Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, December 20, 2007

*To live, following a flag, is very easy.

●旗についていく(To live, following a flag, is very easy.)

To live, following a flag in the front, is very easy. On the contrary to live, walking in the front with a flag above, is not easy. To live, depending on other people, is very easy. On the contrary to live independently from others is not easy. As to the children, it is not the education to lead them, walking before them with a flag above. Education is the education which educes their ability from them and make them think and act independently.

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同じ旅行でも、旗についていく旅行ほど、
楽なものはない。

一方、旗を立てて歩く人は、たいへん。
神経を使う。気を使う。気を配る。
旅行を楽しむ余裕など、どこにもない。

つまりそれが指導者と、被指導者のちがい
ということになる。

旗を立てて、前を歩く人が指導者。
その旗のあとを、ぞろぞろと歩いていく
人が、被指導者ということになる。

被依存者は、それでよいとしても、
こわいのは、依存性。
その依存性がつきすぎると、自分で
歩くどころか、立ちあがることさえ
できなくなる。

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 旅行にかぎらない。なにごとでも、他人が敷いてくれたレールの上を歩いていくのは、簡単なこと。こんな話がある。

 合成ゴムを世界でいちばん早く完成させたのは、フランスのデュポン社の研究者たちだったという。多くの研究者たちが、何年も苦労に苦労を重ねたのち、やっとのことで合成ゴムの製造に成功した。

 が、そのあと、同じものを学生に作らせてみたところ、学生たちは何と数か月で、合成ゴムを作ってみせたという。恩師の田丸先生から、聞いた話である。

 ものを考える世界でも、そうである。

 自分で考え、自分でその考えをまとめ、さらにそれらの考えをひとつにし、思想らしきものにするのは、たいへん。その苦労は、たとえて言うなら、何千キロもの荒野を、ひとりで歩くようなもの(?)。私には経験がないので、よくわからないが、私はそう思う。

 が、他人の思想を知り、それを自分のものにするのは、簡単!

 「私は考えている」と言う人にしても、ほんとうに自分で考えているかどうかは、疑わしい。たいていは他人の思想の上に、自分の(思い)を重ねているだけ。あるいは他人の思想を変形させているだけ。他人から得た思想を、「自分の思想」と思い込んでいるだけ。

 中には、(情報)を、(思考)と誤解している人がいる。ものごとをよく知っているからといって、その人に思考力があるということにはならない。幼稚園児が掛け算の九九をペラペラと口にしたからといって、算数の力があるということにはならない。

 最近、こんな人に出会った。ある宗教団体の熱心な信者で、この地区の幹部をしている。その人があれこれと私に、その教団の教えを説明しながら、こう言った。

 「私は、この仏法に、命をかけている」「A先生は、私の師だ」「△△経(経文のこと)を、そしるものは、たとえ親兄弟でも許さない」と。

 そこで私が「許さない」というのは、どういうことかと聞くと、その人は、こう答えた。

 「許さないということは、許さないということ。縁を切る。ばあいによっては、親兄弟でも、殺す」と。

 同じ旗についていく人でも、それが宗教となると、人は、そこまで思い込むようになる。私はその話を聞きながら、「だれも、△△経をそしるようなことは、しない」「その人が信仰をして、それで幸福なら、それはそれでいいこと」「そしるとか、そんな失敬なことはしない」と思った。つまりそれはその人の、被害妄想ということになる。

 それはともかくも、何ごとも先を歩くということは、たいへん。またその(たいへんさ)を克服しないかぎり、人の前を歩くことはできない。

 一方、だれかが持った旗についていくのは、楽。何も考えなくてもよい。しかし他人の持った旗について歩いてばかりいると、今度は、自分で歩けなくなる。さらにそれを繰り返していると、歩くどころか、自分で立つことすらできなくなる。そうなれば、ますます依存性ばかりが強くなる。

 もうおわかりのことと思うが、子どもの世界には、「パラサイト」という言葉がある。パラサイトというのは、寄生虫をいう。そういう生き方をしている人を、「パラサイト・シングル」という。(ふつう「パラサイト・シングル」というときは、親のスネをかじって生きる若者をいう。)

 子どもの世界でも、気をつけないと、子どもに依存性ばかりもたせて、その子どもを自立できなくしてしまうことがある。よい例が、受験勉強。旗をもった人が、どんどんと子どもを先導する。課題を与える。子どもは言われるまま、それについていく。自分で考えて行動するということは、まず、ない。

 一見、教育に見えるが、これは教育ではない。指導でもない。ただの訓練。しかもその訓練というのは、子どもに依存性をつけさせるだけ。長い目で見れば、かえって弊害ばかりが目立つようになる。

 今、高校生でも、自分の能力に合った参考書や、問題集を買うことができない子どもがふえている。大学生でも、生活感がまったくない子どもも多い。勉強はできるが、料理といえば、できるのは卵焼きだけ、とか、など。部屋の掃除すら、しない。・・・しないというより、できない。

 旗のあとをついて歩いてばかりいると、子どもでも、そうなる。それなりの成果(?)はあるかもしれないが、そこまで。

(付記)

 同年齢ということもあって、このところ、退職をした人たちのあとを知る機会が多くなった。で、そういう人たちを見ていると、大きく、つぎの2つのタイプに分けることができるのを知る。

 ひとつは、再就職することばかりを考えているタイプ。このタイプの人は、「お金は、貰うもの」という意識が強い。「いい仕事が見つかった」「給料がいい」とか言う。

 もうひとつは、自分でしたいことを見つけて、それに向かって前に進んでいくタイプ。このタイプの人は、「お金は自分で稼ぐもの」という意識が強い。「人に使われるのはいや」「人を使うのもいや」とか言う。

 もうひとつ、年金だけを頼りに、これといった仕事もしないで、日々を過ごすタイプの人もいる。庭いじりと孫の世話。あとは旅行三昧に趣味三昧。が、これは論外。

 つまり退職してからも、旗を立てて、前を歩く人と、旗に従って、そのあとをついて行く人に分かれるということ。しかもこの年齢になると、それまでの生き様を変えることは、容易なことではない。・・・というより、不可能。

 やはり子どものころからの育て方、教育のし方こそ、重要ということになる。

(追記)

 ところで本文の中に書いた、「ある宗教団体の熱心な信者」のことだが、その信者というのは、ほんとうは女性だった。(本文の中では、男性のように書いたが、実際は、女性だった。その女性は、こう言った。「夫がこの信仰に反対したら、離婚するのもやむをえません」と。)

 その女性だが、さも私はできた人間です・・・というような表情で、私と話している間中、穏やかな笑みを消さなかった。

 しかし私には、それが不気味だった。仮面型人間の特徴というか、表情に、自然ぽさがなかった。熱心に信仰しているという人にときどき見られる現象である。しかしいくら自分は高邁(こうまい)な人間と思っても、人間らしさまで失ってはいけない。

【仮面型(ペルソナ)人間の特徴】

(1) 表情に、自然ぽさがない。
(2) 何を考えているか、つかみにくい。
(3) 穏やかで、できた人という印象を与える。
(4) それらしいことを口にするが、こちらの心にしみこんでこない。
(5) ときに不気味な印象を与える。
(6) 見た目には、いつも静かに落ち着きはらっている。

 だれしもときとばあいによっては、仮面をかぶる。(まったく仮面をかぶれないというのも、問題である。社会適応性を失う。)大切なことは、仮面は仮面と知り、自分の世界にもどったら、仮面を脱ぐこと。仮面を脱ぎ忘れると、ここでいう仮面型人間になってしまう。宗教家や教師、牧師に、このタイプの人が多い。