Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, September 28, 2008

*Fairness of Law

●9月28日

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今朝は、どこか風邪気味?
のどが痛い。
頭痛も少しある。
手を当ててみると、額が、少し熱い。
加えて、悪寒。
「起きようか、それとも寝ていようか」と、迷う。
が、そのまま起床。
うがいをして、服を着る。

せっかくの日曜日。
やりたいことがたくさん、ある。

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●パソコンの修理

昨日は、パソコンを2台、修理した。
書斎のXPパソコンと、居間のノートパソコン。

書斎のXPパソコンは、メモリーの故障が原因だった。
長い間、調子が悪かった。
ときどき思わぬところで、フリーズしてしまう。
ハードディスクか?
OSか?

メーカーに問い合わせると、「マザーボードかも?」とのこと。

で、VISTAパソコンには、メモリー診断機能というのがついている。
そのVISTAパソコンにメモリーを差し替えて、検査。
するとあっさり、エラー表示。
ということで、原因は、メモリー。

もう1台は、居間のノートブック。
原因はわからないが、たぶん、おとといの雷のせいではないか(?)。
近くでジェット機でも墜落したかのような雷鳴が聞こえた。
で、そのあとOSが立ちあがらなくなってしまった。

しかたないので、リカバリー。
経験のある人ならわかると思うが、パソコンというのはリカバリーすれば、
それでめでたしめでたし……というわけにはいかない。

各種、再設定に始まって、ウィルス対策ソフトの再インストールなどなど。
全体で、4時間ほどかかった。

私はどんなパソコンでも、使うとか使わないとかにかかわらず、ベスト・
コンディションにしておかないと、気がすまない。
だから毎週のように、パソコンの修理を繰り返している。
これが結構、たのしい。

ところで数週間ほど前、ウィルス入りのメールを送ってきた人がいた。
どこか「?」と感じたので、別メールで問い合わせると、「ぼくは、
そんなメールを送っていない」とのこと。

おそらくボットか何かが、その人のパソコンに侵入したのだろう。
そのボットが、勝手にメールをばらまいている(?)。
この世界、油断もすきもあったものではない。
みなさんも、ご注意!


●『ラフマニノフ…ある愛の調べ』

数日前、映画『ラフマニノフ…ある愛の調べ』を見てきた。
ロシア映画だった。
星は、2つの★★。
ロシア映画は、いつも暗い。
どこかジメジメしている。
それで星は2つ。

またライラックの花が映画の伏線になっていたが、それがわかりにくかった。
音楽も、どれも中途半端。
もりあがりにも欠けた。
最初はピアノコンサートにでも行くつもりででかけたが、見終わって、やや
がっかり。

つぎは映画『アイアンマン』を見るつもり。


●三浦K事件

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現在、サイパン島の拘置所に拘留されている三浦Kが、今度、
共謀罪容疑で、犯行地であるCA州に移送されることになった。
一美さん殺しの殺人罪での起訴は、見送られることになった。
かわりに「共謀罪」で、三浦Kは起訴されることになった。
「殺人罪では不起訴。共謀罪で起訴」というのは、私も予想して
いなかった。
ナルホド!
検事たちが考えに考え抜いた、その結果の、苦肉の策ということになる。

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が、三浦Kへの殺人容疑がこれで消えるわけではない。
もう1人、三浦Kが何らかの形で、からんでいるのではないかと疑われている殺人事件に、
白石Cさん事件がある。
白石Cさんも三浦Kのすぐ近くにいて、やがて白骨死体で発見される。
三浦Kが、白石Cさんの貯金通帳から現金を引き出していることもわかっている。
当時三浦Kは、たしか「会社の金だった。(だから引き出すのは私の自由)」とか
言っていたように記憶している。
今朝の新聞報道によれば、アメリカの検察は、この白石Cさん事件での起訴も
視野に入れているとか(中日新聞)。

これに対して、三浦Kを日本側で弁護している弁護士や支援団体(?)の人たちが、
「不当判断」と騒いでいる(新聞報道、ほか)。
しかしどうして「不当」なのか?

私の常識がおかしいのか?
それとも彼らの常識がおかしいのか?
私にはわからないが、ただひとつ言えることは、いくら法的には無罪であっても、
それを許さない社会的正義が残っている以上、私たちにはそれを納得がいくまで
追求する権利がある。

もう少しかみくだいて言うと、こうなる。
つまりいくら裁判官が、「無罪だから、みなさんも無罪と思いなさい」と言っても、
そうは簡単にはいかない。
そう思うか思わないかは、最終的には私たち自身が決める。
刑を科することはできないが、だからといって(思い)をねじ曲げることはできない。

法というのは、あくまでも社会的正義追求のための手段でしかない。
もっと言えば、道具でしかない。
ふだんの生活の中では、どこに法があるかさえもわからない。
わからなくて、結構。
それでよい。
法というのは、そういうもの。
またそうでなければならない。

が、ひとたび社会的正義が破られたら、顔を出す。
私たちはそれを使って、その社会的正義を追求する。
それが「法」である。

が、まず法ありき……という社会は、(一応法治国家の建前にはなっているが)、
それ自体は、暗黒社会への入り口と考えてよい。
窮屈で、居心地の悪い世界になってしまう。
最近では、悪しきテレビ番組の影響なのだろう。
教室で子どもたちにカメラを向けただけで、子どもたちはこう叫ぶ。
「肖像権侵害!」「慰謝料請求!」と。

まちがった法意識ということになるが、それがわからなければ、
反対の立場で考えてみればよい。
それこそ「法に触れなければ、何をしてもよい」という社会になってしまう。
法の目をかいくぐって悪いことをし放題している人は、この世界には、ゴマンと
いる。
あるいは逆に、どこかの国の独裁者のように、自分につごうのよい法を作って、
善良な人たちをつぎつぎと処刑することもできる。

社会的正義と法は、どちらが先かと問われれば、社会的正義に決まっている。
社会的正義の上に、法がある。
社会的正義を守るために、法がある。
社会的正義が「主」で、法は、あくまでも「従」である。
こんなことは法がまだなかった、太古の昔から、常識である。

三浦Kを弁護するのも、支援するのも、その人たちの勝手だが、現に、
その周辺で2人の女性たちが殺されていることを考えるなら、弁護士が
弁護するのはともかくとして、三浦Kを支援するというのは、どうかと思う。
残念ながら私には、そうした人たちのもつ常識が、どうしても理解できない。

(注)報道などによれば、「支援団体」とあるが、その程度の人数による、
どの程度の規模のものかは、私は知らない。またどういう活動をしながら、
三浦Kを支えているのかも知らない。念のため。


●道徳の完成度

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道徳の完成度は、(1)公平性と(2)視野の広さ
で判断する。
そのうちの公平性について、再度、考えてみたい。

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少し前、こんなことがあった。
きわめて近い関係にある、Mさんという女性(70歳くらい)から、
電話がかかってきた。
内容は、こうだ。

「息子夫婦が離婚したのだが、嫁が、離れの家から出て行かない。
どうしたらいいか」と。

Mさんは、元嫁、つまり息子の元妻の悪口を、つぎつぎと言い並べた。
が、話を聞いているうちに、私は、Mさんの言っていることのほうが、
無理があるのではと思うようになった。

元妻には、中学生と小学生の、2人の子どもがいる。
子どもたちは母親と家を出るほうを選んだ。
Mさんは、「離れといっても、私の家」「その離れから出て行かないから困っている」
と。
Mさんの言い分も理解できる。
しかしこういう話というのは、一方的に聞いてはいけない。
ただ私と元嫁というその女性とは、何度か会ったことはあるが、あいさつ程度以上の
会話はしたことがない。
「それほど悪い人にも見えなかったが……」と思ったとたん、Mさんへの信頼感
がグラグラと揺れだした。

Mさんは「離れから追い出すにはどうしたらいいか?」と言うが、話の内容を
詳しく聞くと、どうやら、財産のことを心配していることがわかった。
はっきりとは言わなかったが、「どうすれば財産を分与しないですむか」
という内容の相談だった。

……という話は前にも書いたので、ここではその先を考えてみたい。

私の立場では、当然、Mさんの側に立ってものを考えなければならない。
Mさんの利益になるような話をしなければならない。
できるだけ財産分与を少なくし、元嫁を離れから追い出すための方法について
知っていることを、話さなければならない。

ここで公平性といっても、人間関係に大きく左右される。
相手が近い関係の人であれば、なおさらである。
これは極端なケースだが、たとえばあなたの息子がひき逃げをして、家に
帰ってきたとする。
そういうとき、あなたという親は、どのような判断をくだすだろうか。
あなたはあなたの息子を、そのまま警察へ突き出すだろうか。
それとも事故を隠すため、あれこれ工作を始めるだろうか。

いくら相手が近い関係の人であっても、公平性を貫くことができたとしたら、
あなたは道徳の完成度の高い人ということになる。
たとえ息子でも、悪いことは悪いとして、警察へ突き出すことができたとしたら、
あなたは道徳の完成度の高い人ということになる。

で、先の話にもどる。
実際問題として、近くの人から、そういった相談を受けたとすると、どうしても
その人の利益になるような回答をしてしまう。
が、それは同時に、元嫁にとっては、不利な話となってしまう。
まだ40歳前の女性が2人の子どもをかかえて離婚するというのは、生活費だけを
考えてもたいへんなことである。
ある程度の財産分与、さらには慰謝料、養育費の負担は、当然である。

(話を聞くと、その元嫁は、結婚してからずっと、近くの事務所で事務員として
働いていたという。そのとき得た収入は、Mさん一家全体の生活費の一部にもなっていた
という。)

私は家庭裁判所での調停を勧めた。
こういった話は、第三者に客観的に判断してもらうのがいちばんよい。
が、あとで聞いたら、それがMさんを不愉快にさせたらしい。
Mさんは、知り合いに、「あの林は冷たい」「まともに相談にものってくれなかった」
と言いふらしているのを知った。

しかし私は私なりに、公平性を貫いた。
では、なぜ今、私はこんなことを書くか?

先の三浦K事件に話を戻す。
新聞の報道によれば、日本で三浦Kを無罪にもちこんだ2人の弁護士たちが、
今回のロス地裁での判断に対して、「不当である」と。

私はこの記事を読んだとき、こう思った。

弁護士なのだから、事件のあらましを詳しく知る立場にあったはず。
その過程の中で、弁護士は、三浦Kに、疑問を抱かなかったのだろうか、と。
法廷で確認された事実によれば、一美さんが銃撃されたとき、そばに白いバン
が駐車してあった。(三浦K氏は、このバンの存在そのものを否定。)
白いバンは、近くのビルで仕事をしていた人にも目撃されているし、三浦K自身が
撮った写真の中にも、その一部が写っていた。

結局日本の裁判所では、実行犯が特定できず、三浦Kは無罪になったが、疑問は
疑問のままとして、残る。
もしほんの少しでもその疑問を、弁護士も感じたとするなら、無罪であったとしても、
もう少し謙虚になってもおかしくない。
「逮捕は不当」「アメリカ本土への移送は不当」「殺人罪での起訴は不当」
「共謀罪での起訴は不当」と、何からなにまで、「不当」というほうが、おかしいのでは(?)。

つまりいくら近い立場にあったとしても、どこかで公平性というブレーキをかけないと、
弱い人の立場を守れなくなってしまう。
三浦K事件について言えば、だれに殺されたかはわからないが、その弱い立場の人と
いうのは、一美さんであり、白石Cさんということになる。