Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, January 24, 2008

*Democracy vs Capitalism

●民主主義vs資本主義(Democracy vs Capitalism)

Capitalism often invades democracy and more often it brings democracy into crisis. What is needed is how we can control the capitalism with the power of democracy. Otherwise democracy itself would be collapsed. Here I take an example and discuss about it.

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ロバート・ライシュという人が
書いた、「新資本主義」(Taming Super-
Capitalism)という本が話題になっている。

オーストラリアに住む友人が、読んで
みたらよいと勧めてくれた。

概略を言えば、資本主義と民主主義の
対立について書いた本ということになる。

資本主義は、金儲け主義が前提となって
いる。商品のリサクルにしても、企業は、
何も、社会的正義感があって、それを
しているのではない。
よりコストをさげるために、それをする。

社会的責任や、社会的道徳があるから、
それをしているのではない。

すべてが(金儲け)につながっている。

一方、民主主義は、常にこうした資本主義に
振り回されるという宿命を負っている。

私なりに、ひとつの例をあげて考えてみたい。

たとえば日本には進学塾というものがある。
アメリカにも、学外教育組織として、
ラーニング・センター(Learning Centers)の
ようなものはある。

しかし内容は、まったく、ちがう。

日本の進学塾は、どうカモフラージュ
しようとも、(企業)である。金儲けを
目的とした、企業である。

もちろん進学塾とて、需要と供給の
バランスの上に成り立っている。
需要があるから、存在する。
「悪」と決めてかかっては、いけない。

では、なぜ、親たちが、子どもを進学塾
へ通わせるかと言えば、理由は、簡単。

親たちは、自分の生活を通して、社会の
不公平を、毎日、いやというほど、見せつけ
られている。

それから生まれる不公平感が、親たちを
して、子どもを進学塾へ走らせる。

しかしその一方で、進学塾がもたらす弊害も
少なくない。数えたら、キリがない。
が、何よりも最大の弊害は、進学塾が、
こうした公平感、もっと端的に言えば、
社会的格差を拡大させているということ。

ある大蔵官僚(当時)は、テレビのレポーター
の質問に答えて、こう言っていた(テレビ報道・
1999年)。

レポーターが、「天下りをどう思いますか?」
と聞いたときのこと。私ら、学生時代勉強で
苦労したのだから、当然だ」「国のために仕事
ばかりしているから、退職後の仕事をさがす
ヒマもない。(だから国が用意してくれるのは、
当然だ)」と。

中には、進学塾の世話にならず、官僚になった
人もいるかもしれない。しかしそういう人は、
例外。大半は、その進学塾の世話になっている。

こんな話もある。

都内の公立高校の学力低下がはげしかったころ
のこと。いろいろと話題になったが、文部省の
役人の子弟で、公立高校へ通っている子どもは、
ほとんどいなかった。
(私は、「ゼロ」と聞いていた。)

つまりこうして社会的格差は広がり、
不公平感が一般社会に蔓延することになる。
そしてそれが直接的に、民主主義の危機へと
つながる。

もっともだからといって、進学塾だけを
やり玉にあげることは正しくない。

進学塾も、その他、あまたある(企業)の
ひとつに過ぎない。
そこで働く講師にしても、その範囲で、
懸命に仕事をしている。

だがどこかで、だれかが進学宿をコント
ロールしないと、たいへんなことになる。

もっと端的に言えば、どこかで、だれかが、
資本主義をコントロールしないと、それこそ
民主主義の危機どころか、地球温暖化の例を
見るまでもなく、全生物を絶滅にまで、
追い込んでしまう。

つまりこれが冒頭に書いた、資本主義と
民主主義の対立ということになる。

もっともこのテーマは、何も、今に始まった
ことではない。
10年前にも、20年前にもあった。
そこでたぶん、ロバート・ライシュという
人は、その打開策として、「新資本主義」
という本を書いたにちがいない。

翻訳本も出ているということだから、
あとで書店でさがしてみるつもり。

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8年前の2000年に書いた原稿を
添付します。
(中日新聞、発表済み)

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日本の将来を教育に見るとき 

●人間は甘やかすと……?

 官僚の天下りをどう思うかという質問に対して、ある大蔵官僚は、「私ら、学生時代勉強で苦労したのだから、当然だ」「国のために仕事ばかりしているから、退職後の仕事をさがすヒマもない。(だから国が用意してくれるのは、当然だ)」(NHK報道・九九年春)と答えていた。

また別の女子学生は、「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。私たちは言われるまま、まじめに勉強してきたのだから」(新聞投稿欄)と書いていた。人間は甘やかすと、ここまで言うようになる。

●最後はメーター付きのタクシー

 私は以前、息子と二人で、ちょうど経済危機に見舞われつつあったタイを旅したことがある。息子はともかくも、私はあの国にたまらないほどの懐かしさを覚えた。それはちょうど四〇年前の日本にタイムスリップしたかのような懐かしさだった。あの国では誰もがギラギラとした脂汗を流し、そして誰もが動きを止めることなく働いていた。若者とて例外ではない。タクシーの運転手がこんな話をしてくれた。

若者たちは小銭ができると、まずバイクを買う。そしてそれで白タク営業をする。料金はその場で客と交渉して決める。そこでお金がたまったら、「ツクツク」と呼ばれるオート三輪を買って、それでお金をためる。さらにお金がたまったら、四輪の自動車を買って、それでまたお金を稼ぐ。最後はメーター付き、エアコン付のタクシーを買う、と。

●日本には活気があった

 形こそ多少違うが、私たちが子どものころには、日本中に、こういう活気が満ちあふれていた。子どもたちとて例外ではない。私たちは学校が終わると磁石を持って、よく近くの小川へ行った。そこでその磁石で金属片を集める。そしてそれを鉄くず屋へ持っていく。それが結構、小づかい稼ぎになった。父の一日の稼ぎよりも多く、稼いだこともある。が、今の日本にはそれはない。「生きざま」そのものが変わってきた。先日もある大学生が私のところへやってきて、私とこんな会話をした。

学「どこか就職先がありませんか」
私「君は何ができる?」
学「翻訳ぐらいなら、何とか」
私「じゃあ商工会議所へ行って、掲示板に張り紙でもしてこい。『翻訳します』とか書いてくれば、仕事が回ってくるかもしれない」
学「カッコ悪いからいやだ」
私「なぜカッコ悪い?」
学「恥ずかしい……。恥ずかしいから、そんなこと、できない」

 その学生は、働いてお金を稼ぐことを、「カッコ悪い」と言う。「恥ずかしい」と言う。結局その学生はその年には就職できず、一年間、カナダの大学へ語学留学をすることになった。もちろんその費用は親が出した。

●子どもを見れば、未来がわかる

 当然のことながら日本の未来は、今の若者たちが決める。言いかえると、今の日本の若者たちを見れば、日本の未来がわかる。で、その未来。最近の経済指標を見るまでもない。結論から先に言えば、お先まっ暗。このままでは日本は、このアジアの中だけでも、ごくふつうの国になってしまう。いや、おおかたの経済学者は、二〇一五年前後には、日本は中国の経済圏にのみ込まれてしまうだろうと予想している。

事実、年を追うごとに日本の影はますます薄くなっている。たとえばアメリカでは、今では日本の経済ニュースは、シンガポール経由で入っている(NBC)。どこの大学でも日本語を学ぶ学生は急減し、かわって中国語を学ぶ学生がふえている(ハーバード大学)。

私たちは飽食とぜいたくの中で、あまりにも子どもたちを甘やかし過ぎた。そのツケを払うのは、結局は子どもたち自身ということになるが、これもしかたのないことなのか。私たちが子どものために、よかれと思ってしてきたことが、今、あちこちで裏目にでようとしている。

(参考)

●日本の中高生は将来を悲観 

 「二一世紀は希望に満ちた社会になると思わない」……。日韓米仏四カ国の中高生を対象にした調査で、日本の子どもたちはこんな悲観的な見方をしていることが明らかになった。現在の自分自身や社会全体への満足度も一番低く、人生目標はダントツで「楽しんで生きること」。学校生活で重要なことでは、「友達(関係)」を挙げる生徒が多く、「勉強」としたのは四か国で最低だった。

 財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが二〇〇〇年七月、東京、ソウル、ニューヨーク、パリの中学二年生と高校二年生、計約三七〇〇人を対象に実施。「二一世紀は希望に満ちた社会になる」と答えたのは、米国で八五・七%、韓仏でも六割以上に達したが、日本は三三・八%と際立って低かった。自分への満足度では、米国では九割近くが「満足」と答えたが、日本は二三・一%。学校生活、友達関係、社会全体への満足度とも日本が四カ国中最低だった。

 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、フランスは弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽しむ」が六一・五%と最も多く、米国は「地位と名誉」(四〇・六%)、フランスは「円満な家庭」(三二・四%)だった。

 また価値観に関し、「必ず結婚しなければならない」と答えたのは、日本が二〇・二%だったのに対し、米国は七八・八%。「国のために貢献したい」でも、肯定は日本四〇・一%、米国七六・四%と米国の方が高かった。ただ米国では「発展途上国には関心がない」「人類全体の利益よりわが国の利益がもっと重要だ」とする割合が突出して高く、国際協調の精神が希薄なことも浮かんだ。

 千石理事長は「日本の子どもはいつの調査でもペシミスティック(悲観的)だ。将来の夢や希望がなく、今が楽しければよいという現在志向が表れている。一九八〇年代からの傾向で、豊かになったことに伴ったのだろう」と分析している。

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民主主義は、積極的に守ってこそ、守れる。
また守らねばならない。

ついでながら一言。

社会の完成度は、いかに弱者にやさしい
かで、測定される。

弱者にやさしい社会を、完成度の
高い社会という。そうでない社会を、
低い社会という。

弱者を平気でふみにじるような社会は、
そも、私たちが求める社会ではない。
またそういう社会を、許してはいけない。

民主主義が何のためにあるかといえば、
私たちの高い理念を、そこに具現化する
ためである。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 民主主義 超資本主義 supercapitalism 資本主義の限界)