Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, June 21, 2008

*Children who become nervous before their mothers

●親の参観

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私の教室は、すべて公開している。
そうすることによって、教室の
運営を透明化している。

だからほとんどどの教室にも、それを
参観する親たちがいる。

が、問題がないわけではない。

たとえば親が参観しているときと、
そうでないとき、まったく様子が
変化する子どもがいる。

「まるで別人?」と思うこともある。

よくある例は、親が参観していると、
おとなしく、ハキそのものがなくなって
しまう子ども。

表情も暗い。
チラチラと親のほうを見る視線も気になる。

あるいは、反対に、親が参観していると、
ちょっとしたことで、ぐずったり、いじけたりする。
突然、泣き出す子どももいる。

親への依存性が、露骨に表に出てくる。

こういうケースのばあい、親の参観を
遠慮してもらうようにしている。
が、そのタイミングと言い方がむずかしい。

親は親で、親が見る子どもの姿が、(すべて)と
思いこんでいる。

こんな例もある。

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●母因性萎縮児

 小児科医院で受け付けをしている、知人の女性から、こんな話を聞いた。

 何でも、その子ども(現在は、中学男子)は、幼児のころから、ある病気で、その医院に通っているという。そして、2週間ごとに、薬を受け取りにくるという。

 その子どもについて、その知人が、こんなことを話してくれた。

 「ひとりで病院へくるときは、結構、元気で、表情も、明るい。薬の数を確認したり、看護婦さんたちと、あいさつをしたりする。冗談を言って、笑いあうこともある。

 しかしときどき、母親がその子どもといっしょに、来ることがある。そのときの子どもは、まるで別人のよう。

 玄関のドアを開けたときから、下を向いて、うなだれている。母親が何かを話しかけても、ほとんど返事をしない。

 そこで母親が、その子どもに向って、『ここに座っているのよ!』『診察券は、ちゃんと、出したの!』『あの薬も、頼んでおいてね!』と。

 そのとたん、その子どもは、両手を前にさしだし、かがんだまま、うなだれてしまう。もちろんだれとも、会話をしない。

 あるとき先生(医師)が、見るに見かねて、その母親に、『子どものやりたいように、させてあげなさい。そんなうるさいこと、言ってはだめです』と、諭(さと)したこともあるという。

 ああいう母親を見ていると、いったい、母親って何だろうと、そんなことまで考えてしまう」と。

 こういう子どもを、母因性萎縮児という。教育の世界では、よく見られるタイプの子どもである。

 子どもだけのときは、結構、活発で、ジャキシャキと行動する。しかし母親がそばにいると、とたんに、萎縮してしまう。母親の視線だけを気にする。何かあるたびに、母親のほうばかりを、見る。あるいは反対に、うなだれてしまう。

 が、母親には、それがわからない。「どうして、うちの子は、ああなんでしょう。どうしたらいいでしょう?」と相談してくる。

 私は、思わず、「あなたがいないほうがいいのです」と言いそうになる。しかし、それを言ったら、お・し・ま・い。

 原因は、言わずと知れた、過干渉、過関心。そしてそれを支える、子どもへの不信感。わだかまり。愛情不足。

 いや、このタイプの母親ほど、「私は子どもを愛しています」と言う。しかし本当のところは、自分の不安や心配を、子どもにぶつけているだけ。子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいだけ。こういうのを、心理学の世界でも、「代償的過保護」という。

 今、この母因性萎縮児は、結構、多い。10~15人に1人はいるのではないか。おかしなことだが、母親自身が、子どもの成長を、はばんでしまっている。そしてここにも書いたように、「うちの子は、ここが悪い。どうして……?」「うちの子は、あそこが悪い。どうして……?」と、いつも、悩んでいる。

 そうこの話も、あのイランの笑い話に似ている(イラン映画「桜桃の味」より)。

 ある男が、病院へやってきて、ドクターにこう言った。「ドクター、私は腹を指で押さえると、腹が痛い。頭を指で押さえると、頭が痛い。足を指で押さえると、足が痛い。私は、いったい、どこが悪いのでしょうか?」と。

 するとそのドクターは、こう答えた。「あなたは、どこも悪くない。ただ指の骨が折れているだけですよ」と。

 そう、子どもには、どこにも、問題はない。問題は、母親のほうにある。

 しかしこの問題は、私のほうから指摘するわけには、いかない。この文章を読んだ、あなた自身が、自分で知るしかない。
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