Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, August 17, 2008

*Essays (2)-Aug 18th

● 34%の人が、「低下している」!

生活水準が「低下している」と感じている人が、34・1%もいるという。
第1次石油危機以来の高水準だという。

内閣府が8月16日発表した国民生活に関する世論調査によると、
生活水準が去年と比べて「低下している」と感じる人が、34・1%と、
昨年7月の前回調査より、9・6ポイント増えたという。

つまり第1次石油危機の影響を受けた1974年(34・6%)に次ぐ、
高水準となったという。
物価対策と景気対策を望む声も急増。
景気停滞と物価高が生活を圧迫している現状が、浮き彫りになったという。

また生活が去年と比べ「同じようなもの」と答えた人は、61・3%と、
昨年比、9ポイント減少したという。
「向上している」は4・4%と、同0・4ポイント下がったという。
今後の生活の見通しでは「悪くなっていく」が、同7・8ポイント増の
36・9%だったという。(以上、ヤフー・ニュースより)

++++++++++++++++++H.Hayashi

景気というよりも、不安感が増大している。
それは事実だろう。
私自身も、そうだ。
未来に安心感を覚えない。
それが「生活水準が低下している」という実感につながっているのではないか。

とくに老後に対する不安感が増大している。
私たちの世代はもちろん、40代、50代の人にとっても、そうだ。
「私たちは、この先、どうなるのだろう」と、それを考えただけで、不安になる。

たいていの人は、こう調査結果を知ると、「それはお金の問題」とか、「仕事の問題」、
さらには、「健康の問題」と説明する。
しかし本当に、そうだろうか。
それだけが、不安の原因になっているのだろうか。

私は、不安の原因は、もっとほかのところにある。

たとえば、いわゆる「統合性の確立」が、できていないこと。
ほとんどの人は、(私も含めてだが)、「何をすべきか」ということがわからないまま、その日、その日を、何となく過ごしている。
あるいは「何をすべきか」はわかっていても、現実の生活をそれに一致させる
ことができない。
言うなれば、目的地もわからず、森の中をさまよい歩いているようなもの。

目的地がわかれば、たとえお金がなくても、仕事がなくても、あるいは不治の
大病を宣告されても、不安になることはない。
『朝に知れば、夕べに死すとも可なり』というのは、そういう意味である。

言いかえると、生き様を支える価値観が、混乱している。
それが不安の原因になっている。
もっとわかりやすく言えば、「お金こそすべて」と生きてきた人たちが、
心の拠り所を失いつつある。
言うなれば、はしごを使って二階屋根にはのぼってはみたが、
そのはしごをはずされてしまった。
今は、そういう状態なのかもしれない。

こういうとき、オーストラリア人の生き様は、参考になる。

ずいぶんと昔だが、1人当たりの実質収入額で、オーストラリアがシンガポールに
抜かれたときのこと。
友人のK君に、「君たちは、こういう事実をどう思う?」と聞いたら、
そのK君は、こう言った。
「ヒロシ、それがどうした?」と。
つまり「生活の豊かさは、収入の額では決まらない」と。

日本人に欠けている部分と問われれば、すべてこの一点に凝縮される。
「私は私、あなたはあなた」という生き方ができない。
収入が減れば、生活の質を落とせばよい。
こうした問題は、本来、心の豊かさとは、関係ない。
現に、この日本より貧しい国は、いくらでもある。
EUを見ても、日本より金銭的に豊かな国は、ドイツぐらいしかない。
このアジアを見ても、日本人は、平均的なアジア人よりも、
5~10倍もの収入を得ている。

が、相対的に、それが少し減ったというだけで、不安になる。

実のところ、かく言う私も、不安感を覚えている。
不安感と必死に闘っている。
しかし世の中、なるようにしかならない。
(そのとき)がきたら、そのとき。
そのうち生活ができなくなれば、家や土地を売ればよい。
大切なことは、生活の質は落とさないこと。
「質」といっても、穏やかに、心豊かに生きることをいう。

この世の中、何をするにも、お金がかかる。
が、その一方で、お金を使わなくても、じゅうぶん楽しめる。
そういう方法は、いくらでもある。

あまりクヨクヨしないこと。
今、あなたが健康で元気なら、それに感謝して、あとは前向きに生きていけばよい。
……とまあ、半ば、自分を慰めながら、そう言い聞かせながら、生きている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
朝に知れば夕べに死すとも可也 朝に知れば、夕べに死すとも可なり 朝に知れば夕べに死すとも可なり)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 08++++++++++はやし浩司

● 三浦K事件

【ロサンゼルス15日時事】ロス疑惑銃撃事件で、米自治領サイパン島で逮捕、拘置中の元会社社長三浦K容疑者(61)=日本で無罪確定=が申し立てた逮捕状無効確認請求の第3回審理が、15日午後(日本時間16日午前)、ロサンゼルス郡地裁(バンシックレン裁判官)で開かれた。検察側証人として、ミシガン大ロースクールのマーク・ウエスト教授が出廷。逮捕容疑の共謀罪は日本の法制度にないと陳述し、終了した。(以上、時事通信)

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こんな事件があったとする。

2人の女性がバイクに乗っていた。
2人は、一卵性双生児で、指紋はもちろん、姿、形はまったく同じだった。

その2人の女性のうち、1人が、うしろの座席から、ピストルでX氏という男性を射殺した。
殺人事件である。

で、2人の女性は逮捕された。
目撃者もいた。
が、たがいにその2人は、「私が撃ったのではない。もう一人の姉(妹)が撃った」と
主張した。

こういうケースのばあい、日本の刑法では、2人とも無罪になる可能性が高い。
実行犯が特定できないからである。

一方、アメリカには、「共謀罪」というのがある。
実行犯が特定できなくても、2人の間に共謀性が認定されれば、有罪にもちこむことができる。
「2人が1組となって実行犯」とみなされるわけである。

三浦K事件が、日本の裁判で無罪になったのは、こうした理由による。
三浦Kの妻はたしかに殺害された。
しかし現場には、三浦Kと、被害者である三浦Kの妻のほかに、もう1人の人物がいた。
つまりどちらが三浦Kの妻を殺害したか、実行犯の特定ができなかった。
しかもなおかつ、もう1人の人物がだれか、それも特定できなかった。
ひょっとしたら、その瞬間、三浦Kは、気を失ったかなにかで、何も覚えていなかったのかもしれない。

が、アメリカの刑法によると、そうはいかない。
「共謀罪」というのがある。
仮にもう1人の人物が特定できなくても、またどちらが実行犯と特定できなくても、
事実として、そこで(殺人事件)が起きたということから、そこにいた人物、つまり三浦Kを、第一級殺人罪として、有罪にもっていくことができる。

今回、アメリカで、検察側証人として、ミシガン大ロースクールのマーク・ウエスト教授が出廷し、逮捕容疑の共謀罪は日本の法制度にないと陳述した理由は、そこにある。
三浦Kは、無実だから無罪が確定したのではなく、法律のちがいにより、無罪になっただけ、と。

あとの判断は、アメリカの司法当局がすることになる。
現段階では、三浦Kは、被疑者でしかない。
有罪が確定するまでは、「無罪」と推定される。
が、もしアメリカ側で裁判ということになれば、有罪となる確率は、きわめて高い。
私はあえてそれを望む者ではないが、この事件だけは、もう一度、白黒をはっきりつけるべきと思う。

三浦K自身の名誉にかけても、三浦Kは、アメリカの裁判所で、堂々と無罪を主張してみたらよい。
私たちも、今度こそ、それで納得する。