Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, April 11, 2009

*A young girl who has got pregnant

倉庫19

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●すなお論



●子どもたちへ



すねたり

いじけたり

つっぱったりしないでさ、

自分の心に静かに

耳を傾けてみようよ

そしてね、

その心にすなおに

したがってみようよ



つまらないよ

自分の心をごまかしてもね

そんなことをすればね

自分をキズつけ

相手をキズつけ

みんなをキズつけるだけ



むずかしいことではないよ

今、何をしたいか、

どうしたいか、

それを静かに

考えればいいのだよ



仲よくしたかったら、

仲よくすればいい

頭をさげて

ごめんねと言うことは

決してまけることでは

ないのだよ

ウソだと思ったら

一度、そうしてみてごらん

今より、ずっとずっと

心が軽くなるよ



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



●生きる哲学



 生きる哲学にせよ、倫理にせよ、そんなむずかしいものではない。もっともっと簡単なことだ。
人にウソをつかないとか、人がいやがることをしないとか、自分に誠実であるとか、そういうこと
だ。もっと言えば、自分の心に静かに耳を傾けてみる。



そのとき、ここちよい響きがすれば、それが「善」。不愉快な響きがすれば、それが「悪」。あと
はその善悪の判断に従って行動すればよい。人間には生まれながらにして、そういう力がすで
に備わっている。それを「常識」というが、決してむずかしいことではない。もしあなたが何かの
ことで迷ったら、あなた自身のその「常識」に問いかけてみればよい。



 人間は過去数10万年ものあいだ、この常識にしたがって生きてきた。むずかしい哲学や倫
理が先にあって生きてきたわけではない。宗教が先にあって生きてきたわけでもない。たとえ
ば鳥は水の中にはもぐらない。魚は陸にあがらない。そんなことをすれば死んでしまうこと、み
んな知っている。そういうのを常識という。この常識があるから、人間は過去数10万もの間、
生きるのびることができた。またこの常識にしたがえば、これからもずっとみんな、仲よく生きて
いくことができる。



 そこで大切なことは、いかにして自分自身の中の常識をみがくかということ。あるいはいかに
して自分自身の中の常識に耳を傾けるかということ。たいていの人は、自分自身の中にそうい
う常識があることにすら気づかない。気づいても、それを無視する。粗末にする。そして常識に
反したことをしながら、それが「正しい道」と思い込む。あえて不愉快なことしながら、自分をご
まかし、相手をキズつける。そして結果として、自分の人生そのものをムダにする。



 人生の真理などというものは、そんなに遠くにあるのではない。あなたのすぐそばにあって、
あなたに見つけてもらうのを、息をひそめて静かに待っている。遠いと思うから遠いだけ。しか
もその真理というのは、みんなが平等にもっている。賢い人もそうでない人も、老人も若い人
も、学問のある人もない人も、みんなが平等にもっている。子どもだって、幼児だってもってい
る。赤子だってもっている。あとはそれを自らが発見するだけ。方法は簡単。何かあったら、静
かに、静かに、自分の心に問いかけてみればよい。答はいつもそこにある。



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



●常識をみがく



 常識をみがくことは、身のまわりの、ほんのささいなことから始まる。花が美しいと思えば、美
しいと思えばよい。青い空が気持ちよいと思えば、気持ちよいと思えばよい。そういう自分に静
かに耳を傾けていくと、何が自分にとってここちよく、また何が自分にとって不愉快かがわかる
ようになる。無理をすることは、ない。道ばたに散ったゴミやポリ袋を美しいと思う人はいない。
排気ガスで汚れた空を気持ちよいと思う人はいない。あなたはすでにそれを知っている。それ
が「常識」だ。



 ためしに他人に親切にしてみるとよい。やさしくしてあげるのもよい。あるいは正直になってみ
るのもよい。先日、あるレストランへ入ったら、店員が計算をまちがえた。まちがえて50円、余
計に私につり銭をくれた。道路へ出てからまたレストランへもどり、私がその50円を返すと、店
員さんはうれしそうに笑った。まわりにいた客も、うれしそうに笑った。そのここちよさは、みん
なが知っている。



 反対に、相手を裏切ったり、相手にウソを言ったりするのは、不愉快だ。そのときはそうでな
くても、しばらく時間がたつと、人生をムダにしたような嫌悪感に襲われる。実のところ、私は若
いとき、そして今でも、平気で人を裏切ったり、ウソをついている。自分では「いけないことだ」と
思いつつ、どうしてもそういう自分にブレーキをかけることができない。



私の中には、私であって私でない部分が、無数にある。ひねくれたり、いじけたり、つっぱった
り……。先日も女房と口論をして、家を飛び出した。で、私はそのあと、電車に飛び乗った。
「家になんか帰るか」とそのときはそう思った。で、その夜は隣町の豊橋のホテルに泊まるつも
りでいた。が、そのとき、私はふと自分の心に耳を傾けてみた。「私は本当に、ホテルに泊まり
たいのか」と。答は「ノー」だった。私は自分の家で、自分のふとんの中で、女房の横で寝たか
った。だから私は、最終列車で家に帰ってきた。



 今から思うと、家を飛び出し、「女房にさみしい思いをさせてやる」と思ったのは、私であって、
私でない部分だ。私には自分にすなおになれない、そういういじけた部分がある。いつ、なぜそ
ういう部分ができたかということは別にしても、私とて、ときおり、そういう私であって私でない部
分に振りまわされる。しかしそういう自分とは戦わねばならない。



 あとはこの繰りかえし。ここちよいことをして、「善」を知り、不愉快なことをして、「悪」を知る。
いや、知るだけでは足りない。「善」を追求するにも、「悪」を排斥するにも、それなりに戦わね
ばならない。それは決して楽なことではないが、その戦いこそが、「常識」をみがくことと言って
もよい。



 「常識」はすべての哲学、倫理、そして宗教をも超える力をもっている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 常識
論 常識とは 常識について わかりやすい生き方 シンプルライフ)





Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



常識といっても、安易な常識論には

警戒したほうがよいですね。



それについて、書いた原稿をいくつか、

集めてみました。



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



●安易な常識論で苦しむ人



 日本にはいろいろな常識(?)がある。「親だから子どもを愛しているはず」「子どもだから故
郷(古里)を思い慕っているはず」「親子の縁は絶対に切れない」「子どもが親のめんどうをみる
のはあたりまえ」など。



しかしそういう常識が、すべてまちがっているから、おそろしい。あるいはそういう常識にしばら
れて、人知れず苦しんでいる人はいくらでもいる。たとえば今、自分の子どもを気が合わないと
感じている母親は、7%もいることがわかっている(東京都精神医学総合研究所の調査・00
年)。「どうしても上の子を好きになれない」「弟はかわいいと思うが、兄と接していると苦痛でな
らない」とか。



 故郷についても、「実家へ帰るだけで心臓が踊る」「父を前にすると不安でならない」「正月に
帰るのが苦痛でならない」という人はいくらでもいる。そういう母親に向かって、「どうして自分の
子どもをかわいいと思わないのですか」「あなたも親でしょう」とか、さらに「自分の故郷でしょう」
「親を嫌うとはどういうことですか」と言うことは、その人を苦しめることになる。



たまたまあなたが心豊かで、幸福な子ども時代を過ごしたからといって、それを基準にして、他
人の過去をみてはいけない。他人の心を判断してはいけない。それぞれの人は、それぞれに
過去を引きずって生きている。中には、重く、苦しい過去を、悩みながら引きずっている人もい
る。またそういう人のほうが、多い。



 K市に住むYさん(38歳女性)のケースは、まさに悲惨なものだ。母親は再婚して、Yさんをも
うけた。が、その直後、父親は自殺。Yさんは親戚の叔母の家に預けられたが、そこで虐待を
受け、別の親戚に。そこでもYさんは叔父に性的暴行を受け、中学生のときに家出。そのころ
には母の居場所もわからなかったという。



Yさんは、「今はすばらしい夫に恵まれ、何とか幸福な生活を送っています」(手紙)ということだ
が、Yさんが受けた心のキズの深さは、私たちが想像できる、その範囲をはるかに超えてい
る。Yさんから手紙を受け取ったとき、私は何と返事をしてよいかわからなかった。



 ここでいうような「常識」というのは、一見妥当性があるようで、その実、まったくない。そこで
大切なことは、日本のこうした「常識」というのは、一度は疑ってみる必要があるということ。そ
してその上で、何が本当に大切なのか。あるいは大切でないのかを考えてみる必要がある。



安易に、つまり何も考えないで、そうした常識を、他人に押しつけるのは、かえって危険なこと
でもある。とくにこの日本では、子育てにも「流儀(?)」を求め、その「形」を親や子どもに押し
つける傾向が強い。こうした方法は、一見便利なようだが、それに頼ると、その実、ものの本質
を見失うことにもなりかねない。



 「親である」とか「子であるとか」とかいう「形」ではなく、人間そのものをみる。また人間そのも
のをみながら、それを原点として、家庭を考え、家族を考える。それがこれからの子育ての基
本である。

(はやし浩司 安易な常識論)







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●心の抵抗力



【子どもの世界・携帯電話】



●子供向け携帯電話



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子どもに携帯電話は、是か非か?



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 今ごろ、こんなことを論じても意味は、ほとんどない。すでに携帯電話は、おとなの世界では
もちろんのこと、子どもの世界でも、社会的に認知され、(あたりまえの道具)になってしまっ
た。このあたりの高校でも、携帯電話をもっていない高校生は、クラスに1人か2人……という
程度にすぎない(筆者、2002年ごろ、調査)。



 最近では、セキュリィティ上の理由から、小学生の間で、測位システム(GPS)機能つきの携
帯電話も、普及してきた。



 これに対して、「不要だ」「それがあれば安全だと、過信しやすい」「授業中にかかってきて、
授業を妨害する」などの、反対論も多い。



 一方、長距離通学の子どもをもつ父母の間からは、「必要だ」「ほかに安全を確保する手段
がない」などの意見が続出。結局、全体としてみれば、私立小学校では、携帯、OK、公立小学
校では、携帯、NOというのが現状のようである(参考、読売新聞)。



 で、こうした議論は、あたかも浜辺に打ちあげる波のように、そのつど、わき起きてきては、ま
た消える。私が子どものころには、漫画があった。漫画是非論である。



 すでに当時、手塚治が活躍していたが、私が住んでいたG県では、「漫画禁止令」なるもの
も、出された。「学校では、漫画を読んではいけない」と。



 それからテレビ是非論、さらにはビデオ是非論、テレビゲーム税非論、インターネット是非
論、そして携帯電話是非論へと、つづいた。



 で、結果としてみると、こうした時代の流れには、私たちおとなは、無力でしかないということ。
いろいろ騒いではみるが、しかしその流れを止めることはもちろんのこと、内部に立ち入ること
すらできない。つぎの世代はつぎの世代の人たちが、自分たちで決めていく。



 携帯電話にしても、その(流れ)の中にある。今では、電車の中でも、ワイワイ、ギャーギャー
と騒ぐ中学生や高校生は、ほとんどいない。みな、電車に乗ったとたん、携帯電話を開き、
黙々と、メールを打ち始める。



 私たちの世代にとっては、異様な光景だが、彼らにしてみれば、ごく当たり前の、ごく日常的
な光景である。そういう彼らに対して、「おかしい」「まちがっている」と、いったい、だれが言える
だろうか。



 テレビが急速に普及し始めたころも、そうだった。(今でもそうだが……)、テレビやテレビゲ
ームが理由で、外で遊ぶ子どもが、めっきりと減った。一時は、それが塾通いのせいだと言わ
れたが、実際には、農村部の子どもほど、家の中に閉じこもる時間が長いこともわかった。



その結果が、今、である。



 テレビにせよ、ゲームにせよ、携帯電話にせよ、(あたりまえの道具)になってしまった。今さ
ら、こうした(流れ)を逆行させることはできない。冒頭にも書いたように、是非を論じても、意味
がない。



 GPS機能付携帯電話にしても、「子ども自身が自ら考えて安全を守るという意識が薄れる」と
いう意見や、「子どもにもプライバシーというものがある。子どもの人権が守れない」という意見
もあるようだが、それは、少し考えすぎではないのか。私の知る範囲でも、そのGPS機能付携
帯電話をもっている子どもは、多い。しかしもの珍しさが目立ったのは、当初だけ。今では、話
題にもならない。



 ある程度の方向性は、おとなたちが作ってやらねばならない。それは当然だが、しかしそれ
にも限界がある。10人のうち、7~8人が、抵抗したところで、2~3人が、そのルールを破れ
ば、それでおしまい。抵抗を繰りかえす子どものほうが、かえって仲間はずれにされてしまう。



 テレビゲームやカードゲームに、その例をみるまでもない。



 では、私たちおとなは、どうすればよいのか。これからも、こうした問題は、そのつど、わき起
きてくる。その(流れ)は、加速されることはあっても、減速されることはない。つまり各論をいく
ら論じても、意味はない。で、総論として、どう考えたらよいのか。



 ひとつには、子ども自身に、(自ら考える力)を、幼児期から養っておくこと。その方法につい
ては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略する(原稿を、あとで添付※1)。



 つぎに重要なのは、子ども自身に、(心の抵抗力)をつけておく。その方法についても、すでに
何度も書いてきたので、ここでは省略する(原稿を、あとで添付※2)。が、何よりも重要なの
は、おとなの私たちが、生きザマを、子どもたちに見せておくということ。それを棚にあげて、つ
まりそういうことをしないで、子どもたちの世界ばかり心配しても、意味はない(原稿を、あとで
添付※3)。



 ともかくも、こうした2つの力が子どもにあれば、子どもは、自ら自分を守っていく。自分の進
むべき方向を定めていく。



 が、それでも問題が起きてしまったとしたら……。



 それについては、各論として考えるしかない。そういった(当たり前の道具)を介して非行問題
が起きたとしたも、非行問題は非行問題として考えるしかない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 携帯
電話 GPS機能付携帯電話 時代の流れ)



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いくつか、以前書いた原稿を

添付しておきます。



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 子育て自由論(中日新聞掲載済み)



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※1【子育て自由論】



●己こそ、己のよるべ



 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。法句経
というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。釈迦は、「自分こそが、
自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。つまり「自分のことは自分でせ
よ」と教えている。



 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、もともと
「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で
責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。子育ての基
本は、この「自由」にある。



 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイ
プの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。



私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」

母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさ
い」

私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」

母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」と。



 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を変え
て、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。ある母親は今の夫と
いやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃん
とできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。



 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるいは自
分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面で
の過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護(ひご)のもとだけで子育てを
するなど。子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイプの子ど
もになる。外へ出すと、すぐ風邪をひく。



 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がない。自
分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同士が喧嘩をし
ているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り飛ばしたい衝動に
かられます」と。



また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。警察で
最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。たまたまその場
に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机を叩いたりして、手
がつけられなかった」と話してくれた。



 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子
どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。





Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



※2【心の抵抗力】



●夢のない子どもたち



 ロシア・北オセチア共和国のベスランで起きた学校占拠事件は、小学生たちにも、強い衝撃
を与えた。



 どの小学生も、顔をあわせると、その話を始める(9月6日)。「みんな殺された」「裸にされ
た」「爆弾で吹っ飛ばされた」と。



 こういう話は、決して好ましいものではない。やがて子どもたちの心を、ボディブローのよう
に、むしばみ始める。おとなたちのへの不信感、未来への不安感となって、はねかえってくる。



 そこで私は、「そんな事件は例外だよ」「この日本では、ありえないよ」と、必死になって、それ
を打ち消す。が、焼け石に水!



 そうでなくても、子どもたちから、夢が消えつつある。「明日は、きっといいことがある」と思っ
て、一日を終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学会」、全国
の小学生3226人を対象に、04年度調査)。



 子どもだから、明日という未来に向かって、夢や希望をいだきながら生きているというのは、
もはや幻想でしかない。



 が、否定的なことばかりを言っていてはいけない。



 私たちは、親として、子どもの夢や希望を前向きにとらえていく。これを発達心理学の世界で
も、役割形成という。子どもが「花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「そうね、すてきな
仕事ね」と言ってあげる。



「明日は庭に、花を植えてあげましょうね」「今度、テーブルを花で飾ってあげましょうね」と。



 こういう前向きなストローク(強化)が、子どもに夢をもたせる。そしてそれが子どもをさらに前
向きに、ひっぱっていく。



 つまりは、子どもたちに夢をもたせるのは、親の役目ということになる。決してむずかしいこと
ではない。が、実際には、世の親たちは、子どもの夢を破壊しながら、それに気づいていない。



 「あなたも、Mさんのような宇宙飛行士になるのよ」「でも、今の成績では無理ね」「もっと勉強
しなければ、S中学校へは入れないわよ」と。



 こうして子どもたちは、役割混乱を起こす。心理的にも、情緒的にも、きわめて不安定な状態
になる。その役割混乱の深刻さについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。



 子どもたちから夢が消えたのは、あくまでも、その結果でしかない。今度のベスランで起きた
学校占拠事件は、さらに、それに拍車をかけた?





●もの知りの子どもより、深く考える子どもを!



 心の抵抗力は、「考える力」によって、決まる。その抵抗力が、子ども自身を、守る。



 たとえばインターネットや、携帯電話を使った、「出会い系サイト」というのがある。凶悪犯罪
の温床にもなっている(04年度、「青少年白書」)。



 こうした出会い系サイトは、もはやコントロール不能状態にあるとみてよい。それはたとえて
言うなら、性病のようなもの。もう、この日本には、出会い系サイトにしても、性病にしても、そ
れらからのがれる場所は、ない。方法も、ない。



 そこで最後の砦(とりで)は、子ども自身の「力」ということになる。「抵抗力」と言ってもよい。
つまりは、子ども自身を、「自ら考える子ども」にするしかない。 



 が、いまだに幼児教育というと、知育教育と考えている人が多い。知識を身につけさせること
が、幼児教育というわけである。英会話を覚えさせ、掛け算の九九を暗記させる。それが幼児
教育、と。



 決してムダだとは思わないが、しかしそれだけでよいとは、だれも思っていない。とくにこれか
らの日本では、そうだ。



 で、どうしたらよいのか? 子どもを自ら考える子どもにするのは、どうしたらよいのか?



 方法は、もう一つしかない。親自身が、自ら考える姿勢を、子どもに見せることである。そうい
う環境で、子どもを包む。親が、意味もないバラエティ番組を見てゲラゲラと笑っていて、どうし
て子どもを考える人間に育てることができるだろうか。



 ちなみに、「子どもに見せたくない番組」(PTA全国協議会調査)としては、つぎのような番組
があげられている。



 ロンドンxxx(テレビ朝日系)

 水xx!(フジテレビ系)

 クレヨンxxちゃん(テレビ朝日系)

 めちゃ2xxxxッ(フジテレビ系)などがある。



 こういう番組を、あなたの子どもが好んで見ているようなら、あなたの子どもに将来はない(失
礼!)。



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



●夢、希望、目的



 子どもを伸ばすための、三種の神器、それが「夢、希望、そして目的」。



 それはわかるが、これは何も、子どもにかぎったことではない。おとなだって、そして老人だっ
て、そうだ。みな、そうだ。この夢、希望、目的にしがみつきながら、生きている。



 もし、この夢、希望、目的をなくしたら、人は、……。よくわからないが、私なら、生きていかれ
ないだろうと思う。



 が、中身は、それほど、重要ではない。花畑に咲く、大輪のバラが、その夢や希望や目的に
なることもある。しかしその一方で、砂漠に咲く、小さな一輪の花でも、その夢や希望や目的に
なることもある。



 大切なことは、どんなばあいでも、この夢、希望、目的を捨てないことだ。たとえ今は、消えた
ように見えるときがあっても、明日になれば、かならず、夢、希望、目的はもどってくる。



あのゲオルギウは、『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅう
えん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ』(二十五時)という名言を残して
いる。



 ゲオルギウという人は、生涯のほとんどを、収容所ですごしたという。そのゲオルギウが、そ
う書いている。ギオルギウという人は、ものすごい人だと思う。



 以前書いた原稿の中から、いくつかを拾ってみる。



●希望論



 希望にせよ、その反対側にある絶望にせよ、おおかたのものは、虚妄である。『希望とは、

めざめている夢なり』(「断片」)と言った、アリストテレス。『絶望の虚妄なることは、ま

さに希望と相同じ』(「野草」)と言った、魯迅などがいる。



さらに端的に、『希望は、つねに私たちを欺く、ペテン師である。私のばあい、希望をな

くしたとき、はじめて幸福がおとずれた』(「格言と反省」)と言った、シャンフォールがい

る。



 このことは、子どもたちの世界を見ているとわかる。



 もう10年にもなるだろうか。「たまごっち」というわけのわからないゲームが、子ども

たちの世界で流行した。その前後に、あのポケモンブームがあり、それが最近では、遊戯

王、マジギャザというカードゲームに移り変わってきている。



 そういう世界で、子どもたちは、昔も今も、流行に流されるまま、一喜一憂している。

一度私が操作をまちがえて、あの(たまごっち)を殺して(?)しまったことがある。そ

のときその女の子(小1)は、狂ったように泣いた。「先生が、殺してしまったア!」と。

つまりその女の子は、(たまごっち)が死んだとき、絶望のどん底に落とされたことになる。



 同じように、その反対側に、希望がある。ある受験塾のパンフレットにはこうある。



 「努力は必ず、報われる。希望の星を、君自身の手でつかめ。○×進学塾」と。



 こうした世界を総じてながめていると、おとなの世界も、それほど違わないことが、よ

くわかる。希望にせよ、絶望にせよ、それはまさに虚妄の世界。それにまつわる人間たち

が、勝手につくりだした虚妄にすぎない。その虚妄にハマり、ときに希望をもったり、と

きに絶望したりする。



 ……となると、希望とは何か。絶望とは何か。もう一度、考えなおしてみる必要がある。



キリスト教には、こんな説話がある。あのノアが、大洪水に際して、神にこうたずねる。

「神よ、こうして邪悪な人々を滅ぼすくらいなら、どうして最初から、完全な人間をつ

くらなかったのか」と。それに対して、神は、こう答える。「人間に希望を与えるため」

と。



 少し話はそれるが、以前、こんなエッセー(中日新聞掲載済み)を書いたので、ここに

転載する。



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※3【子どもに善と悪を教えるとき】



●四割の善と四割の悪 



社会に四割の善があり、四割の悪があるなら、子どもの世界にも、四割の善があり、四

割の悪がある。子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。おとなの世界をなおさない

で、子どもの世界だけをよくしようとしても、無理。子どもがはじめて読んだカタカナが、

「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする(「クレヨンしんちゃん」V1)。



つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。時として教育をす

る者は、子どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。あるいはそういうワナにハマり

やすい。ある中学校の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生

徒を、プールの中に放り投げていた。



その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に対しては

どうなのか。自分に対しては、そこまできびしいのか。社会に対しては、そこまできびし

いのか。親だってそうだ。子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強して

いる親は、少ない。



●善悪のハバから生まれる人間のドラマ



 話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。人間の世界が、ほかの動

物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界にな

ってしまったら、何とつまらないことか。言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の

世界を豊かでおもしろいものにしている。無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書

についても、こんな説話が残っている。



 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすく

らいなら、最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。

神はこう答えている。「希望を与えるため」と。



もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希

望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。

神のような人間になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。



●子どもの世界だけの問題ではない



 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。それ

がわかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世

界だけをどうこうしようとしても意味がない。



たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問題ではない。問題は、そういう

環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。そうでないというのなら、あなたの

仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいることについて、あなたはどれほどそ

れと闘っているだろうか。



私の知人の中には五〇歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校

生の娘もいる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際を

していたら、君は許せるか」と。するとその男は笑いながら、こう言った。



「うちの娘は、そういうことはしないよ。うちの娘はまともだからね」と。私は「相手

の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性が悪い」と。

こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。子どもの世界をゆがめる。それ

が問題なのだ。



●悪と戦って、はじめて善人



 よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけで

もない。悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社

会を見る目は、大きく変わる。子どもの世界も変わる。(中日新聞投稿済み)



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 このエッセーの中で、私は「善悪論」について考えた。その中に、「希望論」を織りまぜ

た。それはともかくも、旧約聖書の中の神は、「もし人間がすべて天使のようになってしま

ったら、人間はよりよい人間になるという希望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこと

もするが、努力によってよい人間にもなれる。神のような人間になることもできる。それ

が希望だ」と教えている。



 となると、絶望とは、その反対の状態ということになる。キリスト教では、「堕落(だら

く)」という言葉を使って、それを説明する。もちろんこれはキリスト教の立場にそった、

希望論であり、絶望論ということになる。だからほかの世界では、また違った考え方をす

る。



冒頭に書いた、アリストテレスにせよ、魯迅にせよ、彼らは彼らの立場で、希望論や絶

望論を説いた。が、私は今のところ、どういうわけか、このキリスト教で教える説話にひ

かれる。「人間は、努力によって、神のような人間にもなれる。それが希望だ」と。



 もちろん私は神を知らないし、神のような人間も知らない。だからいきなり、「そういう

人間になるのが希望だ」と言われても困る。しかし何となく、この説話は正しいような気

がする。言いかえると、キリスト教でいう希望論や絶望論に立つと、ちまたの世界の希望

論や絶望論は、たしかに「虚妄」に思えてくる。つい先日も、私は生徒たち(小四)にこ

う言った。授業の前に、遊戯王のカードについて、ワイワイと騒いでいた。



 「(遊戯王の)カードなど、何枚集めても、意味ないよ。強いカードをもっていると、心

はハッピーになるかもしれないけど、それは幻想だよ。幻想にだまされてはいけないよ。

ゲームはゲームだから、それを楽しむのは悪いことではないけど、どこかでしっかりと線

を引かないと、時間をムダにすることになるよ。カードなんかより、自分の時間のほうが、

はるかに大切ものだよ。それだけは、忘れてはいけないよ」と。



 まあ、言うだけのことは言ってみた。しかしだからといって、子どもたちの趣味まで否

定するのは、正しくない。もちろん私たちおとなにしても、一方でムダなことをしながら、

心を休めたり、癒(いや)したりする。が、それはあくまでも「趣味」。決して希望ではな

い。またそれがかなわないからといって、絶望する必要もない。大切なことは、どこかで

一線を引くこと。でないと、自分を見失うことになる。時間をムダにすることになる。



●絶望と希望



 人は希望を感じたとき、前に進み、絶望したとき、そこで立ち止まる。そしてそれぞれ

のとき、人には、まったくちがう、二つの力が作用する。



 希望を感じて前に進むときは、自己を外に向って伸ばす力が働き、絶望を感じて立ち止

まるときは、自己を内に向って掘りさげる力が働く。一見、正反対の力だが、この二つが あっ
て、人は、外にも、そして内にも、ハバのある人間になることができる。



 冒頭にあげた、「子どもの受験で失敗して、落ちこんでしまった母親」について言うなら、

そういう経験をとおして、母親は、自分を掘りさげることができる。私はその母親を慰め

ながらも、別の心で、「こうして人は、無数の落胆を乗り越えながら、ハバの広い人間にな

るのだ」と思った。



 そしていつか、人は、「死」という究極の絶望を味わうときが、やってくる。必ずやって

くる。そのとき、人は、その死をどう迎えるか。つまりその迎え方は、その人がいかに多

くの落胆を経験してきたかによっても、ちがう。



 『落胆は、絶望の母』と言った、キーツの言葉の意味は、そこにある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 心の
抵抗力 4割の善 四割の善 子どもの世界 子供の世界)







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●恐怖症



●私設施設での怪死事件(?)



 名古屋市にある、I・Mという、自称「メンタル・スクール」で、1人の男性(26歳)が、怪死し
た。



 NEWS-iは、以下のように伝える。



 「先月(4月)、引きこもりの人たちが暮らす名古屋の民間施設で、入所していた26歳の男性
が死亡した事件で、愛知県警は施設の代表ら7人を、逮捕監禁致死の疑いで逮捕しました。



 逮捕されたのは、NPO法人(I・Mスクール)の代表で、SG容疑者(49)や、施設の従業員ら
合わせて7人です。



 調べによるとSG容疑者らは、先月14日、26歳の無職の男性を東京の自宅から名古屋の
施設に車で連れていく際、体を床に押さえつけたり、手錠やロープなどを使って拘束したほか、
施設に着いてからも、柱に鎖でつなぐなどして、4日後に死亡させた逮捕監禁致死の疑いがも
たれています。



 この施設は1991年にSG容疑者が、不登校や引きこもりの人たちを、共同生活を通して更
生させようと設置しました」と。



 さっそくI・Mスクールを、ヤフーで検索してみる。が、肝心の施設についてのページがない。H
Pの管理者が、早々と、関連ページを削除してしまったらしい。



 私の推測によれば、息子の引きこもりで困った家人が、I・Mスクールに連絡して、強制的に
入居させようとした過程で起きた事件ということになる。よく似た事件に、Tヨット・スクール事件
というのがあった。あれも、そういえば、名古屋市を舞台として起きた事件ではなかったか。



 ほかに、不登校の子どもを、罵倒(ばとう)してなおす(?)という女性も、名古屋にはいる。



 いろいろいきさつはあるのだろうが、全体としてみると、心の病気を、みなが、軽く考えすぎて
いるのではないか。とくに引きこもりについては、そうである。一見すると、怠け病(そんな病名
はないが……)に見える。そのため、まわりの者たちが、「何とかなる」「そんなはずはない」と
無理をする。その無知と無理解、そして無理が、積もり積もって、こうした事件へとつながる。



 SGという女性の顔は、報道記事などに添付されているが、そのSGという女性に、どれだけ
の基礎知識があったのか、はなはだ、疑問である。T・ヨットスクールの指導者にしても、また不
登校の子どもを、罵倒してなおすという女性にしても、そうである。



 熱病で苦しんでいる子どもに向かって、あたかも水をぶっかえるような対処法が、(理屈の上
では、熱を冷ますのだから水、という論理は成りたつが……)、果たして子どもの心の更生につ
ながるといえのだろうか。



 子どもが引きこもりを引き起こすまでには、長いプロセスがある。そしてそのプロセスは、子
どもが生まれたときから始まる。



 そうしたプロセスを無視して、いきなり……という対処法は、メチャというより、無謀、無謀とい
うより、デタラメと考えてよい。



 また別の機会に書いてみたいが、たとえば引きこもりをなおす(?)にしても、5年単位の時の
流れが必要である。そのためには、家人の根気と努力、それに愛情が必要である。苦しい戦
いかもしれないが、その戦いなくして、子どもを立ちなおさせることはできない。



 今回の事件は、まさにT・ヨットスクール事件の再現を思い起こさせる。これから先、I・Mスク
ールの内情が、明らかにされるだろう。それを待って、またこの問題を考えてみたい。



+++++++++++++++



私の経験を書いた原稿を

1作、添付します。

(中日新聞掲載済み)



+++++++++++++++



子どもが恐怖症になるとき



●九死に一生



 先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして
文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れ
た。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように
感じた。



私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった……。恐
怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。



 たとえば以前、『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたく
ない」と言う園児が続出した。あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があがったことがあ
る。その直後から、その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくない」という子どもが続
出した。



これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。それが恐
怖症だが、この恐怖症は子どものばあい、何に対して恐怖心をいだくかによって、ふつう、次
の三つに分けて考える。



(1)人(集団)恐怖症……子ども、とくに幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度
の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意
力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無頓着で、はじめて行ったような場所で
も、わがもの顔で騒いだりする。



が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、
顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(学校恐怖症)な
どの症状が表れる。さらに症状がこじれると、外出できない、人と会えない、人と話せないなど
の症状が表れることもある。



(2)場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗
れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。これはある子ども(小一男
児)のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメソメソし始めるという。親から相談が
あったので調べてみると、原因はどうやら学校へ行くとちゅうにある、トンネルらしいということ
がわかった。



その子どもは閉所恐怖症だった。実は私も子どものころ、暗いトイレでは用を足すことができな
かった。それと関係があるかどうかは知らないが、今でも窮屈なトンネルなどに入ったりする
と、ぞっとするような恐怖感を覚える。



(3)そのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けをこわが
る、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。何かのお面をかぶって見せただけ
で、ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、一五人に一人はいる(年中児)。



ただ子どものばあい、恐怖症といってもばくぜんとしたものであり、問いただしてもなかなか原
因がわからないことが多い。また症状も、そのとき出るというよりも、その前後に出ることが多
い。



これも私のことだが、私は三〇歳になる少し前、羽田空港で飛行機事故を経験した。そのため
それ以来、ひどい飛行機恐怖症になってしまった。何とか飛行機には乗ることはできるが、い
つも現地ではひどい不眠症になってしまう。「生きて帰れるだろうか」という不安が不眠症の原
因になる。



また一度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろいろな症状となって表れる。
高所恐怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。脳の中にそういう回路(パターン)ができ
るためと考えるとわかりやすい。私のケースでは、幼いころの閉所恐怖症が飛行機恐怖症に
なり、そして今回の自動車恐怖症となったと考えられる。



●忘れるのが一番



 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、叱っても意
味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの
視点で、子どもの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。



無理をすればするほど、逆効果。ますます子どもはものごとをこわがるようになる。いわば心
が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるようにする。症状だけをみると、神経症
と区別がつきにくい。私のときも、その事故から数日間は、車の速度が五〇キロ前後を超える
と、目が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」とはわかっていても、あとで見ると、手
のひらがびっしょりと汗をかいていた。



が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も自分に、「こわくない」と言いきかせることで、
克服することができた。いや、今でもときどき、あのときの模様を思い出すと、夜中でも興奮状
態になってしまう。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。
そういう前提で、子どもの恐怖症には対処する。



(付記)

●不登校と怠学



不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症とは区別
する。この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。うつ病の一つと考える学者も
いる。不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因となると考えるとわかりや
すい。













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●ガールフレンドの妊娠



【掲示板への相談より】



++++++++++++++++++++



Nさんの息子さんは、今年、大学に入学しました。

しかしつきあっていた、1歳年上の女性が、

妊娠してしまったというのです。



現在、妊娠6か月。



Nさん夫婦は、息子さんたちの交際に反対していま

した。相手の女性の両親にも、何度もその旨を

伝えていたといいます。



しかし息子さんは、ときどき、相手の女性の家に

連泊。相手の女性の両親は、息子さんがそうすることを、

むしろ歓迎するようなところがあったといいます。



また相手の女性には、それ以前につきあっていた男性

との間にできた、1人の子どもがいます。



その子どもは、現在、満1歳。



そのNさんからの相談です。

掲示板でのやりとりを、そのままここに転写します。



Nさんは、今、落胆のドン底にいます。

みなさんの中で、同じような経験をなさった人が

いれば、どうか連絡してください。



Nさんにとって、何かの助けになれば、

うれしいです。



++++++++++++++++++++





【Nより、林へ】



2月に相談にのっていただいた、元高3息子の母です。

息子の彼女は18歳。1歳の子持ち。



その後、私は林先生のおっしゃる通りにして、頑張ってきました。

息子はなんとか大学に合格して(彼女の家のそば)、卒業もできました。

先生のおかげです。ありがとうございます。



息子は2時間半かけて大学に毎日通っています。彼女のところに行かなくなりました。

大学での女友達もできたようです。先生のおっしゃる通りだと思っていました。

そして、息子も「彼女とは終わった」と言いました。



ところがです、先週、彼女の母親から電話がありました。主人がでました。「娘とは終わったよ
うですが、携帯代その他もろもろのお金を立て替えている。話もあるので、その旨、伝えてほし
い。」とのことでした。



主人は「はじめから認めてないつきあいなので、電話あったことは伝えてきますが、後は息子と
話し合ってください」と言ったそうです。



また、今日電話あり、主人がでました。「息子さんから連絡がない。娘は妊娠6ヶ月です」と。



主人は「始めからずっと反対していると言っていたのに、あなたが2人の仲をあおってきた。携
帯代も払わないでくれ、交通費を出すのもやめてくれ、下宿先も教えないでくれ、といったの
に、あなたと娘さんがすべてしたのです。話し合いは息子としてくれ。一切知りません。」と言っ
たそうです。



今いる彼女の子どもも、元の彼からは、認知してもらっていないと聞いています。

主人も私も息子にすべて任せるつもりです。半分巣立っているのだから・・・

おかしいでしょうか?!

無責任でしょうか?!



でも、今までこんなにも息子と息子の彼女とその親に振り回されてきたのです。息子の1番大
事なときにでも、夜中でも「きて」と言われれば、息子は飛んでいきました。それで4日も帰って
こないことしばしばです。 私達親は、つらかったです。

まだ未青年だけど、巣立ったものとして、本人に任せてよいでしょうか?!

お忙しいのに申し訳ありません。教えてください.





【林より、Nへ】



まゆっくりと考えてみますが、妊娠の件は、フィクションではないかと思います。

きわめて重要な妊娠の話をさておいて、その前に、どうでもよい携帯電話の立替代の話を

請求してくるということは、どう考えても、不自然です。



私が相手の親なら、先週の電話で、開口一番、妊娠の話をしたと思います。



6か月もたっているというのでは、日数もおかしいですね。

まだつきあっているころに、すでに妊娠のことはわかっていたはずですから?



2月にNさんから相談があったときには、妊娠3か月目だったということになるわけです……。
相手の女性は、それに気づかなかったのでしょうか。



息子さんと連絡をとって、そのあたりの事情というか、様子を一度、確認なさって

みてはいかがでしょうか。



ご主人の態度は、立派です。支持します。こういうときは、夫婦が一丸となることです。

たじろいだり、不協和音を相手に見せてはいけません。どんなときも、毅然と、あなたの

ご主人の言ったとおりの態度と姿勢で臨みます。ここが重要です。



息子さんの年齢には、少し負担が大きすぎる事案かと思います。内部では、息子さんを

支え、外部に向かっては、「息子と解決してくれ」と主張なさることが、何よりも

賢明です。



本当に6か月なら、(私はウソだと思いますが)、中絶もできません。仮に妊娠が

本当であるとしても、認知の立証義務は、女性の側にありますから、ここは今、しばらく

様子を見られたらいかがでしょうか。息子さんの子であるという証拠を相手がもってくるまで、

否定つづけるのが、正攻法です。今のところ、打つ手はありません。



またあとでゆっくりと考えて返事を書きます。





【Nより、林へ】



ありがとうございます。

今日の朝方息子は酔って帰ってきました。

彼女のことを言うと、すでに妊娠のことは、2月には知っていたそうです。その時は結婚も考え
たそうですが、またいやになり、おろす事を2人で考えたそうです。



彼女の親はその時点で知っていたそうです。それを告げると、「そうなの?!」とだけ言ったそ
うです。



どうして、妊娠がわかった時点で、彼女の親は、こちらに言ってくれなかったのでしょう?

彼女から3月の終わりに、「別れよう」と言ったそうです。「子供は1人で育てる」と。

彼女の親が妊娠6か月まで言わなかったのは、養育費をこちらに請求するためなのかもしれ
ません。



今までずっと私たち親が、「交際をやめてください」ということを、ずっと言ってきました。

彼女の元彼との間にできた、17才のときに生んだ子供も認知してもらってないそうです。



息子には、入学の前日に「もし、今の彼女との間に子供でもできたらお前との縁は切る」と主人
がいいました。だから息子は、何も言えなかったと、今になって言います。

息子は今、彼女もおなかの子どもも死ねばいい。うざい。と言います。

あまりにも甘いです。



弁護士を立てて話したほうがいいでしょうか?!

私は主人の意見に従おうと思っていますが、息子があまりにも幼すぎて、らちがあかないよう
にも思えます。

お忙しいのに申し訳ございません。よろしくお願いいたします。





【林よりNへ】



そうでしたか……。



この際、責任のなすりあいをしても意味がありませんので、運命は運命として、

受け入れるしかないと思います。(もちろん、そんなことは相手に伝える必要

はありませんが……。あくまでも、こちら側の心づもりとして、です。)



運命というのは、それをのろったとき、悪魔に変身します。しかし受け入れて

しまえば、悪魔は向こうから退散していきます。



あなたのかわいい孫が誕生するのです。生まれ方には、少し問題がありますが、

孫は孫です。



法律的には、あなたのほうにも言い分はあるでしょうが、養育費ということに

なると、拒否はできません。弁護士を立ててくるのは、先方のほうですから、

相手がそう出てきたときに、はじめて、こちらも弁護士に相談してみたら

どうでしょうか。今は、こちらから動くべきときではありません。



息子さんと、向こうの女性と、話し合って解決するのが、何よりも第一です。



親のあなたたちに養育費の支払い義務はありませんので、そういう話があったても、親として
は、きっぱりと、拒否することです。



息子さんに、支払能力がないことは常識ですから、相手も強くは言えないはずです。

ただ、息子さんが、大学を卒業したあと、収入が入るようになった段階で、

養育費の問題は出てくると思います。その覚悟はしておく必要があります。



金額などは、そのとき弁護士双方で、調停でもすればよいかと思います。家事調停なら、

家庭裁判所で、当事者どうしでもできます。



弁護士……ということになると、話がおおげさになりますし、しこりも残ります。

当事者どうしで、円満に解決なさるほうが、賢明かと思います。



また、認知の問題も出てくることでしょう。しかし息子さんは、この問題から

逃げることはできません。



だったら、前向きに受け入れていくしかありません。



なお後日の係争のため、こちら側の言い分などについては、

証拠が取れるものについては、きちんと証拠を取っておくことをお勧めします。



電話なども、すべて録音されることを、お勧めします。



また息子さんと相手の女性との会話についても、

きちんと何らかの方法で、録音しておくことです。息子さんには、

そうお伝えください。



これからは、そうしてください。



親として、こちらから出る幕はありませんので、

相手から何かの動きがあるまで、動く必要はありません。



あとは親どうしでお金で解決するという方法もありますが、

それも一考してみてください。慰謝料、養育費の請求放棄などの

念書は、取っておきます。



苦しいご心中は察しますが、この際、冒頭にも書いたように、

運命を受け入れるのが、その苦しさから逃れる唯一の方法かと

思います。



1人の人間が、もうすぐ、この世に誕生するのですから……。



親というのは、子どもたちの尻拭いばかりさせられるものですよ。



ただ息子さんには、「お前には、人間として責任がある」と、はっきり

言っておくことは重要です。この問題だけは、息子さんにも、逃げる

ことはできません。そういう自覚だけは、しっかりともってもらいます。



ともかくも、相手の出方を、しばらく静観することしか、今のところ、

どうしようもないように思います。そのときがきたら、その覚悟をして

対処します。今は、そういう状況だと思います。



以上、参考までに……。



はやし浩司





【Nより、林へ】



ありがとうございます。



向こうから何か言ってくるまで静観します。

養育費の問題もわかりました。



ただ、息子は、他人ごとのように考えているようです。

彼女もおなかの子についても、死ねばいいなどとばかなことをいいます。

だからこそよけいに息子には、正面から向きあってもらいます.



息子が入学前に主人が「もし、今の彼女との間に子供でもできたら縁を切る。そしてお前への
援助(学費など)一切打ち切る。それを頭に置いて行動しろ」と、伝えていました。

息子は今日「だから言わなかった」と言いました。



今後、息子への親としての対応も考えていかねばなりません.

あのように言い切った以上、息子には一応制裁を親として与えるべきでしょうか?

1人暮らしをしてもらうとか・・・。



未成年だけど、大人として扱い、自立してもらう。

どうでしょうか?!

お忙しいのに申し訳ありません。

読んでいただきありがとうございました。





【林よりNへ】



 Nさんのご家庭では、(おどし)が、親子の会話の基本になっているようで、気になります。



 「縁を切る」とか、「学費を打ち切る」とか、そういう極端な言い方は、親子の間ではあまりしな
いほうがよいかと思います。あるいは長い過程の中で、そういう言い方になってしまったのでし
ょうか。



 おどしても、聞かない。だからますます強いおどしをかける。この悪循環が、どこかで始まって
しまったのかもしれませんね。しかしここは、冷静になってください。



 まずもって心配されるのは、Nさんが、息子さんの言い分だけしか聞いていないということで
す。息子さんは、「相手の女性が、別れると言った」「子どもはひとりで育てると言った」と言って
いるようですが、本当にそうでしょうか。ひょっとしたら、相手の女性は、相手の親たちには、別
のことを言っているかもしれません。



 ですからこちら側だけの言い分を相手にぶつけてしまうと、こうした事案は、こじれてしまいま
す。ですから、ますます冷静になってください。



 客観的に見ますと、その女性の最初の子どもは、その女性がどこかで遊んでいてできた子ど
もということになります。しかし息子さんとの間にできた子どもは、相手の親たちが公認のもと、
しかも息子さんが、その相手の家に出入りしている間にできた子どもということになります。



 「結婚する意思はなかった」と言っても、それは通らないかもしれません。あなたたちから見る
と、交際に反対していたのに、相手の親たちが勝手に、息子をかどわかしたということになりま
す。しかしひょっとしたら、相手の親たちは、そうは思っていないかもしれません。息子さんが、
相手の親たちに、どのような接し方をしていたのかは、あなたたちには、わからないわけです
から……。



 息子さんは、あなたたちにウソは言っていないと思います。しかしすべてを話しているとも、思
われません。



 そんなわけで、まず、当事者どうし、つまり息子さんと、相手の女性と、冷静に話しあう機会と
場所を、つくるようにし向けるのが、最善かと思います。



 お気持ちは理解できますが、「縁を切る」とか、「学費を止める」とか、さらには、「制裁する」と
いう話は、今、すべきではありません。またそれにこだわったところで、問題は解決しません。
この問題の基本には、あなたたち夫婦と、息子さんとの間で、長い時間の中で作られた、深
い、不信感があります。



 私の印象では、あなたの夫は、かなり権威主義的な、つまり古風な、親風を吹かすタイプの
父親ではなかったかと思います。もしそうなら、そうした父親に追いつめられていった、息子さ
んの気持ちが私には、よく理解できます。



 ……とまあ、あなたたちを責めるようなことばかり書きましたが、(子どもができてしまった)と
いう事実は、それくらい責任の重い話だということです。半分は、生まれてくる子どもの立場で、
ものを考えなくてはいけません。そういう子どもを、「うざい」とか、「死んでくれればいい」などと
いうのは、言語道断です。



 仮にあなたの息子さんが、(それにあなたたち夫婦も)、この問題からうまく(?)逃げ切ったと
しても、後味の悪さだけが残り、その後味の悪さは、息子さんにも、あなたたちにも、死ぬまで
ついて回るでしょう。



 だったら、前にも書いたように、この問題は、前向きに考えていきます。逃げるのでなく、正面
からぶつかっていきます。それこそ、相手の女性の子どもを、相手の女性が育てないというの
なら、引き取るぐらいの覚悟はもちます。(だからといって、こちら側から、それを申し出る必要
はありませんが……。)



 またそういう覚悟ができたとき、Nさんたちは、運命を受け入れたことになり、今の悶々とした
苦しみから解放されることになります。



 今こそ、息子さんと、冷静に話しあってみてください。おどすのではなく、冷静に、です。おた
がいに感情的になってしまったので、話しあいにもなりません。ですから、話し方としては、「あ
なたも苦しんでいると思うけど、どうしたらいいの? お父さんも、お母さんも、協力できる面が
あれば、協力する」というような言い方をします。



 「あなたの問題だから、あなたが解決しなさい」という言い方では、息子さんは、もっと突っ張
ってしまうかもしれません。



 あなたたちと息子さんの関係がよくわかりませんが、私の印象では、すでに断絶状態から、
修復不可能に近い段階まで進んでいるように感じます。が、これを機会に、もう一度、親子の
つながりを、取り戻すことができるかもしれません。



 あなたたち夫婦が、相手の親の立場ではなく、相手の女性の立場でもなく、生まれてくる子ど
もの立場で話をすれば、息子さんも、静かに話を聞いてくれるはずです。息子さんには、養育
費を払えとか、払わなくてもいいという話をするのではなく、当然、払うべきだという話し方をし
ます。



(だからといって、こちら側から、今、それを相手に申し出るという必要はありません。あくまで
も、人間として、1人の父親としての自覚と、責任を感じてもらいます。)



 十字架としては、少し大きすぎる十字架ですが、だれしも、この種の十字架の1本や2本は、
背負って生きているものです。しかしその十字架も、相手の両親や、女性のことを考えるなら、
何でもないものかもしれません。相手の女性は、18歳という若さで、これから先、2人の子ども
を育てていかねばなりません。



 欧米だったら、養子制度が発達していますから、今の段階で、養子縁組ができますが、この
日本では、それもままなりません。



 そんなわけで、もしあなたにその勇気と度量があるなら、つぎに相手の親から電話がかかっ
てきたら、「一度、娘さんと会って話をしてみたい」「息子にも、よく言い伝えておくので、息子と
娘さんが話しあう機会と場所を、提供したい」と言ってみてください。どこまでも穏やかに、冷静
に、かつ相手を責めることなく、です。



 決して、「私たちには責任はない」と、はね返してはいけません。もちろんこれらの話は、相手
から何らかのアクションがあってからのことですが……。



 今の状況は、当事者みなが、それぞれに追いつめられて、たがいにキズつけあっている。私
には、そう見えてなりません。ただ時期が、5年から10年、平均的な恋愛より、早かったという
だけのことです。



 なお法律的には、あなたがた両親には、養育費の支払い義務はありません。相手の両親に
も、請求権はありません。養育費を請求できるのは、子どものみ。子どもが未成年のときは、
親がその請求権を代行します。つまり相手の女性だけが、請求権を代行できます。しかし話し
あいの過程で、(取り決め)として、相手の女性が、あなたがた夫婦に、保証人になるように求
めてくる可能性はあります。(現に今、息子さんには支払能力はありませんので……。)



 もしそうならば、つまりあなたがたが保証人になれば、その結果として、たとえば息子さんか
らの養育費が2回程度、延滞したりすると、保証人のあなたがたに支払い義務が生ずることに
なります。



 私も法科の学生でしたが、今は、この程度にしか、わかりません。まちがっているかもしれま
せんので、そのときは、弁護士に相談してみてください。



 ともかくも、息子さんと相手の女性の話しあいを、何よりも優先させてください。それが第一歩
です。





【Nより、林へ】



いろいろとありがとうございます。



昨夜、私の同級生の弁護士に相談しました。

はやし先生と同じことをおっしゃいました。

ただ、息子は学生なので卒業してから支払能力発生になる、しかし、学生の間もアルバイトで
稼げるのなら支払能力ありになる、ということでした。



息子と話し合いました。と、言っても息子は、ほとんど無言でしたが・・・(昔から話し合いのとき
は無言になります。)

今までに息子は検診費として4万円払ったそうです。その時は結婚まで考えていたそうです。



その後、彼女から別れ話がでたそうです。で、おろす話を2人でしたそうですが、そのままにな
ってしまったそうです。



主人は、「人間としての誠意をみせろ。でないとおまえとの今後の関係を考える。生まれる子供
は一生会うつもりは無い」と言いました。私も承諾しました。



でも、この言葉はきつかったかもしれませんね。



息子は彼女と2人で話し合うと言いました。

私たち両親も同席するのがいいのでしょうか?

でも、彼女の顔をみるのもいやですが・・・。



同級生の弁護士は、2人で話し合いがつかないのな、両親をまじえて、それがだめなら家庭裁
判所で調停するのはどうかと言いました。でも、それは相手が何か言ってきてからのこと、との
こと。(はやし先生の意見と同じです)



去年の夏から一変、辛い日々、息子のことは口にチャックをし、大学に合格するまではと、見
守り続けてきました。彼女の親たちには振り回され、嘘をつかれ・・・。



息子には妊娠はさせてはいけないと、彼女ができてからずっと言いつづけてきたのに・・・・。や
っと巣立ってもらおうと、この7月に下宿するまではと思い、頑張ってきたのに・・・。



最後にこのような結果になり、私は立ち直れそうにもありません。でも、そんな息子に育てたの
は、私たち両親なのですね。



この状態を受け入れるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。

息子と顔を合わせるのも辛いのです。

でも、頑張ります。





【林から、Nへ】



息子さんに任せるしかないようですね。



息子さんを責めたり、おどしたりしないように!



こうなってしまったのですから、受け入れて、

前に進みましょう!



それから自分を責めないこと。どこかで歯車が狂って、

それが悪循環となって、今の状況を作っただけです。





【Nから、林へ】



ありがとうございます。



以来、息子は全然、帰ってきません。

何度メールを送っても、返事もありません。

こちらの心配はどうでもいいようです。息子はそういう子です。



だから、主人は息子の態度に誠意がない限り、こちらは息子にたいして協力はしないと言って
います。

まずは息子の様子をみて、息子に任せます。



あちらの親も、1度こちらがつっぱねたので、連絡あるかどうかわかりません。

まずは息子に任せます。

で、間に誰か立ててあちらと話あうかもしれません。



ありがとうございます。





【林より、Nへ】



息子さんは、必ず帰ってきます。

許して忘れ、許して忘れ、

いつ帰ってきてもよいように、

窓をあけ、掃除だけはしておきます。



今こそ、Nさんは、親としての

真の愛情をためされているのですね。



めげないでください。



息子さんを信じて、許して、忘れる、ですよ。



いつか必ず笑い話しになりますよ。



では、



掲示板の記事を、そのまま

マガジンに載せますが、許してくださいね。



同じような問題をかかえている人は

たくさんいます。みんなで力を合わせて

いっしょに、がんばりましょう。



読者からの反応があれば、お知らせします。

力になってくれると思います。



はやし浩司



Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 未成
年の子供の恋愛 妊娠 出産 養育費問題 養育費)



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



【補記】



●親子の断絶



++++++++++++++++++



Nさんが、息子のことで悩んでいる。

苦しんでいる。



それは理解できる。しかし同じように

その息子も、苦しんでいる。



決して息子を肯定せよということではない。

しかしあなたには、その息子の悩みや、

苦しみが理解できるだろうか。



++++++++++++++++++



 Nさんから、息子の問題について、続報が届いている(「はやし浩司の掲示板」)。それをその
まま、ここに紹介する。



 これを読むとき、もちろん第一義的には、Nさん自身の悩みや苦しみを、理解する。しかし同
じように、息子自身も悩んでいる。苦しんでいる。つまり善良な人たちが、たがいに、キズつけ
あい、悩み、そしてキズつけあっている。それを理解する。



 で、あなたには、この書きこみを読んで、息子の叫び声が聞こえるだろうか。「お母さん、この
苦しみから、ぼくを救ってよ!」と。



 もしここでNさんが、息子との絆(BOND)を断ち切れば、息子は、まちがいなく、奈落の底へ
と落ちていく。今、Nさんは、その正念場を迎えつつある。がんばれ、Nさん! 息子がどうであ
れ、あなたは『許して、忘れる』。それを貫く。



 どんなに裏切られても、どんなにキズつけられても、『許して、忘れる』。真の親の愛は、あな
たの手の届くところにある。そこであなたを待っている。がんばれ。Nさん、それにあなたの手
が届いたとき、あなたの息子は、変わる。本当の自分を前に出す。



 それがわからなければ、アルバムを出して見たらよい。息子が幼児期、少年時代の写真を
見たらよい。



 それを信じて、がんばれ!



【Nより、林へ】



ありがとうございます。



息子は夜中に帰ってきました。



彼女と会っていたのかと思いましたが、友達と遊んできたようです。(許せないです)

今朝、起こすと、怒鳴り声で、「うるさい!」と叫ぶ。で、そのまま私は仕事に出かけ、帰ってくる
と、使うはずの商品券5000円が、なくなっていました。息子は、部屋にそれを包んで箱だけ残
して・・。



夕方、帰ってきた息子に問いただすと、「昼飯代くれなかったから取っただけ」と・・・。



中学時代からしょっちゅう、うちのお金を盗んできた息子。そのつど怒りましたが、バイトを始め
た今でも、手持ちがなくなると平気でこんなことをします。



彼女と会うと言っていたのに、会わずに帰ってきました・・・。



いろんなことから逃げて、人の物を勝手に盗み、自分さえよければ、今だけよければそれでい
い。バイトもしょっちゅう変わり、バイト先の人にも怒られました。



いくら親に何を言われても平気。



こんな息子だからこそ、今回のこと(女友だちが妊娠したこと)は、本当に向き合ってもらいた
いです。

きちんと十字架を背負って。



許して忘れ、いつ帰ってきてもいいようにしておく・・・。

それは、本当につらいことですね。



高校時代、「家を出たい」と、ずっと言ってた息子。資金面で我慢させてしまいました。

今、逆に私は、3月に下宿させればよかった・・・と後悔しています。

今は、早く下宿させたいと思っています・・。



昨日も今日も息子と話し合いできずに終わってしまいました。

冷静に落ち着いて、母親として話し合いたいのですが・・・。



親としての真の愛情を与えられるよう、しばらく息子の態度をみます。

ありがとうございます。



+++++++++++++++++



 「形」としては、家庭内暴力に似ている。またそれに準じて、子どもの心理を考える。Nさんの
息子は、ギリギリのところで、Nさんという母親の限界を確認しながら、(無意識ではあるにせ
よ)、Nさんを痛めつけている。苦しめている。



 息子自身も、自分でも、どうしたらよいのか、わからないでいる。そのため自己嫌悪から、自
暴自棄へと、走りつつある。もしここでNさんが、その絆(BOND)を断ち切れば、息子は、先に
も書いたように、奈落の底へ落ちていく。



 息子もそれがわかっているから、今、懸命にふんばっている。「そんなことをすれば、かえっ
て親に嫌われるだけ」と、ふつうの人だったら、そう考えるだろう。しかし息子は、嫌われること
によって、自己主張している。心理学の世界では、(2匹のヤマアラシ)という言葉を使って、そ
れを説明する。



 寒い夜、2匹のヤマアラシが、穴の中で、眠ることになった。しかしたがいに体を近づけると、
たがいの針が刺さり、痛い。しかし遠ざかれば、寒い。こうして2匹のヤマアラシは、一晩中、穴
の中で、離れたり、くっついたりを繰りかえした。



 この「2匹のヤマアラシ論」は、本来は、人間関係をうまく結べない人が、孤独と、人と接触す
ることによって起こる苦痛の間を、行ったり来たりするのを説明したものである。しかし今のNさ
んと、Nさんの息子を見ていると、そういう感じがする。



 たがいに針を出しあって、たがいに孤独なのに、キズつけあっている。が、さりとて、別れるこ
ともできない……。



 息子の立場で言えば、こうだ。



 「今まで、何度も何度も、SOSのサインを出してきたのに、お父さんも、お母さんも、わかって
くれなかった」と。



 Nさんにしてみれば、息子が甘ったれた人間に見えるかもしれない。バイトを転々としたの
も、不満かもしれない。しかし息子にしてみれば、何をやっても、うまくいかない。自分のしたい
こととちがう。父親や母親からは、何をしても、頭から否定される……。おどされる……。どこか
に自分がいるのだが、どうしても、それがつかめない。



 それが転じて、Nさんの息子は、どこか暴力的だが、そういう方法で、自分を取り戻そうとして
いる。模索している。やり方としては、幼稚だが、息子には、それしか方法が、思いつかないの
だ。



 あえて言うなら、今、こういう状態になっている親子は、決して、少なくない。全体の何割かが
そうであると言ってよいほど、多い。



 だから今のNさんにすべきことは、ただひとつ。



 「あなたにどんなに裏切られても、どんなにキズつけられても、私は、へこたれませんからね。
あなたをとことん愛しますからね」という態度を貫くこと。Nさん自身も気がついているが、人を
愛するということ、つまり『許して忘れる』ということは、それほどまでに過酷で、つらい。きびし
い。



 そのきびしさを、私は、「第二のお産」と呼んでいる。



 それができたとき、親は、真の愛にたどりつくことができる。



 負けてはだめですよ。Nさん、がんばれ! その「愛」さえあれば、息子は、必ず、立ちなお
る! 私はそういう事例を、何十例も見てきた。ウソではない。だから、がんばれ! 私を信じ
て、がんばれ!



 迷ったり、袋小路に入ることはあるかもしれないが、息子にだけには、そんな弱みは、見せて
はいけない。あなたは堂々と、息子を信じ、愛せよ。『許して、忘れよ』。それを息子が肌で感じ
たとき、ひょっとしたら、あなたはこの世にいないかもしれない。10年先かもしれない。20年先
かもしれない。



 しかしそれでも、あなたは、今のあなたを貫く。コツは、暖かい無視。商品券ぐらいのことで、
ガタガタしてはいけない。無視して、お金の管理だけは、しっかりとする。



 私は今まで、本能的愛、代償的愛、そして真の愛について、何度も書いてきた。生まれた赤
ん坊に頬ずりをして、「かわいい」「かわいい」というのが、本能的愛。



 子どもの受験勉強に狂奔するような親が感ずるのが、代償的愛。「子どもため」を口実にしな
がら、結局は、自分の心のスキマを埋めるために、子どもを利用しているだけ。



 そして真の愛。今のNさんには、それがわからないかもしれない。しかし今、Nさんは、その真
の愛の一歩、手前にいる。



 そこは実に、おおらかで、心豊かな世界。5000円くらいの商品券で、カリカリするようなこと
もない。が、今、ここで息子を突き放してしまえば、Nさんは、せっかくのチャンスを逃すことにな
る。



 Nさん、いいですか! 親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。それを忘れて
はいけませんよ。今、あなたの息子は、あなたに真の愛というのがどういうものであるかを、命
をかけて、教えようとしている。



 あなたはそれを学べばよい。すなおな気持ちで、それを学べばよい。親意識など、クソ食ら
え! 親の威厳など、クソ食らえ! あなたは、もっとバカな親になればよい。とことんバカな親
になればよい。1人の人間として、息子の前に立ち、泣きたいときは、すなおに泣けばよい。あ
やまるべきことは、すなおにあやまればよい。まず、あなたが全幅に心を開いて、胸の中のあ
りったけの気持ちを、語ればよい。



 あとは、時間が解決してくれる。「愛」には、魔法の力がある。「時」には、心を癒す、これまた
魔法の力がある。



 負けてはだめですよ。くじけたら、だめですよ。ここが正念場ですよ!!!!



 がんばれ、Nさん!!!!!

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