Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, August 24, 2008

*Democracy in Japan

【B・ツアーと、民主主義】

●ビデオと多数決

++++++++++++++++++++

少し前まで、B・ツアーといえば、帰りの
バスの中でのビデオが、定番だった。

しかし最近は、「見るか、見ないか」で多数決を
採ってくれるようになった。

しかし……?

++++++++++++++++++++

● B・ツアー

地元のバス会社が運営するバス・ツアーに、B・ツアーというのがある。
値段も安く、良心的。
安心して旅行できるという点で、私たち夫婦は、月に2~3回は、利用させてもらっている。

が、そのB・ツアー、30~40年ほど前には、タバコの煙とカラオケに悩まされた。
最近は、帰りのバスの中でのビデオに悩まされた。

ビデオといっても、『寅さん』ものか、『釣りバカ日誌』もの。
定番になっていることもあり、同じビデオを何回も見せられることもある。
しかし同じビデオを3回、4回……と見せられると、うんざりというよりは、拷問に近くなる。
そのため私とワイフは、B・ツアーを利用するときは、それぞれ、騒音軽減装置付きのウォークマンをかならず持参する。

●多数決

ところが最近、そのB・ツアーが急速に洗練されつつある。
多数決を採るようになった。

「ビデオを見たい人と、見たくない人で、多数決を採ります」と。

実は今日も、帰りのバスの中で、それがあった。

ガイド「ビデオを見たい人」……4人
ガイド「ビデオを見たくない人」……7~8人。

私は最後部の座席にいたので、その数を知ることができた。

しかしこの採決は、基本的な部分で、おかしい。
まちがっている。

● 弱者の立場

こんな例で考えてみよう。
今でこそ、観光バスの中で、カラオケを歌う人はいない。
歌う人にとってはそうでなくても、聴くほうにしてみれば、騒音。
騒音以外の何ものでもない。

そのカラオケについて、もしガイドが、つぎのような採決を採ったとする。

ガイド「カラオケを歌いたい人」……10人
ガイド「カラオケを歌いたくない人」……5人
ガイド「では、カラオケをみなで、歌うことにします」と。

この採決のばあい、それで迷惑を受ける人の立場を、まったく無視している。

こういうときは、つぎのように採決を採るのがよい。

ガイド「カラオケを楽しみたい人」……10人
ガイド「カラオケで迷惑する人」……5人
ガイド「楽しみたい人が多いので、カラオケを歌うことにします」と。

しかしそれでも、おかしい。
こういうケースのばあい、それによって迷惑を受ける人がいるなら、カラオケは中止すべきである。
なぜなら、理由は、明白。
カラオケなど、しなければならないものではないからである。
バス旅行に必要なものであれば、こうした採決を採ることにも意味がある。
しかしカラオケがなければ、バスが止まるというものでもない。
観光が台なしになるということでもない。

● ビデオのばあい

では、ビデオはどうか?

ビデオのばあいも、やはり同じように採決を採る。

ガイド「ビデオを楽しみたい人」……10人
ガイド「ビデオで迷惑を受ける人」……5人
ガイド「楽しみたい人が多いので、ビデオを見ます」と。

が、このばあいも、ビデオの騒音によって迷惑を受ける人の立場はどうなるのか。
旅行の帰りともなれば、疲れて静かに休みたい人もいるはず。
50歳以上の人ともなれば、なおさらである。
数は少なくても、5人の人が迷惑するというのであれば、5人の人を優先すべきである。

が、それでもわからないという人がいたら、こんな例で考えてみよう。

●喫煙

先にも書いたように、以前は、観光バスの中でも、喫煙は自由にできた。
冬場などは、バスの中は、もうもうたる煙が充満した。
である日、私はB・ツアー会社に手紙を書いた。

前部と後部で、喫煙者と非喫煙者を分けてほしい、と。
しかしこの提案は完全に無視された。
と、同時に、私たちは10年近く、B・ツアーから遠ざかった。

その喫煙について、ガイドがこんな採決を採ったとする。

ガイド「タバコを吸いたい人」……10人
ガイド「タバコの煙で、迷惑を受ける人」……5人
ガイド「タバコを吸いたいという人が多いので、タバコを吸ってもいいということにします」と。

●弱者の世界

弱者は、多くのばあい、少数派である。
もし多数決だけで、ものごとが決まっていったら、それこそ、この世界は闇。
闇というより、民主主義そのものが、崩壊する。

そこで民主主義の世界では、いかに弱者にやさしいかで、その完成度を計る。
当然のことながら、弱者にやさしい世界を、より完成された世界という。
そうでない世界を、そうでないという。

ビデオに話をもどす。

なぜ、帰りのバスの中で、ビデオを流すか?
ビデオというのは、見なければならないものなのか?

ビデオのかわりに、音楽ではだめなのか?
音楽のかわりに、無音の写真集ではだめなのか?
たとえばガイドがデジタルカメラで撮った写真を、スライド方式で流すという方法もある。
今では、それが2~3万円のデジタルカメラでできる。

何もビデオにこだわる必要はない。
が、さらに問題はつづく。

● ビデオの選択

ご存知のように国際便の飛行機の中では、10~20の番組の中から、好きなビデオを選んで見ることができる。
個人の好みは、みなちがう。
それならまだ話もわかる。
そういうとき、(今回もそうだったが)、2種類だけのビデオを取り出し、「見ますか、見ませんか?」は、ない。

今日は、『寅さん』ものだったが、国民的映画だから、みなが喜ぶはずと考えるのは、おかしい。
『寅さん』もののようなビデオともなると、同じものを以前にも見たという人が多いはず。
2度目ならまだしも、3度目、4度目となると、いくら寅さんのファンでも、うんざりするだろう。

繰り返すが、ビデオというのは、見なければならないものなのか?

● 日本人と騒音

介護を必要とする老人専用のケア・センターでは、どの部屋でも、しかもいつも、大型のテレビがかけっぱなしになっている。

いろいろ理由があるらしい。

老人に刺激を与えるためとか、老人を退屈させないためとか。
そういう表立った理由のほか、昼間は老人たちを、できるだけ起こしておくという目的もある。

夜間は、介護をする人の人数が、ぐんと減る。
そのため昼間はできるだけ起こしておき、夜間は、できるだけ眠ってもらう。
それはともかくも、ケア・センターでは、ほとんど意味もなく、テレビをかけっぱなしにしている。
実際、テレビを見ている老人は、ほとんどいない。

……と同じようなことを、地元のバス会社も考えているとしたら、これはまちがい。
「ビデオを流しておけば、老人は退屈しないだろう」
「その間、ガイドは、休息を取ることができる」と。

しかし騒音は、騒音。
日本人は、その騒音に、たいへん鈍感な民族と考えてよい。

で、私なりの結論。
観光バスに、ビデオは不要。
もしそれでも……という人がいたら、各自、ポータブルDVD鑑賞機を、もちこんだらよい。
これからはそういう時代である。