Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, January 27, 2008

*A trip to Haneda, and a pick-pocket

【スリ?】(Pick-Pocket)

My wife and I went to Hneda to meet my son. My son was there to meet with us at Shin-Yokohama. Then we took a bus to Haneda airport where he has been trained since early this month. This is a story about a pick-pocket I met on the way back home.

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●新横浜駅で

場所は、新横浜駅。
東横線の改札口を出て、新幹線の乗り場に向かっていた。
エスカレーターをおりた。そこでのこと。
背中で、ゴソゴソとした動きを感じた。

日曜日の夕刻で、周辺は、かなり混雑していた。

エスカレーターをおりたところで、横にいたワイフが、こう言った。
「(バッグの)チャックがあいているわよ」と。

バッグを横腹のほうへ回してみると、チャックが、15~20センチほど、あいていた。
私は「?」と思いながら、チャックを閉めなおした。

このところ、何かと自分を信じられないことがつづく。
「たしかに閉めたのに……」と心の中で思った。

私は改札口の右横にある自動販売機で、切符を買った。

●カードがない!

「中華料理店で見たときには、チャックは閉まっていた」と私。
「おかしいわね」とワイフ。

一度、同じような経験を、以前、ディズニーランドでもしている。
何かの乗り物に乗ったあと、自分のバッグを見ると、バッグの口が大きく開いていた。

幸いにもそのときには、お金など、大切なものは、入れてなかった。
「スリだろう」と思ったが、しかし私には、そのときの覚えがまったくなかった。
しかし今度は、背中で、ゴソゴソとした動きを感じた。

「きっとスリだよ」
「そうね」と。

新幹線に乗ったあと、私は、バッグを大きく開けると、中身を確かめた。
カード類が入っている、小さなサイフがあるはずである。
が、どこをさがしても、それがない!

とたん、胸騒ぎ。ハラハラとした胸騒ぎ。

「VISAのカードと、N証券のカードがない……」と。
座席の上にバッグを置き、中身を、すべて出してみた。

が、カード類が入っている、小さなサイフがない!

●冷静に

当初、不安と心配が、ドカッと私を襲った。
がん検診か何かを受けて、要精密検査の知らせを受けたときの気分に似ていた。
私は、そう感じた。

が、それも一巡すると、冷静な判断力が働き始めた。

VISAカードは、1日の使用限度額が、10万円以内に設定してある。
N証券のカードは、N証券会社内の機械でしか、使えない。
それにN証券のカードには、暗証番号が必要である。
「明日の9時に連絡すればいい」と。


「VISAカードで買い物でもされたら、困るね」と私。

心のすみに不安感を押しやりながら、ワイフにそう言った。

「家に帰ったら、カード会社に連絡しよう」
「どこかに置き忘れたのじゃ、ない?」
「そうかもしれない……」
「でもね、あなたのバッグは、パンパンにものが入っているでしょ。
スリでも、手が入らないわよ」と。

バッグの中には、パソコン雑誌が入っていた。
それがバッグの上の方を、おおっていた。

●合理化

こういうとき心理学でいう、合理化が、心の中で始まる。
「使われるとしても、10万円まで」
「どこかの旅館で一泊したと思えばいい」
「株か何かで、10万円、損をしたと思えばいい」
「明日、その分を、株か何かで、もうければいい」と。

さらに、「命があるだけでも、もうけもの」
「がんの精密検査とは、ちがう」
「10万円で健康が買えれば、安いもの」
「元気で、横浜で遊んできたのだから、文句を言うな」とも。

こうしてスリにあったことを、自分の中で、解消しようとする。

再びワイフが口をきいた。

「サイフを、家のどこかに置き忘れたのかもしれないわよ」と。

たしかにその可能性はあった。
ときどきそのサイフを外に取り出すことがある。
台所のXXに置くこともある。

「記憶のどこかで、そんなようなことをしたのを覚えている……」と。
しかしその自信はなかった。

●恐怖

最近、ときどき、自分を信じられなくなるときがある。
ものの置き忘れも、多い。
置き忘れというより、どこに置いたか忘れてしまう。

それは「恐怖」と言ってもよい。
たとえば洗面所で顔を洗うために、手袋をはずす。
が、顔を洗ったあと、その手袋をどこに置いたか、わからなくなる。

で、さがしてみると、洗面台のすぐ横に、それがあったりする。
最初見たときは、そこにはなかったはず……、と。

脳細胞が、老化しているためか?
それとも認知症の始まりか?

何であるにせよ、自分を信じられなくなるというのは、恐怖そのものである。

そこで最近、私は、小さなボイスレコーダーをぶらさげて歩くようになった。

そのつど、私の声を録音しておくためである。
わかりやすく言えば、メモがわり。
しかし手袋のようなものは、いちいち録音しない。
「手袋は、洗面台の横に置きました。これから顔を洗います」と。

●あきらめ

こうした心理的な緊張感は、それほど、長つづきしない。
心の緊張感を持続するためには、相当なエネルギーを消耗する。
やがて疲れてくる。
それにつられて、緊張感も薄れてくる。
とくに昨日は、横浜から羽田へ、そして羽田から蒲田(かまた)へと、歩いた。
ふつうなら、新幹線に乗ったとたん、眠り始めるところ。

事実、「何とかなる」と思ったとたん、スーッと睡魔が襲ってきた。
見ると、ワイフは、すでに眠っていた。
「のんきな人だな」と思った。
と、同時に、私もウトウト、し始めた。

が、私という人間は、いまだかって、一度たりとも、寝過ごしたことはない。
DNAで構成された体内時計の性能が、よいせいではないか。
いくら眠っても、別の脳みそが、カチカチと時を刻んでいる。
そのときもそうだった。
掛川駅を出て、あと10分で浜松、というところで、目がさめた。
同時に、雑誌を、床にドサッと落とした。
その音で、ワイフも目を覚ました。

●羽田

私「今日は、楽しかったね。いつもの何倍も長かったように感ずる」
ワ「そうね。朝も、早かったから」と。

本当は、その日は、恩師のT先生を見舞うつもりだった。
しかし前日の遅くになって、先生から、断りの電話が入った。
かなり体調を崩されたらしい。
「このところ胃が痛くて眠られない日がつづいています」と、メールにあった。

そこで羽田にいる息子を訪ねることにした。
息子は、現在、羽田で研修を受けている。

朝、7時に家を出た。
新横浜駅で、息子と待ち合わせた。
そこからバスで羽田へ。

第2ターミナルから、息子の研修所のある、XXへ。
そこへはモノレールで行った。
あとは先にも書いたように、一度、蒲田へ出て、そこで昼食。

家に帰ったのは、午後7時ごろ。
途中、義兄に横浜のみやげを届けた。

●サイフ

家に帰って、まっさきに、台所のXXをさがした。
が、サイフはそこにはなかった。

つづいて自分の書斎の中をさがした。
しかしそこにもサイフはなかった。

で、念のためにと、先日、G温泉へもっていったときのバッグをさがしてみた。
「まさか……」と思いながら。

いや、その前に、VISAの盗難届用の電話番号を、ネットでさがした。
それはすぐ見つかった。
「VISA 盗難 届け」で検索できた。
盗難届けは、24時間、受けつけてくれるらしい。

が、である!
何と、そのサイフが、あった!
G温泉へもっていったバッグの中に、それがあった!

「こんなところにあったよ!」とワイフに声をかけると、「よかったわね」と。
しかし軽い喜びが収まると、またまたあの不信感。
「自分を信じられない」という、あの不信感。

「こんな大切なものを、バッグの中に入れ忘れるなんて!」
「いったい、ぼくの脳みそは、どうなってしまったのだ!」と。

それについて、ワイフは、こう解説した。

「大切なものだから、バッグの奧の奧にしまったのね。
それでそこに入れ忘れたのよ」と。

ナルホド!、ということで、自分を納得させた。

それにしても、よかった。

そのあと、ホ~~~~~~~~~ッ、という長~イ、ため息をついた。

(2008年1月28日、月曜日、記)