Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, March 01, 2008

Ignorance is itself a sin

●心のトゲ
Ignorance is itself a sin. But we cannot blame anyone since he or she is ignorant.

無知は、それ自体、罪悪だが、
だからといって、その無知を責めることはできない。

程度の差こそあれ、人は、あなたも私も、例外なく、
無知の世界で生きている。

遠い昔、こんなことがあった。

J君(当時、17歳くらい)は、レコードを集めていた。
レコードというレコードは、すべてもっていた。
J君は、中学を卒業すると、家業の小間物屋を手伝い始めた。
給料はなかったが、ときどき小遣いをもらっていた。
その小遣いで、J君は、レコードを買いつづけた。

何しろ昭和40年代のころのことで、診断方法すらなかった。
もちろん診断基準もなかった。

しかし今なら、こう診断されたであろう。
「自閉症」と。

J君は、今でいう自閉症の症状を、すべて合わせもっていた。
そのひとつが、異常なまでの(こだわり)。
その(こだわり)が、レコードに向いた。
J君は、レコード一枚一枚に、メモをつけ、それを整理していた。
番号をふり、あいうえお順に、きちんと、一寸の狂いもないほどに
並べていた。
J君のゆいいつの楽しみだった。
それが、J君の世界の、すべてだった。

が、母親も、父親も、またJ君の妹も、弟も、あまりにも無知だった。
とくに母親は、「精神病」というレッテルを張られることを、
何よりも恐れた。世間体を気にした。

いつしかJ君は、家の中に閉じこめられるようになった。
J君自身も、外には出なかった。
回避性障害、対人障害、対人恐怖症、先端恐怖症などなど、J君の障害に診断名を
つけたら、10以上になったかもしれない。

さらに不幸なことに、両親は不仲で、毎日のようにいがみあっていた。
J君は、家族の愛にも恵まれなかった。

そんなある日、J君にとって、一大事件が起きた。

母親が、J君の集めたレコードを見て、激怒した。
それまではレコードは、その家の目立たないところに、隠されていた。
とくに隠したというわけではなかったが、J君は、そこにしまっておいた。
誰からも見えないところ、に。
誰からも触れられないところ、に。

母親は、J君のレコードを片っ端から、箱に詰めた。
そしてその箱を、倉庫がわりに使っていた、別棟の二階にしまってしまった。

その夜から、J君の様子が変わった。
変わったというより、おかしくなった。

オドオドしていたかと思うと、突然、ニタニタと笑い出すなど。
突然、階段の上から両手をのばしたまま、下に落下するということもあった。

その異変に驚いた伯母が、J君の母親をたしなめた。
が、母親は、こう言ってのけたという。

「何百枚もレコードはいらない。2、30枚もあればじゅんぶん」と。

しかしJ君にとっては、レコードには、特別の意味があった。
家族を愛する人の、家族のようなもの。
芸術家にとっての、芸術のようなもの。
「命」そのものだった。

その後、J君がどうなったか、……それを書くのは、ここでの
目的ではない。最初の話にもどる。

無知は、それ自体、罪悪である。
キリスト教の単語を使うなら、「sin(宗教的な罪)」である。
もちろん刑法上の罪悪とはちがう。
だからといって、その罪悪を責めることはできない。

だれしも、例外なく、その無知の世界に生きている。
この世界では、「私がいちばんよく知っている」と豪語する人ほど、あぶない。
そういう人ほど、罪悪のワナにはまりやすい。

J君のケースにしても、J君の母親を責めることはできない。
もちろん父親を責めることもできない。

しかしJ君の自我は崩壊し、人間であることそのものを、
やめてしまった。
そのあと、四六時中、カギのかかった病院の一室で、死を待つだけの
生活をするようになったという。

……で、こうした無知は、いたるところにある。
そういう無知に、しばしば出会う。
おとといも出会ったし、昨日も、出会った。
だからといって、私が無知ではないということではない。
私だって無知である。
しかしときとして、その相手の無知が、手に取るようにわかるときがある。
しかしそれを口に出すことはない。
とくに教育の世界では、そうである。

「どうせ言っても無駄」という思いが、口をふさぐ。
とくに相手がそれを望んでいないときは、口をふさぐ。
この世界には、「10%のニヒリズム」という言葉がある。
「20%」でもよい。

昔、どこかの会合で、だれかが口にしていた言葉である。

最後の10%は、自分のために残しておく。
けっして全力投球は、しない。
全力投球をすれば、この世界では、身も心もズタズタにされてしまう。

いや、「ひょっとしたら、私だってまちがっているかもしれない」という
思いもある。
他人の無知を指摘する私自身が、無知ということもありえる。
そのためにも、10%は、自分のために残しておく。

が、それがこのところ、心のトゲとなって、私を苦しめる。
そのJ君について、こんな思い出がある。

J君の妹にあたる女性から相談があった。
そのときJ君は、40歳くらいになっていたのではなかったか。
相変わらず、家の中に引きこもっていた。
J君の父親は、他界していた。
私はJ君に会った。

が、何よりも驚いたのは、J君の母親の態度だった。
表面的には、柔和でやさしい顔をしていが、時折見せるJ君への視線には、
ぞっとした。
鋭く、心を射貫くような視線だった。

しばらくJ君と話したあと、私がJ君に、「つらいのか?」と声を
かけると、J君は、ポロポロと涙をこぼした。
私は自分がもっていたハンカチを、J君に渡した。

その日はそれで終わったが、J君の症状が、一気に悪化したのは、
それから数か月ほどたったときだったという。
そしてそれからさらに5年後、J君は、50代半ばという若さで
他界してしまった。直接の死因は、肺炎だったという。

私はワイフにこう言った。

「ぼくの人生には、いろいろなことがあった。無数の人に出会い、
いろいろな経験をした。しかしあのJ君のことだけは、どうしても
心からぬぐいさることができない。どうしてあのときぼくは、J君を、
助けることができなかったんだろう」と。

方法はいくらでもあったと思う。
病院へ連れていくこともできた。
専門医を紹介することもできた。
父親を説得することもできた。
いや、J君と母親を切り離すこともできた。
J君の母親は、陰に隠れて、J君を虐待していた。

それが今、それからもう15年以上にもなろうというのに、
心のトゲとなって、ときにつけ、シクシクと胸の中で痛む。
痛んでは、私を苦しめる。

ワイフはそういう私を横で見ながら、「しかたないのよ。
みんな、一生懸命したのだから……」と。

そうかもしれない。そうでないのかもしれない。
が、これだけは言える。

世の親たちよ、よく聞いてほしい。
「無知は罪悪である」。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 無知という罪悪 無知 罪悪)