におかしな緊張感が漂い始めた。し
かしそれこそまさに、その会社のねらいである。サクラが、「あの中学はむずかしいそう
よ」「進学塾では役にたたないそうよ」と言い出した……。

●親たちは興奮状態に!
 それに拍車をかけるように、一〇時からの説明会では、まずビデオが映し出された。N
研という東京の進学塾が制作したビデオだが、子どもの受験勉強の様子、受験会場に行く
様子、受験しているときの様子、そして合否発表の様子がつぎつぎと映し出された。意味
のないビデオだが、しかし合否発表のところでは、受験に落ちて、泣き崩れる母親や子ど
もの姿が、これでもかこれでもかとつづいた。時間にすれば、約一〇分間程度だったが、
会場がますます異様な雰囲気になるのがわかった。しかしそれこそがまさにその会社のね
らいでもあった。

 やがてその会社の教育機器の説明会が始まり、それが終わると同時に、ワンセット二四
万円もする教材が、飛ぶように売れていた。驚いたというより、それはあきれんばかりの
光景だった。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

近所に人に息子の制服をみられたくナ~イ!
見え、メンツ、世間体(失敗危険度★★★★★)

●家庭教育の元凶
 見え、メンツ、それに世間体。どれも同じようなものだが、この三つが家庭教育をゆが
める。裏を返せば、この三つから解放されたら、家庭教育にまつわるほとんどの悩みは解
消する。

まず(1)見え。「このH市では出身高校で人物は評価されます」と、断言した母親がい
た。「だからどうしてもうちの子はA高校に入ってもらわねば、困ります」と。しかし見
えにこだわると、親も苦しむが、それ以上に、子どもも苦しむ。
 
つぎに(2)メンツ。ある母親は中学校での進学校別懇談会には、「恥ずかしいから」と、
一度も顔を出さなかった。また別の母親は、子どもが高校へ入学してからというもの、
毎朝、自動車で送り迎えしていた。「近所の人に、子どもの制服を見られたくないから」
というのが、その理由だった。また駅の近くの親戚の家で、毎朝、制服に着がえてから、
通学していた子どももいた。が、こういう姿勢は子どもの自尊心を傷つける。
 
最後に(3)世間体。見えやメンツにこだわる親は、やがて世間体をとりつくろうよう
になる。「どうしてもうちの子どもにはA高校を受験してもらいます」と言った親がいた。
私が「無理だと思いますが」と言うと、「一応、そういうところを受験して、すべったと
いう形を作っておきたいのです」と。不登校児になった子どもを、親戚の叔父に預けて
しまった親すらいた。こうした親は何とか「形」だけは整えようとするわけだが、ここ
から多くの悲喜劇が生まれる。私のような立場の人間が、「世間は、あなたのことを、そ
んなに気にしていませんよ」と言っても、ムダ。このタイプの親は、世界は自分を中心
にして回っているかのように錯覚している。あるいは世界中が自分に注目しているよう
かのように錯覚している。

●「しかたないので、C中学にしました」
 見えやメンツ、それに世間体を気にするということは、結局は自分を飾るということ。
そういう親には共通点がある。自分の周囲をウソで塗りかためる。たとえば……。

「私はどこの中学でもいいと思っているのですが、息子がどうしてもA中学と言います
ので、先生、息子の願いをかなえてあげてください」と。そこでその息子にそれとなく
聞くと、「ぼくはどこでもいいけど、ママがそうしてもA中学にしろと言ってうるさい」
と。あるいは「学校の先生はB中学でも合格できると言っているのですが、息子はどう
してもC中学のほうがいいと言って私の言うことを聞きません。しかたないので、C中
学にしました」と。このときも息子に聞くと、「先生がB中学は無理だと言ったので、C
中学にした」と。さらにこんな例もある。
 
Tさん親子の間には、息子が中学生になるころから、会話という会話はほとんどなかっ
た。食事も別々、廊下ですれ違っても目をそむけあう。どんな会話をしても、すべて一
触即発。そんな関係であるにもかかわらず、Tさん(四五歳女性)は、ことあるごとに
その息子が東京のT理科大学に入学したことを自慢していた。「猛勉強をしてくれたおか
げで、T理科大学に入ってくれましてね」と。Tさんの家の居間には、息子の卒業証書
が高々とかかげられている。もちろん息子はほとんど家には帰っていないのだが……。

●私は私、人は人という人生観
他人の目の中で生きれば生きるほど、結局は「自分」を犠牲にすることになる。が、こ
れほどつまらない人生もない。自分の人生をドブへ捨てるようなもの。しかしそれは同
時に、他人の目から見ても、それほど見苦しい人生はない。笑うとか笑われるとかいう
ことになれば、そのほうが笑われる。皮肉といえば、これほど皮肉なことはない。

この見えやメンツ。それに世間体と闘う方法があるとすれば、それは「私は私、人は人」
という、人生観をもつこと以外にない。が、これは容易なことではない。人生観という
のはそういうもので、一朝一夕には確立できない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

でも、あの子はD小学校ですって!
ブランドにこだわる親たち(失敗危険度★★★)

●テーマはブランド
 参観日のあと、母親たちが校門の内側に立ってワイワイと話し合っている。教育の話か
とおもいきや、そうではなかった。一人の母親がもっていたブランドのバッグについてだ
った。「どこで買ったの?」「わあ、ステキ!」「いくらだった?」「あら、いいわネ~。私
もこんなほしいわ」「あら、あなたのも、ステキじゃない」と。

●人間の思考回路
 人間には思考回路というのがある。人というのは、一度自分の頭の中にその思考回路を
つくると、その思考回路にそって、ものを考えたり、行動したりするようになる。脳の神
経細胞のシナプス(神経細胞の接合部)※が、そのようにできあがったためと私は勝手に
考えている。たとえば暴力団の男たちは、何か問題が起きると、暴力を使ってそれを解決
しようとする。私のようなモノ書きは、何か問題がおきると、文を書いてそれを解決しよ
うとする。それが思考回路である。

●ブランドで選ぶ幼稚園
 同じように、ブランドにこだわる親というのは、そのときどきにおいて、ブランドにこ
だわるようになる。そのほうが本人も楽ということもある。で、一度その思考回路ができ
あがると、その思考回路からはずれたことをするのは容易なことではない。それはそれと
して、このタイプの親は、子どもの教育でもまた、ブランドを重視する。幼稚園でも、学
校でも、ブランドで選ぶなど。中身ではない。あくまでもブランドだ。それはもう信仰の
ようなもの。理由など必要ない。ブランドのある幼稚園や学校なら、安心し、そうでなけ
れば不安になる。そしてその返す刀で、(子どもの中身が変わったわけではないのに)、そ
れ以外の幼稚園や学校へ通っている子どもを「下」にみる。「うちの子はA小学校よ。でも、
あの子はD小学校ですって」と。

●しかし失敗も多い
 が、いつもいつもうまくいくとは限らない。このタイプの親は、反対に自分の子どもが、
その「下」に落とされると、奇怪な行動をとり始める。毎朝、車で自分の息子を送り迎え
していた母親がいた。息子の学校の制服を近所の人に見られると恥ずかしいというのが、
その理由だった。もう一〇年も前のことだが、毎朝、学校の制服を、駅前の喫茶店で着替
えさせていた親すらいた。プライドをキズつけられると、親はそこまでする。こうした親
の心理を理解できないわけではないが、その結末はいつもおかしい。そして悲しい。

※……人の大脳には、一〇〇億の神経細胞があると考えられ、その一個ずつの神経細胞に、
約一〇万個のシナプスがあると考えられている。すると大脳全体で、一〇の一五乗のシナ
プスがあることになり、その数はDNAの遺伝子情報の一〇の九乗~一〇乗を超えること
になる(新井康允氏)。人間の思考が、DNAの設計図の外にあることがこれでわかる。


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