Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, March 25, 2009

*Age and its degree of Mature

【年齢論】

●ニコール・キッドマン

+++++++++++++++++

ニコール・キッドマンの美貌については、
今さら、語るまでもない。
しかし映画『オーストラリア』の中の
ニコール・キッドマンは、円熟した女性の美しさ
というか、これからの大女優への変身を
期待させるような美しさを、たたえていた。

女性が本当に美しくなるのは、やはり
30~35歳前後ではないか。
ニコール・キッドマンもそれくらいの
年齢だと思うが、確かなことはわからない。
たいていの女優は、この年齢を境に、
スクリーンから消えていく。
若さと肉体だけを売り物にしている女優ほど、
そうだ。
が、この年齢をうまく通り過ぎた女優は、
そののち、大女優へと変身していく。
メリル・ストリープも、その1人。
ニコール・キッドマンは、その年齢を
うまく通り過ぎた。

つぎの作品も、かならず、見る。

+++++++++++++++++

●35歳という年齢

男性のことは、よくわからない。
しかし女性は、35歳を過ぎると、急速に老けていく。
40歳になるころには、老人顔になる。
もう少しわかりやすく言うと、40歳を過ぎると、
その女性が老人になったとき、どんな顔になるか、
それが簡単に想像できるようになる。
30歳以前の女性では、それがわからない。
(何も老人顔になるのが、悪いと言うのではない。
どうか、誤解のないように!)

で、この時期、その女性が、いわゆるオバチャンに
なるかどうかが、決まる。
(もちろんオバチャンにならないほうが、よいに
決まっているが……。)

教養があるとかないとか、文化性があるとかないとか、
そういうことではない。
その方向づけがあるかどうかということ。
つまりこの時期からの方向づけが、その女性のそれからを
決める。
この時期に、本を読んだり、美術を鑑賞したり、
より広い世界を見たりする習慣があるかないかということ。
その習慣がしっかりしている人は、そののち、高い
知性と理性を光らせることができる。
そうでなければ、そうでない。
そのまま、あのオバチャンになっていく。

つまらない世間話にうつつを抜かし、家族のグチを
いつまでも話しつづける。
厚化粧ばかりを塗り重ねるが、頭の中は、カラッポ。
電車やバスの中でも、まわりの人にお構いなく、
ペチャクチャ・ペチャクチャ、ゲラゲラ、ギャーギャー、と。
物欲と食欲と性欲のかたまり。
そんなオバチャンになっていく。

で、あとはお決まりの老人コース。
つまり女性にとっては、(男性にとっても、そうかも
しれないが……)、35歳から40歳までが、人生の
大きな節目になっている。
言うなれば、それまでの年代は、その時期の基礎づくり
の年代ということになる。

●品性

ついでに、品性というのは、(落差)の問題。
自分がより高い品性をもって、それまでの自分が低かったことを知る。
が、その品性には、上限はない。
(現在の自分)に、けっして満足してはいけない。
満足したとたん、その日を境に、品性は、下落する。
それはちょうど健康論に似ている。

健康のための運動をやめたとたん、その人の健康は下落する。

が、(そこにいる人)には、それがわからない。
知性も理性も、そして品性も、より高い人からは、低い人がわかる。
しかし低い人からは、高い人がわからない。
わかりやすく言えば、賢い人からは、バカがわかる。
が、バカからは賢い人がわからない。
(ここでいう「バカ」とは、「バカなことをする人のこと」(「フォレスト・ガンプ」)
をいう。知的な意味で、バカというのではない。誤解のないように!)

先日もある女性と、電話で話していたときのこと。
このところどこか認知症気味(?)。
どうでもよい家族のグチを、何度も繰り返し話していた。
そこで私が、「ぼくは、そんなバカではないと思います」と言うと、
何を勘違いしたのか、突然金切り声で、こう叫んだ。
「私だって、バカではありません!」と。

そこで釈迦は。「精進(しょうじん)」という言葉を使って、
日々の弛(たゆ)まぬ研鑽(けんさん)の重要性を説いた。
その努力を怠ったとたん、その人は、そのまま元の
世界に逆戻りしてしまう。

……と書くと、「そんなたいへんなこと、できない!」と
思う人もいるかもしれない。
しかし実は、それは楽しいことでもある。
たとえて言うなら、心の旅。
未知の世界を、ひとりで旅をするような、そんな感じがする。
その旅に出るか出ないかは、あとは、勇気だけ。
一歩、踏み出してみれば、あとは、なんでもない。

『心を解き放て! 体はあとからついてくる!』(アメリカの格言)。

……と書くと、「じゃあ、林、あなたはどうなのだ!」と言われそうな
気がする。
「お前だって、偉そうなこと言えるクチではないだろ!」と。

そう、その通り。
が、高度3000メートルの山から、4000メートルの山には登ることは
できないが、300メートルの山から、400メートルくらいの山なら、
登ることができる。
無理はしていないし、無理をする必要もない。

それに品性を磨くということは、だれのためでもない。
自分のためである。
たとえばそうでない人たちから、一歩抜き出ると、そういう人たちが、
低いところにいるのが、たしかにわかる(失礼!)。
しかしそのために品性を磨くのではない。
またそれがわかったところで、意味はない。
というのも、高低といっても、あくまでも相対的なもの。
自分より、より高い品性をもった人は、いくらでもいる。

つまり品性を磨くといっても、それは、あくまでも自分のため。
他人を見下すため、ではない。
またそういうふうに見下してはいけない。
人は人、私は私。

ただ、相手にしないというようなことは、ある。
相手にならないというようなことも、ある。
つきあいたくないというか、つきあっても、ムダというように、
考えることはある。

で、数日前には知らなかったことを、今日、知る。
数日前にはわからなかったことが、今日、わかる。
それは原野で、小さな宝石を見つけるのに似ている。
それがまた「心の旅」を楽しくさせる。

その人の品性は、あくまでも、その結果。
結果として、その人の身につく。


Hiroshi Hayashi++++++++March. 09+++++++++はやし浩司