Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Friday, August 22, 2008

*Hypocrisy

●John 8:34

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この世は偽善のかたまり。
以前、アメリカに住む息子が、そう言った。

しかし偽善こそ、人間がもっとも卑しむべき
行為。

日ごろは、美しい着物に身を包み、バラエティ
番組でケラケラと笑っている女性が、別のところで
は、作業服を着て、アフリカの難民運動の
指導者になる。

これを「偽善」と言わずして、何という?

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●偽善
聖書(RYRIE版)を、ひもとく。

John(8:34)には、こうある。

Jesus replies:
I tell you the truth, everyone who sins is a slave of sin.
Now a slave has no permanent place in the family, but a son belongs to it forever.
So if the Son sets you free, you will be free indeed.

イエスは、こう答えた。 
あなたに真実を話そう。罪ある人は、罪の奴隷である。
(罪の)奴隷には、家族の中に安住の場所はなく、息子が、永遠にそこにとりつく。
もし、その息子が、あなたを自由にするなら、あなたは本当に、自由になるだろう。

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 キリスト教でいう(sin=罪)という言葉には、独特のものがある。昔、オーストラリアの友人に、一度、その意味を聞いたことがあるが、彼は、こう言った。「キリスト教徒でないと、理解できないだろうね」と。

 しかしニュアンスとしては、私にも、理解できるような気がする。

 邪悪な思想をもっている人は、いつもその邪悪な思想に振りまわされてしまう。そして自分が邪悪なことをしていることにすら、気がつかなくなってしまう。つまり、邪悪な思想の奴隷になる。

 こんな勝手な解釈をすると、息子は怒るかもしれないが、私なりの解釈によれば、そうなる。

 つまり邪悪な思想に一度、とりつかれると、その時点で、自分の人生をムダにすることになる。一時の快楽を得ることはできるかもしれないが、一度キズついた人間性を取りもどすことは、容易なことではない。

 人生を、(真理への旅)にたとえるなら、その旅で、遠回りすることになる。あるいは道からはずれてしまう。だから、永遠に、その(真理)に、たどりつけなくなる。

 息子は、「真理を知れば、罪の奴隷から解放される」と言う。つまり罪の奴隷から、自らを解放することが、自由である、と。

 しかし私の心の中には、邪悪なゴミがいっぱいある。ゴミだらけ。

 私は、平気で、人をうらむし、ねたむし、バカにするし、嫌うし、さげすむ。お金もほしいし、若くて美しい女性を見れば、性的魅力を感じてしまう。まさに私は、(罪の奴隷、a slave of sin)ということになる。

 私は、決して、善人でもないし、聖人でもない。

 だから私のような人間は、その臨終のとき、無間の孤独地獄の中で、もがき、苦しむ。失意と悔恨。恐怖と不安。絶望と苦痛。そのどん底で、もがき、苦しむ。

 ……それがわかっているから、正直に告白するが、死ぬのが、こわい。こわくてならない。

 他人から見れば、私は、懸命にがんばっている人間に見えるかもしれない。一応、まじめだし、社会のルールは守っている。ウソはつかないし、健康にも注意している。いつも家族には、誠実に接している。

 しかしそれとて、(自分がよい人間)だから、そうしているのではなく、臨終のときの自分が、こわいから、そうしているだけ。それはたとえて言うなら、借金取りに追いたてられるのがいやだから、仕事をしているようなもの。

 ほかに、私は、過去40年以上にわたって、人からお金を借りたことがない。それは私に何かの哲学があって、それで借金をするのがいやだからではなく、頭をさげて、借りるのがいやだからにほかならない。根拠となる思想があって、そうしているのではない。

 同じように、本当に、同じように、私がいくら「私は自由だ」と叫んでも、そう叫んでいるだけで、本当に自由かどうかということになると、自分でも、まったく自信がない。

 やはり息子が言うように、本当に自由になるためには、自分の中にある、邪悪さから解放されなければならない。お金がほしいくせいに、さもお金など興味はありませんというような顔をしてみせる。それでは、真の自由を手にいれることはできない。

 しかしそれこそ、まさに偽善。その偽善のかたまりでは、真理には、到達できないということ。

 が、残された時間は、あまりにも、短い。今は、57歳。そのうち、兄のように頭もボケるだろう。そうなったら、おしまい。私は、何としても急がなければならない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 偽善)