Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, May 02, 2011

●Eマガ創刊のころ(7)

件名:子育て情報(はやし浩司)9-15

 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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    子育て最前線の育児論
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★★★★★★★★
01-9-15号(10)
★★★★★★★★
 by はやし浩司(ひろし)
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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このところ涼しいですね。
10号をお届けします。
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先週(9月8日)は、中日新聞紙上で、「子育てにもリズムが」を
発表しました。「子育てリズム論」(原題)は、私の持論の一つです。

それをまず紹介します。
(イラスト付のは、
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
で、ご覧ください。)

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子育てリズム論

●子どもの心を大切に●子どものうしろを歩こう

 子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍子で、子どもが三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、それは騒音でしかない。そこでテスト。

 あなたが子どもと通りをあるいている姿を、思い浮かべてみてほしい。そのとき、①あなたが、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。しかし②子どもの前に立って、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているようであれば、要注意。今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶…ということにもなりかねない。このタイプの親ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪語する。へたに子どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。そしておけいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、親が勝手に決める。子どもは子どもで、親の前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、できのよい子」と錯覚する。が、仮面は仮面。長くは続かない。

 ところでアメリカでは、親子の間でも、こんな会話をする。父「お前は、パパに何をしてほしいのか」、子「パパは、ぼくに何をしてほしいのか」と。この段階で、互いにあいまいなことを言うのを許されない。それだけに、実際そのように聞かれると、聞かれたほうは、ハッとする。緊張する。それはあるが、しかし日本人よりは、ずっと相手の気持ちを確かめながら行動している。

 このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続くということ。その途中で変わるということは、まず、ない。ある女性(三二歳)は、こう言った。「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。別の男性(四〇歳)も、父親と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。どこかでそのリズムを変えなければならないが、リズムは、その人の人生観と深くからんでいるため、変えるのは容易ではない。しかし変えるなら、早いほうがよい。早ければ早いほどよい。もしあなたが子どもの手を引きながら、子どもの前を歩いているようなら、今日からでも、子どもの歩調に合わせて、うしろを歩く。たったそれだけのことだが、あなたは子育てのリズムを変えることができる。いつかやがて、すばらしい親子関係を築くことができる。

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ここで大切なことは、子どもは親のリズムに合わせることはできません。
親が子どもに合わせるしかないということです。

また一度、このリズムはできると、ほぼ一生続くということ。そして場合に
よっては、親子の間の不協和音となり、亀裂→断絶へと進むということ。
どうかご注意ください。

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(裏話)

 原題は「子育てリズム論」でしたが、新聞社のほうで勝手に、「子育てにもリズムが」と
してしまいました。新聞社というところは、まさに男性社会なんですね。ほとんどの記事が
「男の視点」でつくられています。題が、「子育てにもリズムが」という発想は、
まさに男性の発想なんですね。つまり「へえ、子育てにもリズムがあるの? 知らなかった……」という発想なんです。母親なら、「子育てにもリズムがあります」と言うと、
「そうだ」ということになるのですが……。
題が変えられたことで、かえってよい勉強になりました。

 ただ一言。新聞離れがどんどん進んでいる背景には、新聞が女性の視点で
つくられていないということがあります。読者の50%以上は、女性だということを
どこの新聞社もわかっていないようです。釣りやサッカーや、競馬や競輪。さらには
プロ野球のニュースばかりですから。私はほとんど女性相手の仕事をしていますから、
そういうことがよくわかります。子育ての記事が、ほとんどないというのは、
実のところ、おかしなことなんですね。(教育というと、学校関係の記事というのも、
やはり男の発想なんです。ハイ)

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子育てのリズムが合っていますか?

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子育て診断テスト(少し長文ですが、紹介します。)


あなたの子育て診断テスト            
                 教育評論   はやし浩司(ひろし)

Q項目を読んで、続いて本文を読む前に、少し頭のなかで、「私はどうかな?」「うちの子はどうかな?」と、自問してみてください。そしてある程度、答が出たら、本文を読んでみてください。 


Q 子どものリズムで歩いていますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 子どもと二人で歩いているところを、頭の中で想像してみてください。そのとき、あなたが子どもの横にいるか、子どものうしろにいて、子どもの背中を見ながら歩いていれば、それでよし。もしあなたが子どもの手を引きながら、子どもの前を歩いているようなら、要注意。あなたは子どものリズムで子育てをしていないことになります。このリズムの乱れは、今は小さなものですが、一事が万事。あらゆる面で、あなたの子育てに影響してきます。へたをすれば、やがて、親子の間に亀裂……そして断絶ということにもなりかねません。子育てじょうずなママは、子どもの心をつかむのがじょうず。子どものリズムで歩くことができるママをいいます。

Q 園や学校から、明るい表情で帰ってきますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 不登校ばかりが問題になりますが、同じように深刻なのが、帰宅拒否。ある男の子(年長児)は、帰りの時刻になるたびに、どこかへ隠れてしまいます。そこで先生たちがさがすのですが、おかげでいつもバスの発車時刻が遅れてしまいます。「どうしてでしょう」とお母さんから相談がありましたが、様子から私は「帰宅拒否」と判断しました。「家へ帰りたくない」という思いが、回りまわって、子どもにそういう行動をさせるのですね。もしあなたのお子さんが、「いつも寄り道をする」「帰りの時刻が遅い」ということであれば、この帰宅拒否を疑ってみてください。

Q おうちの方のいる前で、体や心を休めますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 あなたのお子さんが、園や学校から帰ってきたとき、どこで体や心を休めるか、観察してみてください。あなたのいる前で、休めるようであればよし。しかし好んであなたのいないところや、あるいはあなたの姿が見えると、逃げていくようであれば、要注意。あなたとお子さんの間には、すでに小さな亀裂ができ始めているとみます。やがてそれが大きくなり、「断絶!」ということにもなりかねません。そうならないためにも、子育ての仕方そのものを反省してください。子どもにとっては、家庭はやすらぎの場所。あれこれとこまかいことを言えば、あなたがいるところでは休めなくなりますね。

Q いやなことがあると、どこへ逃げて行きますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 どんな動物にも最後の逃げ場というものがあります。その逃げ場は、神聖な場所と心得て、子どもがその逃げ場に入ったら、そこを踏み荒らすようなことはしてはいけません。子どもはその逃げ場で、反省したり、心を調整したりします。子どもがそこから出てくるまで、静かに待ちます。ふつう子どもの逃げ場は、自分の部屋などですが、そこを荒らすと、別の場所に逃げ場を求めるようになります。トイレの中や、押し入れの中など。近所の公園の電話ボックスの中に逃げた子ども(小二男児)や、犬小屋に逃げた子ども(小四女児)もいました。

Q おうちの方の絵を、楽しんで描きますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 紙と鉛筆(クーピーなど)を用意して、「皆で、食事をしているところを描いてね」と指示してみてください。そのとき子どもが、楽しそうな表情で絵を書き始めれば、それでよし。もしそのとたん、暗い表情になったり、拒否するようであれば、家庭のあり方をかなり反省しなければなりません。外からはわからなくても、お子さんの心の中に、大きなわだかまりができつつあるとみます。園児の場合、お父さんとお母さんの顔を描かせると、ふつうお母さんを先に、しかも大きく描く傾向があります。それだけお母さんのほうの印象が強いからです。

Q ハングリーな状態になっていますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 同じように、こんな指示をして絵を描かせてみてください。「不思議な木があります。あなたのほしいものが何でもできる不思議な木です。木を描いて、あなたのほしいものをいっぱい描いてね」と。そのとき次々といろいろなものを描ければよし。そうでなくて、「何もいらない」「ほしいものがない」というのであれば、かなりの飽食を疑ってみます。子どもを伸ばすコツは、いつもややハングリーな状態に置くことです。「あれをしたい」「これがほしい」という思いが、子どもを前向きに引っ張っていきます。与えすぎ、手のかけすぎは、禁物です。

Q 台所の生ゴミを、手で始末できますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 ドラ息子症候群の大きな特徴は、「いやなことはしない」です。そこでテスト。あなたの子どもに、「台所の生ゴミを始末して」と頼んでみてください。あるいはお風呂の排水口にたまった毛玉でもいいです。そのときしぶしぶでも、それができればよし。が、ああでもない、こうでもないと勝手な理由をつけてそれをしないというのであれば、かなりドラ息子、ドラ娘化が進行しているとみます。さらに進行すると、「自分でしたら」と、生意気なことを言うようになります。ドラ息子化を防ぐためには、家事をどんどん手伝わせること。子どもは、使えば使うほどよい子になります。

Q 重い荷物をもったあなたを、手伝いにきますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 子どもの前で重い荷物を、苦しそうに運んでみてください。そのとき子どものほうから、「もってあげる!」と言って、やってくればよし。そうでなく、知らぬふりをしたり、見て見ぬふりをしているようであれば、かなりのドラ息子、ドラ娘とみます。さらにドラ息子化が進むと、頼んでもいやな顔をするばかりで、手伝おうともしません。人は自分で苦労して、はじめて他人の苦労のわかる人になります。子どもも同じ。よく「子どもに楽をさせることが、子どもを愛することだ」と思っている人がいますが、これは誤解。苦労のわかる子どもにする……。それが子育ての基本一つです。

Q お小遣いは、一〇〇倍にしていますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 年長児から小学二年生ぐらいにかけて、子どもの金銭感覚は完成します。その金銭感覚は、おとなのそれとほぼ同じになるとみてようでしょう。それと同時に、子どもは、お金で自分の欲望を満足させる、そのさせ方まで覚えてしまいます。そこでコツ。子どもに買い与えるものは、約一〇〇倍して考えます。たとえば一〇〇円のものは、おとなの一万円。一〇〇〇円のものは、一〇万円と……。この時期に、一万円や二万円のものを、ホイホイと買い与えていると、やがてその子どもが高校生や大学生になったとき、一〇〇万円や二〇〇万円程度のものを買い与えないと満足しなくなります。

Q 子どもの名前を、大切にしていますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 子どもに「自分を大切にしようね」と言っても、あまり意味がありません。具体性がないからです。そういうときは、「名前を大切にしようね」と教えます。そして子どもの名前の出ているものは、新聞でも雑誌でも切り抜いて、高いところやアルバムに張ったりして、大切にします。そのとき、「いい名前だ」「すばらしい名前だ」と言うようにします。子どもは自分の名前を大切にすることで、自分を大切にすることを覚えます。自尊心もそこから生まれます。なお家庭や教育の現場で、子どもの名前をからかったり、茶化したりするのは、タブーです。

Q ペットなど、動物の死を大切にしていますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 命の大切さは、「死」を通して教えます。たとえばペットにせよ、どんな動物にせよ、それが死んだら、その死をていねいに弔(とむら)います。そこであなたのお子さんはどうでしょうか。ペットなどが死んだとき、それを心から悲しみますか。もしそうなら、それでよし。そういう気持ちが、命を大切にする気持ちにつながります。しかし反対に、生きものを平気で殺したり、もてあそんでいるようであれば、心のどこかにキズがないかを疑ってみてください。心にキズがある子どもは、たとえば昆虫の頭をもぎって遊ぶなど、ぞっとするようなことを平気でしたりします。

Q 園や学校の先生の話を、楽しそうにしますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 人間の心は、鏡のようなものですね。こちらが相手をよい人だと思っていると、相手もまたあなたのことをよい人だと思っているものです。お子さんと園や学校の先生との関係も、そうです。「今日、先生は、どんな話をしたかな?」と問いかけてみてください。あなたのお子さんが、先生の話を楽しそうにするなら、それでよし。しかし先生の話になると、突然顔を曇らせたり、不愉快な表情をするようであれば、要注意。先生の悪口を並べるときもそうです。子どもの前では、「あなたたちが悪いからでしょ」とたしなめながらも、一度、先生と話し合いの場をもってみてはどうでしょうか。

Q お子さんと、机の相性はあっていますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 相性の悪い机だと、それが長い時間をかけて、子どもを勉強嫌いにしてしまうこともあります。そこでこんなことを観察してみてください。あなたの子どもが学校から帰ってきたとき、どこで体を休めるか、をです。子どもは(おとなも)、無意識のうちにも、一番居心地のよいところで、体を休めます。そこを勉強部屋にすれば、勉強が好きになる……というわけです。あるいは反対に、子どもの机の上に、子どもの好きな食べ物を置いてみてください。そのとき子どもが机に座ってそれを食べればよし。別の場所にわざわざ移して食べるようであれば、その机は子どもとの相性がよくないとみます。

Q おとなになることを、楽しみにしていますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 「おとなになったら、何になるかな?」と、問いかけてみてください。そのとき、目を輝かせて、あれこれ夢や希望を話せばよし。そうでなく、顔を曇らせたり。「なりたいものがない」と言うようであれば、注意。「明日は今日より、よい世界になる」という、前向きな姿勢が子どもを伸ばします。子どもの未来を脅したり、不安にさせるようなことを言ったりするのは、タブー。今、小学校の高学年児で、「中学校に入りたくない」と言う子どもがふえています。兄や姉のはげしい受験競争を見ている子どもほどそうで、赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起こしたりします。

Q 何か新しいことができるようになったとき、自慢しますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 何か新しいことができるようになったとき、「見て、見て!」と言って、あなたにそれを自慢しますか。もしそうなら、それでよし。あなたの子どもは、前向きにどんどんと伸びていきます。幼児期から小学生の間は、むしろうぬぼれ気味にさせるのが、子どもを伸ばすコツです。「もう、そんなことができるの!」「すごいわね!」と、子どもの成長を喜んでみせてください。が、反対に、「まだできないの?」「いつになったらできるの?」は禁句。あなたの子どもは、(できない)→(逃げる)→(ますますできなくなる)の悪循環の中で、伸びることを止めてしまうかもしれません。

Q あなたの子どもは、一芸をもっていますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 「勉強一本!」という子どももいますが、このタイプの子どもは、一度勉強でつまづくと、あとは坂をころげ落ちるように、成績がさがったりします。そういうときのため……、というだけではありませんが、子どもには一芸をもたせます。「これだけは誰にも負けない」というのが、その一芸です。まわりの子どもたちからみて、「これだけは、あいつしかいない」という状態にします。この一芸は、子どもを側面から支えるのみならず、その一芸が、やがて子どもの「柱」になることもあります。ただしゲームがうまいとか、カードをたくさん集めているというのは、一芸ではありません。

Q あなたの子どもは、あなたの前で、大声で笑いますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 園や学校での様子を観察してみてください。あなたの子どもが、皆の中でも、大声でハハハと笑っていれば、よし。しかし皆の中でも、大声で笑えず、クックッと小さい声で笑うとか、どこか萎縮した様子があれば、子育てのあり方そのものを大きく反省してみてください。過干渉(子どもの心や気持ちまで親が決めてしまう)、過関心(子どもの行動に神経質になる)になっていないか、など。おうちの方の情緒不安(ときどきカッとなって、激しく叱る)は、百害あって一利なし。明るく、はつらつとしているのが、子どものあるべき姿です。そういう前提で、子育て全体を見なおします。

Q 子どもに、正しい言葉で話しかけていますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 乳幼児期の言葉環境が、その子どもの国語力の基礎となります。たとえば「かばん、カバン、もって!」ではなく、「あなたはカバンをもちます」と、正しい言い方で話しかけてみてください。さらに「すごい、すごい」ではなく、「すばらしい」「すてきですね」「きれいだね」など、一つのことをいろいろな言い方でしてみせます。さらに子どもが文字を覚え始めたら、「お・と・う・さ・ん」と、音を一つずつ区切って発音してみせます。こうした積み重ねがあって、子どもは、作文が好きになり、さらには論理的にものを考えることができる子どもになります。

Q 誰かを喜ばすことを、教えていますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 やさしい子どもにするコツ、それは「誰かを喜ばす喜び」を、教えることです。たとえばお店でお菓子を買うときも、「これを妹の○○に分けてあげると、妹は喜ぶわね」「お父さんにこれをもっていってあげると、喜ぶわよ」と、です。そして「他人を喜ばすことは、結局は自分にとっても楽しいことだ」とわからせます。言い換えると、人にやさしい人というのは、そういう行為が自然にできる人のことを言います。やさしい人というのは、一見、損ばかりしているように見えますが、いつの間か、そのまわりに、たくさんの人が集まるようになります。それこそまさに本当の財産、ですね。

Q あなたは、お子さんを愛していますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 たいていの人は、「愛している」と答えます。しかし……。子どもを自分の支配下において、思い通りにしたいという愛もあります。これを代償的愛といいます。いわば「愛もどきの愛」ということになります。親の見栄やメンツのために、子どもを「よい学校(?)」に入れたがるというのが、それです。子どもへの愛の深さは、どこまで「許して忘れるか」、言い換えると、子どもをどこまで自分の中に受け入れるかで、決まります。もちろん子どもに好き勝手なことをさせろということではありません。子どもにどんなに問題があっても、自分のこととして、受け入れてしまうということです。

Q 幸福な家庭を見せていますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 子どももいつかおとなになり、家庭をもちます。そのときのために、「幸福な家庭とはどういうものか」「父親や母親は、どうあるべきか」を、しっかりと子どもに見せておきます。見せるだけではなく、子どもの体の中に染み込ませておきます。夫婦が仲よく生活する姿、助けあい、いたわりあう姿など。子育ての基本は、子どもを育てることではありません。子どもに、子ども(あなたから見れば孫)の育て方を教えるのが、子育てです。「あなたが親になったら、こういうふうに子どもを育てるのですよ」「こういうふうに子どもを叱るのですよ」とです。

Q 新しいことに、積極的に取り組もうとしますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 何か新しいことをさせてみてください。そのとき、「やる!」「やりたい!」と食いついてくればよし。そういう前向きな姿勢が、子ども自らを伸ばします。好奇心の旺盛な子どもほど、行動力もあり、趣味も多芸多才。一人で遊ばせておいても、身の回りから次々と発明していきます。が、反対に、「いやだ」「やりたくない」と逃げるようであれば、日ごろの子どもへの接し方を反省してみてください。「あなたはダメな子」式の、暗いイメージを与えるのは禁物。あなた自身が、「うちの子は何をしてもダメ」と思っているなら、あなた自身の心を作り変えます。子どもは親がもっているイメージどおりの子どもになります。

Q あなたは自分の子どもを信じていますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 あなたが子どもを連れて、通りを歩いていたとします。そのとき向こうから、学校時代の友人がやってきました。久しぶりの対面です。そのときその友人が、あなたの子どもをしげしげと見て、「いくつかな?」と聞いたとします。そのとき自分の子どもに自信のある親は、「まだ五歳です」と、「まだ」という言葉を使います。しかし自信のない親は、顔をしかめながら、「もう五歳なんですがねえ」と言います。親に信じられている子どもは、表情も明るく、伸びやかです。親も子育てを楽しんでいます。それが「良」循環となって、子どもはますます伸びていきます。

Q 会話を子どもに、任せていますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 典型的な過干渉ママの会話。私、子どもに向かって、「この前の日曜日は、どこへ行きましたか?」、母親、子どもの会話をさえぎりながら、「おばあちゃんの家へ行ったでしょ。だったら、そう言いなさい。……どうしてはっきりと言えないの。言いなさい」と。子どもを信じられないという不信感が、母親をして、過干渉ママにします。一方子どもは子どもで、ますます表情が暗くなっていきます。あとはこの悪循環。子どものことは子どもに任す。そういう一歩退いた姿勢が、子どもの自立をうながし、子どもをたくましい子どももにします。

Q 「あなたはいい子」を、口グセにしていますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点
 
 子どもは、親の口グセ通りの子どもになります。「うちの子はいい子だ」と思っていると、その通りに。反対に「うちの子はダメな子だ」と思っていると、やはりその通りになります。ですから子どもに向かっては、「あなたはいい子」「あなたはすばらしい子」を口グセにします。子どもというのは、自分を認めてくれる人の前では、よい面だけを見せようとします。つまりそういう子どもの性質をうまく利用して、子どもを伸ばします。ただしほめるのは、やさしさと努力。スタイルや顔は、ほめないようします。「頭」については、ほめてよい場合と、そうでない場合がありますので、慎重にします。

Q 子どもの気持を確かめながら、行動していますか?
はい……3点だいたい……2点ときどき……1点いいえ……0点

 おけいこを始めるとき。おけいこをやめるとき。そのつどお子さんの気持を確かめながら、行動していますか。親意識、つまり親子の間の上下意識の強い人ほど、「私が親だから」「子どものことは、私が一番よく知っている」と、子どもの気持を確かめることなく、親が何でもかんでも勝手に決めてしまいます。一方的に、です。しかしこういう姿勢は、親子の間に大きな亀裂を入れることになります。しかもあなたが気づかないうちに、です。子どもは、自らに由(よ)らせます。自分で考えさえ、行動させ、責任を取らせます。それが「自由」の本当の意味です。

(以上、集計してありません。また報告します。ごめんなさい!)

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これからも、よろしくお願いします。
ときどき、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
へもおいでください。

では、どうかお元気で!

はやし浩司(ひろし)

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以下、前号です。

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ところで……
あなたは子どもの横か、うしろを歩いていますか?
親子の断絶は、かなり早い時期(幼児期)から始まります。
この時期に、その兆候をとらえる……、そして予防する……、
それが断絶を防ぐ方法です。

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今日は、雑誌「ファミリス」9月号に載せてもらった記事を
そのまま紹介します。

「ファミリス」は、静岡県教育委員会が編集発行する子育て雑誌です。
県外の方でも、購入できます。ご希望の方は、私のホームページの
トップページから、「ファミリスにコーナー」まで。一冊300円プラス送料
です。

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①親子の断絶が始まるとき

●最初は小さな亀裂

 最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「まさか……」「まだうちの子は小さいから……」と思っているうちに、互いの間の不協和音はやがて大きくなる。そしてそれが、断絶へと進む……。
 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は55%もいる。「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は79%もいる(「青少年白書」平成十年)。が、この程度ならまだ救われる。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに一触即発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこで親は親で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大げんか!
……と、書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに感謝されているはず」と言う親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。
あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察してみてほしい。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休めているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。しかし好んであなたの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げて行くようであれば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中学生の多くが、心が休まる場所としてあげたのが、①風呂の中、②トイレの中、それに③ふとんの中だそうだ(「学外研」九八年報告)。

●断絶の三要素

 親子を断絶させるものに、三つある。権威主義、相互不信、それにリズムの乱れ。「私は親だ」というのが権威主義。「子どものことは、私が一番よく知っている」「子どもは親に従うべき」という親ほど、あぶない。親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前では、仮面をかぶる。いい子ぶる。が、その分だけ、子どもの心は離れる。親は親で、子どもの心を見失う。次に相互不信。「うちの子はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす。しかし親が「心配だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。人間の心は、鏡のようなものだ。イギリスの格言にも、「相手は、あなたが思っているように、あなたのことを思う」というのがある。つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなたの子どもも、あなたを「すばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間を密にする。が、そうでなければ、そうでなくなる。三つ目にリズム。あなたの子どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころを思い出してみてほしい。そのときあなたは子どもの横か、うしろを歩いていただろうか。そうであれば、それでよし。しかしあなたが子どもの前を、子どもの手を引きながら、ぐいぐいと歩いていたとするなら、あなたと子どものリズムは、そのときから狂い始めていたとみる。おけいこ塾でも何でも、あなたは子どもの意思を無視して、勝手に決めていたはずだ。今もそうだ。これからもそうだ。そしてあなたは、やがて子どもと、こんな会話をするようになる。親「あんたは誰のおかげでピアノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高い月謝を払って、毎週ピアノ教室へ連れていってあげたからよ!」、子「いつ誰が、そんなこと、お前に頼んだア!」と。
 権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日からでも遅くないから、子どものうしろを歩く。決して前を歩かない。アメリカでは親子でも、「お前はパパに何をしてほしい?」「パパはぼくに何をしてほしい?」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。

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不況時代に、どう子どもを育てるか……?
深刻な問題ですね。
いやいや、私の仕事も、いろんな面で、大打撃を受けています。
かろうじてがんばっていますが、いつまでもつことやら……?
というのが、現状です。
まあ、がんばって、生きていくしかないですね。
そういうあなたのために、「不況時代の子育て論」です。
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不況時代の子育て論

たくましい子ども

 子どものたくましさは、危機的な状況においてみるとわかる。A君(年長児)は、両親が急用で実家へ帰るときになったときのこと。簡単な食事の用意、戸じまりはもちろんのこと、四歳になる妹の世話まですべて一人でやりこなした。そのつど母親が実家から電話をして、あれこれ指示したというが、母親はこう言って笑った。「やらせればできるもんですね」と。こういう子どもを「たくましい子ども」という。
 そのたくましさ。「子どもは使えば使うほど、たくましくなる」と覚えておく。家事でも何でも、子どもにさせる。中に、「子どもに楽をさせるのが、親の愛」と考えている人がいるが、これは誤解。こんな子ども(年中児)がいた。帰りの時刻になっても、机の上のものを片づけようともしない。そこで身ぶり手ぶりで、片づけるよう指示したのだが、そのうちメソメソと泣き出してしまった。「片づける」という意味すら、わからないようだった。が、その日は運の悪いことに、母親がその子どもを迎えにきていた。母親は子どもの泣き声を聞きつけると教室の中へ飛び込んできた。そしてていねいだが、すご味のある声でこう言った。「どうして、うちの子を泣かすのですか!」と。

自我とたくましさ

 「私は私」というものの考え方を「自我」という。教える側からすると、自我の強い子どもは、「つかみどころ」がはっきりしている。「この子どもはこういう子どもだ」という輪郭(りんかく)のことだと思えばよい。反対に自我の弱い子どもは、そのつかみどころがない。「何を考えているかわからない子ども」ということになる。ものの考え方が、優柔不断で、グズグズした感じになる。フロイドの自我論はよく知られているが、それを子どもにあてはめると、次のようになる。

(参考)フロイト(1856~1939、オーストリアの心理学者)は、自我の強弱によって、人の様子は大きく変わるという。それを子どもに当てはめた表が、次のものである。

自我が強い子ども

●ものごとに攻撃的になり、積極的になる。「やる」「やりたい」という言葉が、子どもの口からよく出てくる。
●現実感が強く、ものの考え方が現実的になる。頼れるのは自分だけというような考え方をする。
●将来に向かって、創造的な趣味が多くなる。たとえば「お金をためて楽器を買う。その楽器でコンクールに出る」「友だちの誕生日のプレゼント用に、船の模型を作る」など。
●ほしいものがある。目の前にはお金がある。こういうときセルフコントロールができ、自分の行為にブレーキをかけることができる。自制心が強く、そのお金には手を出さない。

自我の弱い子ども
●ものごとに防衛的になり。消極的になる。「いやだ」「つまらない」という言葉が多くなる。
●ものの考え方が非現実的になり、空想や神秘的なものにあこがれや期待を抱いたりするようになる。
●一時的な快楽を求める傾向が強くなり、趣味も退行的かつ非生産的になる。たとえば意味もないカードやおもちゃをたくさん集める、など。もらった小遣いも、すぐ使ってしまう。
●衝動性が強くなり、ほしいものに対して、ブレーキをかけられなくなる。盗んだお金で、ほしいものを買っても、欲望を満足させたという喜びのほうが強く、悪いことをしたという意識が生まれない。

自我……意識される客体としての自己に対して、自分を意識する主体(哲学)。個々の心理現象を、一貫した全体的な「自分」として意識する体験(心理学)。人格の中枢機関(精神分析)など。自我のとらえ方は、必ずしも一致していない。英語ではego、selfという。
 
 その自我は、「育てる」という視点からではなく、「引き出す」という視点で考える。どんな子どもも、生まれながらにして、その自我は平等に備わっている。つまり子どもというのは、あるべき環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、親の過干渉、過関心が続くと、その自我はつぶれる。

自己主張(自我)とわがまま

 よく誤解されるが、自己主張(自我)とわがままは違う。自己主張にはそれを主張するだけの理由がある。しかしわがままには、ない。たとえば「お兄ちゃんは、この前、○○を買ってもらったのに、どうしてぼくはだめなのか」と言うのは、自己主張。「あれがほしい、これがほしい」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。一般に自己主張には、ていねいに耳を傾けてあげる。わがままは無視するという方法で、対処する。

がんばる力

 よく「うちの子はサッカーだと一日中している。忍耐力はあるはずだ」と言う人がいる。しかしそういうのは忍耐力とは言わない。子どもの場合(おとなもそうだが)、いやなことをする力のことを忍耐力という。たとえばあなたの子どもに、台所の生ゴミを手で始末させてみてほしい。そのときそれをいやがらずにすれば、あなたの子どもは忍耐力のある子どもということになる。
 この忍耐力のある子どもは、学習面でも伸びる。もともと「勉強」には、ある種の苦痛がつきもの。その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。
 その忍耐力をつけるためには、子どもは、幼いうちから使う。できれば「乳児のときから使う」。……と、講演会の席などで話すと、親は驚く。「乳児のときから……!」と。その通り。子育てのリズムは、実は子どもが乳児のときから始まる。もっと正確には、子どもを妊娠したときから始まる。ある母親は、子どもを妊娠したとき、胎教とか何とか言って、クラシック音楽を聞かせた。その子どもが生まれると、時間に正確にミルクを与えた。そして子どもが四歳になると、音楽教室と英会話教室へ通わせた。この母親に共通するのは、「何でも子どもが望む前に与える」というリズムである。一度このリズムができると、そのリズムを変えるのは容易ではない。

子どものうしろを歩く

 あなたの子どもがヨチヨチ歩きをし始めたころのことを思い出してほしい。そのときあなたは、①子どもの前を手を引きながら歩いていた。②子どもの手を握りながら、子どもの横を歩いていた。③子どものうしろを、子どもをガードするように歩いていた。
 どのケースであるにせよ、それがあなたの子育てのリズムとみる。①のタイプに親は、何ごとにつけ権威主義的で、「子どものことは、私が一番よく知っている」と言う。そして子どものことを何でも先に決めてしまう。おけいこごとでも、何でもだ。しかしその裏で、子どもの心があなたから離れ始めているのに気づかない。最初は小さな亀裂だが、その亀裂はやがて大きくなる。そして断絶へ……と。
 英語国では、親子でもこんな会話をしている。父親「お前はパパに何をしてほしいのか」、子ども「では、パパは、ぼくに何をしてほしいの」と。こういう謙虚な気持ちが、互いの心を開く。
 もしあなたが①のような親だったなら、今日からでも遅くはない。子どものうしろを歩く要領で、子どもの心を確かめながら子育てをしてみてほしい。たったそれだけのことだが、あなたは親子の断絶を防ぐことができる。

リズムと自立

 子育ての目標は、子どもを「よき家庭人として、自立させる」こと。そこであなたのテスト。
 あなたの子ども(小学三年生くらい)が、寝る前になって突然、「明日の宿題をやっていない」と言ったとする。そのとき、あなたは①、子どもを起こして、一緒に宿題をすませてあげる。②、「宿題をやっていないのは、あなたが悪い。明日、学校で叱られてきなさい」と言って、そのまま寝させる。
 これは両極端なケースで、その中間ということもある。しかしもしあなたが②のような親であるなら、あなたは子どもの自立を考えた子育てをしていることになる。「自立」とは、自らが立つということ。つまり、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとるということ。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子どもを自立させるということは、自分で責任をとらせるということ。が、もし①のようであれば、これまた一見、子ども思いのやさしい親に見えるかもしれないが、こういう子育て観(リズム)は、子どもから自立心を奪う。それだけではない。そういう甘さの間げきをぬって、子どもがドラ息子、ドラ娘化する危険性もある。

子育て自由論

 子どもは自由にして育てる。自由とは、もともと「自らに由る」という意味。そしてその内容は、自分で考えさせ、自分で行動させ、自分で責任をとらせるということ。特に三番目の「自分で責任をとらせる」ということが大切。こんな親がいた。
 その子ども(中三男児)が、万引きをして補導されたときのこと。その母親は、「進学にさしつかえる」ということで、その夜のうちにあちこちを走り回り、事件そのものをもみ消してしまった。その子どもがそのあと、ますますドラ息子化したことは言うまでもない。
 子どもを自由にする時期は、できるだけ早い時期がよい。乳幼児のとこからでも、早過ぎるということはない。たとえばミルクでも、子どもが泣いてから与える、など。そういう姿勢が、子どもをたくましくする。

あと片づけと、あと始末

 日本人の習性のようなものだが、日本人は、あと片づけにはうるさいが、あと始末には甘い。たとえば冷蔵庫から牛乳パックを取り出して飲んだとする。そのときそのパックをまた冷蔵庫へ戻せば、それでよし。しかしそのままにしておくようであれば、あと始末のできない子どもとみる。
 数年前だが、アメリカ人の友人が私にこう言った。「ヒロシ、日本の子どもたちは一〇〇%、スポイルされているよ」と。「スポイル」というのは、「ドラ息子」という意味である。そこで私が、「では君は、一体、子どものどういうところをみてそう思うのか」と聞くと、こう話してくれた。
 「ときどきホームスティさせてやるのだが、料理の手伝いをしない。食後も、食器洗いを手伝わない。シャワーを浴びても、アワを流さない。朝起きても、ベッドをなおさない。何もしないのだよ」と。
 一方、欧米では、あと片づけについては、親はそれほどうるさく言わない。反対に、あと始末にはうるさい。かなり突っ張ったような子どもでも、食後は食器をシンクへ運び、それを自分で洗ったりしている。反対にこの日本では、「勉強する」「宿題がある」と言えば、子どもはすべてを免除される。親、「スキヤキの焼き豆腐がないから、スーパーで買ってきて」、子、「勉強がある」、親、「じゃあ、いいわ」と。

よき家庭人思想

 日本ではことあるごとに、学校の先生はこう言う。「立派な社会人になってくれ」「社会で役立つ人になれ」と。一方、アメリカやオーストラリアでは、こう言う。「よき家庭人にんれ」と。「よき市民になれ」と言うときもある。フランス人に確かめたら、フランスでもそうだそうだ。ドイツでもそうだそうだ。私はこうした違いから、日本人の子育てを、出世主義。欧米の子育てを、家族主義と呼んでいる。もちろん彼らにそういう主義があるわけではない。それが彼らにしてみれば、常識なのだ。
 何でもないような違いだが、この違いは大きい。日本の出世主義は、日本独特の上下意識、さらには権威主義とからみついている。そしてそれが全体として学歴信仰や学校神話と結びついている。一方、たとえばアメリカ人にしても、日本でいうような学歴社会はない。大学にしても、入学後の学部変更は自由だし、大学から大学への転籍すらほぼ自由化されている。学校にしても、九七年度だけでも、いわゆる家庭で勉強する「ホームスクーラー」が、一〇〇万人を超えた。二〇〇一年末には、二〇〇万人になるだろうと言われている。「LIF(自由に学ぶ)」という組織も、できている。こうした違いの背景にあるのが、ここでいう家族主義である。子どものときから、アメリカの子どもたちは、「よき家庭人として自立する」ことを徹底的に叩き込まれている。だから大学生にしても、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなければならないほど、少ない。どこの大学へ入るかよりも、どこからどの程度の奨学金を得るかのほうが、彼らにしてみれば重要なのだ。「大学へ行くのは、その道のプロになるため」という意識も、そこから生まれる。

一芸論

 子どもの才能は作るものではない。見つけるもの。S君(年長児)は、父親が新車を買ったとき、その車についているスイッチに、たいへん興味をもった。そこで父親がパソコンを買い与えると、案の定S君は、そのパソコンにのめり込んでいった。小学三年生のときにはベーシック言語を。中一のときには、C言語をマスターしてしまった。今は、大手のコンピュータソフト会社で、プログラムの分析技師をしている。
またB子さんは、歩くよりも先に、風呂の中で泳ぐことを覚えた。そこで母親が水泳教室に入れてみたところ、まさに水を得た魚のように泳ぎ始めた。このB子さんは、そののち、中学三年のときには、水泳の全国大会にまで出場するようになった。
 こうした例は多い。が、この一芸には、もう一つの意味がある。中に、「勉強一本」という子どもがいる。しかしこのタイプの子どもは、一度つまずくと、それこそ坂をころげ落ちるように、成績がさがる。そういうときのために、というわけではないが、子どもには一芸をもたせるとよい。その一芸が子どもを側面から支える。

一芸論(2)

 ここでいう一芸といっても、それは集団の中で「光るもの」でなければならない。カード集めをしているとか、ゲームをうまくできるというのは一芸ではない。モデルガンをたくさんもっているというのも、一芸ではない。一芸というのは、努力と才能によって、前向きに伸びていくものをいう。
 この一芸を見つけたら、お金と時間をたっぷりとかける。この思い切りのよさが、子どもの一芸を伸ばす。

プロ型社会の到来

 日本のバブル経済が崩壊したとき、同時に日本の「エリート神話」も、崩壊した。Y証券の倒産劇の中で、社長が、「みんな、私が悪いのです」と泣いてみせたのが、それを象徴している。私たちが学生時代には、大企業の社長がマスコミの前で大泣きするなどということは、考えられなかった。また就職先にしても、都会の大企業へ就職できたのは「出世組」。そうでないのは、「失敗組」と考えられていた。
 五年ほど前だが、私にこう言った男(六八歳)がいた。「君は、学生運動か何かをしていて、どうせロクな仕事にはつけなかったのだろう」と。私が「幼児教育を開いています」と言ったときのことである。こうした職業観は、日本人が共通してもっていたものであり、それが一方で日本の教育をゆがめてきた。
 が、これからはもうそういう時代ではない。日本以外の先進国では、学生たちは、その道のプロになるために勉強している。大学生たちも、そういう意識をしっかりともっている。日本もやがてそうなるだろうし、またそうしなければならない。権威者が、力もないまま、いばったり、権力を振り回すような時代は、もう終わったのだ。
 
プロを認める社会

 プロ型社会では、当然のことながら、プロであることが正当に評価されねばならない。が、ということは同時に、私たちの意識もプロ化しなければならない。言うなれば、「互いに力のなさをなぐさめあうような甘い社会」からの脱皮をするということ。今までの日本の社会は、あまりにも、「ムラ」的であった。(このムラ意識は日本のよさだと主張する人もいるにはいるが、もしそうなら、「国際化」などという言葉は使わないことだ。それともアフリカの原住民のように、東洋の島国でひっそりと、静かに暮らすということか。)
 そういう意味では、きびしい世界がやってくる。それは覚悟しなければならない。話はそれたが、ここでいう一芸論は、そういうプロ型社会の到来を予想したものである。