*An old man's divorce
●熟年離婚
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「林先生は、熟年離婚というと、妻側からの
一方的な申し立てだけによるものとお考えのようですが、
それはちがいます。
夫の側からも、離婚を申し立てることもあります。
私たち夫婦のばあいが、そうです。
妻と結婚して35年になりましたが、昨年、
その妻と離婚しました。
親類、兄弟に、理由を話したことはありません。
話しても、どうせ理解してもらえないでしょう。
だから林先生にだけ、こうして話すことにします。
直接の原因は、ちょうど1年前、暑い日がつづいて
いたときのことです。
軽い熱射病になり、発熱と吐き気が、その朝、ありました。
体温計で計りませんでしたが、体温は、37、8度近く
あったと思います。
そんな私を妻は、形だけの看病をしながら、こう言いました。
「自業自得よ」と。
その前日、運動不足を感じ、事務所までの5キロを歩いた
ことについて、そう言いました。
で、私が、「今日、また5キロ歩いたら、死んでしまうかも
しれないね」と言うと、やはり、「自業自得よ」と。
私には、「死んでもしかたない」というふうに聞こえました。
同時に、これが30年以上もいっしょに暮らしてきた妻の
言葉かと、驚き、自分がなさけなくなりました。
妻は、子どものころ、何かの障害児だったようです。
いつもポツンと、ひとりで遊んでいたようなことを言います。
私は妻以外の女性を知りませんでしたから、女性というのは
そういうものとばかり思っていました。
結婚して10年目くらいまで、私といっしょに床に入るのを
いやがりました。
妻の体に夜中に触れただけで、「変態!」とか、「異常者!」とか言われ、
その手を払いのけられたこともあります。
がんこで、いつもぜったい、自分が正しいと思いこんでいました。
30年以上暮らしましたが、自分のほうから、「ごめん」と言ったことは
一度もありません。
ほんとうに、一度もありません。
自分でお茶をこぼしても、「こんなところに茶碗を置く人が悪いのよ」
と言い返します。
そういう女性です。
そのため夫婦喧嘩は絶えませんでした。
が、私も60歳を迎え、決心しました。
「自業自得」という言葉が、日ましに耳の中で大きく響くようになりました。
ふつうなら、妻というのは、こういうときたぶん、「体に気をつけてね」とか、
「無理をしてはだめよ」とか言いますよね。
しかし私の妻は、「自業自得よ」と。
その言葉の中に、ぞっとするほど、冷たいものを感じました。
30年以上、妻の心は閉じたままでした。
妻のほうから、明るく笑いかけてきたり、話しかけてきたりということは、
めったにありませんでした。
性生活においては、もちろん、そうです。
そのつど私のほうが、「触っていいか?」と、妻の気持ちを確かめなければなり
ませんでした。
で、離婚を決意しました。
が、外面は、そういう女性ではありません。
どこか控えめで、いつもニンマリと笑っているようなタイプの女性です。
かえって人間性豊かな女性に思われています。
だからこんな話をしても、だれも信じてくれないでしょう。
しかしね、林先生、一度離婚と決めてしまうと、その流れは、もうだれにも
止められませんね。
息子や娘たちのこと、親類や世間体のこと、すべて、どこかへ吹き飛んで
しまいます。
(それまでは、息子たちのこともあるから・・・とか言って、がまんしましたが。)
で、最後の最後まで、妻は、つっぱったままでした。
話し合いの席でも、「すべてあなたが悪い」というようなことばかり、言いました。
いつも「私は最高の人間」と思っていましたから・・・。
離婚の話をしてから、離婚まで数か月かかりましたが、その間、一食も
食事の用意をしてくれませんでした。
もちろん寝室も分けましたが、一度も妻のほうから話し合いにきたこともありません。
若いころから、気が強い女性でしたから。
離婚によって、妻は、自分のプライドが傷つけられたように感じたのでしょう。
以後、話し合いは、すべて、妻の兄を通してしました。
(S県U市にお住まいの、DE氏より)
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●心を開く
結婚生活に疲れを感ずる妻は多い。
同じように、疲れを感ずる夫も多い。
ポイントは、DE氏が書いているように、「心を開いているかどうか」ではないか。
教師と生徒の関係でも、(心を開けない生徒)を教えるのは、たいへん。
神経を使う分だけ、疲労感も大きい。
相手が友人でも、親子でも同じ。
夫婦となれば、なおさらだろう。
心を開く・・・。
思ったことを言い、それをすなおに表情で表わす。
それが自然にできる人は、自然にできる。
そうでない人は、そうでない。
さらに言えば、心が開いた人からは、閉じた人がよくわかる。
しかし閉じた人からは、開いた人がわからない。
自分の心が閉じていることにすら、気がつかない。
自分では、それがふつうだと思っている。
はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi
●8月19日(火曜日)
朝から食欲なし。
睡眠時間は、8時間近くとった。
熟睡できなかったらしい。
まだ眠い。
●兄の歯
先日私の兄が死んで、火葬されたときのこと。
私は兄の下あごの骨が、どういうわけか、気になった。
遺骨をつぼにみなが詰めるときも、私は、下あごだけを、じっと見つめていた。
それは雪のように美しかった。
紙のように薄かったが、形はしっかりと整っていた。
が、その美しさが、かえって不思議だった。
兄は子どものころから歯が弱く、年中、虫歯に悩まされていた。
夜中じゅう、「歯が痛い」と泣いていたのも、よく覚えている。
そんなこともあってか、最後の10~15年間は、すべての歯は抜け、
総入れ歯をしていた。
下あごには、そのためか、一本も、歯は残っていなかった。
総入れ歯にしたと聞いたとき、私は、「それでよかった」と思った。
兄は、少なくともそれで、虫歯の痛みからは解放された。
で、今朝、歯科医院へ行ってきた。
歯にも定期検診というのがある。
今日は、その日だった。
で、歯垢を取り除いてもらっているとき、兄のあの下あごの骨を思い出していた。
「私も死んだら、ああなるのか」と。
そういう気持ちを察したのか(?)、いや、そんなことはありえないが、
歯科医師のK先生は、こう言った。
「1本でも歯が残っていれば、その歯が役にたちますよ」と。
どういう意味でK先生がそう言ったのかは知らない。
その1本をたよりに、ほかの入れ歯が入れやすいということか。
あるいは総入れ歯は、よくないということか。
兄は死んだが、この先、10年や20年など、あっという間に過ぎてしまうだろう。
つぎの瞬間、私の体が、兄のようになったところで、何ら、おかしくない。
だれかが私の遺骨を拾いながら、私が思ったように、「美しい」と思うかもしれない。
兄のあの下あごが、私のものだったと考えても、何ら、おかしくない。
現に今、私は満60歳になってしまった。
若いころは、自分が60歳になるとは、とても信じられなかった。
やがて私も、この世から消える。
いつかだれか、私の遺骨を見ながら、同じように思うかもしれない。
生きているとき、兄は、私にとっては、小さな存在でしかなかった。
しかし死んでからの兄は、日増しに大きくなりつつある。
……というより、毎日、兄のことを考えている。
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