Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, June 29, 2008

*The Ability ion my Language

●『告発のとき』+言葉感覚
My ability in my language has been getting worse?

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トミー・リー・ジョーンズ主演の映画、
『告発のとき』を見てきた。

原題は『In the Valley of Elah』?

さらに原題は、『Death and Dishonor』?
『Death and Dishonor』は、雑誌・プレイボーイに
掲載されたときの原題。

「死と不名誉」という意味である。

どうであるにせよ、『告発のとき』という題名は、
おかしい?
映画の内容と一致しない?

映画を見終わったあと、「どうしてそんな題名なのか?」と思った。
そう思ったところで、私の思考は停止状態になってしまった。

(あるいは私の言葉感覚がおかしいのかもしれない。)

内容は、「アメリカで怒った実在の事件を
モデルにした人間ドラマ」(Anemo
Movie・HP)だ、そうだ。

同じHPには、つぎのようにある。

「……退役軍人(トミー・リー・ジョーンズ)の息子(ジョナサン・タッカー)は、イラクの最前線からアメリカに帰国した直後に、軍隊から脱走する。地元警察の捜査官(シャーリーズ・セロン)の助けを借りて、父は息子を探しだそうとするが、そこにはある秘密が隠されていた。真実を追い求めるにつれて、父親の知らない息子の素顔が明らかになっていく……」(同HP)と。

「秘密」といえば、秘密ということになるが、
しかし「告発」という言葉とは、どう考えても
結びつかない。

その映画を見てから、今日で3日目になるが、
いまだに、その疑問が解けないでいる。

どうして『告発のとき』なのか?
原題の『イーラの谷で』でもよかったのでは?
あるいはプレイボーイ誌に載った、『死と不名誉』でも
よかったのでは?

ただし、私がスクリーン上で見た原題(英文)は、
別のものだったように気がする。
だれかの個人名を含んだ原題だったように
記憶している。

(このあたりがあいまで、ゴメン!)

ともかくも、『告発のとき』を見てきた。
星は、3つの★★★。

よい映画だとは思うが、娯楽映画ではない。
(Anemo Movie)が解説しているように、
「人間ドラマ」。

私は基本的には、娯楽映画を好む。
劇場まで、お金を払って見に行く以上、
それなりに楽しみたい。
ハハハと笑いながら、楽しみたい。

というわけで、深刻な映画は、どうも肌に合わない。

その映画についても、全体としてみると、退廃的で、殺伐としている。
殺人、麻薬、酒、女……、と。

で、星は、3つ。
2つでもいいかな……?

私が「やっぱり、インディ・ジョーンズのほうにすればよかった」
と言うと、ワイフも、「そうね。次回の楽しみよ」と応じてくれた。

……しかしどうしてインディ・ジョーンズは、
あれほどまでにはげしい戦闘を経験しながら、
PTSD(心的外傷後ストレス障害)にならないのだろう?

屈強なアメリカ兵でも、インディ・ジョーンズの
ような経験をしたら、数日で、PTSDになってしまうだろう。
『告発のとき』の中のマイク(息子)のように……。

ついでながら、時事通信は、たまたま今日、こんな事実を
伝えている(6月30日)。

+++++++++++以下、時事通信より抜粋+++++++++++++

【ワシントン29日時事】米陸軍で昨年自殺した兵士は、前年より約13%増の115人だったことが29日、わかった。1990年以降最悪という。米主要メディアが伝えた。

 イラクやアフガニスタンでの戦いが長期化し、兵士の心的外傷後ストレス障害(PTSD)が深刻化。米国防総省内では対策が緊急の課題となっている。

 陸軍の調査では、43%が帰国後に、24%が最初の派遣で自殺していた。自殺者には州兵と予備役も含まれている。また、935人が自殺を試みた。

+++++++++++以上、時事通信より抜粋+++++++++++++

戦争は、純朴な若者を、悪魔へと変えていく。
『告発のとき』という映画は、それを私たちに
伝えたかったのだろう。

それはよくわかるが……。

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●私の言葉感覚

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私の言葉感覚がおかしいのか?
それとも、世間一般の言葉感覚の
ほうが、おかしいのか?

「言葉感覚」という話が出たので、
ついでに、こんな話も書いてみたい。

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私の言葉感覚がおかしいのか?
それとも、世間一般の言葉感覚の
ほうが、おかしいのか?

まず、つぎの文章(詩)を読んで
みてほしい。

この詩は、ある青年が、26歳
のとき、書いたものである。
そのまま紹介する。

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わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い証明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの古い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)

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失礼があってはいけないので、一字一句、誤りがないように、
私自身がタイプして転写してみた。

この詩について、ある女性は「電撃に打たれた
ような衝撃と感動を覚えた」と書き、また
別の男性は、「人と人の交流の大切さを教える
すばらしい詩」と評している。

ウィキペディア百科事典の中にも、「特筆すべきは、
作者の特異で旺盛な自然との交感力である」とある。

私は、「フ~~ン」と思っただけで、そのあとの
言葉がつづかない。

もし私の身近で、こういう詩を書く人がいたら、
私は、まずその人の脳みその状態を疑うだろう(失礼!)。
相手が中学生か高校生だったら、「C」をつけた上、
書きなおしを勧めるかもしれない。

それとも私の言葉感覚がおかしいのか?

もちろんこんなことを書けば、私の脳みその状態の
ほうが疑われる。

そこで再度、この詩を読みなおしてみる。
(読者のみなさんも、どうか読みなおしてみてほしい。)

私以外の人たちは、「すばらしい」「すばらしい」と
この詩を賞賛する。
が、私には、どうにもこうにも理解できない。
理解できないばかりか、読めば読むほど、
気が変になっていくようにすら感ずる。

読者のみなさんは、どうであろうか?

ということで……実は、この詩は、あの宮沢賢治
(1896~1933)が、26歳のときに書いたものである。
出典は「春と修羅」序文。

ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『詩集では制作日として(1922・4・8)という注記がある(賢治の場合、発表までの間に何度も書き直しを行う場合がほとんどであるため、第一稿を着想ないしは執筆した日付と考えられている)。また、タイトルに“mental sketch modified”という副題が付されている。なお、本詩集中の「青い槍の葉」「原体剣舞連」にも同じ副題が付いている』と。

この詩のみならず、私は同じような印象を、
あの『注文の多い料理店』を読んだときにも、もった。

『二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云いながら、あるいておりました。

「ぜんたい、ここらの山は怪しからんね。鳥も獣も一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ……」という、あの『注文の多い料理店』である。

みなは「すばらしい」「すばらしい」と絶賛する。
学校で使う教科書にも載っている。
英文のみならず、いろいろな言語に翻訳されて、世界中に紹介されている。

さらに宮沢賢治個人については、記念館もある。
作品館もある。
宮沢賢治の作品を研究する学会まである。

そういう宮沢賢治のような「国民的作家」(某HP)の
代表作に「?」マークをつけるのは、たいへん勇気の
いることである。

むしろ私のほうが、袋叩きにあってしまう。
あの『注文の多い料理店』にしても、「宮沢賢治が、
都会から来たハンターに敵意をもっていたことがわかる、
秀作」(某HP)というのが、一般的な評価である。

やはり私は、「フ~~ン」と思っただけで、そのあとの
言葉がつづかない。

もう一作、『春と修羅』より、紹介する。

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心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の濕地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
(正午の管楽(くわんがく)よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
碎ける雲の眼路(めじ)をかぎり
 れいらうの天の海には
  聖玻璃(せいはり)(せいはり)の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN春のいちれつ
    くろぐろと光素(エーテル)(エーテル)を吸ひ
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげらふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (玉髄の雲がながれて
   どこで啼くその春の鳥)
  日輪青くかげろへば
   修羅は樹林に交響し
    陥りくらむ天の椀から
    黒い木の群落が延び
      その枝はかなしくしげり
     すべて二重の風景を
    喪神の森の梢から
   ひらめいてとびたつからす
   (気層いよいよすみわたり
    ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSENしづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる)
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずえまたひかり
ZYPRESSENいよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ

++++++++++++++

一説によると、宮沢賢治自身は、生きている間は、
著作による収入は、ほとんどなかったと言われている。
彼が有名になるのは、むしろ死んだあとからのことらしい。

ウィキペディア百科事典にも、「死の直後から、
主に草野心平の尽力により、多数の作品が刊行された」とある。

どうであるにせよ、やはり私の言葉感覚のほうが、
おかしいようである。

ただ私のワイフだけは、こう言った。
「私たちは作られた虚像に振り回されているだけじゃ、ないの?」と。

そうかもしれない。
そうでないのかもしれない。

……それとも私やワイフの脳みその能力が低下したの
かもしれない。

あとの判断は、読者の皆さんに任せる。

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●再び『告発のとき』

結論というわけでもないが、私は、どうしても
『告発のとき』というタイトルに違和感を覚えてしまう。

どうして『告発のとき』なのか?

フ~~ン。

やはり私の言葉能力のほうが、おかしいのかもしれない。
あるいは少しボケてきた?
そういう心配もあるので、よけいに気になるのかもしれない。

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