*A couple named Mr. and Mrs. K
●Kさん夫婦(A couple named Mr. and Mrs. K)
*What should a couple be like? Is it a normal style of a couple whose husband works in offices in day-time and whose wife does quite adifferent thing at home? Here is an article about it.
Kさんは、今では珍しい、専業農家を営んでいる。
「珍しい」というのは、このあたりでは、専業農家の人は、ほとんどいないということ。
数年前までは、もっぱらミカンを栽培していた。
が、高齢になったこともあって、今は花木に主流を移している。
その分、ミカンは少なくなった。
そのKさんは、いつも奥さんと二人で仕事をしている。
何をするにも、二人といった感じ。
そういうKさん夫婦を見ていると、「ああ、これが夫婦の、もともとの、あるべき姿なんだなあ」と思う。
言いかえると、夫は会社勤め、妻はもっぱら家事、あるいは共働きというのは、もともとあるべき姿ではないということになる。
このことは、外国の夫婦と、くらべてみても、わかる。
たとえば同じサラリーマンにしても、夫婦の密着度は、国によって違う。
オーストラリアの友人も、長い間、サラリーマンをしているが、若いころは昼食を食べるためにも、家に帰っていた。
あるいは奥さんが、夫の会社の近くまでやってきて、いっしょに昼食を食べていた。
「今は?」と聞くと、「今は、(たがいに歳をとり)、めんどうになった。(I can‘t be bothered so much.)」と。
その違いがきわまったものが、単身赴任ということになるが、オーストラリアでは、今も、昔も、日本型の担任赴任など、考えられない。
こう考えていくと、夫婦とは何かという問題にまで、発展してしまう。いくら「夫婦には形はない」とは言うものの、「ではなぜ、男と女は結婚するのか」ということまで考えていくと、夫婦にも、ある程度の「形」があるのではないかということになる。
もちろんその形にこだわるのも、よくない。反対に今、いわゆる「形だけの夫婦」が、多い。
多すぎる。
そこでKさん夫婦を見てみると、たがいに夫婦というよりは、仲のよい友だちといった感じがする。
たがいに仕事をしているときでも、助けあうとか、いたわりあうとか、そういう意識はないように思う。
ただ淡々と自分のことをしているだけといったふう。若い夫婦のように、「愛している」とか、「愛されている」とか、そういうイチャイチャしたムードはもちろんない。
あえて言うなら、たがいに空気のような存在? が、それでいて、二人の呼吸がピタリとあっている。
……となると、夫婦というのは、その「呼吸」ということになる。呼吸があっていれば、夫婦。呼吸があっていなければ、夫婦ではない?
形があるとするなら、それが夫婦の、あるべき形ということになる。
外見ではなく、あくまでも中身。
中身さえあれば、それを包む形には、それほど意味はない。
これからの日本は、夫婦がこうした中身のある夫婦になれるよう、少しずつでも、そのしくみを変えていかねばならない。
たとえば夫が同僚と飲み食いするときでも、妻が同席するとか、あるいは夫の仕事を手伝うために、たまには妻も会社へいき、アルバイトをする、とか。
住居と職場を近づけるとか、あるいは在宅ワークを、もっとポピューラーにするとか。方法はいくらでもある。
少なくとも、今までのように、夫の仕事のために、妻のみならず、家族全体が犠牲になるような、あるいはそれを当然とするような社会のあり方は、お・か・し・い。
Kさんの家で、ミカンを数箱分けてもらいながら、私はそんなことを考えていた。
●結婚、つまり両性の結合は、それ自体はもっとも小さな社会の一つだとしても、もっとも大規模な政府の存在そのものとなる源泉である。(ベンジャミン・フランクリン)
●強い家族をもてば、米国はより強くなる。(クリントン元大統領)
●すべての幸福な家庭は、たがいによく似ているが、不幸な家庭は、それもが、それぞれの流儀で、不幸である。(トルストイ「アンナ・カレーニア」)
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