Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, May 02, 2011

●Eマガ創刊のころ(8)

件名:子育て情報(はやし浩司)10-1

 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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    子育て最前線の育児論
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01-10-1号(11)
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 by はやし浩司(ひろし)
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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このところ涼しいですね。すっかり秋らしくなりました。
11号をお届けします。
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ウィルス「NIMDA」対策について。
私のホームページ(サイト)は、……
(1)MS社よりSP2の提供を受け、ウィリスの侵入を無効にしてあります。
(2)「SYMANTEC」社の「NORTON、アンチウィルス」のソフトを使って、
随時、検疫しています。最新情報は、そのつど、UPDATEしています。
(3)HP更新用のパソコンは、ほかのパソコンとは独立させ、別のパソコンを
使っています。
従って、どうか安心して、小生のサイトをお楽しみください。
詳しくは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の「トップページ」より、「ウィルス対策」をご覧ください。
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ある雑誌の投書コーナーに次のような意見が載っていました。

「思春期の子どもを二人かかえ、苦戦しながら
毎日を精一杯、生きています。幼児期から、生き物を
愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、
犬、モルモット、カメ、ザリガニ、魚類を飼育してきました。
庭に果樹や野菜、花をたくさん植えて、自然を愛すること、
収穫の喜びも伝えてきました。毎日必ず机に向かい、
読み書きすることも見せてきました。リサイクルして、手つくり品
や、料理もまめに作って、食事も室内も飾ってきました。
なのに、どうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を
使うことをめんどうくさがり、努力もせず、マイペースの
生活なのでしょう。旅行好き(好奇心とロマンを追って)の
母親(私)が、幼いころから社会見聞にと、国内外をこまめに
連れ歩いても、当の子どもたちは、地理が苦手。息子は出不精。
娘は繁華街通いをして、いまどきの流行を追っかけ、
浪費ばかり。二人とも自然には興味なし。おまけに、しつけには
きびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなる一方。
私の子育ては何だったの?
私はどうしたらいいの?
最近はコミュニケーションもなかなかとれない状態です。
どう接したらいいのでしょうか?」(50歳・神奈川県)
(雑誌M,10月号)

このお母さんは、たった一つのことに気づいていない。
それは、親として自分勝手な子育てをしただけ……!
ひとりよがりな「善」を子どもに押しつけただけ……!
子どものリズムで、歩いていない。子どもの心を
確かめながら歩いていない。それだけのこと。
しかし悲痛な叫び声! 「私の子育て何だったの!」と。

親は子どもの前を歩く。子どものガイドとして。
親は子どものうしろを歩く。子どもの保護者として。
親は子どもの横を歩く。子どもの友として。

最後の「友として」という部分が子育ての中で欠落していたのでは
ないでしょうか。皆さんは、この投書をどう思いますか?

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私のサイトで、「小論文コーナー」を充実させました。
少し難しいかもしれませんが、やや専門的な立場から
子どもがもつ問題を考えてみました。
たとえば……
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子どもの心が不安定になるとき

●情緒が不安定な子ども

 子どもの成長は、次の四つをみる。①精神の完成度、②情緒の安定度、③知育の発達度、それに④運動能力。このうち情緒の安定度は、子どもが肉体的に疲れていると思われるときをみて、判断する。運動会や遠足のあと、など。そういうときでも、ぐずり、ふさぎこみ、不機嫌、無口(以上、マイナス型)、あるいは、暴言、暴力、イライラ、激怒(以上、プラス型)がなければ、情緒が安定した子どもとみる。子どもは、肉体的に疲れたときは、「疲れた」とは言わない。「眠い」と言う。子どもが「疲れた」というときは、神経的な疲れを疑う。子どもはこの神経的な疲れにたいへん弱い。それこそ日中、五~一〇分、神経をつかっただけで、ヘトヘトに疲れてしまう。

●情緒不安とは……?

 外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という。二~四歳の第一反抗期、思春期の第二反抗期に、特に子どもは動揺しやすくなる。
 その情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許さない。気を抜かない。周囲に気をつかう。他人の目を気にする。いい子ぶるなど。その緊張状態の中に、不安が入りこむと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安定になる。さらに症状が進むと、周囲に溶けこめず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり、反対に攻撃的、暴力的になったり(マイナス型)、突発的に興奮して暴れたりすることもある(プラス型)。表情にだまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらでもいる。このタイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と言っただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。

●原因は、家庭に……

 子どもの情緒が不安定になると、たいていの親は原因さがしを、外の世界に求める。しかしまず反省すべきは、家庭である。強度の過干渉(子どもにガミガミと押しつける)、過関心(子どもの側からみて神経質で、気が抜けない環境)、家庭不和(不安定な家庭環境、愛情不足、家庭崩壊、暴力、虐待)、威圧的な家庭環境など。子どもが小学生になったら、家庭は、「心を休める場。疲れた心をいやす、いこいの場」でなければならない。アメリカの随筆家のソローも、「ビロードのクッションの上より、カボチャの頭」と書いている。人というのは、高価なビロードのクッションの上にすわるよりも、カボチャの頭の上にすわったほうが気が休まるという意味だが、多くの母親にはそれがわからない。わからないまま、家庭を「しつけの場」と位置づける。たった一度のはげしいしつけが、子どもの心をゆがめてしまうこともある。ある女の子(三歳児)は、母親にはげしく叱られたのが原因で、その日から一人二役のひとり言を言うようになってしまった。

●子どもの情緒を安定させるために

 子どもの情緒が不安定になったら、スキンシップをより濃厚にし、温かい語りかけを大切にする。叱ったり、冷たく突き放すのは、かえって情緒を不安定にする。一番よい方法は、子ども自身が誰にも干渉されないような時間と場所をもつこと。親があれこれ気をつかうこと(過関心)は、かえって逆効果になる。そしてカルシウムやマグネシウム分の多い食生活に心がける。特にカルシウムは天然の精神安定剤と呼ばれている。戦前までは、「安定剤」の薬として使われていた。錠剤で与えるという方法もあるが、牛乳や煮干など、食品として与えるほうがよいことは言うまでもない。なお情緒というのは、一度不安定になると、数か月から数年単位で症状が推移する。親があせって何とかしようと思えば思うほど、逆効果で、一度キズついた心は、そんなに簡単にはなおらない。つまりそういう前提で、「それ以上症状を悪化させないことだけ」を考えて、あとは子どものリズムに合わせる。

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子どもがウソをつくとき

●ウソにもいろいろ

 ウソをウソとして自覚しながら言うウソ(虚言)と、あたかも空想の世界にいるかのようにしてつくウソ(空想的虚言)は、区別して考える。
 虚言というのは、自己防衛(言い逃れ、言いわけ)、あるいは自己正当化(誇示、吹聴、自慢など)のためにつくウソをいう。子ども自身がウソをついている自覚がある。母「だれ、ここにあったお菓子を食べたのは?」子「ぼくじゃないよ」母「手を見せないさい」子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから……」と。
 同じようなウソだが、子どもは、思いこみの強い子どもは、思いこみによりウソをつくことがある。「昨日、幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というウソがそれにあたる。その思いこみが激しく、現実と空想の世界がわからなくなってしまったのを、空想的虚言という。こんなことがあった。

●空想の世界に生きる子ども

 ある日突然、一人の母親から電話がかかってきた。そしてこう言った。「うちの子(小一男児)が手に大きなアザをつくってきました。子どもに話を聞くと、先生につねられたと言うではありませんか。どうしてそういうことをするのですか。先生は体罰反対ではなかったのですか!」と。ものすごい剣幕だった。が、私には思い当たることがない。そこで「知りません」と言うと、その母親は、「どうしてそういうウソを言うのですか。相手が子どもだと思って、いいかげんなことを言ってもらっては困ります!」と。
 その翌日その子どもと会ったので、それとなく子どもに話を聞くと、「帰りのバスの中で、A君につねられた」と。その状況を聞くと。聞きもしないのに、ことこまかに、つまりシャーシャーと話をつなげた。が、そのあとA君に聞くと、A君も「知らない」と。結局その子どもは、強圧的な母親の注意をそらすために、自分でわざとアザをつくったらしい……? ほかに私の印象に残っているケースで、「私はイタリアの女王様」と言い張っていた女の子(年長女児・オーストラリア)がいた。

●空中の楼閣に住まわすな

 イギリスの格言に、「子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせてはならない」というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世界にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、現実と空想の間に垣根がなくなってしまい、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界に限りないリアリティをもとこんだりする。そして一度虚構の世界をつくりあげると、それがあたかも現実であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソをつく。ウソをウソと自覚しないのが、その特徴である。

●ウソは、静かに問いつめる

 子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」を繰り返しながら、最後は、「もうウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、威圧や暴力を加えれば加えるほど、子どもはウソがうまくなる。
 問題は空想的虚言だが、このタイプの子どもは、親の前や外の世界では、柔和な笑みを浮かべ、むしろ「できのいい子」という印象を与えることが多い。子どもらしいハツラツとした表情が消え、教える側から見ると、心のどこかに膜がかかっているようになる。いわゆる「何を考えているかわからない子ども」となる。
 こうした空想的虚言を子どもの中に感じたら、子どもの心を開放させることを第一に考える。兄弟で同じような症状を見せるケースも多いので、遺伝的な要素もあるかもしれない。しかし原因の第一は、強圧的な家庭環境にあると考えて、親子関係のあり方そのものを反省する。特にこのタイプの子どもの場合、親が強圧的であればあるほど、空想的虚言の世界に、子どもを追い込んでしまうことになるから注意する。

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ほかにも数作、まとめてみました。
もしよろしかったら、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
(メニュー)→(子どもの指導法)→(子育て論文集)をご覧ください。
よろしくお願いします。
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現在、中日新聞のHPには、「三男からのハガキ」が掲載されています。
http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
で、ご覧いただけます。

この中で私は、『子どもの巣立ち』に対する親の切なさを
織り込みました。実際には、女房とこんな会話をしました。

私「あのな、やはりぼくは、あのとき、Eを背負ってでも
登頂すべきだった……」
女「だってあれは……。確か、E君が、足が痛いと言った
からよ」
私「……Eが痛いと言ったのか?」
女「そうよ。確か、あのとき、E君が、足が痛いから歩けない
と泣いたのよ」
私「痛いと言って泣いたのか?」
女「そうだったわ。それで私も一緒に、山小屋に残ることに
なったのよ。痛いから歩けないと泣いたから……」
私「ぼくが一方的に、残れと言ったのではなかたんだね」
女「そういうことではなかったと思うわ……。あなたは
あなたなりに、E君に、『どうするんだ?』と確かめて
いたように思うわ」
私「そうだったのか。ぼくもそのあたりはよく覚えていない」
女「もう、13年も前のことだからね。だけどE君は、ああいう
負けず嫌いの性格だから、きっと悔しかったのでしょうね」と。

そういういきさつから、あの原稿を書きました。お楽しみください。

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では、また次号もよろしくお願いします。
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先週(9月8日)は、中日新聞紙上で、「子育てにもリズムが」を
発表しました。「子育てリズム論」(原題)は、私の持論の一つです。

それをまず紹介します。
(イラスト付のは、
http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
で、ご覧ください。)

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子育てリズム論

●子どもの心を大切に●子どものうしろを歩こう

 子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍子で、子どもが三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、それは騒音でしかない。そこでテスト。

 あなたが子どもと通りをあるいている姿を、思い浮かべてみてほしい。そのとき、①あなたが、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。しかし②子どもの前に立って、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているようであれば、要注意。今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶…ということにもなりかねない。このタイプの親ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪語する。へたに子どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。そしておけいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、親が勝手に決める。子どもは子どもで、親の前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、できのよい子」と錯覚する。が、仮面は仮面。長くは続かない。

 ところでアメリカでは、親子の間でも、こんな会話をする。父「お前は、パパに何をしてほしいのか」、子「パパは、ぼくに何をしてほしいのか」と。この段階で、互いにあいまいなことを言うのを許されない。それだけに、実際そのように聞かれると、聞かれたほうは、ハッとする。緊張する。それはあるが、しかし日本人よりは、ずっと相手の気持ちを確かめながら行動している。

 このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続くということ。その途中で変わるということは、まず、ない。ある女性(三二歳)は、こう言った。「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。別の男性(四〇歳)も、父親と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。どこかでそのリズムを変えなければならないが、リズムは、その人の人生観と深くからんでいるため、変えるのは容易ではない。しかし変えるなら、早いほうがよい。早ければ早いほどよい。もしあなたが子どもの手を引きながら、子どもの前を歩いているようなら、今日からでも、子どもの歩調に合わせて、うしろを歩く。たったそれだけのことだが、あなたは子育てのリズムを変えることができる。いつかやがて、すばらしい親子関係を築くことができる。

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ここで大切なことは、子どもは親のリズムに合わせることはできません。
親が子どもに合わせるしかないということです。

また一度、このリズムはできると、ほぼ一生続くということ。そして場合に
よっては、親子の間の不協和音となり、亀裂→断絶へと進むということ。
どうかご注意ください。

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件名:子育て情報(はやし浩司)10-21

 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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    子育て最前線の育児論
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01-10-21号(12)
★★★★★★★★
 by はやし浩司(ひろし)
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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しばらくアメリカへ行っていたり、講演会の季節で、ごぶさたしました。
第12号をお届けします。よろしかったら、お読みください。
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ウィルス「NIMDA」対策について。
私のホームページ(サイト)は、……
(1)MS社よりSP2の提供を受け、ウィリスの侵入を無効にしてあります。
(2)「SYMANTEC」社の「NORTON、アンチウィルス」のソフトを使って、
随時、検疫しています。最新情報は、そのつど、UPDATEしています。
(3)HP更新用のパソコンは、ほかのパソコンとは独立させ、別のパソコンを
使っています。
従って、どうか安心して、小生のサイトをお楽しみください。
詳しくは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の「トップページ」より、「ウィルス対策」をご覧ください。
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「はやし浩司のホームページ」がますます充実しました。

(1)Q&Aコーナーに、皆さんからのご質問と、アンサーを載せておきました。
  このマガジンをご購読してくださっている方で、何かご心配なことがあれば
  ご質問をお寄せください。できるだけ早く、お答えするようにしています。
  (マガジン読者と書いてくだされば、優先的に、返事を書かせてもらいます。)

(2)雑誌「ファミリス」には、「子どもが非行に走るとき」(10月号、②回目)を
   載せてもらいました。
  子どもの非行は、いかにその前兆期に症状の悪化をくいとめるかで、決まります。
  ここに添付しておきますので、どうかお読みください。

(3)息子が国際結婚したこともあり、ホームページのほうでは英語版を充実させました。
  何ともヘタクソな英語ですが、一応、実力で書いています。お笑いください。


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子どもが非行に走るとき

●こぼれた水は戻らない
 子どもは、なだらかな坂をのぼるように成長するのではない。ちょうど階段をトントンとのぼるように成長する。子どもが悪くなるときも、そうだ。(悪くなる)→(何とかしようと親があせる)→(さらに悪くなる)の悪循環の中で、子どもは、トントンと悪くなる。その一つが、非行。暴力、暴行、窃盗、万引き、性行為、飲酒、喫煙、集団非行、夜遊び、外泊、家出など。最初は、遠慮がちに、しかも隠れて悪いことしていた子どもでも、(叱られる)→(居直る)→(さらに叱られる)の悪循環を繰り返すうちに、ますます非行に走るようになる。この段階で親がすべきことは、「それ以上、症状を悪化させないこと」だが、親にはそれが理解できない「なおそう」とか、「元に戻そう」とする。しかし一度、盆からこぼれた水は、簡単には戻らない。が、親は、無理に無理を重ねる……。

●独特の症状
 子どもが非行に走るようになると、独特の症状を見せるようになる。脳の機能そのものが、変調すると考えるとわかりやすい。「心の病気」ととらえる人もいる。実際アメリカでは、非行少年に対して薬物療法をしているところもある。それはともかくも、その特徴としては、①拒否的態度(「ジュースを飲むか?」と声をかけても、即座に、「ウッセー」と拒否する。意識的に拒否するというよりは、条件反射的に拒否する)、②破滅的態度(ものの考え方が、投げやりになり、他人に対するやさしさや思いやりが消える。無感動、無関心になる。他人への迷惑に無頓着になる。バイクの騒音を注意しても、それが理解できない)、③自閉的態度(自分のカラに閉じこもり、独自の価値観を先鋭化する。「死」「命」「悪霊」などという言葉に鋭い反応を示すようになる。「家族が迷惑すれば、結局はあなたも損なのだ」と話しても、このタイプの子どもにはそれが理解できない。親のサイフからお金を抜き取って、それを使い込むなど)、④野獣的態度(行動が動物的になり、動作も、目つきが鋭くなり、肩をいからせて歩くようになる。考え方も、直感的、直情的になり、「文句のあるヤツは、ぶっ殺せ」式の、短絡したものの考え方をするようになる)などがある。

 こうした症状が見られたら、できるだけ初期の段階で、親は家庭のあり方を猛省しなければならない。しかしこれがむずかしい。このタイプの親に限って、その自覚がないばかりか、さらに強制的に子どもをなおそうとする。はげしく叱ったり、暴力を加えたりする。これがますます子どもの非行を悪化させる。こじらせる。

●最後の「糸」を切らない
 家族でも先生でも、誰かと一本の「糸」で結ばれている子どもは、非行に走る一歩手前で、自分をコントロールすることができる。が、その糸が切れたとき、あるいは子どもが「切れた(捨てられた)」と感じたとき、子どもの非行は一挙に加速する。だから子どもの心がゆがみ始めたら(そう感じたら)、なおさら、その糸を大切にする。「どんなことがあっても、私はあなたを愛していますからね」という姿勢を、徹底的に貫く。子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のよい面を見せようとする。そういう性質をうまく使って、子どもを非行から立ちなおらせる。そのためにも最後の「糸」は切ってはいけない。切れば切ったで、ちょうど糸の切れた凧ように、子どもは行き場をなくしてしまう。そしてここが重要だが、このタイプの子どもは、「なおそう」とは思わないこと。現在の症状を今より悪化させないことだけを考えて、時間をかけて様子をみる。一般に、この非行も含めて、「心の問題」は、一年単位(一年でも短いほうだが……)で、その推移を見守る。こじらせればこじらせるほど、その分、子どもの立ちなおりは遅れる。

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高校の同窓会の案内をもらいました。しかし私はそれを見て、ハタと考え込んでしまいました。
皆さんは、ご自身の高校時代をどのように思い出されますか? 私にとっては、高校時代は
まさに「悪夢」。本当に不幸な高校時代でした。そんな思いを、書いてみました。

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私の高校時代

●いやな男

 私にとって、高校時代は何だったのか? ……同窓会のハガキを手にして、私はハタと考え込んでしまった。忘れていた悪夢の再来? 人それぞれだが、私にとっては、まさに悪夢としか言いようがない。
 懐かしい? ……とんでもない! 私はあの時代を思い出すのもいやだ。学校へは毎日、重い足をひきずりながら通った。私を知る人は、「林さんは、明るくて面白い人だった」と言う。中学時代の友人はそう言う。大学時代の友人もそう言う。しかし高校時代の友人(友人と言える人は一人もいないが……)は、恐らく、そうは言っていない。それが私にはよくわかる。
 理由は、いくつかある。あるがそれはさておき、私は同窓会に出るたびに、はげしく後悔する。前回のときは、「二度とこんな会に出るか!」と思った。いつも一人、私を揶揄(やゆ)する男がいる。今度もそいつは顔を出すだろうが、こう言った。「林君、君だけは出世すると思ったよ」と。その前のときはこう言った。「君だけは、肩で風を切って同窓会に来ると思ったよ」と。どんなうらみがあるのか知らないが、そういう失敬なことをズケズケという。そうそう三〇歳のときは、こう言った。「林君、君は行方不明だったんだってな」と。あとで話を聞くと、何度同窓会の知らせを出しても、「あて先不明」で返送されてしまったという。それもそのはずだ。もともとの住所の番号が違う。私の住所は、五桁だが、四桁しかない。私が住んでいる「I町」だけでも、人口は六万人。郷里の美濃市の二倍はあるのだ! 番号が違ったら、手紙など届くはずもない。また「はやし・ひろし」という名前ほど、ありふれた名前もない。最近その人は亡くなったが、少し前まで、この「浜松市I町」には、同姓同名の人が一人いた。浜松市内には、「はやしひろし」という人は、五~六名もいる。住所を勝手にまちがえておきながら、「行方不明」とは!
 しかしその男には、よほどうれしかったのだろう。私が行方不明であることが。会うと、「君は行方不明だった」「行方不明だった」と笑った。皆が皆、そうではないが、「私」という存在は、そういう存在だったらしい。それには、一つの理由がある。

●不本意な進学 

 私は田舎のM高校に通っていた。中学時代は、私はガリ勉で、中学三年生のときは、五七〇名中、二番になったことは一度もない。私の得点は五五〇点満点中、いつも五二〇~五四〇点はあった。二番とはいつも四〇~五〇点の差はあった。通知表も、体育の実技が九だった以外は、オール一〇だった。(当時は一〇は、学年でそれぞれの科目につき二人しかつかなかった。)こんなところでウソを書いてもしかたないので、事実を書く。これはウソでも何でもない。私は当然、岐阜市の進学高校をめざしていた。が、私の家は、それだけの財力がなかった。で、私は不本意なまま、地元の高校へ入った。しかしこれが悲劇の始まりだった。

●競争をけしかける担任

 高校の担任は、Tという教師だった。三〇歳になったばかりの、バリバリの熱血教師。熱血といっても、自分の名誉と出世(?)を最優先に考える教師だった。いつも生徒同士を競わせ、「お前は勝った」「お前は負けた」と、私たちに競争をけしかけた。そういう点で、私はいつも皆のターゲットにされた。「林に追いつけ」「林を抜かせ」と。
 当時は、毎回の定期テストごとにその結果が、廊下に張り出されていた。順位と得点を、である。最初のころこそ、私は自分の右に出るものがいないことを喜んだ。また私とT教師との間は、良好な人間関係を保っていた。が、そのうち私は、勉強する意欲を急速になくしてしまった。一年の夏休みになるころには、転校まで考え、それを担任に相談した。が、そんな相談に担任がのってくれるはずがない。私と担任の関係は急速に悪化した。

●T教師

 ……こういう状態がその後、二年以上も続いたのだから、たまらない。私が忍耐強かったのか、それとも従順だったかは知らないが、ともかくも、当時はそういう時代だった。高校二年のとき、Aさんという女の子に恋をして、何度かデートをしたことがある。それがほかの生徒に見つかり、担任に密告された。担任のT教師は私を、彼の研究室へ呼びつけ、「受験生が何をしているか!」と怒鳴り散らした。しかしすでに当時、私は担任が、私のことを心配してそう怒鳴ったのではなく、自分の名聞名利のためにそう怒鳴ったのを見ぬいていた。私を「何だ、こんな成績で!」と叱る一方、ほかの生徒には、「今がチャンスだ。林を抜かせ!」とハッパをかけていた。それを私は知っている。T教師という教師はそういう教師だったし、私の生涯において、T教師が三年間も私の担任だったということは、不幸なことだった。私には、彼に対抗するだけの経験も知恵もなかった。私は美濃町という小さな町から出たことすらなかった。世間知らずというより、純朴なままだった。

●皆が犠牲者

 こういう環境で、友人たちと良好な人間関係などできるはずもない。私はいつもスミに追いやられ、またスミに行くことで私はやっとのことで、自分の世界をつくることができた。そういう私を皆は、どう見ていたのか。それが同窓会で、いつも皮肉を言う男の言葉の中に読み取ることができる。彼らとて、私を揶揄(やゆ)しながら、結局は、T教師の犠牲者に過ぎないのだ。

●変えられた進路

 が、何といっても最大の悲劇は、強引とも言える方法で、自分の進路を担任に変えられてしまったことだ。私は工学部をめざしていた。建築家になりたかった。それがだめなら大工でもよいと考えていた。が、高校三年になるとき、担任がこう言った。「君は京都大学の工学部は無理だが、文学部なら入れる」と。すでにそのころ私の成績は急降下しはじめていた。当時は、今もそうだが、理科系の大学をねらうか、文科系の大学をねらうかで、受講する科目そのものがまったく違っていた。クラスも二つに分けられた。一度文科系を選んだら最後、それは同時に理科系のコースからの離脱を意味した。(理科系のコースを選んだ学生が、文科系を受験することはできても、その逆はできなかった。)私は京都大学にこだわっていたわけではないが、そのときは担任の指示に従った。担任といえども、まさに「暴君」。実際、T教師は肝っ玉の小さい、はげしい性格の男だった。彼の意向に反したら、高校生活そのものが送れなかった。

●私が文学部?

 私の高校生活はいやが上にも、暗くてゆううつなものになった。文学部といっても、私には文学ほど嫌いな科目はなかった。ただ幸か不幸か、英語だけはばつぐんに成績がよかった。高校二年のときには、同じ全国模試を受けても、高校三年生より上位の成績をとっていた。それに古文の成績もよかった。それで「文学部に」ということになった。それはわかるが、しかしそれでも私には文学部は肌に合わなかった。

●反乱

 反乱は、いよいよ大学入試というときに起こした。私は立命館大学の法学部に合格していたが、もう一つ別の大学を受けたいと担任に申し出た。国立は、京都大学文学部を受験することになっていた。当時は国立一期校と二期校に分かれ、国立大学は二度、受験のチャンスがあった。京都大学のほうへは、担任が勝手に願書を出していた。私はもう一通の成績証明書などを受け取ると、それを金沢大学の方へ出した。金沢大学では法文学部法学科を志望先にした。このことは担任には話さなかった。文学というのはどうにもこうにも肌に合わなかったし、それに成績はまださがり続けていた。私自身は京都大学の文学部にはとても合格できないと思いはじめていた。そこでどこかの大学の「法学部」ということにしたが、京都大学の法学部はさらに難しかった。私は金沢大学なら受かると思った。確信はなかったが、「より安全な道」ということで、そうした。
 受験のためY君という友人と列車に乗った。Y君は金沢大学の理学部を受験する予定だった。私はそのときまで、京都大学の文学部を受験することになっていた。が、米原まで来たところで、私ははじめてY君にぼくも金沢大学を受験することを打ち明けた。米原で、京都へ行く列車と、金沢へ行く列車が分かれた。Y君は、この話に驚いた。が、私はすぐさまそのことを、担任には黙っていてほしいと頼んだ。Y君は穏やかな、やさしい男だった。Y君は承諾してくれた。

●貧弱な高校時代 

 こう書くと、私の高校時代には楽しい思い出が何もなかったことになる。しかしそれは正しくない。冷静に思えば、結構それなりに楽しさもあったのかもしれない。しかしそれに続く大学生活。さらにそれに続く留学生活が、格段に楽しかったこともあり、正直言って、高校生活など霧のかなたへ吹っ飛んでしまった。大学生のころは、毎月毎月が、高校時代の一年分の思い出に匹敵したし、さらに留学時代は一日一日が、それまでの大学時代の一年分に相当した。高校時代を思い出すとしても、怒涛のように押し寄せる留学時代の思い出の前では、あまりにも貧弱でしかない。が、それでも思い出すとしたら、修学旅行であり、コーラス部であり、運動会だ。N君と真夜中に高校へ忍び込み、運動場で寝ていたこともある。二人でプールで泳いだこともある。あとは先にも書いた、Aさんとのデート。……が、その程度でしかない。いやいや、こうして何か思い出を、と思ってさがさなければならないほど、私の高校時代はつまらないものだったし、それ以上に強いエネルギーでいやな思い出が私を襲ってくる。私は、クラスでものけ者だった。露骨に私を仲間ハズレにする連中もいた。恐らく私をのけ者にした連中には、私をのけ者にしたという意識すらないだろう。私は、変な言いかただが、きわめて自然な形で、日常的にのけ者にされていた。これは何年かたってからのことだが、その中の一人に、それとなく当時の気持ちをさぐってみたことがある。しかし私は彼にはその意識がまったくなかったことを知って、驚いた。しかし私の思い過ごしということでもない。これは加害者と被害者の意識の違いではないか。加害者というのは、いつの時代でも、自分のした行為をすぐ忘れてしまう。一方、被害者はそれを忘れない……。

●金沢大学に合格 

 私は当然のことながら、京都大学の受験には失敗した。受験していないのだから、これは当然のことだ。新聞に私の名前がないことを知り、当日の朝、担任から「残念だったな」という電話をもらったのを覚えている。しかしその二日後。今度は私の名前が、金沢大学の合格者のほうで載っていた。このあとのことは知らないが、担任が激怒したことは、容易に察することができる。それ以後、担任のT教師は、私とはまったく口をきかなかったし、それから一〇年あまり、私は年賀状を出し続けたが、返事は一度とてもらえなかった。
 こうして私の高校時代は終わる。と、同時に私はあの重苦しい時代から解放された。もし神様か何かがいて、私をもう一度、青春時代に戻してやると言っても、私は即座にそれを断わる。あの時代は私にとって、まさに地獄の時代だった。今でも、あのM高校の前を通っただけで、何とも言いようのないゆううつ感を覚える。そういう高校の同窓会である。友というより、同窓生には、何の責任も問題もない。いや、ひょっとしたら、彼らとて、あの暗い高校時代の犠牲者かもしれない。本当のところは、私には知る由もないが、しかしその可能性はある。ああいった高校時代が楽しかったというのは、よほどの人だと思う。いやいや、こんなことがあった。私のそうした心情を、それから二〇年近くもたってから、Y君という同窓生に打ち明けたことがある。そしたらY君はこう言った。「林、お前だけは、T教師にかわいがられ、T教師とうまくいっていたと思っていたけどな」と。私という人間は、どこまでも誤解されやすい人間らしい。

●されど同窓会

 私は「欠席」に丸をつけて、ハガキを返した。女房も、「出て不愉快になるくらいなら、行かないほうがいいわ」と言った。こういうとき、判断はたいてい女房に任せる。私はずいぶんと優柔不断なところがあって、「出ろ」というなら、出てしまう。が、やはり心に決めた。私は死ぬまで、二度と高校時代の同窓会には出ない……だろう。多分。出ないと決めたから、このように私の高校時代を正直に書いた。私には、もう無駄にできる時間など、一秒もない。願わくば、今後は私には同窓会の案内書など無用。高校の同窓会のことで、心をわずらわすのは、これで最後にしたい。同窓会の世話役を引き受け、苦労している人には申し訳ないと思う。思うが、あの時代は私にとっては、苦痛でしかない。どうかそれをわかってほしい。さようなら。  


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以下、前号の一部です。
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ある雑誌の投書コーナーに次のような意見が載っていました。

「思春期の子どもを二人かかえ、苦戦しながら
毎日を精一杯、生きています。幼児期から、生き物を
愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、
犬、モルモット、カメ、ザリガニ、魚類を飼育してきました。
庭に果樹や野菜、花をたくさん植えて、自然を愛すること、
収穫の喜びも伝えてきました。毎日必ず机に向かい、
読み書きすることも見せてきました。リサイクルして、手つくり品
や、料理もまめに作って、食事も室内も飾ってきました。
なのに、どうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を
使うことをめんどうくさがり、努力もせず、マイペースの
生活なのでしょう。旅行好き(好奇心とロマンを追って)の
母親(私)が、幼いころから社会見聞にと、国内外をこまめに
連れ歩いても、当の子どもたちは、地理が苦手。息子は出不精。
娘は繁華街通いをして、いまどきの流行を追っかけ、
浪費ばかり。二人とも自然には興味なし。おまけに、しつけには
きびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなる一方。
私の子育ては何だったの?
私はどうしたらいいの?
最近はコミュニケーションもなかなかとれない状態です。
どう接したらいいのでしょうか?」(50歳・神奈川県)
(雑誌M,10月号)

このお母さんは、たった一つのことに気づいていない。
それは、親として自分勝手な子育てをしただけ……!
ひとりよがりな「善」を子どもに押しつけただけ……!
子どものリズムで、歩いていない。子どもの心を
確かめながら歩いていない。それだけのこと。
しかし悲痛な叫び声! 「私の子育て何だったの!」と。

親は子どもの前を歩く。子どものガイドとして。
親は子どものうしろを歩く。子どもの保護者として。
親は子どもの横を歩く。子どもの友として。

最後の「友として」という部分が子育ての中で欠落していたのでは
ないでしょうか。皆さんは、この投書をどう思いますか?

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私のサイトで、「小論文コーナー」を充実させました。
少し難しいかもしれませんが、やや専門的な立場から
子どもがもつ問題を考えてみました。
たとえば……
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子どもの心が不安定になるとき

●情緒が不安定な子ども

 子どもの成長は、次の四つをみる。①精神の完成度、②情緒の安定度、③知育の発達度、それに④運動能力。このうち情緒の安定度は、子どもが肉体的に疲れていると思われるときをみて、判断する。運動会や遠足のあと、など。そういうときでも、ぐずり、ふさぎこみ、不機嫌、無口(以上、マイナス型)、あるいは、暴言、暴力、イライラ、激怒(以上、プラス型)がなければ、情緒が安定した子どもとみる。子どもは、肉体的に疲れたときは、「疲れた」とは言わない。「眠い」と言う。子どもが「疲れた」というときは、神経的な疲れを疑う。子どもはこの神経的な疲れにたいへん弱い。それこそ日中、五~一〇分、神経をつかっただけで、ヘトヘトに疲れてしまう。

●情緒不安とは……?

 外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という。二~四歳の第一反抗期、思春期の第二反抗期に、特に子どもは動揺しやすくなる。
 その情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許さない。気を抜かない。周囲に気をつかう。他人の目を気にする。いい子ぶるなど。その緊張状態の中に、不安が入りこむと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安定になる。さらに症状が進むと、周囲に溶けこめず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり、反対に攻撃的、暴力的になったり(マイナス型)、突発的に興奮して暴れたりすることもある(プラス型)。表情にだまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらでもいる。このタイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と言っただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。

●原因は、家庭に……

 子どもの情緒が不安定になると、たいていの親は原因さがしを、外の世界に求める。しかしまず反省すべきは、家庭である。強度の過干渉(子どもにガミガミと押しつける)、過関心(子どもの側からみて神経質で、気が抜けない環境)、家庭不和(不安定な家庭環境、愛情不足、家庭崩壊、暴力、虐待)、威圧的な家庭環境など。子どもが小学生になったら、家庭は、「心を休める場。疲れた心をいやす、いこいの場」でなければならない。アメリカの随筆家のソローも、「ビロードのクッションの上より、カボチャの頭」と書いている。人というのは、高価なビロードのクッションの上にすわるよりも、カボチャの頭の上にすわったほうが気が休まるという意味だが、多くの母親にはそれがわからない。わからないまま、家庭を「しつけの場」と位置づける。たった一度のはげしいしつけが、子どもの心をゆがめてしまうこともある。ある女の子(三歳児)は、母親にはげしく叱られたのが原因で、その日から一人二役のひとり言を言うようになってしまった。

●子どもの情緒を安定させるために

 子どもの情緒が不安定になったら、スキンシップをより濃厚にし、温かい語りかけを大切にする。叱ったり、冷たく突き放すのは、かえって情緒を不安定にする。一番よい方法は、子ども自身が誰にも干渉されないような時間と場所をもつこと。親があれこれ気をつかうこと(過関心)は、かえって逆効果になる。そしてカルシウムやマグネシウム分の多い食生活に心がける。特にカルシウムは天然の精神安定剤と呼ばれている。戦前までは、「安定剤」の薬として使われていた。錠剤で与えるという方法もあるが、牛乳や煮干など、食品として与えるほうがよいことは言うまでもない。なお情緒というのは、一度不安定になると、数か月から数年単位で症状が推移する。親があせって何とかしようと思えば思うほど、逆効果で、一度キズついた心は、そんなに簡単にはなおらない。つまりそういう前提で、「それ以上症状を悪化させないことだけ」を考えて、あとは子どものリズムに合わせる。