●老後の生き様
【老後をどう前向きに生きるか】
++++++++++++++++
これからの人生を、どう生きるか。
いろいろ考える。
そのひとつ。
年を取ると、より無難な道を歩もうとする。
日々平凡を旨とし、冒険を避ける。
それはそれとして賢い生き方なのかもしれない。
しかしその一方で、そうした生き様は、自らが
もつ多様な可能性を、つぶしてしまう。
生き方そのものが、硬直化する。
型にはまってしまう。
それがその人の生き方そのものを、ジジ臭く、
ババ臭くする。
大切なことは、最後の最後まで、生き抜くこと。
「生きる」という緊張感を失わないこと。
年齢という「数字」に、惑わされてはいけない。
私は私。
あなたはあなた。
どこまでいっても、私は私。
あなたはあなた。
が、そうは言っても、「肉体」の問題がある。
体力、気力の衰えは、いかんともしがたい。
同時に、脳みそも、肉体の一部。
思考力も減退する。
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●可能性
若いころは、それなりに可能性がある。
ときには、怒涛のように押し寄せてくる。
その分だけ、選択肢も多い。
だから迷う。
迷うから、そのつど選択に迫られる。
が、年を取ると、可能性がしぼんでくる。
総じてみると、その人の生き様は、30歳前後に決まる。
そのころになると、輪郭がはっきりしてくる。
その分だけ、選択肢が少なくなる。
40歳になると、さらに少なくなる。
50歳になると、ほとんどといってよいほど、少なくなる。
それだけに失敗するのも、こわい。
そのため無難な道を選ぼうとする。
さらに言えば、「平均余命」という言葉もある。
今度はそういう言葉が、前から迫ってくる。
「ゴール」というよりは、「先の見えない閉塞感」。
それが前から、迫ってくる。
今年、男性の平均余命は、80歳になった(2011)。
それで逆算すると、私の残りの人生は、17年。
が、80歳でポックリと死ねるわけではない。
晩年の10年は、病魔との闘いと言われている。
つまり「健康寿命」は、よくてあと7年。
それがわかるから、ますます慎重になる。
無難な道を選ぼうとする。
冒険を避ける。
●選択
考えてみれば、若いころは、いつも選択ばかりしていた。
そのときは気がつかなかった。
が、選択ばかりしていた。
たとえば仕事にしても、そのつど選択。
「あれをしよう」「これをしよう」「どちらにしよう」と。
生き様も、無数にあって、そのつど選択。
あるとき、だから、こう思ったことがある。
「信仰をしている人は、楽だろうな」と。
何かの信仰をしている人は、迷うということがない。
その「道」一筋に、生きていけばよい。
何も考えなくてもよい。
生き様にしても、脳に注入してもらえばよい。
ある信仰者は、こう言った。
私が「教祖の言うことを疑うことはないのですか」と
聞いたときのこと。
「教祖様は、何万冊もの本を読んでいる」と。
が、だからといって、信仰的な生き方が正しいというわけではない。
それを必要としている人は別として、そうでなければそうでない。
信仰的な生き方が正しい生き方ではない。
信仰的な生き方をつづけていると、自ら「私」を放棄してしまう。
そういうことにもなりかねない。
あくまでも蛇足だが、不完全でもよいから、自分の足で立つ。
未熟であることを恥じることはない。
失敗したからといって、敗北者というわけではない。
失敗を通して、未熟であることに気づく。
つぎの人生は、そこから始まる。
●面影
生活にしてもそうだ。
「ああしたい」「こうしたい」「こうでありたい」と。
欲望が、そこにある現実と、はげしくぶつかる。
家庭のあり方、家族のあり方、それに夫婦のあり方、など。
思うようにならない生活。
思うようにならない人間関係。
衝突もある。
葛藤もある。
が、年を取ると、その可能性がしぼんでくる。
選択肢がかぎられてくる。
たとえばラブ・ストーリー。
若いときは、それなりに女性(男性)に相手にされる。
浮いた話が、花のように彩(いろどり)をそえる。
が、年を取ると、それも少なくなる。
相手にされなくなる。
が、ロマンスを求める心が消えるわけではない。
ときどき思い出したように、ポッと火がつく。
が、そこにいるのは、ワイフ(夫)だけ。
しかたないので、ワイフ(夫)のシワをのばす。
のばしながら、若いころの面影をさがす。
その面影に満足し、「性」を吐き出す。
かなり不謹慎で、ごめん。
ただ生きざま全体が、総じてみれば、そうなる。
その一例として、色恋の話を書いてみた。
●浮気願望
私にも経験がある。
若いころ、こんなことがあった。
40歳くらいのことではなかったか。
電車に乗っていたら、目の前の席に、すてきな女性が座った。
私はその女性を見ながら、あらぬ恋愛を夢想した。
が、やがてその想像は、(恋愛)→(結婚)→(育児)と、
進んでいった。
とたん、それまでの夢想が、パチンとはじけた。
消えた。
「またイチからやりなおす」と言っても、私にはできない。
それがとても、めんどうなことのように思えた。
「どうせやりなおすくらいなら、結婚は一度でじゅうぶん」と。
同じように今、私はこう考える。
「人生は一度でじゅうぶん」と。
もし神様かだれかが、私にこう言ったとする。
「もう一度、君を、青春時代に戻してやろう」と。
が、やはり人生は、一度でじゅうぶん。
たくさん。
だからこう答えるだろう。
「結構です」と。
●住めば夫婦
そういう点では、私は不器用な人間と思う。
「浮気」にしても、私にはできない。
すぐ本気になってしまう。
つまり2人の女性を、同時に愛することなど、できない。
で、もしそうなったら、苦しむのは、私自身。
それに、「女」といっても、性格や性質は別としても、
それほど違違わない(たぶん?)。
違っていても、数回もつきあえば、みな、同じ。
昔から『住めば都』という。
同じように、『住めば夫婦』。
どんな妻(夫)でも、いっしょに住んでいれば、それなりに「都」。
だったら、「今」を大切にしたほうがよい。
今、そこにいる「人」を大切にしたほうがよい。
(この意見については、異論のある人も多いだろうが……。)
●落穂拾い
選択肢がせばまった分だけ、生活が単一的になる。
単一的になった部分だけ、生き様が「落穂拾い」的になる。
ミレーの落穂拾い(絵画)を、想像してもらえばよい。
わかりやすく言えば、残りカスを大切に、細々と生きていく。
当然、刺激も弱くなる。
何とも老人臭い生き方だが、もちろんそれがよいというわけではない。
が、こと夫婦生活について言えば、そうなる。
ワイフにしても、不平不満はあるだろう。
物足りなさはあるだろう。
しかし今さら、どうにもならない。
だから最近は、夫婦喧嘩をするたびに、ワイフは、こう言う。
「いいかげんに、あなたも私を受け入れてよ!」と。
つまり「あきらめてよ!」と。
が、それが簡単にできない。
できない分だけ、私はまだ若い(?)。
●呂律(ろれつ)
「あと7年か……」と思ってみたりする。
しかしたったの7年。
が、よく誤解されるが、人間は、ある日突然、死の待合室に
入るわけではない。
徐々に、少しずつ、マイナスの一次関数的に入っていく。
たとえば今朝も、床から起きてからしばらく、呂律(ろれつ)が
回らなかった。
いつもならもう少し早口で話せるのだが、今朝は、どこか口が重い。
ワイフに、「ぼくの話し方、おかしいか?」と聞く。
「……そうねエ~」と。
そこで早口の練習をする。
「となりの客は、よく柿食う、客だ」と。
水分を多めにとり、ウォーキングマシンの上で汗をかくころには、
ふつうに話せるようになった。
つまりこうした不調が、この先、多くなる。
呂律が回らないというのは、たとえば脳梗塞の前兆と考えてよい。
あるいは微細脳梗塞がすでに起きているのかもしれない。
やがて脳も、硬直化する。
●夫婦問題
ところでよく夫婦問題の相談が届く。
育児問題なら、それだけの「ケース(経験)」を踏んでいる。
しかしこと夫婦の問題となると、私は門外漢。
自分たちのことしか、知らない。
が、そういう相談があるたびに、こう思う。
「まだ、若いなア……」と。
つまり若いから、夫婦のことが問題になる。
やがて否応なしに、その若さも消える。
消えると同時に、現実を受け入れるようになる。
あきらめる。
納得する。
「まあ、いろいろやってはみたけれど、私の人生はこんなもの」と。
それが家族になれば、「私の家族はこんなもの」と。
夫婦についても、同じ。
「私たち夫婦は、こんなもの」と。
とくによかったわけでもない。
しかし悪かったわけでもない。
「こんなもの」と。
同時に、「問題」そのものが、霧散する。
●終末
そう言えば、60歳を過ぎると、みな、こう言うようになる。
「私は今の夫(妻)で、満足しています」とか、
「今の夫(妻)と結婚して、よかったと思います」とか。
だからこそ、60歳まで、つづいた。
そうでなければ、どこかで破綻していた。
あるいは「よかった」と、思うことで、(本当は自分を慰める
ことで)、人生をしめくくることができる。
ついでに、死後の世界。
ホーキング博士は、最近、こう言っている(注※)。
『天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎない』と。
そして重要なことは、『自らの行動の価値を最大化するため
努力すべき』と。
●気力
……と書いてきたが、人生が終わったわけではない。
先ほど17年と書いたが、うまくいけば、20年は生きられるかもしれない。
もしそうなら、こうなる。
何も、自ら選択肢をせばめていく必要はない。
20年といえば、誕生から成人まで。
あのビル・ゲーツにしても、マイクロソフト社を今にみる会社にするまでに、
20年もかからなかった。
そこで生きる力。
生きる力が強ければ強いほど、選択肢がふえる。
選択肢をふやすことが、人生を豊かに生きるコツである、と。
「まだ、こうしたい」「まだ、ああしたい」と。
それを素直に受け入れ、それに従って生きていく。
……というか、あえて自分と闘いながら、それを求めていく。
というのも、体力と同時に、気力も弱くなる。
それがこわい。
最近、こんなことをワイフと話した。
●山荘
私が山荘をもとうと考えたのは、30歳も過ぎてからのこと。
それまでもずっと、「夢」として、それを考えていた。
が、決意したのは、30歳も過ぎてからのこと。
結果的に、土地の造成に6年をかけた。
建築に半年。
山荘が手に入ったのは、40歳のとき。
いろいろあった。
最大の問題は「水」。
都会であれば、水道を引くことで、水を手に入れることができる。
しかし山の中では、そうはいかない。
最終的に、村の人たちと折り合いをつけ、自分で水道管を
埋設した。
下水の処理にも、苦労した。……などなど。
そういう過去を思い出しながら、今、ワイフにこう言う。
「よく、やったなア」と。
現在の私なら、とても、できない。
それを支える気力そのものが、ない。
当時の私は毎週、土日になると、ユンボを借り、土地を造成した。
テントを張って、一夜を過ごしたこともある。
だから今は、こう思う。
「そんな元気があったら、温泉でも行ってきたほうがいい」と。
●決意
あえて自分の心と体にムチを打つ。
ムチを打って、奮い立たせる。
いつか限界が来るかもしれない。
そのときは、そのとき。
しかし今は、ムチを打つ。
だから私は、今、こんなことに心がけている。
(1) 朝、目を覚ますと同時に、その日にすることを決める。
(2) 朝、床から出ると同時に、ウォーキングマシンの上で歩く。
時間は、30分。
汗をかくまでする。
(3) パソコンを開き、文章を書く。
マガジンを発行する。
BLOGを書く。
(4) 週に1、2度は映画館に足を運ぶ。
(5) 週に1度は、どこかの温泉に泊まる。
(6) 本や雑誌は、惜しみなく買う。読む。
(7) これが重要だが、その朝に「やる」と決めたことは、かならず、
実行する。
(8) 仕事は、つづける。
つづけるというより、やめない。
死ぬまで、やめない。
こと、仕事については、来年のことは考えない。
●最後の最後まで……
私たちはいつも、そのつど選択しながら、生きている。
しかしそれこそが、まさに「今」を生きるものの、特権ということになる。
その選択がなくなったら、それこそ人生はおしまい。
夫(妻)への不満、おおいに結構。
家族(親、子ども、兄弟)への不満、おおいに結構。
ばあいによっては、衝突もし、絶縁もする。
それもおおいに結構。
それも人生の関門のようなもの。
それを通り過ぎないと、つぎのステップに進むことができない。
あちらでぶつかり、こちらでぶつかる。
あちらで叩かれ、こちらで叩かれる。
それもおおいに結構。
私についても、辛らつな批判を繰り返している人は多い。
しかし私は私。
人は人。
私が書きたいように、ものを書くように、言いたい人には、
好きなように言わせておけばよい。
私の世界では、批判、中傷、悪口は、「勲章」のようなもの。
それ自体が、生きる原動力になっている。
(これは言い訳?)
とは言っても、年を取ると、その気力も弱くなる。
めんどうになる。
選択肢もせばまってくる。
それこそ、毎日、仏壇の金具を磨いて過ごすようになる。
が、それこそ、まさに死の待合室。
あとは静かに死を待つだけ。
急がなくても、やがて人は、みな、そうなる。
しかしあえて、それを求めることはない。
そのときは、そのとき。
そのときまで、私たちはいつも、選択を繰り返しながら生きていく。
最後の最後まで……。
それができるかどうか?
自信はないが、今は、そう考える。
(注※)(参考)2011年5月18日(産経ニュースより)
『「天国も死後の世界もない」車いすの物理学者ホーキング氏が断言
「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士が、英紙ガーディアンのインタビューで、「天国も死後の世界もない」と語った。
「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。16日付の英紙ガーディアンに掲載されたインタビューで述べた。
ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。
博士は21歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)という進行性の神経疾患と診断され、余命数年とされた。「自分は過去49年間にわたって若くして死ぬという可能性と共生してきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。まだまだやりたいことがある」と語った。
また、人々はどのように生きるべきかとの問いに対し「自らの行動の価値を最大化するため努力すべき」と答えた。
1988年の著書「ホーキング、宇宙を語る」で世界中に広く知らるようになった博士は、2010年の著書「The Grand Design(原題)」では宇宙の創造に神の力は必要ないとの主張を展開し、宗教界から批判を浴びている』(ロイター)と。
●補記
ホーキング博士のこの言葉を聞いて、私はハッとした。
ホーキング博士は、私が長々と書いてきたことを、たった一行で表現している。
『自らの行動の価値を最大化するため努力すべき』と。
原文がないので、正確な意味はわからない。
この翻訳を信用するなら、ホーキング博士は、『行動の価値』という言葉を使ったことになる。
『私の価値』とか、『個人の価値』とかではない。
『行動の価値』である。
同じようなことは、あのトルストイも書いている。
それについては一度、中日新聞に書いた原稿があるので、ここに掲載する。
トルストイも、『ただひたすら生きることこそ重要』と書いている。
行動の価値の追求に、老いも若きもない。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【高校野球】(トルストイの言葉)
●高校野球に学ぶこと
懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからす
ればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。
私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずる
からではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕
事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲーム
とは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。
●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか
私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想
的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはな
ぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。
それから三〇年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果と
いうわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見い
だした。
生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、
人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福
になるピエール。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、
ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。
つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などという
ものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレ
ストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、
(その味は)わからないのよ』と。
●懸命に生きることに価値がある
そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャ
ーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みん
な必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、
そしてそれが宙を飛ぶ。
その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、そ
のあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。
私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみ
あって、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。
いや、あえて言うなら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。
言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘
志もない。毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人
生の意味はわからない。
さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われた
とき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざ
までしかない。あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、
適当に試合をしていたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つ
まらない。そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。
そういう人生からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教えてくれ
る。
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司
●来る人、去る人
おととい、義兄の母親が他界した。
が、私は、おとといの夜は、家にいなかった。
知ったのは昨日。
で、昨夜は、通夜。
今日は、本葬。
が、私とワイフは、今は、電車の中。
その電車の中で、考える。
義兄の母親といっても、一度も会ったことはない。
この15年以上、老人ホームで寝たきりの生活をしていたという。
義兄自身もいろいろあって、会うのは年に1、2度とか、言っていた。
が、このさみしさは、いったい、どこから来るのか?
●『去るものは追わず』
『去るものは追わず』という、冷徹なまでにクールな格言がある。
まさにニヒリズムを凝縮したかのような格言である。
(英語で「クール」というと、「かっこいい」という意味である。
ここでは「冷たい」という意味で、「クール」という言葉を使う。)
この格言は、いろいろなふうに、拡大解釈できる。
ただ誤解していけないのは、「去る」といっても、「心の問題」をいう。
距離の問題ではない。
●A氏の息子
親類でも旧友でも、兄弟でも、さらには親子でも、去る人は去っていく。
こんな話を聞いた。
A氏(63歳、学友)が、2年前の正月、狭心症で倒れた。
A氏の妻はは、そのことをすぐ横浜に住む、息子(30歳)に連絡した。
息子は仕事中だったので、息子の妻に伝えた。
が、息子のほうからは、なしのつぶて。
以後、10か月以上、連絡がなかった。
息子の妻は、A氏の病気のことを、息子に伝えなかったらしい(?)。
理由はわからない。
それで10か月たったところで、A氏が息子の妻をなじると、息子はこう言ったという。
「K子(妻)の悪口を言うのは許さん!」と。
それでA氏と息子との関係は切れた。
それまでにも、いろいろあったというが、その事件が、「結論づけた」(A氏談)。
●親子の縁
心のつながりが切れる。
親子でも、切れるときには、切れる。
近くに住んでいれば、修復ということも可能。
しかし同時に『去るもの、日々に疎(うと)し』という格言もある。
このばあいは、昔の格言だから、「距離」を言った。
昔は、今のように、電話やメールで連絡を取り合うということはできなかった。
手紙さえなかった。
つまりたがいの「距離」が離れれば、その人との関係も、「疎くなる」と。
が、いくら連絡方法があっても、A氏のばあいでもそうだったが、絶縁するときには、
絶縁する。
A氏は以後、2年をかけて、息子の思い出を消したという。
一時は、転居も考えたという。
「今の家には、いろいろな思い出がしみついていましてね」と。
A氏の妻も、同じくらい、悲しんだ。
●去るときには去る
年を取れば取るほど、こうした別れが多くなる。
親類縁者の死別、肉親の死別など。
息子や娘と死別することもある。
孫と死別することもある。
そのつど、人は、身を切られるほど、つらい思いをする。
そこで『去るものは追わず』。
言うなれば、この年齢になって生きるということは、
無数の荷物を引きずって歩くようなもの。
荷物には一本、一本、ひもがついている。
そのひもが、体中にからんでいる。
一歩、前に進むたびに、ズルズルという音が、うしろから聞こえてくる。
が、それではいけない。
去る人は、去っていく。
失っていく人を悲しんでいたら、前には進めなくなる。
どこかで割り切らなければならない。
冷酷なようだが、(たしかに冷酷だが……)、それは私自身のことでもある。
私も、(そしてあなたも)、去るときには、去る。
が、逆に言えば、そのとき、この世界は、それこそ宇宙もろとも去る。
つまり『去るもの』の「者(もの)とは、私自身、あなた自身を意味する。
そういう自分を知ればこそ、去るものを悲しんでいては、前には進めない。
●葬儀
最近、私は、……というか、この10年、儀礼的な葬儀には、ほとんど参列していない。
肉親の葬儀にしても、実兄の葬儀だけは、派手になった。
実姉に段取りを頼んでおいたら、そうなった。
が、それが最後。
儀礼的な葬儀に、どれほどの意味があるというのか。
実際には、なにもない。
まったくない。
そのことは、自分自身に当てはめてみると、よくわかる。
派手な葬儀など、望むべくもないが、それでも私が死んだら、参列に来てほしい人は、
1人か2人。
本当に私をしのんでくれるひとだけでよい。
(が、それとて、かなわぬ希望かもしれないが……。)
もっとも最近の葬儀には、近親者が集まる機会という意味もある。
そのことは、オーストラリアの友人たちの生き方を見ていると、よくわかる。
オーストラリアの友人の家族(親類縁者たち)は、ことあるごとにパーティという形式で集まる。
先日は、孫の1歳の誕生日に、親類縁者たちが、20人ほど、集まった。
そういうのを見ていると、「ああ、日本では、冠婚葬祭が、それに当たる」ということがよくわかる。
日本人は冠婚葬祭、とくに葬儀を口実に、みなが集まる。
そういう習慣もあるだろう。
しかしそれでも私は参列しない。
それには私自身の死生観がからんでいる。
「生」は厳粛なもの。
それ以上に、「死」は厳粛なもの。
儀礼的な葬儀で、「死」を茶化してはいけない。
……こう書くと、どこかカルト的な雰囲気になるが、私は「死」を認めていない。
だれの死であれ、「死」を認めていない。
となると、「生」はどうなのかということになる。
が、ここで巨大なパラドックス(論理的矛盾)にぶつかる。
「死を認めないということは、生を認めないことにもなる」と。
そう、最近の私は、「生」そのものを、疑って考えるようになっている。
今年63歳だが、振り返ってみると、その63年が、ない。
どこにもない。
そこにあるのは、光と分子が織り成す、「無」の世界。
そこまで自分を徹底して考えることは、まだできないが、ときどき、ふと
そう考える。
今も、そうだ。
だからこう考える。
「私は生きていない」、「だから私は死なない」と。
●死を認めない
おかしな論理に聞こえるかもしれない。
が、最近(01年の11月)、私の友人が他界した。
私の原稿をいつもていねいに読んでくれた。
その奥さんに、よく会うが、いつも私はこう言う。
「ぼくは、先生(=その友人)の死を認めていませんよ」よ。
そのつど、奥さんは、怪訝(けげん)な顔で私を見る。
が、私はそのつど、こう思う。
「10年(20年でも、30年でもよいが)、早く死んだとか、あるいはあとで死んだとか、
そんなことにどれほどの意味があるのか」と。
宇宙的な時間でみれば、私たちは瞬時に生まれ、そのまた瞬時に、死ぬ。
仮に100年間生きたとしても、瞬時。
そのことは、20年前、30年前に死んだ人を思い浮かべてみれば、わかる。
みな、あっという間に生まれ、そして死んだ。
それから20年、30年が、これまたあっという間に過ぎた。
わかりやすく言えば、「先に死んだ」とか、「まだ生きている」という言葉そのものが
無意味。
私が「死を認めない」というのは、そういう意味。
あっという間の、つぎの瞬間、私も死ぬ。
死んで消える。
……だからというわけでもないが、あのアインシュタインは、こう言った。
「生きていること、すべてが、奇跡」と。
●息子は息子
『去るものは追わず』。
過去を断ち切りながら、前に進む。
過去にこだわっていても、しかたない。
それに先に書いたA氏も、こう言った。
「息子は息子。
私は私。
修復にかかる時間を考えると、もうその余裕はありません」と。
どうせ死ねば永遠の別れになる。
A氏のばあい、それが20年、早くやってきたということか。
私はそう解釈した。
●失うことを恐れない
平たく言えば、失うことを恐れてはいけないということ。
どうせ私たちは「死」によって、すべてを失う。
たった今も、この電車の中で、女子高生たちが、何やら話し合っている。
ペチャクチャ……と。
この世の主人公のような顔をしている。
しかしほんの20年前には、姿、形もなかった子どもたちである。
それが今は「主」。
が、私だってそうだ。
「無」から生まれ、「無の世界」を生き、やがて「無」へともどっていく。
だから去るものは、追わず。
追っても意味はない。
これは老後を楽しく生きるための鉄則のように思う。
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司
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