Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, May 02, 2011

●Eマガ創刊のころ(6)

名:子育て情報(はやし浩司)8-15

 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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    子育て最前線の育児論
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01-8-15号(08)
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 by はやし浩司(ひろし)

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お元気ですか?
マガジン8号をお届けします。

前回、「簡単な知能テスト」を送りましたが、サイトのほうでは、
さらにそれを充実させました。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
→目次より、(NEW!子どもの心・能力・知力)とおいでください。

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●子どもの心を知る
●子どもの能力を知る
●子どもの知力を知る
●子どもの生活力を知る、の4部作になっています。

それぞれ子どもたちが実際書いたり、描いた作品をもとに
子どもの能力を考えます。

どれも紙と鉛筆(クレヨン)があればできるテストばかりです。
どうかご家庭で、ご利用ください。

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あなたのお子さんは、箱の立体図形(見取り図)が、描けますか?

  (1)だいたい正確に描ける
  (2)四角の集まりのようで、かろうじて箱に見えるのが描ける
  (3)まだ描けない

老人のボケ症状に詳しいあるドクターが、こう話してくれました。
「箱の立体図形が描ける老人は、小学3年生以上の知的能力があるとみる。
しかし描けない老人は、小学3年生以下の知的能力の人とみる」と。
実際、ボケの診断法の一つとして、立体図形の模写が採用されています。

箱の立体図形が描けるようになるのは、小学3年生くらいからとみます。

が、もしあなたのお子さんが、幼児で、ほぼ正確に立体図形が描けるようなら、
かなり知的能力のすぐれたお子さんとみてようでしょう。具体的な例と、作品
は、サイトの「子どもの知力を知る」に掲載しておきましたので、興味の
ある方は、どうかご覧になってください。

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幼児教育の誤解

幼児教育には、多くの誤解があります。その中の四つ(がんばり、すなお、
やさしさ、まじめ)について。

(1)好きなこと(たとえばサッカー)を一日中しているから、がまん強い子
とみる人がいますが、好きなことをするのは、「がんばり」とは言いません。
子どもにとって、がまん強い、つまり忍耐力というのいは、いやなことをする力
のことをいいます。ためしにあなたのお子さんに、台所の生ゴミを手で始末させ
てみてください。そのとき、「ハ~イ」と言って、それができれば、がまん強い子ども
ということになります。

(2)親や先生の言うことに、ハイハイと、従順に従う子どものことを、「すなおな
子ども」と考える人がいます。これも誤解です。幼児教育の世界では、
すなおな子どもというのは、心(情意)と、表情が一致している子どものことを
いいます。たとえばいやだったら、しっかりと、それを「いやだ」と言える子ども
です。そうでない子どもは、考えていることと、外に出てくる表情がバラバラに
なります。これを「仮面をかぶる」とか、「(心と表情が)遊離する」と言います。
教える側からすると、「何を考えているかわからない子ども」となります。これは
あまり好ましい状態とは言えません。

(3)やはり従順で、すなおで、柔和な表情をしていて、欲のない子どものことを、
「やさしい子ども」と考えている人がいますが、これも誤解です。幼児教育の世界では
「相手を喜ばすことができる子ども」をやさしい子どもといいます。S君は、毎日
幼稚園で、ほかの子どもを三輪車に乗せて、自分はそれを押していました。
そういう子どもを「やさしい子ども」と言います。

(4)先生や親の言いつけをしっかりと守る子どもを、「まじめな子ども」と
思っている人は多いですね。これも誤解です。他人の目を意識しないで、
自分の心に決めたことを忠実に守ろうとする子どものことを、「まじめな子ども」と
言います。私がA子さん(小3)に、「ジュースを買ってあげようか」と声をかけた
ときのこと。そのとき、私とA子さんは、バス停で、バスを待っていました。すると
A子さんは、こう言いました。「私は家で夕ご飯を食べるからいいです」と。
「ジュースを飲むと、夕ご飯が食べられなくなる」と言うのです。こういう子どもを
「まじめな子ども」と言います。

あなたのお子さんはいかがですか。一度、これら四つをあてはめて
考えてみてください。

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夏休み、家でゴロゴロしていたら、三男から突然、ハガキが届きました。
それについて、こんなエッセイを書いてみました。
よろしかったら、どうかお読みください。

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三男からのハガキ※

●一三年ぶりの屈辱●後悔は心のトゲ

 富士山頂からハガキが届いた。見ると三男からのものだった。登頂した日付と時刻に続いて、こう書いてあった。「一三年ぶりに屈辱を晴らしました。今、どうしてあのとき泣き続けたか、その理由がわかりました」と。

 一三年前、私たち家族は富士登山を試みた。私と女房、一三歳の長男、一〇歳の二男、それに七歳の三男だった。が、九合目を過ぎたところで、そこから見あげると、山頂が絶壁の向こうに見えた。私は多分そのとき三男にこう言ったと思う。「お前には無理だから、ここに残っていろ」と。女房も同じ意見だった。で、女房と三男を山小屋に残して、私たちは頂上をめざした。つまりその間中、三男はよほど悔しかったのだろう、山小屋で泣き続けていたという。

 三男はそのあと、高校時代には山岳部に入り、部長を務め、全国大会にまで出場している。今の彼にしてみれば富士山など、そこらの山を登るくらい簡単なことだろう。その日も、大学の教授たちとグループを作って登山しているということだった。女房が朝、新聞を見ながら、「きっとE君はご来光をおがめたわ」と喜んでいた。が、私はその三男のハガキを見て、胸がしめつけられた。あのとき私は、三男の気持ちを確かめなかった。私たちが登山していく姿を見ながら、三男はどんな思いでいたのか。そう、振り返ったとき、三男が女房のズボンに顔をうずめて泣いていたのは覚えている。しかしそのまま泣き続けていたとは!

 「後悔」という言葉がある。それは心に刺さったトゲのようなものだ。しかしそのトゲにも、刺さっていることに気づかないトゲもある。私はこの一三年間、三男がそんな気持ちでいたことを知る由もなかった。何という不覚! 私はどうして三男に心にもっと耳を傾けてやらなかったのか。何でもないようなトゲだが、子育ても終わってみると、そんなトゲが心を突き刺す。私はやはりあのとき、時間はかかっても、そして背負ってでも、三男を連れて登頂すべきだった。重苦しい気持ちで女房にそれを伝えると、女房はこう言って笑った。「だって、あれは、E君が足が痛いと言ったからでしょ」と。「Eが、痛いと言ったのか?」「そう、E君が痛いから歩けないと泣いたのよ。それで私も残ったのよ」と。とたん、心の中をスーッと風が通り抜けるのを感じた。軽い風だった。さっそくそのあと、三男にメールを出した。「登頂、おめでとう。よかったね」と。


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子育てで行き詰まったら……

「許して忘れる」が原則です。
英語では、
「FOR/GIVE & FOR/GET」と言います。
つまり子どもに愛を与えるために許し、
子どもから愛を得るために忘れるということです。

もしあなたが子育てで袋小路に入ったら、
この言葉を心の中で念じてみてください。
きっとあなたの心は軽くなりますよ。

詳しくは、トップページから、「心のオアシス」へどうぞ。そちらで書いておきました。

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老後のこと

子育ての最中は、はやく子どもが成長することを願いながら、
一方で自分が年をとっていくのに気がつかないものです。
しかし子育てが終わると、どっとやってくるのが、老後。
そんな老後のことを少し考えてみませんか。サイトのほうで、
少しずつ書き始めました。

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以下、7号です。まだの方はお読みください。

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(1)簡単なテストでわかる、子どもの知能(1)を送ります。
(2)子どもの巣立ちと老後を考えます

お役にたてればうれしいです。

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●簡単なテストでわかる、あなたのお子さんの合理的判断力
 (考える力の深さを、このテストで知ることができます。)

(方法)
(1)紙(B5~A4サイズ)と鉛筆を用意します。(クレヨン、サインペンでも構いません)
(2)子どもに次のものを描かせます。
(3)山→川→家→木を二本→道→花→白い雲→鳥→お日様
  (注意)最初は、「山を描いてごらん」と指示します。しかし次に
      何を描くかを、言ってはいけません。子どもが山を描き終えたら、
      そのときはじめて、「次に川を描いてね」と指示します。
      川を描くとき、瞬間ですが、子どもはどこに描くか、あるいは
      どういうふうに描くかを迷うはずです。しかしそのときでも
      決して、子どもを助けたり、アドバイスしてはいけません。
      子どもが川を描き終わるまで、静かに待ちます。
      (どんな絵になっても、この段階では、何も言ってはいけません。)
      こうして次々と、子どもに絵を描かせていきます。
(4)できあがった絵を見ながら、子どもの合理的判断力をみます。

(山)紙の中央に大きく描かれていればよしとします。
(川)山の下、あるいは山の上を流れていればよしとします。
   合理的判断力の育っていない子どもは、不自然な位置に川を書きます。
   また自分で考えるクセ(習慣)のない子どもは、山の横に言われるまま
   川を並べて描きます。
(家)山との大きさを比較してください。あまり考えない子どもは、山より
   大きな家を描いたりします。
(木を二本)木が二本、自然な位置にあればよしとします。三本~以上描くようで
   あれば、日ごろ、口うるさくないか疑ってみてください。
(道)自然な位置に、自然な形であればよしとします。子どもは無意識のうちにも
   自然な位置に道を描こうとします。これが合理的判断力です。
(花)子どもが描く花と、あなたが日ごろ描く花を見比べてみてください。
   親子の密着度が大きい親子ほど、同じ花(形、はなびらの様子など)を
   描きます。
(白い雲)雲が山より高い位置にあればよしとします。
(鳥)絵のじょうず、じょうずでないをこの鳥を見て判断します。(集団でこのテストを
   するとき、一つの基準とします。)
(お日様)最後にお日様を描かせて、テストをしめくくります。




「はやし浩司のホームページ」のほうで、
具体的に、子どもたちが描いた図を示しながら説明しておきました。
興味のある方は、そちらをご覧ください。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
(目次)→(子どもの指導法)→(子育て論文集)のコーナーです。



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今回は、「子どもの巣立ち」を考えてみました。
その時々は、遅々として進まない子育てですが、
終わってみると、あっという間のできごと……。
そんな思いを書いたのが、次の「子どもが巣立つとき」です。
よろしかったら、読んでいただけませんか?

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子どもが巣立つとき……


 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイをしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 

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http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のほうで、「巣立ち、そして老後」というコーナーを新設しました。
「まだ先のこと……」と思っておられる方も多いと思いますが、いつかみなさんの
お役にたてればうれしいです。







件名:子育て情報(はやし浩司)9-5

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    子育て最前線の育児論
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01-9-5号(09)
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 by はやし浩司(ひろし)
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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このところ涼しいですね。
9号をお届けします。
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ところで……
あなたは子どもの横か、うしろを歩いていますか?
親子の断絶は、かなり早い時期(幼児期)から始まります。
この時期に、その兆候をとらえる……、そして予防する……、
それが断絶を防ぐ方法です。

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今日は、雑誌「ファミリス」9月号に載せてもらった記事を
そのまま紹介します。

「ファミリス」は、静岡県教育委員会が編集発行する子育て雑誌です。
県外の方でも、購入できます。ご希望の方は、私のホームページの
トップページから、「ファミリスにコーナー」まで。一冊300円プラス送料
です。

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①親子の断絶が始まるとき

●最初は小さな亀裂

 最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「まさか……」「まだうちの子は小さいから……」と思っているうちに、互いの間の不協和音はやがて大きくなる。そしてそれが、断絶へと進む……。
 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は55%もいる。「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は79%もいる(「青少年白書」平成十年)。が、この程度ならまだ救われる。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに一触即発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこで親は親で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大げんか!
……と、書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに感謝されているはず」と言う親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。
あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察してみてほしい。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休めているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。しかし好んであなたの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げて行くようであれば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中学生の多くが、心が休まる場所としてあげたのが、①風呂の中、②トイレの中、それに③ふとんの中だそうだ(「学外研」九八年報告)。

●断絶の三要素

 親子を断絶させるものに、三つある。権威主義、相互不信、それにリズムの乱れ。「私は親だ」というのが権威主義。「子どものことは、私が一番よく知っている」「子どもは親に従うべき」という親ほど、あぶない。親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前では、仮面をかぶる。いい子ぶる。が、その分だけ、子どもの心は離れる。親は親で、子どもの心を見失う。次に相互不信。「うちの子はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす。しかし親が「心配だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。人間の心は、鏡のようなものだ。イギリスの格言にも、「相手は、あなたが思っているように、あなたのことを思う」というのがある。つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなたの子どもも、あなたを「すばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間を密にする。が、そうでなければ、そうでなくなる。三つ目にリズム。あなたの子どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころを思い出してみてほしい。そのときあなたは子どもの横か、うしろを歩いていただろうか。そうであれば、それでよし。しかしあなたが子どもの前を、子どもの手を引きながら、ぐいぐいと歩いていたとするなら、あなたと子どものリズムは、そのときから狂い始めていたとみる。おけいこ塾でも何でも、あなたは子どもの意思を無視して、勝手に決めていたはずだ。今もそうだ。これからもそうだ。そしてあなたは、やがて子どもと、こんな会話をするようになる。親「あんたは誰のおかげでピアノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高い月謝を払って、毎週ピアノ教室へ連れていってあげたからよ!」、子「いつ誰が、そんなこと、お前に頼んだア!」と。
 権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日からでも遅くないから、子どものうしろを歩く。決して前を歩かない。アメリカでは親子でも、「お前はパパに何をしてほしい?」「パパはぼくに何をしてほしい?」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。

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不況時代に、どう子どもを育てるか……?
深刻な問題ですね。
いやいや、私の仕事も、いろんな面で、大打撃を受けています。
かろうじてがんばっていますが、いつまでもつことやら……?
というのが、現状です。
まあ、がんばって、生きていくしかないですね。
そういうあなたのために、「不況時代の子育て論」です。
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不況時代の子育て論

たくましい子ども

 子どものたくましさは、危機的な状況においてみるとわかる。A君(年長児)は、両親が急用で実家へ帰るときになったときのこと。簡単な食事の用意、戸じまりはもちろんのこと、四歳になる妹の世話まですべて一人でやりこなした。そのつど母親が実家から電話をして、あれこれ指示したというが、母親はこう言って笑った。「やらせればできるもんですね」と。こういう子どもを「たくましい子ども」という。
 そのたくましさ。「子どもは使えば使うほど、たくましくなる」と覚えておく。家事でも何でも、子どもにさせる。中に、「子どもに楽をさせるのが、親の愛」と考えている人がいるが、これは誤解。こんな子ども(年中児)がいた。帰りの時刻になっても、机の上のものを片づけようともしない。そこで身ぶり手ぶりで、片づけるよう指示したのだが、そのうちメソメソと泣き出してしまった。「片づける」という意味すら、わからないようだった。が、その日は運の悪いことに、母親がその子どもを迎えにきていた。母親は子どもの泣き声を聞きつけると教室の中へ飛び込んできた。そしてていねいだが、すご味のある声でこう言った。「どうして、うちの子を泣かすのですか!」と。

自我とたくましさ

 「私は私」というものの考え方を「自我」という。教える側からすると、自我の強い子どもは、「つかみどころ」がはっきりしている。「この子どもはこういう子どもだ」という輪郭(りんかく)のことだと思えばよい。反対に自我の弱い子どもは、そのつかみどころがない。「何を考えているかわからない子ども」ということになる。ものの考え方が、優柔不断で、グズグズした感じになる。フロイドの自我論はよく知られているが、それを子どもにあてはめると、次のようになる。

(参考)フロイト(1856~1939、オーストリアの心理学者)は、自我の強弱によって、人の様子は大きく変わるという。それを子どもに当てはめた表が、次のものである。

自我が強い子ども

●ものごとに攻撃的になり、積極的になる。「やる」「やりたい」という言葉が、子どもの口からよく出てくる。
●現実感が強く、ものの考え方が現実的になる。頼れるのは自分だけというような考え方をする。
●将来に向かって、創造的な趣味が多くなる。たとえば「お金をためて楽器を買う。その楽器でコンクールに出る」「友だちの誕生日のプレゼント用に、船の模型を作る」など。
●ほしいものがある。目の前にはお金がある。こういうときセルフコントロールができ、自分の行為にブレーキをかけることができる。自制心が強く、そのお金には手を出さない。

自我の弱い子ども
●ものごとに防衛的になり。消極的になる。「いやだ」「つまらない」という言葉が多くなる。
●ものの考え方が非現実的になり、空想や神秘的なものにあこがれや期待を抱いたりするようになる。
●一時的な快楽を求める傾向が強くなり、趣味も退行的かつ非生産的になる。たとえば意味もないカードやおもちゃをたくさん集める、など。もらった小遣いも、すぐ使ってしまう。
●衝動性が強くなり、ほしいものに対して、ブレーキをかけられなくなる。盗んだお金で、ほしいものを買っても、欲望を満足させたという喜びのほうが強く、悪いことをしたという意識が生まれない。

自我……意識される客体としての自己に対して、自分を意識する主体(哲学)。個々の心理現象を、一貫した全体的な「自分」として意識する体験(心理学)。人格の中枢機関(精神分析)など。自我のとらえ方は、必ずしも一致していない。英語ではego、selfという。
 
 その自我は、「育てる」という視点からではなく、「引き出す」という視点で考える。どんな子どもも、生まれながらにして、その自我は平等に備わっている。つまり子どもというのは、あるべき環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、親の過干渉、過関心が続くと、その自我はつぶれる。

自己主張(自我)とわがまま

 よく誤解されるが、自己主張(自我)とわがままは違う。自己主張にはそれを主張するだけの理由がある。しかしわがままには、ない。たとえば「お兄ちゃんは、この前、○○を買ってもらったのに、どうしてぼくはだめなのか」と言うのは、自己主張。「あれがほしい、これがほしい」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。一般に自己主張には、ていねいに耳を傾けてあげる。わがままは無視するという方法で、対処する。

がんばる力

 よく「うちの子はサッカーだと一日中している。忍耐力はあるはずだ」と言う人がいる。しかしそういうのは忍耐力とは言わない。子どもの場合(おとなもそうだが)、いやなことをする力のことを忍耐力という。たとえばあなたの子どもに、台所の生ゴミを手で始末させてみてほしい。そのときそれをいやがらずにすれば、あなたの子どもは忍耐力のある子どもということになる。
 この忍耐力のある子どもは、学習面でも伸びる。もともと「勉強」には、ある種の苦痛がつきもの。その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。
 その忍耐力をつけるためには、子どもは、幼いうちから使う。できれば「乳児のときから使う」。……と、講演会の席などで話すと、親は驚く。「乳児のときから……!」と。その通り。子育てのリズムは、実は子どもが乳児のときから始まる。もっと正確には、子どもを妊娠したときから始まる。ある母親は、子どもを妊娠したとき、胎教とか何とか言って、クラシック音楽を聞かせた。その子どもが生まれると、時間に正確にミルクを与えた。そして子どもが四歳になると、音楽教室と英会話教室へ通わせた。この母親に共通するのは、「何でも子どもが望む前に与える」というリズムである。一度このリズムができると、そのリズムを変えるのは容易ではない。

子どものうしろを歩く

 あなたの子どもがヨチヨチ歩きをし始めたころのことを思い出してほしい。そのときあなたは、①子どもの前を手を引きながら歩いていた。②子どもの手を握りながら、子どもの横を歩いていた。③子どものうしろを、子どもをガードするように歩いていた。
 どのケースであるにせよ、それがあなたの子育てのリズムとみる。①のタイプに親は、何ごとにつけ権威主義的で、「子どものことは、私が一番よく知っている」と言う。そして子どものことを何でも先に決めてしまう。おけいこごとでも、何でもだ。しかしその裏で、子どもの心があなたから離れ始めているのに気づかない。最初は小さな亀裂だが、その亀裂はやがて大きくなる。そして断絶へ……と。
 英語国では、親子でもこんな会話をしている。父親「お前はパパに何をしてほしいのか」、子ども「では、パパは、ぼくに何をしてほしいの」と。こういう謙虚な気持ちが、互いの心を開く。
 もしあなたが①のような親だったなら、今日からでも遅くはない。子どものうしろを歩く要領で、子どもの心を確かめながら子育てをしてみてほしい。たったそれだけのことだが、あなたは親子の断絶を防ぐことができる。

リズムと自立

 子育ての目標は、子どもを「よき家庭人として、自立させる」こと。そこであなたのテスト。
 あなたの子ども(小学三年生くらい)が、寝る前になって突然、「明日の宿題をやっていない」と言ったとする。そのとき、あなたは①、子どもを起こして、一緒に宿題をすませてあげる。②、「宿題をやっていないのは、あなたが悪い。明日、学校で叱られてきなさい」と言って、そのまま寝させる。
 これは両極端なケースで、その中間ということもある。しかしもしあなたが②のような親であるなら、あなたは子どもの自立を考えた子育てをしていることになる。「自立」とは、自らが立つということ。つまり、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとるということ。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子どもを自立させるということは、自分で責任をとらせるということ。が、もし①のようであれば、これまた一見、子ども思いのやさしい親に見えるかもしれないが、こういう子育て観(リズム)は、子どもから自立心を奪う。それだけではない。そういう甘さの間げきをぬって、子どもがドラ息子、ドラ娘化する危険性もある。

子育て自由論

 子どもは自由にして育てる。自由とは、もともと「自らに由る」という意味。そしてその内容は、自分で考えさせ、自分で行動させ、自分で責任をとらせるということ。特に三番目の「自分で責任をとらせる」ということが大切。こんな親がいた。
 その子ども(中三男児)が、万引きをして補導されたときのこと。その母親は、「進学にさしつかえる」ということで、その夜のうちにあちこちを走り回り、事件そのものをもみ消してしまった。その子どもがそのあと、ますますドラ息子化したことは言うまでもない。
 子どもを自由にする時期は、できるだけ早い時期がよい。乳幼児のとこからでも、早過ぎるということはない。たとえばミルクでも、子どもが泣いてから与える、など。そういう姿勢が、子どもをたくましくする。

あと片づけと、あと始末

 日本人の習性のようなものだが、日本人は、あと片づけにはうるさいが、あと始末には甘い。たとえば冷蔵庫から牛乳パックを取り出して飲んだとする。そのときそのパックをまた冷蔵庫へ戻せば、それでよし。しかしそのままにしておくようであれば、あと始末のできない子どもとみる。
 数年前だが、アメリカ人の友人が私にこう言った。「ヒロシ、日本の子どもたちは一〇〇%、スポイルされているよ」と。「スポイル」というのは、「ドラ息子」という意味である。そこで私が、「では君は、一体、子どものどういうところをみてそう思うのか」と聞くと、こう話してくれた。
 「ときどきホームスティさせてやるのだが、料理の手伝いをしない。食後も、食器洗いを手伝わない。シャワーを浴びても、アワを流さない。朝起きても、ベッドをなおさない。何もしないのだよ」と。
 一方、欧米では、あと片づけについては、親はそれほどうるさく言わない。反対に、あと始末にはうるさい。かなり突っ張ったような子どもでも、食後は食器をシンクへ運び、それを自分で洗ったりしている。反対にこの日本では、「勉強する」「宿題がある」と言えば、子どもはすべてを免除される。親、「スキヤキの焼き豆腐がないから、スーパーで買ってきて」、子、「勉強がある」、親、「じゃあ、いいわ」と。

よき家庭人思想

 日本ではことあるごとに、学校の先生はこう言う。「立派な社会人になってくれ」「社会で役立つ人になれ」と。一方、アメリカやオーストラリアでは、こう言う。「よき家庭人にんれ」と。「よき市民になれ」と言うときもある。フランス人に確かめたら、フランスでもそうだそうだ。ドイツでもそうだそうだ。私はこうした違いから、日本人の子育てを、出世主義。欧米の子育てを、家族主義と呼んでいる。もちろん彼らにそういう主義があるわけではない。それが彼らにしてみれば、常識なのだ。
 何でもないような違いだが、この違いは大きい。日本の出世主義は、日本独特の上下意識、さらには権威主義とからみついている。そしてそれが全体として学歴信仰や学校神話と結びついている。一方、たとえばアメリカ人にしても、日本でいうような学歴社会はない。大学にしても、入学後の学部変更は自由だし、大学から大学への転籍すらほぼ自由化されている。学校にしても、九七年度だけでも、いわゆる家庭で勉強する「ホームスクーラー」が、一〇〇万人を超えた。二〇〇一年末には、二〇〇万人になるだろうと言われている。「LIF(自由に学ぶ)」という組織も、できている。こうした違いの背景にあるのが、ここでいう家族主義である。子どものときから、アメリカの子どもたちは、「よき家庭人として自立する」ことを徹底的に叩き込まれている。だから大学生にしても、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなければならないほど、少ない。どこの大学へ入るかよりも、どこからどの程度の奨学金を得るかのほうが、彼らにしてみれば重要なのだ。「大学へ行くのは、その道のプロになるため」という意識も、そこから生まれる。

一芸論

 子どもの才能は作るものではない。見つけるもの。S君(年長児)は、父親が新車を買ったとき、その車についているスイッチに、たいへん興味をもった。そこで父親がパソコンを買い与えると、案の定S君は、そのパソコンにのめり込んでいった。小学三年生のときにはベーシック言語を。中一のときには、C言語をマスターしてしまった。今は、大手のコンピュータソフト会社で、プログラムの分析技師をしている。
またB子さんは、歩くよりも先に、風呂の中で泳ぐことを覚えた。そこで母親が水泳教室に入れてみたところ、まさに水を得た魚のように泳ぎ始めた。このB子さんは、そののち、中学三年のときには、水泳の全国大会にまで出場するようになった。
 こうした例は多い。が、この一芸には、もう一つの意味がある。中に、「勉強一本」という子どもがいる。しかしこのタイプの子どもは、一度つまずくと、それこそ坂をころげ落ちるように、成績がさがる。そういうときのために、というわけではないが、子どもには一芸をもたせるとよい。その一芸が子どもを側面から支える。

一芸論(2)

 ここでいう一芸といっても、それは集団の中で「光るもの」でなければならない。カード集めをしているとか、ゲームをうまくできるというのは一芸ではない。モデルガンをたくさんもっているというのも、一芸ではない。一芸というのは、努力と才能によって、前向きに伸びていくものをいう。
 この一芸を見つけたら、お金と時間をたっぷりとかける。この思い切りのよさが、子どもの一芸を伸ばす。

プロ型社会の到来

 日本のバブル経済が崩壊したとき、同時に日本の「エリート神話」も、崩壊した。Y証券の倒産劇の中で、社長が、「みんな、私が悪いのです」と泣いてみせたのが、それを象徴している。私たちが学生時代には、大企業の社長がマスコミの前で大泣きするなどということは、考えられなかった。また就職先にしても、都会の大企業へ就職できたのは「出世組」。そうでないのは、「失敗組」と考えられていた。
 五年ほど前だが、私にこう言った男(六八歳)がいた。「君は、学生運動か何かをしていて、どうせロクな仕事にはつけなかったのだろう」と。私が「幼児教育を開いています」と言ったときのことである。こうした職業観は、日本人が共通してもっていたものであり、それが一方で日本の教育をゆがめてきた。
 が、これからはもうそういう時代ではない。日本以外の先進国では、学生たちは、その道のプロになるために勉強している。大学生たちも、そういう意識をしっかりともっている。日本もやがてそうなるだろうし、またそうしなければならない。権威者が、力もないまま、いばったり、権力を振り回すような時代は、もう終わったのだ。
 
プロを認める社会

 プロ型社会では、当然のことながら、プロであることが正当に評価されねばならない。が、ということは同時に、私たちの意識もプロ化しなければならない。言うなれば、「互いに力のなさをなぐさめあうような甘い社会」からの脱皮をするということ。今までの日本の社会は、あまりにも、「ムラ」的であった。(このムラ意識は日本のよさだと主張する人もいるにはいるが、もしそうなら、「国際化」などという言葉は使わないことだ。それともアフリカの原住民のように、東洋の島国でひっそりと、静かに暮らすということか。)
 そういう意味では、きびしい世界がやってくる。それは覚悟しなければならない。話はそれたが、ここでいう一芸論は、そういうプロ型社会の到来を予想したものである。


(以下、続く……)

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以下、前号です
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お元気ですか?
マガジン8号をお届けします。

前回、「簡単な知能テスト」を送りましたが、サイトのほうでは、
さらにそれを充実させました。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
→目次より、(NEW!子どもの心・能力・知力)とおいでください。

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●子どもの心を知る
●子どもの能力を知る
●子どもの知力を知る
●子どもの生活力を知る、の4部作になっています。

それぞれ子どもたちが実際書いたり、描いた作品をもとに
子どもの能力を考えます。

どれも紙と鉛筆(クレヨン)があればできるテストばかりです。
どうかご家庭で、ご利用ください。

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あなたのお子さんは、箱の立体図形(見取り図)が、描けますか?

  (1)だいたい正確に描ける
  (2)四角の集まりのようで、かろうじて箱に見えるのが描ける
  (3)まだ描けない

老人のボケ症状に詳しいあるドクターが、こう話してくれました。
「箱の立体図形が描ける老人は、小学3年生以上の知的能力があるとみる。
しかし描けない老人は、小学3年生以下の知的能力の人とみる」と。
実際、ボケの診断法の一つとして、立体図形の模写が採用されています。

箱の立体図形が描けるようになるのは、小学3年生くらいからとみます。

が、もしあなたのお子さんが、幼児で、ほぼ正確に立体図形が描けるようなら、
かなり知的能力のすぐれたお子さんとみてようでしょう。具体的な例と、作品
は、サイトの「子どもの知力を知る」に掲載しておきましたので、興味の
ある方は、どうかご覧になってください。

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