*These ten years for me *A dead woman came to meet me
●今朝・あれこれ(6月21日)
I bought a lap-top personal computer long time ago and I was surprised to know that I did it only 9 years ago! I seems to me it has passed a long time since then, at least I can’t believe that I bought it only 9 years ago, which means my life has been full of many dramas in these ten years. I AM HAPPY!
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このところ、睡眠調整がうまくいかない。
夜中に目が覚めてしまうことがある。
いつもだったら、そのまま目を閉じていれば、
そのまままた、眠ってしまうのだが、今朝は、
そうではなかった。
ますます、頭が冴えてしまった。
「起きた方がいい」ということで、起床。
時計を見たら、午前3時。
今日は、K市での講演会がある。
昼ごろには終わる予定なので、帰ってきたら、
昼寝をしよう。
そう自分に言いきかせながら、パソコンに
向かう。
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●充実した10年
居間に、今は使わないノートパソコンがある。
そのパソコンのことはよく覚えている。
そのパソコンについてのエッセーを書いたこともある。
(この原稿のあとに、添付。)
当時、17万円で買ったパソコンである。
が、(英語式キーボード配列)というので、使い勝手は、
たいへんに悪かった。
とくにエンターキーが小さく、かつその右に、スクロール
キーがついていた。
使いにくかった。
しょっちゅう、まちがえて、ほかのキーを押してしまった。
それでいつしか、そのまま使わなくなってしまった。
そのせいか、今でも、見た感じは、新品に近い。
が、私が書きたいのは、そのことではない。
私は新しい電子製品を買うと、製品のどこかに、買った日付を
書くクセがある。
とくに意味はない。
ないが、その日付を見て、驚いた。
「1999年8月」となっていた。
遠い昔のような感じがする。
それから何十年もたったような気がする。
しかし実際には、たったの9年。
それから9年しか、たっていない!
ワイフに、「おい、なあ、たったの9年だってエ!」と声を
かける。
私「99年に買ったということだから、9年前だよ。信じられない!」
ワ「それだけ、この9年間が充実していたということね」と。
そうかもしれない。
そうであると、信じたい。
この10年間、私は猛烈に原稿を書いた。
朝起きると、そのまま書斎へ。
平均して、1日10枚(40x36)の原稿を書いたことになる。
そういう日々がつづいた。
書いたという実感は、あまり残っていないが、9年前が遠い昔の
ように思える。
それが今、「たったの9年前!」という驚きとなって、返ってくる。
で、もしだれかに、「今までの努力は何のためにしたのか?」と聞かれたら、
私はこう答えるだろう。
「この充実感のため」と。
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そのパソコンについて書いた
原稿です。
このとき通販で買ったパソコンが、
先に書いたパソコンのことです。
(中日新聞、発表済み)
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●気になる新築の家のキズ
新築の家のキズは、気になる。私も少し前、ノートパソコンを通販で買ったが、そのパソコンには、最初から一本のすりキズがついていた。それがそのとき、私は気になってしかたがなかった。
子育てもそうだ。子どもが年少であればあるほど、親は子育てに神経質になる。「英語教室の先生はアメリカ人だが、日系二世だ。ヘンな発音が身についてしまうのでは」「こっそりと参観に行ったら、一人で砂場で遊んでいた。いじめにあっているのでは」「授業中、隣の子と話をしていた。集中力がないのでは」など。
それはわかるが、度を超すと、先生と親の信頼関係そのものを破壊する。いろいろなケースがある。
ある幼稚園の若い先生は、電話のベルが鳴るたびに、心臓が止まる思いをしていた。また別のある幼稚園の園長は、一人の親からの小型の封筒の手紙が届くたびに、手を震わせていた。こうした症状がこうじて、長期休暇をとっている先生や、精神科の医師の世話になっている先生は多い。どこの幼稚園にも一人や二人は、必ずいる。
親から見れば、子どもを介しての一対一の関係かもしれないが、先生から見ると、三〇名の生徒がいれば、一対三〇。一人や二人の苦情には対処できても、それが四人、五人ともなると、そうはいかない。しかも親の欲望には際限がない。できない子どもが、ふつうになったとしても、親は文句を言う。自分自身に完ぺきさを求めるならまだしも、先生や教育に、完ぺきさを求める。そしてささいなことを大げさにしては、執拗に、先生を責めたてる。ふだんは常識豊かな人でも、こと子どものこととなると、非常識になる人は多い。
私もいろいろな経験をした。私が五月の連休中、授業を休んだことについて、「よそのクラスは月四回の指導を受けている。私のクラスは三回だ。補講せよ」と言ってきた父親(歯科医師)がいた。私がそれを断わると、その親は、「お前を詐欺罪で訴えてやる。ワシは顔が広い。お前の仕事をつぶすことぐらい、朝飯前だ」と。
また別の日。たまたま参観にきていた父親に、授業を手伝ってもらったことがある。しかしあとで母親(妻)から、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「よくもうちの主人に恥をかかせてくれたわね! どうしてくれるの!」と。ふつうの電話ではない。毎日、毎晩、しかもそれぞれの電話が、ネチネチと一時間以上も続いた。この電話には、さすがに私の女房もネをあげた。電話のベルの音がするたびに、女房はワナワナと体を震わせた。
あなたが園や学校の先生に、あれこれ苦情を言いたい気持ちはよくわかる。不平や不満もあるだろう。しかし新築の家のキズはキズとして、あきらめることはサッとあきらめる。忘れることはサッと忘れる。子どもの教育に関心をもつことは大切なことだが、神経質な過関心は、思い出を見苦しくする。あなた自身や子どもの健康にも、よくない。
よけいなことかもしれないが、子どもはキズだらけになってはじめて、たくましくなる。キズつくことを恐れてはいけない。私のパソコンも、今ではキズだらけ。最初のころは毎日、そのつどカバーをかけてしまっていたが、今では机の上に出しっぱなし。しかし使い勝手はぐんとよくなった。子育ても、それと同じ。今、つくづくとそう思う。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●死者のあいさつ
(A dead woman came to meet me last night to say hello. I never believe in spirits but it made my heart warm. The woman used to be my girl friend when I was a university student. Whether you believe it or not, it was just a dream, but a dream which is very romantic, as my wife said.)
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霊の存在を信じているわけではない。
それに夢は夢。
しかしそんな夢に、ときとして、ある種の現実味を覚えてしまう。
ありえないことだが、ありえることとして、
自分を納得させてしまう。
もともとどうでもよいこと。
私がそれで影響を受けるわけでもない。
それはちょうど、霊の映画を見るようなもの。
あえて言えば、ブルース・ウイリスが主演した
『シクス・センス』のようなもの。
そのときそれなりに楽しめれば、それでよい。
昨日見た夢は、そんな感じの夢だった。
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昨日、目を覚ます前、こんな夢を見た。
私はそのとき、G県の実家にいた。
まわりには、数人の人がいた。
雑然とした雰囲気だった。
いつもなら主演は、私のワイフということになるのだが、
ワイフは、少し離れたところで、炊事をしていた。
と、そのとき、学生時代の恋人がやってきた。
学生のとき、数か月間ほど、交際した女性である。
背が高く、丸顔の、美しい人だった。
ふだんは、夢の中には、ぜったいに、出てこない人である。
「そこにいる?」とは感ずるのだが、追いかけると、
そのままどこかへ消えてしまう。
夢の中では、いつも、そうだった。
若いときは、とくにそうだった。
その女性が、夢の中に出てきた。
それ自体が、私にとっては、ありえないことだった。
おだやかで、やさしい顔をしていた。
ただ顔は、やはり、60歳前後の表情だった。
シワもあり、それなりにオバチャン風の顔立ちになっていた。
が、若いころの面影がしっかりと残っていた。
私はすぐ、その女性とわかった。
その女性がこう言った。
言ったというより、雰囲気でわかった。
「死にましたから、あいさつに来ました」と。
私はだまって、その女性を見つめた。
見つめながら、「これからどこへ?」と声をかけると、
その女性は、にっこりと笑って、「Gまで……」と
答えた。
「G」というのは、その女性が結婚して嫁いで
いった町である。
「駅まで、送っていこうか?」と声をかけると、
その女性は、うれしそうに、またにっこりと笑った。
私はその女性の1、2歩あとを歩いた。
背中がよく見えた。
美しい髪の毛は、そのままだった。
古い町並みで、通りにはだれもいなかった。
白い光が、あたりを包んでいた。
私はだまって、歩いた。
彼女も、何も言わなかった。
と、そのとき、彼女が、そっと、私の腕に、自分の
腕を通してきた。
とたん、あのころの甘ずっぱい思いが、心の中に
充満した。
「学生のときみたい……」と思った。
思ったが、お互いに、やはり何も言わなかった。
で、夢は、そのあたりから、ぼんやりとしてきた。
夢といっても、不思議なほど現実味のある夢だった。
不思議な夢だった。
あとでワイフに、つまり朝食のときに、それをワイフに
話すと、ワイフは、こう言った。
「本当に亡くなったのかどうか、調べてみたら?
あなたには、不思議な霊感があるから」と。
私「ハハハ、夢だよ、夢。それにその人が今、どこに
住んでいるか、知らない」
ワ「それにしても、ロマンチックな夢ね。昔の恋人が
あいさつに来るなんて……」
私「うん……。ぼくもそう思う」と。
本来なら、さみしいはずなのに、そのさみしさがなかった。
むしろ、ほのかな温もりだけが、心の中に残った。
が、どうであるにせよ、つまり本当に亡くなったにせよ、
ただの夢であるにせよ、私は、二度と、その女性に
会うことはない。
心の隅に、「会ってみたい」という気持ちもないわけではないが、
会ったところで、話すこともないだろう。
それにワイフも、いやな思いをする。
だから、あの女性は、昨日、本当に亡くなった。
亡くなって、この世界からも、そして私の心の中からも消えた。
今は、そう信じている。
さようなら、Tさん!
私はまだまだ現役のまま、がんばりますよ!
死ぬのは、ずっと先の話です!
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