●感情は、どこから生まれるのか?
【なぜ私たちは感情をもつのか】
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感情とは何か。
感情は、脳の中のどこで、どのようにして
作られるのか。
それがわかれば、反対に、私たちは
自分の感情を、外部からコントロール
できるようになるかもしれない。
田丸謙二先生の最新の論文を読みながら、
それについて考えてみたい。
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●感情について
人間のもつ感情は、大きく喜・怒・哀・楽の4つに分けられるという。
東洋医学では、怒・恐・喜・驚・悲・思・憂(霊枢・本神論篇)に分けて考える。
が、これはおかしい。
こういうふうに現象面だけを見、それを分類して考えるのは、おかしい。
というのも、人間の脳みそは、基本的には、ON/OFFの構造になっている。
常に無数のON/OFFが繰り返されている。
ということは、感情も、基本的には2つしかないはず。
つまりこれらの感情のうち、2つのみが基本的感情で、残りの感情は、その
バリエーションに過ぎない。
そう考える方が、自然である。
また脳のメカニズムから考えて、そのほうが合理的である。
となると、どれを選ぶか?
どの2つを、基本的な感情として、選ぶか?
●教条主義
これを教条主義的発想と同列においてよいかは、知らない。
しかしたとえば感情にしても、喜・怒・哀・楽と4つに分けることによって、
あたかもそれ以外の感情はないかのように、思ってしまう。
あるいはその4つに固定されてしまう。
「脳の中には、4つの感情がある」と。
(別に4つでなくても、7つでも8つでもよいが……。)
が、これは正しくない。
またそう考えてはいけない。
ちなみに教条主義というのは、Yahoo辞書によれば、「状況や現実を無視して、ある
特定の原理・原則に固執する応用のきかない考え方や態度。特にマルクス主義において、
歴史的情勢を無視して、原則論を機械的に適用しようとする公式主義をいう」とある。
この表記を借りるなら、ものごとは機械的に考えてはいけないということになる。
ときとして私たちはあまりにも常識になっている教条に支配され、それ以外のものの
考え方ができなくなるときがある。
ここに書いた、喜・怒・哀・楽にしても、しかり。
では、感情とは何か?
基本となる2つの感情とは何か?
私は「緊張」と「弛緩」の2つをあげる。
●2つの基本的感情
ONで「緊張」、OFFで「弛緩」と考えるなら、基本的感情は、「緊張」と「弛緩」
ということになる。
緊張に属するものは、怒・悲・哀・苦・恐・驚。
弛緩に属するものは、喜・楽。
緊張と弛緩の双方が対立した状態が、憂・鬱・思。
が、こうして分類するのも、あくまでも便宜上のもの。
分類しても意味はない。
それ自体が、教条的ということになる。
●交感神経vs副交感神経
感情論を理解するために、ひとつの参考になるのが、交感神経と副交感神経。
そのメカニズム。
わかりやすく言えば、「動け」と命令するのが、交感神経。
「動くな」と命令するのが、副交感神経。
この両者が、バランスよく調整しあったとき、人はスムーズな行動をすることができる。
交感神経について、Yahoo辞書には、こうある。
「副交感神経とともに、高等脊椎動物の自律神経系を構成する神経。脊柱の両側を走る幹
から出て内臓や血管・消化器・汗腺などに分布。心臓の働きの促進、血管の収縮、胃腸の
働きの抑制、瞳孔の散大などの作用がある」と。
同じく副交感神経については、こうある。
「自律神経の一。脳部および仙骨部から発し、大部分は迷走神経で、伝達物質としてアセチルコリンを分泌する。交感神経系と拮抗(きっこう)的に働き、心臓に対しては抑制、胃腸に対しては促進の作用をする」と。
人間の感情にも、これと同じ機能が作用しているのではないか。
つまり「促進」と「抑制」。
先に書いた、「緊張」と「弛緩」と結びつけてみると、「促進」が「緊張」、
「弛緩」が「抑制」ということになる。
●熱帯魚の世界では
ところで話は変わるが、人間も太古の昔には、魚だったという。
どんな魚だったかは知らないが、水槽の中の熱帯魚と同じ、もしくはそれに近い
生物だったと考えられる。
(魚は魚で進化しているが……。)
その熱帯魚。
基本的には、2つの感情しかないように見える。
(あくまでも、そう見えるだけの話だが……。)
餌を与えるとき……水中に浮遊しながら、餌を食べる。
このとき熱帯魚の脳の中では、喜・楽の感情が充満していると考えられる。
つまり弛緩状態。
が、何かのショックを感じたとき……水槽の中を、逃げ回る。
このとき熱帯魚の脳の中では、恐・驚・怒の感情は充満していると考えられる。
つまり緊張状態。
●人間の感情
なぜ私がこんなことを書くか。
それにはひとつ、重要な意味が隠されている。
つまり「人間の感情は、どこでどのようにして生まれるか」という問題。
が、これについては今では、脳内ホルモン説が定説化している。
つまり人間の感情は、脳内ホルモンによって引き起こされる。
たとえば何かよいことをすると、その信号は大脳から、辺縁系の中にある、
扁桃核(扁桃体)というところに送られる。
すると扁桃核は、モルヒネに似た、エンドロフィン、エンケファリン系の
脳内ホルモンを分泌する。
それが脳内を、陶酔感で満たす。
それが「楽しい」という感情を生み出す。
が、反対に何かのことで、危機的な状況に陥ったとする。
メカニズムは私には分からないが、脳内で、サイトカイン系の脳内ホルモンが
分泌される。
脳内ストレスは、こうして起こるが、それが「怖い」とか「恐ろしい」とかいう
感情を引き起こす。
●田丸謙二先生
では、「美」については、どうか?
たまたま昨夜(2・23)、田丸謙二先生が、原稿を送ってくれた。
人間の脳は、どこでどのようにして「美」を判断するかについての論文である。
投稿の日付を見ると、2月21日となっている。
内容もさることながら、88歳を過ぎても、先生はこうした論文を書くことができる。
先生はいつも私に、生きる勇気と希望を与えてくれる。
先生の論文をそのまま紹介させてもらう。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●脳の科学と芸術
田丸謙二
日本化学会の会誌「化学と工業」の二月号に「神経科学から
脳科学へ」から始まり、「脳はなぜ美に魅せられるのか」、『「幸
せ」を感じる脳』など、最近の「脳科学」の進歩や展望について
特集があった。
この15年の間に、それまで動物実験や臨床知
見に限られていた脳の科学が非侵襲的(人体を傷つけず安
全)に、脳の各種の部分が外部に対応してもたらされる変化を
直接に調べることが出来るようになって飛躍的に新しい局面
が開けて来たのである。
非侵襲的計測法は大別して二つの方法があり、一つは神経
に場がれる電流によって生じる電位を頭皮上から測定する脳
電図に代表される。
また神経電流によって発生する微弱磁場
を、頭の周囲から計測する脳磁図となる。
もう一つの方法は神
経活動によるエネルギー消費を観測する方法であり、脳の局
所の血行動態を観測して脳の働いている部分の活動の大きさ
が計測できる。
非常に面白いのは、例えば一歳半の赤ん坊の笑顔を見なが
ら幸せ一杯に感じながら働く脳の様子と泣き顔に向かって感じ
る脳とは脳の部分によってはっきりと異なっていることである。
人が快い状態、不快な状態とは脳の部位によって違って働く
のである。更に芸術的にはどのようなものに魅せられるか、難
しい問題を解らないなりに如何にして少しでも科学的に取り扱
うことが出来るようになるのか、少なくとも脳の部分部分での
美に対応する変化が生まれて来るのである。
芸術を科学とし
て取り扱うこれまでには到底考えられなかったことが正に始ま
ろうとしている感じもするが、どれだけのことが生れるのか、こ
れからの大きな問題の一つでもあろう。
一つの例として挙げられているのはゴッホ(Vincent van
Gogh 1853~1890)だが、彼の生前には1枚しか売れなかった
彼の絵が現在では数十億円もの値段がつけられているほど
の価値となっている。
如何に人や時代によって「美しさ」に魅せ
られるかが大きな問題であることが分かる。
これから脳の科学
が芸術と如何に関連されるか、ゼロからの出発で、正に。
これ
からの問題である。芸術品の価格評価も脳の反映によって決
る可能性もあり得る。
このような芸術に限らずとも、外部からの影響に対する脳の
部位の対応だけでなく、人類の高度な社会現象や個人の行動
動機に至るまで、充足感、幸福感、危惧感、好奇心、創造生な
どに深くかかわってくる可能性が高いという。
例えば朗らかな時の脳の働きと全く同じ働きをさせるようなこ
とが脳の外側からさせることが出来れば、「うつ病」などの治療
になれないかしら。
数学の難問題を回答できる時の脳の働き
についても同じように働くことが出来れば素晴らしい事になる
かも。
余り素晴らしい事が容易に出来るようになると却ってつ
まらない事になるかも。
(2011年2月21日)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●考察
さっそく私になりにいろいろ考えてみた。
それが先に書いた、「基本感情論」ということになる。
で、先生はたいへん興味深い事実を指摘している。
『非常に面白いのは、例えば一歳半の赤ん坊の笑顔を見なが
ら幸せ一杯に感じながら働く脳の様子と泣き顔に向かって感じ
る脳とは脳の部分によってはっきりと異なっていることである』と。
たぶん母親の感情についての指摘かと思う。
この記述によれば、
(1)赤ん坊の笑顔を見ているときと、
(2)泣き顔を見ているときとでは、
脳の中でも、活動分野が異なるということ。
このことから田丸謙二先生は、「芸術を科学として扱う」という可能性に
ついても言及している。
「なるほど」と感心したところで、先に書いた私の感情論へとつながっていった。
●ゴッホの絵
で、ひとつの例として、田丸謙二先生は、ゴッホの絵をあげている。
ただし私は個人的には、ゴッホの絵は、好きではない。
はげしすぎるというか、ゴッホの絵を見ていると、どうも落ち着かない。
どこか狂人的?
そんな印象すらもつ。
ときどき「どうしてこんな絵が、こうまでもてはやされるのか?」と、
不思議に思うこともある。
話が少し脱線するが、許してほしい。
……というか、世俗的な評価というものを、あまり信用していない。
というのも、世俗的評価というのは、個人の評価の集合というよりも、
マスコミ的な洗脳によって作られたもののほうが、多いということ。
そのことは、現代の日本を見れば、よくわかる。
どういう人物が、世俗の世界で評価され、またすばらしい才能と知性をもちながらも、
どういう人が世俗の世界に埋没してしまうか。
それをみれば、よくわかる。
平たく言えば、この日本では、マスコミの力をうまく使い、有名になったほうが、
勝ち。
それが世俗的評価ということになる。
つまりゴッホも、そうした世俗的評価で作りあげられた画家ではないかということ。
少なくとも、私なら、何億円も出して、あんな絵(失礼!)を、自分の居間には
飾っておかない。
見ている私自身まで、気が変になる。
……というふうに考えてみると、その反応は、(2)の泣き顔を見ている
母親の反応と同じことが、私の脳内で起きていることになる。
●再び感情論
感情も科学で操作されるようになる。
田丸謙二先生は、その可能性について言及している。
それと同じに考えてよいかどうかは、知らないが、最近、私はこんな経験をした。
胃カメラをのんだときのこと。
胃がんの疑いをかけられた。
が、私は心気症。
その数日前から、心は緊張状態。
最悪のばあいを想像し、食欲も減退した。
ハラハラ…ドキドキ…。
で、その当日。
胃カメラをのむときは、腕に麻酔注射を打つ。
同時に、のどを通して麻酔薬をのむ。
しばらくすると、脳内が甘い陶酔感で満たされる。
何とも言えない、かったるい状態になる。
で、検査が終わり、あやしげな箇所の生体を採取。
生体検査へと回された。
そのときのこと。
30分ほどベッドで休んでいるときのこと。
同時に私は、やさしい幸福感に包まれた。
「死」への恐怖は、まったくなかった。
あれほど恐れていたはずの検査だったが、そのときは、安らいだ気分になっていた。
「感情も科学で操作される」。
今にして思えば、田丸謙二先生の指摘通りということになる。
先生は、こう書いている。
『例えば朗らかな時の脳の働きと全く同じ働きをさせるようなことが脳の外側からさ
せることが出来れば、「うつ病」などの治療になれないかしら』と。
薬物の力によるのではなく、「外部からの刺激によって、脳内の反応をコントロール
できるのではないか」と。
どこかSF的だが、すでにSFの世界を飛び出し、現実の話になりつつある。
現に脳の一部を電気的に刺激し、脳の中で起きる反応を調べるという方法は、
研究の分野では日常化している。
そういう方法がさらに進歩すれば、感情そのものをコントロールできるように
なるかもしれない。
冒頭に書いたように、脳のメカニズムは意外とシンプル。
ON/OFFの世界。
先生の論文を読んだとき、そう思った。
●感情とは何か
古今東西の哲学者や科学者が、問うてやまなかった最大かつ、もっとも神秘的な謎。
それが感情論ということになる。
私たちはなぜに、感情をもつのか。
その感情は、どこでどのようにして生まれるのか。
田丸謙二先生の論文をもとに、私なりにそれについて考えてみた。
このつづきは、もう少し先生の論文を脳の中で消化したあと、書いてみたい。
2011年2月24日。
今日も始まった。
時刻は午前7時13分。
田丸謙二先生へ、
おはようございます。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 感情論 感情とは 喜怒哀楽 感情の制御 感情のメカニズム 心
はやし浩司 心はどこにあるのか)
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司
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