Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, August 17, 2008

*Essays(1) Aug.18th

●8月18日(月曜日)(2008年)

今朝は、近くを走る救急車のサイレンで目が覚めた。
猛暑がつづくせいか、このところ救急車のサイレンの数が、ふえたように思う。
暑いから体調を崩すというよりは、(冷房のある部屋)→(冷房のない部屋)を
行き来しているうちに、体調を崩す。
そのため私のばあいは、できるだけ冷房を使わないようにしている。
自宅では、使っていない。

が、今朝は、いつもになく涼しい。
空は厚い曇天。
扇風機の風だけで、さわやかさを覚えるほど。

さあ、今日もはじまった……と言いたいが、どうも調子が悪い。
精神状態がよくない。
心も、空と同じように、どんよりと沈んだまま。
まだ眠い?
このところ睡眠不足がつづいている?

朝食がすんだら、しばらく寝なおしてみよう。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●高校野球の決勝戦

今日、高校野球の決勝戦が行われる。
昼の1時からだという。
地元、静岡県代表の、常葉菊川高校が出場する。
応援しないという手はない。
久々の決勝戦。
しかも夏の甲子園。
さっそくワンセグ付きのウォークマンに充電を開始する。

私の予想では、常葉菊川高校が、3-1で優勝。
相手方チームは、大阪代表というだけで、名前は忘れた!


●躁状態の多弁性

躁病(そうびょう)とうつ病は、ペアで、交互に起ることがあるという。
同時にその両方を、発症する人もいるという。
その躁病の第一の特徴は、「一方的な多弁性」だそうだ。
あちこちの専門BLOGにも、そう書いてある。

一方的に話すだけで、人の話を聞こうとしない。
自分勝手……というより、「自分がぜったい正しい」という前提で
話すから、やっかい。

「そのため周囲の人たちと、衝突しやすい」と書いてあるBLOGもあった。

が、何よりもやっかいなのは、本人に病識がないこと。
病識があれば、まだ対処できる。
しかし本人は、自分では、正常と思いこんでいる。

さらにやっかいなことに、それに気づいた周囲の人が指摘すると、激怒したり、
パニック状態になったりする。
ギャーギャーと泣きわめいたり、騒いだりする。

その多弁性だが、よく観察してみると、脳に飛来した情報を、ペラペラと
口にしているだけ。
ことこまかく、微細なところまで、説明したりする。
思考力は、ほとんどない。

そういう点で、つまり(思考力がない)という点で、認知症の初期症状に考える学者も
多い。
実際、うつ病のばあい、認知症に似た症状をともなうことが多いそうだ。
だからケースによっては、うつ病から認知症になったのか、認知症からうつ病になった
のか、わからないばあいが、多いとのこと。
(あるいは同時に発症することもあるのか?)

相手が躁状態であるにせよ、ないにせよ、(思考力のない人)と話すのは、たいへん。
こちらの話を静かに聞かない。
ふつうなら、「そうだなあ……、私ならこう思うのだがなあ……」というような会話を
するところでも、それがない。
人の話を半分(あるいはそれ以下)も聞かないうちから、「これはこうで、あれはああで」と。間断なくしゃべる。

私は専門家ではないので、これ以上のことはわからない。
ネットの検索エンジンを使うと、いくつかのHPをヒットするので、心配な人は、そちらを見たらよい。


●3時間半の人生

+++++++++++++++++++++

1冊の単行本(約230ページ)を、HPに
収録するのに、約3時間半かかる。

まず1ページごと、スキャナーでパソコンに
取り込む。
これに約2時間。

つぎにそれらをまとめて、無料の画像登録
サービス(Frickr)に、UPLOADする。
これに約20~30分。

UPLOADしたページのHTMLタグを、
1ページずつHPに張りつける。
これに約1時間。
休みなく作業を繰り返して、計、約3時間半。

「たった3時間半」とも言える。
「3時間半も」とも言える。
作業をしているときは、その時間が、
うんざりするほど、長く感ずる。

が、その3時間半で、1冊の本が、これで丸々
HPに収録できる。

昨日は、10年前に出した『ドラえもん・
野比家の子育て論』(創芸社)を、こうして
HP上に、公開した。

その作業をしながら、いろいろなことを
考えた。

この本にしても、当時は、出してもらうために、
出版社へ何度も足を運ばねばならなかった。
出版が決まってからも、推敲や校正などの
作業がつづいた。

原稿を渡してから、実際本が書店に
並ぶまで、約3~5か月。

つまり1冊の本といいながら、そこには私の
3~5か月分の人生が凝縮されている。
が、それが今では、3時間半!
(たったの3時間半だぞ!)

この本のばあい、初版の3000部を売りつくすのに、
約2年もかかった。
1か月につき、約120部。

が、HPのほうでは、翌日の今日、すでに、40~50件のアクセス。
本とインターネットは、いろいろな面で、「同じでは
ない」が、この計算でいくと、1か月で、1200件。
2か月で、2400件……!

とたん、すでに墓に入った本が、ゾンビのように
生き返った?
私はそう感じた。

もちろん収入は、ゼロ。
しかしもとから収入など、あてにしていない。
当時の私は、(そして今も)、自分の考えを
人に伝えられれば、それでよいと思っていた。

賛同してくれる人がいれば、それでよし。
いなければ、それも、よし。

その3時間半の間、当時の思い出が、あれこれと
よみがえってくる。
3時間半で、半年分の人生。
そんな感じもした。

で、発刊日を見ると、1998年となっている。
ちょうど10年前ということになる。
が、それについても、「たったの10年!」と思った。
私には、遠い昔のことのように思える。
具体的に年数は浮かんでこないが、20年前とか
30年前とか……。
そんな感じがする。

ワイフに「あの野比家の子育て論を出して、まだ、
たったの10年だってエ?」と声をかけると、
ワイフも、「そう~?」と。

私にとっては、長(ナガ)~~イ、10年だった。
つまりそれだけこの10年は、充実していたということか?
自分のHPをながめながら、そう思った。

(補記)「ドラえもん、野比家の子育て論」は、私のHPのトップページから、(立ち読みコーナー)を経て、おいでください。

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Hiroshi Hayashi++++++++Aug 08++++++++++はやし浩司

●盗み見

++++++++++++++++++

私のHPを見ると、その人のIP番号が
記録されるようになっている。

番号だから、どこのだれかは、わからない。
しかしこちらに登録されているアドレスの
IP番号と照合すると、名前がわかる。
(こちらに登録されていないと、わからないが……。)
この方法で、その人が、いつ、何時ごろ、何回、私のHPを
訪問してきたかがわかる。

で、先日、ある知人に会うと、その知人がこう言った。
「林君のHPは、もう1年近くも見てないんだけど……」と。

??????

その人は、週に1、2度、多いときは、2、3度、いつも
午後11時前後に、私のHPをのぞいている。
仕事が終わるのが、その時刻なのだろう。

私はIP番号までの説明はしなかったが、「ぼくのHPには、
そういうソフトが組み込んであって、いつだれが訪れたか
わかるようになっているんですよ。あなたのアドレスは、
たしか、axxxx ネットでしたね」と。

その知人は、それでムッと黙ってしまったが、しかし
どうしてそういうウソをつくのだろう。
ウソをつかねばならないことでもあるのだろうか。

見ているなら、「見ている」と言えばよいと思うのだが……。
何か、別の目的をもってのぞいているのだろう。
私はそう感じたが、あとのことはわからない。
そんなことをいちいち気にしていたら、HPなど、公開
できない。


●キジバト

庭にキジバト(このあたりでは、「ドバト」と呼ぶ)が、住みつくようになって久しい。
今は、「白(しろ)」という名前の雄のハト。
首の下が白いので、そう呼んでいる。
「青(あお)」という名前の雄のハト。
それにつがいでくる、2羽のハト。
私たちは「夫婦(ふうふ)」と呼んでいる。
その4羽が、かわるがわる、庭へ来る。

朝、私の姿をどこかで見かけると、シロが、ホッホ~、ホッホ~と鳴く。
餌の催促である。
で、庭に餌をまくと、その10秒後には、そこへ下りてきて、餌を食べる。

いちばん威張っているのが、シロ。
あとの3羽は、シロのご機嫌をうかがいながら、餌を食べている。
ときどきシロに追い払われることもある。

10年ほど前には、銀バトというハトを、小屋で飼っていた。
一時は、10羽以上になったが、ある日、猫に襲われて全滅!
さらにその10年ほど前には、文鳥を飼っていた。
が、これもヘビに襲われて、やはり全滅。

以来、こうして庭に餌をまいて、野生の鳥を楽しむようになった。
(本当は、こういうことをしてはいけないそうだが……。)
しかし私は、鳥が好き。
飛ぶものなら、何でも好き。
ついでに飛行機も。

私は今度生まれ変わることができるなら、鳥になりたい。
チベット密教によれば、(日本の仏教のルーツだが)、人間に
生まれ変わるのを最上の「徳」とするなら、鳥に生まれ変わるのは、「最悪」
ということになっている。

しかしどうして鳥が、最悪なのだろう?
日本的に言うなら、「畜生」ということになるのかもしれない(?)

が、私はチベット密教など、気にしない。
ついでに日本の仏教など、気にしない。
こんなことがあった。

私の実家の墓地の入り口に、親鸞の像がある。
その像の台座に、「四法印」が刻んである。
仏教の教えの根幹を4つの言葉で、表したものである。
「法印」というのは、布教のときにかかげる「旗印」を意味する。
諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静の四つをいう。
一切皆苦を除いて、三法印(さんぼういん)と呼ぶこともある。

その四法印について、ほとんど毎月のように墓参りしている
人に、たずねてみると、その人は、こう言った。

「シ、ホ~、イン? そんなもの、知りませんよ」と。

日本の仏教が、儀式仏教と呼ばれる理由は、そんなところにもある。
「形」ばかりにこだわって、中身がない。
毎月のように墓参りしながら、四法印を知らない?
しかしそんなのを、信仰と言ってよいのか。
信仰と言えるのか。

……とまあ、他人の批判はともかくも、私は鳥に生まれ変わりたい。
鳥になって、一度でよいから、大空を自由に飛びまわってみたい。

人間……?
「万物の霊長」などとは言うが、私は、そうは思わない。
人間の前頭連合野の発達には、ものすごいものがある。
が、そのほかの部分を除けば、人間が他の動物より
すぐれていると考えるのは、まちがい。
思いあがりも、はなはだしい。

……ということで、今日も、キジバトに餌を与えている。
我が家のペットというよりは、「友」である。