Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, August 24, 2008

*Saba-Road to Kyoto

● 鯖街道(Saba Road)

++++++++++++++++++H.Hayashi

8月24日、鯖街道、熊川宿へ向かう。
今日はここで、8キロの道のりを歩く。
8キロというのは、かなりきつい。

1万歩で、約7キロ(私の計算)。
ついでに人間というのは、おにぎり1個で、1万歩、歩けるそうだ。
(カロリー計算をしてみると、そうなる。)

歩いてみるしかない。
これも運動のため。
健康のため

++++++++++++++++++H.Hayashi

鯖街道、熊川宿へ。
バスは今、鯖街道、熊川宿へと向かっている。
「くまがわじゅく」と読む。
その昔、日本海側にある若狭(わかさ)から、京へ、鯖(さば)を届けた街道という。
名前がよい。
「鯖街道」。
その鯖街道の中継地として栄えた町が、熊川宿。
鯖街道というからには、鯖料理がおいしいにちがいない。
鯖寿司もあるというから、楽しみ。
今朝は軽くお茶漬けだけにして、腹をそれに備えた。

このところ何かにつけて、こちらの方面へ来ることが多くなった。
窓の外は見慣れた景色だが、どういうわけか、こちらへ来るといつもほっとする。
緑が美しい。
それに深い。

たった今、北陸自動車道から敦賀(つるが)で一般国道に出たところ。
雨上がりの霧が、山々から天に向けていっせいに、白い帯をなびかせている。
やや黄みのかかった田んぼの稲が美しい。

……ここから見ると、浜松市は遠い地の果てという感じがする。
(少しおおげさかな?)
つまり旅のよいところは、ここにある。
地元を離れるだけで、視野が広がる。
農家の家々にしても、浜松の農家とは、どこか雰囲気がちがう。
よく見ると、田んぼの様子もちがう。
たとえば瓦(かわら)にしても、このあたりでは、「若狭瓦(わかさがわら)」というのを使っているという。
上薬をかけないで焼くため、全体がどこかくすんだ色になっている、などなど。
こうした刺激が、頭の中の固定観念をつぎつぎと破壊してくれる。
ときにバチバチと火花を飛ばすこともある。

といっても、ここは日本。
もしこれが外国だったら、どうだろうか?
息子の1人は、もうすぐJ社のパイロットとして、世界中を飛び回ることになる。
そういう生活をつづけていたら、日本を見る目も変わるにちがいない。
あるいは身近にいる、バスの運転手さんはどうだろうか?

こうして毎日のように、日本中をあちこち回っている。
私とはいろいろな面で、人生観がちがうはず。
私の知らない世界を、たくさん見ている。

またもう1人の息子は、アメリカに住むようになって、もう12年になる。
世界を知っているというよりは、日本のことなど忘れてしまったにちがいない。
今では、私も「日本人の私の息子」というよりは、「アメリカ人の友人」という見方をしている。

前回も日本へ来るとき、私やワイフへのみやげは、何も買ってこなかった。
それについて、「どうして買ってこなかったのか?」と聞くと、それが原因で大げんかになってしまった。

「何かほしいものがあったら、きちんと言ってくれ。そうすれば、ちゃんと買ってくるから」と。

ナルホド!

しかしこれは日本人の発想ではない。
日本では親子でも、実家へ帰るときは、何かしらのみやげをもっていく。
どうやらアメリカでは、そうではないらしい。
つまりそういうことで、たがいに気をつかわないのが、親子?
考えてみれば、アメリカ流のほうが、気が楽。

むしろ私たちが注意しなければならないことは、自分の常識をもって、それを世界の標準と思ってはいけないということ。
つねに自分がもつ常識を疑う。
旅行は、そういう場として、最適である。

……ここでバスは、三浜町に入った。
右側に鉛色の日本海が見えてきた。
福井県という表示が見えた。
ここはまだ福井県らしい。
学生時代の1年先輩が、現在、福井県の副知事をしている。
10年ほど前までは年賀状を交換していた。

で、日本海側のこのあたりは、1年のうち3分の1は、曇り空という。
先ほどバスのガイドさんが、そう言っていた。
とたん、私は学生時代を思い出した。
私は石川県の金沢市で、4年間を過ごした。
が、こと天候に関しては、ゆううつな毎日だった。
「曇り空」どころか、1年の3分の1は、「長靴」で過ごした。

こうした天候が、そこに住む人の気質に影響を与えることは、じゅうぶん考えられる。
天候が暗いから、性格まで暗くなるということではない。
その分だけ、晴れわたった日の美しさが鮮明にわかるようになる。
そしてその分だけ、曇天の日は、じっと何かに耐える。
「北陸の人は、がまん強い」とよく言われるが、その理由は、こんなところにあるのかも」しれない。

しかし天候のせいもあるのか、田んぼの間に点在する農家は、湿った空気の中で、静かに眠っているよう。
動きもない。
もちろんにぎやかさもない。

バスは一路、熊川宿へ……。

熊川宿……観光地としては、星2つの★★。
ここだけを目的に来るというような観光地ではない。
旅の途中とか、どこかへ行く途中ということであれば、いいかも。
なお名物の「鯖寿司」は、道の駅レストランで食べるよりも、宿場町の中に
ある寿司屋で食べたほうがよい。
値段も安いし、サービスもよい。
(道の駅のほうは、セルフサービス。
鯖寿司4巻と吸い物で、1500円だった。)

(補記)
鯖街道を歩いているとき、「昔の人はこうして歩いて通ったのだな」と、何度も思った。
大八車ができたのは、江戸時代の中ごろとされる。
「大八」という名前の穂人が発明したのが、はじまりと言われている。

そういう車でもあれば鯖を運ぶのも楽だっただろう。
しかしそれには道路事情もある。
今と違って、石でゴロゴロした道であったにちがいない。
やはり背中に負って運ぶのがいちばん楽だったかもしれない。
ガイドさんの話によると、若狭から京まで、約70~80キロの道を、当時の人たちは1日半で歩いたという。

75÷1・5で、50キロ!
荷物をかついで、1日50キロ!

ヘ~~~~エ、と驚くこと、しばし。

9月は、富士山麓を10キロ歩くことになっている。
「上級コース」とか。
がんばるぞ!

(補記)2
熊川宿の端に、「番所」と呼ばれる小さな関所があった。
小さな関所で、間口が、3間ほどではなかったか。
「こんな関所ならかんたんに破れる」と、私は持った。
弓矢と槍、それに火縄銃が4丁、飾られていた。

「昔の人は、こんな関所でも、恐れたのか」と思った。
つまりそれだけ人間が小さかったというか、従順だったというか。
今なら、たとえば暴走族の若い人なら、数人で、こんな関所を粉々に破壊してしまうかもしれない。
言い換えると、日本も小さな国だった。

あちこちの関所を見るたびに、そう思う。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug.08++++++++++はやし浩司

【8月24日】(日曜日)

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今朝は、遠くの雷鳴で、目が覚めた。
天気予報によれば、局地的な豪雨が
あるという。

前線の向こう側にあるのは何か?
再び、猛暑か?

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●軽快に生きるために

軽快に生きるためには、いくつかのコツがある。

(1) まず敵を作らないということ。

敵というのは、あとあと、わずらわしい関係になるような問題を作らないということ。
たとえば近隣の人たちや、親類の人たちとのトラブルは、極力避ける。
「避ける」というより、タブー。

(2)生活は常に余裕をもつこと。

1万円の収入があったら、5~6000円どまりの生活に心がける。
無理をしない。
ぜいたくをしない。
ほどほどの生活をして、その範囲ですます。

(3) 運動を欠かさないこと。

運動の重要さは、運動をしているものでないとわからない。
長い休みがつづいて、運動不足になったりすると、日に日に、体がナマっていくのがわかる。
水にたとえるなら、体全体が、よどんだ水のようになる。
さらに運動不足になると、腐った水のようになる。
それが実感として、よくわかる。
が、運動をした翌朝は、体中の細胞がプチプチとはじけるような感じがする。

(4)人と会うこと。

人と会うだけで、心の中のモヤモヤが晴れることはよくある。
悶々と悩んだら、人と会って、話をする。
子どもたちのもつ、あの純粋さに触れることも大切だが、最近、私は参観にやってくる父母と、できるだけ会話をするようにしている。
けっして小さな殻(から)の中に閉じこもってはいけない。

今日も、それを目標にして、がんばる!