*What is the "Family" for other people?
●3月27日
【家族】
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今朝は、どこかの男と、言い争っている夢を見た。
私はかなり興奮していた。
そのせいか、起きると、軽い頭痛がした。
今、あまり精神状態は、よくないようだ。
理由はわかっている。
近く、実家の寺で、法事がある。
父の33回忌である。
私は若いころから、「実家へ帰る」となっただけで、
精神状態が、たいへん不安定になる。
家族自我群による「幻惑」によるものと考えてよい。
本能に近い部分にまで、「刷り込み」がなされて
いるため、それを克服するのは、容易なことではない。
満61歳になった今でも、その「幻惑」はつづく。
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●家族自我群
今の今も、家族による束縛感、呪縛感に苦しんでいる人は多い。
家族であるがゆえに、わだかまりや、こだわりも、増幅する。
またそれから逃れることもできない。
できないから、悶々と、いつ晴れるともない、苦しみの中でもがく……。
こうした呪縛感を総称して、「家族自我群」という。
またそれから生まれる苦しみを総称して、「幻惑」という。
先にも書いたように、本能に近い部分にまで刷り込みがなされているため、
その自我群から、自ら解放することは、容易なことではない。
●家族
「家族」というと、甘い響きがそこに漂う。
そうである人には、そうかもしれない。
しかしその家族も、どこかで歯車が狂うと、そのままバラバラになる。
なって、今度は、重圧感となって、その人を襲う。
家族イコール、「安住の場」とは、かぎらない。
「家族である」という、安易な『デアル論』だけで、
容赦なく、その人を攻撃する。
幸運にしても、そういった苦しみを知らない人には、
自我群の説明をしても、意味はない。
理解することすら、むずかしい。
●入浴
……ここまで書いて、朝風呂に入ってきた。
軽い偏頭痛のばあい、朝風呂に入ると、そのまま治る。
これにも、理由がある。
偏頭痛は、血管が拡張して起こる。
拡張した血管が、その周囲を取り巻く神経を圧迫する。
それで偏頭痛が起こる。
若いころは、このメカニズムがわからず、苦労した。
プラス苦しんだ。
ひどいときには、「頭を切り落としてくれ!」と叫ぶほど、
痛かった。
が、メカニズムがわかれば、対処の仕方もわかる。
やや熱めの風呂に入って、一度、血圧をあげる。
瞬間、偏頭痛はひどくなるが、5~10分もすると、今度は
血管が収縮を始める。
それで偏頭痛は、消える。
今朝、目が覚めたときの頭痛は、偏頭痛だった。
●自我群と闘うために
家族自我群と闘うためには、まず、そのメカニズムを知る。
何度も書くが、これは本能に近い部分にまで刷り込みがなされているから、
それと闘うのは、容易なことではない。
理性や知性で、割り切ることはむずかしい。
が、「幻惑」は、読んで字のごとく、「幻惑」。
「幻(まぼろし)」。
実体があるわけではない。
私のばあい……という言い方はおかしいが、あるときから、そこにある
運命を受け入れることにした。
自分の境遇をのろっても、しかたない。
嘆いても、始まらない。
だったら、そこにある運命を、そのまま受け入れる。
とたん、心が、ウソのように軽くなったのを覚えている。
●今……
今、私が苦しんだ、家族自我群による幻惑は、ウソのように消えた。
母が他界し、つづいて兄が他界し、「家」そのものが、消えた。
残るのは、実家という「古家」と「法事」のみ。
しかしそれらは、もう(心の問題)ではない。
が、すべての呪縛から解放されたというわけではない。
実家の周辺には、親類が住んでいる。
近所の人たちとのつきあいもある。
伯父、伯母、それに叔母もいる。
しかし我が身を振り返ってみれば、その私も61歳。
正直なところ、「もう、いいかげんにしてほしい!」と叫びたい。
が、こうなったら、居直って生きるしかない。
「どうでもなれ」と、投げ捨てて生きるしかない。
●幻惑に苦しんでいる人へ
私のBLOGへの検索・ワードを見ると、「家族による苦しみ」
についてのものが、多い。
(BLOGによっては、どんな言葉を検索して、アクセスして
きたかが、わかるようになっている。)
つまりそれだけ、この問題は、深刻ということ。
またそれで悩んでいる人も、多いということ。
逆に、そういう人たちをアクセスしてみると、そのBLOGには、
こう書いてあったりする。
「親を殺してやりたい!」と。
それは殺意というよりは、自分の体にしみ込んだ(体質)そのものを
消し去りたいという思いから、発するものと考えてよい。
あえて言うなら、自己嫌悪。
はげしい自己嫌悪。
それが転じて、「殺してやりたい!」となる。
しかしけっして、あせってはいけない。
時間はかかるかもしれないが、この問題は、時間が解決してくれる。
時間がたてば、かならず、解決する。
だから……。
それまでがんばって、がんばって、生き抜くこと。
健康だけを大切に、生き抜くこと。
それで解決する。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
家族自我群 自我群 幻惑 家族とのわだかまり こだわり はやし浩司 確執
親子の確執。)
Hiroshi Hayashi++++++++March・09++++++++++はやし浩司
最前線の子育て論byはやし浩司(090328)
●3月28日(M党のOZ党首、立ち木問題)
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●M党のOZ党首
M党のOZ党首が、「続投する」と、自らの意思を表明した。
しかしこの表明で一番、胸をなでおろしているのが、J党。
M党による政権交代は、これで事実上、不可能になった。
国民の約80%は、OZ党首の「説明」に納得していない(C新聞)。
私も納得していない。
さらに驚くべき発言がつづいた。
M党内部で、公然とOZ氏批判をした国会議員がいた。
それに対して、OZ派の国会議員(M党)が、「自分を何様だと思っているのか」と、
かみついた(テレビ報道)。
ヘ~~エ?
M党という政党は、そういう政党だったの?
同僚の国会議員に対して、「何様だと思っているのか」は、ない。
要するに、「だれのおかげで国会議員になれたと思っているのか。
生意気言うな!」という意味らしい。
この言葉は、そっくりそのまま、M党・OZ派のみなさんに送りたい。
●立ち木問題で、知事が辞任(?)
これまたおかしな、前代未聞のできごとが、この静岡県で起きた。
たかが(失礼!)、立ち木問題程度のことで、知事が辞任を表明した。
ことの発端は、立ち木。
はじめから終わりまで、立ち木。
今度開港する静岡空港の滑走路の先に、150本程度の立ち木がある。
滑走路の、ちょうど真正面に、である。
(その周辺の場所には、木はなく、その部分だけに、剃り残したヒゲのように
立っている。)
そのため開港は遅れ、プラス1億円程度の改修費がかかった。
それについて、立ち木の地権者のO氏は、「知事の辞任が条件」と、静岡県側に迫った。
つまり「知事が辞任しないかぎり、立ち木は切らない」と。
それを受けて、静岡県知事が辞任を表明した。
ここで再び、民主主義・論。
私権の保護は、民主主義の根幹である。
それは認める。
しかし私権とっても、絶対的なものではない。
(保護しなければならないものかどうか)という観点から、フィルターがかかる。
そのフィルターをくぐりぬけないかぎり、世論の支持を得ることはできない。
もし私権を無制限に保護するとなると、空港どころか、道路一本、建設できなくなって
しまう。
そこで立ち木。
たかが立ち木(失礼!)。
その立ち木を切ることで、地権者にどんな被害が及ぶというのか。
地権者の生活に、どれほどの損害を与えるというのか。
一方、静岡県側は、すでに改修費に、県は1億1000万円も支出している。
この先、さらに1億円程度の追加費用が見込まれている(C新聞)。
開港の遅れによる被害も、相当な額に達している。
それについて、地権者のO氏は、こう述べているという。
「週明けの30日に、実務レベルの話し合いに入りましょう」と。
つまり「立ち木をこちらが切るか、県に切ってもらうか。切り方はどうするか。
そんな具体的な話を詰めていきたい」(C新聞・09・3・28)と。
「実務レベルの話し合い」(?)。
たかが立ち木、150本を切り倒すために、「実務レベルの話し合い」(?)。
どこか、「?」。
私には、理解できない。
繰り返すが、たかが立ち木(失礼!)。
その上で、「(立ち木を切るには)、知事の辞任が条件」とは!
静岡空港には、いろいろ問題はある。……あった。
当初、はげしい反対運動が起きたのも事実。
その間に、いろいろな(わだかまり)ができたのも、わかる。
ここまでこじらせてしまった県側にも、問題がないとは言わない。
しかし空港は、完成した。
……してしまった。
で、やはりどう考えても、たかが立ち木(失礼!)。
私も、農地を一度、宅地に転換するとき、杉の木を、数百本植えた経験がある。
そしてその6年後、5~8メートルを超える杉の木を、切り倒した経験がある。
切り倒すだけなら、半日でできる。
また立ち木そのものには、それほどの財産的価値はない。
このあたりでも、20~30年木で、一反(300坪)、50~70万円が相場。
いろいろ言いたいことはあるが、ここまで。
「こんなことがあっていいのかなあ?」と思ったところで、おしまい。
あとは、みなさんが胸の奥で考えていることと、同じ。
Hiroshi Hayashi++++++++March. 09+++++++++はやし浩司
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