Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, March 17, 2008

*Bach's Canon and its linguistics posts

【3月17日】(March 17th)
I have been enjoying writing very much. Only when I am writing, I feel alive! To live means as for me, to write and think. Thinking is one of the most important part of my life.

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昨日は、午後から偏頭痛。
夜になって、薬をのみ、そのまま就寝。

今朝は、午前4時起き。

マガジンの配信を確かめる。
読者は、4人、ふえた。

そのほとんどは、近くのW医院のみなさんに
よるものだと思う。

その医院では、受付に、私のマガジンの申し込み用紙を
置いてくださっている。

ありがとうございます!

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ところで私の知人に、パソコンは使わないという人がいる。
公認会計士をしている人だが、失明の危険があるからだという。
「きっと、ストレスからだと思います」と言うと、「そうだ」と。
その知人は、右目の視力を、ほとんど失った。
そのため現在は、公認会計士の仕事は、休業中。

パソコンを使っているから、失明するということではない。
原因は、やはりストレス。
私も30歳のはじめごろ、過労で(?)、片側の耳の聴力を、完全に
失っている。

「神経が焼き切れた」と、私は、自分ではそう思っている。

が、これだけ毎日パソコンに向かっていて、なぜ私は、だいじょうぶなのか?
ふつうなら、その知人のように、視力を失っていたとしても、おかしくない。

答は簡単。

ストレスをためないからである。
最初から、無私、無欲。
パソコンに向かうのを、楽しんでいる。
損得を考えていたら、マガジンなど、発行できない。
損得を考えていたら、ストレスばかりたまり、気がへんになってしまうだろう。

こうして文章を打ちながらも、その先のことは、何も考えていない。
だれかのために書くのではない。
あえて言うなら、自分のため、ワイフのため。
さらに言うなら、頭のジョギングのようなもの。
毎日、こうして文章を打つことで、私は、頭の健康を維持している。

だからこうして毎日、文章を打つことができる。

そんな私だが、ゆういつの励みは、こうして読者の方がふえること。
1人でも2人でも、うれしい。
4人というのは、ほんとうに、うれしい。

3月17日に、読者登録してくれた4人のみなさん、
ほんとうにありがとうございます。
おかげで、今朝は、頭痛も消え、たいへん気持ちよく、こうして文章を
打つことができます。


Hiroshi Hayashi++++++++MAR.08++++++++++はやし浩司

●バッハのCanon+言語学(Canon de Pachelbel and Linguistics)

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ワイフが、すてきな演奏を見つけた。
ヨハン・セバスチアン・バッハのCanonを演奏したものだった。
さっそく、「音楽と私」のワイフのコーナーに、
それを収録した。

それはそれとして、その下のコメント欄に、
こんな書き込みがあった。

演奏の崇高さもさることながら、その内容の
深さに驚いた。
どこかのだれかと、どこかのだれかが、ギリシア語に
ついて、書き込んだものである。

そのまま紹介させてもらう。

【K】Really. If you aren't too retard to search by internet, you'd discover all greek culture and religion are based on India's one. You'd discover that antique greek language is derived from sanskrit.

もしあなたが、インターネットで遅れていないなら、すべてのギリシア文化と宗教は、インドに基づいていることを知るでしょう。古代ギリシア語は、サンスクリットから分岐したものです。

【I】But you're a retard, and won't see this at all.
Greek doesn't derive from sanskrit. Sanskrit and Old-Greek derive from the old indo-european language, the mother of all languages of europe (except finnish, ungarian, estonian and bascian), persia and northern India. Greek, Sanskrit, Old persian, Old german, Latin, the celtic and slawic languages are brothers, the roman, german, slawian and iranian languages their childs. We are all cousins. No one is superior or older. So, excuse me, but first you have to inform you, than you can go on to post

しかしあなたのほうが遅れている。そんなことはない。
ギリシア語は、サンスクリットから分岐していない。サンスクリットと古いギリシア語は、古いインドーヨロピアン言語、つまり(finnish, ungarian,Estonian,bascianをのぞく)すべてのヨーロッパ言語、ペルシア語、北インド語の母体、から派生したもの。
ギリシア語、サンスクリット語、古代ペルシア語、古代ドイツ語、ラテン語、ケルト語、それにSlawic語は、兄弟です。ローマ語、ドイツ語、イラン語は、その子どもです。私たちはみな、いとこというわけです。
どれが優性で、古いということはありません。
ですから失礼ながら、(こうした書き込みをする前に)、あなたはまず自分で勉強なさることです。

【K】Not at all, Indo-european is a colletion of dialects and antique languages, not a language by itself.

ちがいます。インドーヨーロピーアン言語は、方言と古典言語の集まりで、言語そのものではありません。

【I】No. I talk about the theoretical Indogerman/Indo-European language. So please, first study the material of the proto-language, if you want, the mother of all languages. This faculty was founded by the Study of F. Sassetti. He swa, that latin and sanskrit are similar. Out of this studys, derives the field of Indo-European studies, founded in the 19th century. If you went to university, and talk with the professors, you will hear, that Sanskrit, Latin and Old Greek are equal.

いえ、私は、理論的なindogerman/indo―ヨーロピーアン言語について書いているのです。それでまず最初に、もしお望みなら、すべての言語の母体である試作言語の資料を勉強してください。
この学部は、F.Sassettiによって、創立されました。彼は、ラテン語とサンスクリット語は、類似していると言いました。これらの研究から、19世紀に始まったインドーヨーロピーアン語の研究が派生しました。大学へ行き、教授たちと話をするなら、サンスクリット語、ラテン語、それに古代ギリシア語は、平等であるということを耳にするでしょう。

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ここに出てくる、【K】さんは、英語国の人だと思う。
【I】さんは、英語からみて、英語国の人ではないと思う。

しかし、たかが(失礼!)、YOU TUBEの1ページで、
こういう論争をするところがすばらしい!

で、この書き込み(POST)を読んでいて、昔、カレッジにいた、
講師のことを思い出した。

名前は、ジョン・ダナムと言った。彼も言語学者だった。
で、ある日、こんなことを教えてくれた。

言語を分類するとき、(あくまでも彼の理論によるものだが)、「ない」という
否定語を見るとよい、と。

たとえば、日本語で、「私はリンゴが好きではないことはない」と、「ない」を
2度重ねると、肯定の意味になる。

(マイナス)x(マイナス)=(プラス)というわけである。

しかし英語で、(NOT)を重ねると、強調になる。
たとえば「I don’t don’t like you.」と言えば、大嫌いという意味になる。

ジョン・ダナムは、大学構内のどこかの芝生の上に座りながら、そんな話をしてくれた。
そのときの様子を思い出した。

ところで、John Danum(?)は、今ごろ、どうしているのだろう。
「ダナム」には、「h」という文字があったように、思う。
「Danhum」だったかもしれない。あるいは「Dunham」だったかもしれない。

さっそく、インターネットで調べてみた。

結果……かなりありふれた名前ということもあって、ジョン・ダナムには、
たどりつけなかった。
生きていれば、今ごろは、70歳くらいになっているはず。
大の日本びいきで、私にたいへん親切にしてくれた。

いつかジョン・ダナムが、私のことを検索したとき、この原稿が
すぐ目にとまるようにしておこう。

Hiroshi Hayashi Melbourne Uni. Australian John Dunham a linguist International house 1970 Please contact me if you see this Dear John Dunham, how are you going? Do you remember me? I am Hiroshi Hayashi, a college student of I.H.