Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, December 24, 2007

●Let’s it be!

●レット・イット・ビー

(音楽↓、クリック)
http://www.youtube.com/watch?v=4oZYqAeIdYk&feature=related

●レット・イット・ビー

 夫がいて、妻がいる。その間に子どもがいる。家族というのはそういうものだが、その夫と妻が愛し合い、信頼し合っているというケースは、さがさなければならないほど、少ない。どの夫婦も日々の生活に追われて、自分の気持ちを確かめる余裕すらない。

そう、『子はかすがい』とはよく言ったものだ。「子どものため」と考えて、必死になって家族を守ろうとしている夫婦も多い。仮面といえば仮面だが、夫婦というのはそういうものではないのか。もともと他人の人間が、一つ屋根の下で、10年も20年も、新婚当時の気持ちのままでいることのほうがおかしい。私の女房なども、「お前は、オレのこと好きか?」と聞くと、「考えたことないから、わからない」と答える。
 …こう書くと、暗くてゆううつな家族ばかりを想像しがちだが、そうではない。こんな夫婦もいる。先日もある女性(40歳)が私の家に遊びに来て、女房の前でこう言った。「バンザーイ、やったわ!」と。

聞くと、夫が単身赴任で北海道へ行くことになったという。ふつうなら夫の単身赴任を悲しむはずだが、その女性は「バンザーイ!」と。また別の女性(33歳)は、夫婦でも別々の寝室で寝ているという。性生活も年に一度あるかないかという程度らしい。しかし「ともに、人生を楽しんでいるわ。それでいいんじゃあ、ない?」と。明るく屈託がない。

要は夫婦に標準はないということ。同じように人生観にも家庭観にも標準はない。人は、人それぞれだし、それぞれの人生を築く。私やあなたのような他人が、それについてとやかく言う必要はないし、また言ってはならない。あなたの立場で言うなら、人がどう思おうが、そんなことは気にしてはいけない。
 問題は親子だ。私たちはともすれば、理想の親子関係を頭の中に描く。それ自体は悪いことではない。が、その「像」に縛られるのはよくない。それに縛られれば縛られるほど、「こうでなければならない」とか、「こんなはずはない」とかいう気負いをもつ。この気負いが親を疲れさせる。子どもにとっては重荷になる。不幸にして不幸な家庭に育った人ほど、この気負いが強いから注意する。「よい親子関係を築こう」というあせりが、結局は親子関係をぎくしゃくさせてしまう。そして失敗する。
 そこでどうだろう。こう考えては。つまり夫婦であるにせよ、親子であるにせよ、それ自体が「幻想」であるという前提で、考える。もしその中に一部でも、本物があるなら、もうけもの。一部でよい。そう考えれば、気負いも取れる。「夫婦だから…」「親子だから…」と考えると、あなたも疲れるが、家族も疲れる。

大切なことは、今あるものを、あるがままに受け入れてしまうということ。「愛を感じないから結婚もおしまい」とか「親子が断絶したから、家庭づくりに失敗した」とか、そういうふうに大げさに考える必要はない。つまるところ夫婦や家族、それに子どもに、あまり期待しないこと。ほどほどのところで、あきらめる。

そういうニヒリズムがあなたの心に風穴をあける。そしてそれが、夫婦や家族、親子関係を正常にする。ビートルズもかつて、こう歌ったではないか。「♪レット・イット・ビー(あるがままに…)」と。それはまさに「智恵の言葉」だ。