Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, April 29, 2009

*April 30th 2009

●消える脳みそ

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加齢とともに、脳みその底に、穴があいたような状態になる。
知恵や知識、それに経験が、どんどんとそこから外へ、こぼれ落ちて行く。
しかし当の本人が、それに気づくことは、まずない。
というのも、この問題は、脳のCPU(中央演算装置)の問題。
CPUそのものの機能が衰えていくため、論理的に、それに
気づくのは、不可能ということになる。

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●うつからボケに

私の年代になると、うつ病になったり、ボケたりする人が、急速に
多くなる。
うつとボケ。
うつからボケになる人もいれば、ボケからうつになる人もいる。
専門家でも、その区別はむずかしいという。
あるいはうつとボケは、同時進行の形で始まると考えてよいのか。

●こだわり

うつになると、こだわりが強くなる。
こだわりが強いから、うつになるとも考えられるし、うつになるから
こだわりが強くなるとも考えられる。
しかしこだわりが強くなると、脳の特定部分のみが活発の働き、ほかの
部分は鈍くなる。
「鈍い」というよりは、「眠ったような状態」になる。
たとえば何かのことに没頭していると、それについては詳しくなるが、
ほかのことについては、忘れてしまう。
そういうことは、私たちも日常的に経験する。

つまりこだわりが強くなればなるほど、同時に、脳のほかの部分が眠ったような
状態になる。

●病識

うつ病にせよ、ボケにせよ、病識をもつことは、簡単なことではない。
病識……「私は病気」と、自らそれを意識することを病識という。
本人の自覚と言い換えてもよい。
それがあれば、まだ救われる。
それがないと、治療もむずかしくなるという。
そんなわけで、「私はだいじょうぶ」とがんばる人ほど、あぶないという
ことになる。

が、中には、本人だけではなく、その周囲の人にも、その病識がないこと
がある。
ある夫(70歳くらい)は、私が、「奥さん、少し心配ですね」と話しかけたとき
のこと、「うちの家内は何も問題はない!」と、大声で叫んだ。
理由はいろいろあるのだろう。
そういうケースもある。

●愚かな人には、賢い人がわからない

幼児の前で、簡単な足し算を、わざとまちがえてみせる。
子どもに自信をもたせるには、この方法が効果的である。
そのときのこと。
ある幼児(年長・女児)は、私にこう言った。
「あんた、それでも先生エ~?」と。

子どものもつCPUでは、それが理解できなかった。
それでそう言った。

で、言葉はきついが、昔からこう言う。
『賢い人からは、愚かな人がよくわかるが、愚かな人からは、賢い人が
わからない』と。
愚か人は、自分のレベルでものを考える。
またそれしかわからない。
だから賢い人が、理解できない。

同じように、CPUの機能が衰えてくると、それが衰えてきたこと自体が
わからなくなる。

●記憶の欠落

が、方法がないわけではない。
たとえば私のばあい、数年前、あるいは10年前に書いた原稿を読みながら、
それに気づくことがある。
文章そのものは私のものとわかるが、ときに、内容そのものを、すっかりと
忘れてしまっていることがある。
数年を経て、同じことを書くときもある。
そういうとき、背筋が、ゾッと寒くなるのを感ずる。

よくボケの症状のひとつとして、物忘れがあげられる。
私もよく物忘れをするが、それほど気にならない。
というのも、記憶というのは、(記銘)→(保持)→(想起)という
プロセスを経て、記憶として脳みその中から呼び出される。
(記銘)そのものをしっかりしていなければ、脳みその中に記憶として
残らないのは、当然のこと。
これだけ情報が洪水のように押し寄せてくると、選択するだけでもたいへん。
しかし自分が書いた文章の内容を忘れてしまうというのは、「忘れる」
というよりは、「欠落する」に近い。
だからゾッとする。

●特徴

ボケていく人を観察してみると、(というのも、私の周辺にも、そういう
人が、何人かいるので)、興味深いことに気づく。

そのひとつが、初期の段階では、(1)どの人も脳みその異変にある程度、
気づいているのではないかということ。
つぎに(2)そうであることを、それなりに隠そうとすること。
「とりつくろい」や、「弁解」が多くなる。
さらにアルツハイマー型認知症のばあいは、(3)ささいなミスを指摘された
りしただけで、パニック状態になるということも指摘されている。

ふつうなら、「あら、まちがえました。ごめんなさい、ホホホ」と言って
すますような問題でも、ギャーギャーと泣きわめいて、抵抗するなど。
心の余裕そのものが、なくなる。

●私はだいじょうぶか?

そんなわけで、このところ、とみに私は自分の脳みそを疑うことが多くなった。
何かにつけ、「私はだいじょうぶか?」と。

そこでワイフや、生徒たちに、こう聞く。
「最近、ぼくのことだけど、バカになってきたと思わないか?」と。
こういうケースのばあい、ワイフは、あてにならない。
ワイフも同じようにボケているとしたら、ワイフには、それがわからない。

では、生徒たちは、どうか?
私の変化や異変に気づくということはあるのだろうか。
が、生徒たちは、みな、こう言う。

「先生は、昔から頭がおかしいから、わからない」と。

●迷惑するのは、周囲の人

これも何度か書いてきたことである。
うつ病になるにしても、ボケるにしても、当の本人だけの問題ではすまない。
当の家族だけの問題でもない。

周囲の人たちにも、えらい迷惑をかける……ということもある。
(実のところ、私もそういう経験を、何度かしている。)
その人が、そういう状態であることを知っていれば、まだよい。
知らないと、ひどく傷つくということが、よくある。

介護にしても、まともな会話が、ほどほどにできれば、まだ救われる。
そうでなければそうでない。
うつ病にしても、ボケにしても、本人だけの問題と考えている人は多い。
しかしそれ以上にたいへんなのが、家族を含めて、その周りの人たちである。
これからはそういう視点でも、この問題を考えていく必要がある。


Hiroshi Hayashi++++++++April・09++++++++++++はやし浩司

●脳みその緊張と弛緩

緊張と弛緩。
脳みそは常にこれを繰り返す。
緊張状態が長くつづけば、脳みそは疲れる。
脳みそというのは、それほどタフには、できていない。
しかし弛緩状態ばかりがつづけば、思考力そのものが、消えうせる。

というのも、思考力というのは、習慣の問題。
毎日、毎晩、BS放送をつぎからつぎへと見ているからといって、
思考力が養われるわけではない。
「考えるというクセ」、それが思考力ということになる。

で、私のばあい、ものを書いているときは、脳みそは緊張状態になる。
ピンと張りつめた状態になる。
しかし何かを書き終えたとたん、スーッと頭から力が抜けていく。
とたん、弛緩状態。
頭の中が、からっぽになる。
何も考えられなくなる。
で、そのときおもしろい現象が起きる。

これもあくまでも私のばあいだが、脳みそが勝手に乱舞し始める。
冗談がつぎつぎと口から出てくる。
ワイフとの会話にしても、掛け合い漫才のようになる。
ペラペラと軽口が多くなる。
子どもを指導しているときもそうで、レッスンそのものが、メチャメチャになる。
(もともとメチャメチャだが……。)
そういうときの私は、まったくの別人。
(あるいはそちらのほうが、本来の私かもしれないが……。)

で、問題は、弛緩状態から、緊張状態への戻し方。
どうすれば脳みそを、緊張状態に戻すことができるか。
ふつうは何かの記事などを読んでいて、ビビッと火花が飛んだようなとき、
緊張状態に戻る。
カチンときたときでもよい。
が、それもないときは、ダラダラと時間が過ぎる。
たとえば今がそうだ。
先ほどから30分ほどパソコンの前に座っているが、どこへ消えたかと
思うほど、頭の中は、からっぽ。
何も頭の中に浮かんでこない。
知識や情報がどこかにあるはずなのに、それが浮かんでこない。
「いったい、どこへ消えてしまったのか!」
……ということで、この文章を書き始めた。

●息子のE

頭の中に断片的な情報が、少しずつ戻ってきた。
先ほど書店で立ち読みした本の内容。
それに息子たちのこと。
そう、息子のEのこと。

今月、息子のEが結婚した。
そのこともあるのだろう。
今度、Eが息子の友人から、家を借りることになった。
「だいじょうぶかな?」
「素性のわからない人から、家を借りるのはよくない」
「家賃はどうなっている」
……などと、いろいろ考える。
で、そのことをメールに書いた。
昨夜遅く、その返事が届いた。

それによれば、要するに、「心配ない」。
息子のEも、私が思っている以上に、おとなになった。
成長した。
私より、はるかに人格者。
精神力も強いし、情緒も安定している。

私は「おいしい話には、裏があるから気をつけるように」と書いた。
それについても、あれこれとこまかく説明してくれた。
それを読んで、ほっとした。
安堵感に包まれたとき、急に体中から力が抜けた。

●幸福とは

幸福感ほど、実感しにくい感覚もない。
あえて言うなら、今の私のように、何も問題がない状態を、幸福というのか?
もちろん幸福感と、喜びはちがう。
ふつうは何かの欲望を満たされたとき、喜びを感ずる。
が、喜びイコール、幸福ということではない。

このところワイフとは円満な状態がつづいている。
今日も、街までの距離の約半分を、いっしょに歩いた。
腕を組みながら、歩いた。

長男も、やる気を出して仕事をしている。
アメリカに住んでいる二男からも今朝、メールが届いていた。
5月xx日に、ディズニーワールドへ行くと言っていたから、「やめたほうがいい」と
私はメールを書いた。
その返事だった。

三男については、先に書いたとおり。
そうそう、今度の連休には奥さんを連れて、帰ってくるという。

が、今、何よりもうれしいのは、母や兄の介護から解放されたこと。
実家から解放されたこと。
私には重くて苦しい半世紀だった。

●ひとりよがりな考え

ひとつ気になっているのは、仕事のこと。
いや、私の仕事のことではない。
先日、横浜に住む友人が私の家に来て、こう言った。
「ぼくは仕事をやめられて、うれしい」と。
彼はこの春、3度目の退職をして、完全な引退状態になった。

私はこの言葉に、電撃に打たれるようなショックを受けた。
というのも、私は、世の中の人たちはみな、仕事をしたがっているものと
ばかり思っていた。
私もそうで、今、そこに仕事があること。
その仕事ができること。
そういう状態に喜びを覚えていた。
「仕事をやめて喜んでいる人がいる」などということは、思いもつかなかった。

それを知らなかった私自身にショックを受けた。
私の考えは、あまりにもひとりよがりなものだった。
そのひとりよがりな考えの上で、持論を組み立てていた。

●安易な『ダカラ論』

人の心は、本当に複雑。
同じようなショックだが、若いころ、子どもを愛せない母親の話を知って、
驚いたことがある。
実際には、8~10%の母親たちが、子どもを愛せないと、人知れず、悩んでいる。
「親、なかんずく母親というのは、子どもを愛しているもの」と、私は思い込んでいた。
が、実際には、そうでない。

簡単に言えば、自分がそうだからといって、他人もそうであると思ってはいけない。
また自分を基準にして、心を語ってはいけない。
ほかにもある。

世の中には、親をだます子どももいるが、反対に、子どもをだます親もいる。
叔父や叔母をだます甥や姪もいるが、反対に、甥や姪をだます叔父や叔母もいる。
「身内だから……」という言葉ほど、アテにならないものはない。

さらに言えば、それぞれの家庭問題には、たとえ身内でも、口をはさまないこと。
それぞれの家庭には、それぞれに、人には言えない、複雑な事情というものがある。
周りの人たちに干渉されて、それこそ死ぬほどつらい思いをする人だっている。
ある女性(現在、66歳)は、こう話してくれた。

「母は現在、85歳になります。
口がうまく、外面(そとずら)はいいのですが、家の中では、わがままのし放題。
食事が遅いと言っては怒り、まずいと言っては怒ります。
そんなとき、定期的に伯父(=母親の弟)から電話がかかってきて、『姉を大切に
しろ!』と。
そうした電話がかかってくるたびに、悔しさと悲しさで、手が震えます」と。

が、無神経な人には、それがわからない。
安易な『ダカラ論』だけを振りかざし、「こうあるべき」と決めてかかってくる。

……と、ここまで書いて、やっと少し、頭が熱くなってきた。
脳みそに緊張状態が戻ってきた。
いろいろと書きたいことが、浮かんできた。

よかった!、ということで、今日も始まった。
4月30日、早朝。
おはようございます。


Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司

●うれしいメール

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フランス在住のSさんから、
こんなメールが届いている。

フランスの子育て事情がわかっておもしろい。
ドイツでも、フランスでも、子どものための
クラブが発達している。
ドイツなどでは、中学生たちはたいてい、
午前中で授業を終え、午後は、それぞれ
好きなクラブに通っている。

月謝も安い。
「チャイルド・マネー」という補助金が支給され、
それで通うことができる。

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【Sさんより、はやし浩司へ】

私たちは元気で、KT(=長男)もTK(=二男)も毎日自転車で走り回っています。
昨年のオリンピックでBMXの女子の部で、地元のブルターニュの選手が
金メダルをとったので、今年はBMXを始める人が多く、
先日の地方の大会でも400人もの選手が集まりました。

KT(=長男)とTK(=二男)が所属しているクラブも、とても人気があります。
毎週のトレーニングはもちろん、今年からは雨の日は自転車の手入れ?
(というのでしょうか?)、工具を持っていって、ここをまわすと.....とか言っています。
すでに私のわからない世界です。

4歳からクラブに入れるので、小さい子でありながら真剣に走っている姿は、
とても生き生きとしています。
クラブの費用も年間35ユーロ (約4300円)と、とても安いです。
KT(=長男)は今年からチェスを習い始めたのですが、そこも年間30ユーロです。
いろんな事に興味がある子供達には、とてもよい事だと思います。

先生のマガジンでおっしゃれられているように、子供達と一緒にいろいろ体験して、
同じときを過ごしたいと思っています。
先週も家族で、子供の希望で隣町まで往復20km、家族で自転車を走らせました。
健太は毎日したい!!と目をキラキラさせていましたが、私と夫は夜、
ぐったりしていました。

先日のマガジンでYOU TUBEでの先生の教室を子供達と一緒にみました。
え~すご~い!数の数え方、.みながらげらげら笑う子供達。
2人とも一緒に数える練習をしていました。
プライベートレッスンのようですね。

【はやし浩司よりSさんへ】

いつも転載許可、ありがとうございます。
「クラブの費用も年間35ユーロ (約4300円)」というのには、驚きました。
ドイツの例ですが、1か月、約1500円程度と聞いていましたので……。
チャイルド・マネーが、毎月、1万5000円程度支給されますので、
単純に計算すれば、子どもは毎週、10前後のクラブに通うことができます。
水泳が好きな子どもは、毎日水泳教室へ通う、ということもできます。

日本も、そうすべきですね!

学校は午前中で終え、午後は、それぞれが好き勝手なことをする。
今の日本のように、「学校だけが道」「学校を離れて道はない」という世界の方が、
異常なのです。

しかし問題もあります。
今の日本のまま、欧米のクラブ制度を取り入れたら、みな、進学塾だけに通うように
なるでしょう。
「算数クラブ」「理科クラブ」「受験クラブ」、とです。
社会の制度そのものが、ゆがんでいます。
こんな話もあります。

2年前、二男の嫁が、日本でいう司法試験に合格しました。
2人の子どもの子育てをしながらの合格です。
しかも嫁は、アメリカ文学部出身です。
で、私はそのニュースに驚きました。
が、それ以上に驚いたのは、アメリカでは、(そういうこと)が、できるということです。
日本では、考えられないことですね。
が、それだけではありません。
さらに驚いたことは、本来なら2年で、ロー・スクールを卒業しなければ
ならないのですが、それを4年にしてもらったということです。
「子育てで忙しいから、授業を半分にしてもらった」ということだそうです。

ものの考え方が、実にフレキシブル。
つまり世界の教育は、今、ここまで進んでいる。
が、この日本はどうか?

少しずつ改革が始まっていますが、日本が一歩前に進んだときには、欧米では、
さらに数歩、前に進んでしまっている……。
そんな感じがします。
本来なら率先して教育改革をし、それをほかの国に示してこそ、日本はアジアの中の
先進国ということになるのです。

が、それが……?
いまだに教科書検定だの、漢字検定だの、バカなことばかりしています。
今度は、「語彙力検定」も始まるとか?
浜松市郊外の小さな町ですら、観光ガイドの認定試験をしていますよ!
自ら「自由」を束縛しながら、その愚かさにすら気づいていない(?)。
日本という国は、ますます息苦しくなっています。

……とまあ、グチはここまで。

YOU TUBEを見てくださり、ありがとうございます。
そのYOU TUBEで、教室を公開するようになって、2か月が過ぎました。
Sさんからのメールが、実のところ、はじめての(見た人からの反応)です。
このところ日増しにアクセス数がふえていますが、はじめての(反応)です。
(この1週間、ユニーク・アクセス数は、100~150件程度。
1人が10回、あちこちを閲覧しても、数の上では、1件とカウントされますので、
実際にはその数倍のアクセスがあるものと推定しています。)

どうかこれからも、公開教室を利用してください。
今は手が回りませんが、一段落したら、今度はプリント教材も、そのまま公開
するつもりでいます。
もちろん、すべて手作りプリントです。
そうなれば、フランスでも、私のレッスンを受けてもらえるようになりますね。
どうか期待していてください。

では、今日は、これで失礼します。

近く、日本でお会いできることを楽しみにしています。


Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司