Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, January 17, 2008

*What is the Freedom? *To criticise parents

●自由とは……(What is the Freedom?)

Freedom means to liberate yourself from physical as well as mental burdons which bind you to the ground. But then what is Freedom? To be free means to live knowing yourself. I am here. I am living my life. I know what I am.

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「自由」というのは、「自らに由る」という
意味である。
しかし自由というのは、それだけではない。

私は私でありたい。
私は私らしく生きたい。
私はここにいると、それを実感したい。
私は、自分の人生を生きたという実感をもちたい。

それを「自由」という。

しかしその「自由」には、限界がある。
「死」という限界である。

その限界を、どう乗り越えるか。
私たちは、死ぬことで、すべてを奪われる。
すべてを失う。
いくら「私は自由だ」と叫んだところで、
その限界を乗り越えることができない。

それが実は、自由との戦いということになる。

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●親の悪口(To criticize our own parents)

In Japan it is rather a kind of taboo to criricise or sometimes deny our own parents. They openly say parents should be respected withour any reasons. But it is true that under this social common sense some people are suffering from the burdons, so-called social burdons. I used to be one of them.

この日本では、親を批判したり、悪口は
ともかくも、中傷したり、さらに否定したり
することは、タブー視されている。

親をたたえる歌は多いが、その分だけ、
そうでない親をもった子どもの苦悩も
また大きい。

その苦悩の中で、悶絶している人も少なくない。
心理学的に言えば、家族自我群の中で、
幻惑に苦しむということになる。

とくに親子の関係は、本能に近い部分にまで
刷り込みがなされている。
その幻惑から逃れることは、容易なことではない。

では、私はどうか?

父親は、2、3日おきに酒を飲んできては、
家の中で暴れた。

母親にしても、長男が誕生した日に、私の
家にやってきて、あり金すべてもって、
帰っていった。

当時のお金で、24万円だった。

「家」といっても、そのとき、私たち夫婦は、
4畳と6畳の2部屋だけのアパートに住んで
いた。

しかしだからといって、今、私は、父親を
うらんだり、母親をうらんだりしているわけ
ではない。

私の父は、台湾で、貫通銃創といって、アメリカ軍の
銃弾を2発受けている。
今で言うPTSDではなかったか。

母にしても、戦後のあの時代を懸命に生きた。
収入がとぼしい中、懸命に、「家」を支えた。
まだあの時代は、そういう時代だった。

今になって、そういう父や母が、理解できる
ようになった。

しかし同時に、私に残した後遺症は大きい。
私にしても、いまだに、その後遺症に苦しんで
いる。

それについては、また別の機会に書くことにするが、
ともかくも、私たちは、もっともっと自由に
生きてもよいのではないのか。

正直に、声を出して、言いたいことは言えばよい。
言うことによって、自分の心を解放させることが
できる。

親についても、同じ。

しかし同時に、これだけは覚えておくとよい。
もしあなたが、子どもの批判に耐えうるような
親であれば、それはそれでよし。

そうでなければ、結局は、さみしい思いをするのは、
あなた自身ということになる。

こわいぞ~、親であるということは!