Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, September 21, 2008

*Whre does the anxiety come from?

●五感を刺激する

+++++++++++++++++++

映画は、ボケ防止には、たいへんよい(と思う)。
はっきりとした根拠があるわけではないが、
映画を見ることによって、五感が刺激される。

家庭でDVDを見るという方法もあるが、私はやはり
劇場で見るのがよいと思う。

迫力がちがう。
それに私のワイフのばあい、家庭でDVDを見ていると、
そのままよく眠ってしまう。
だから劇場で見るのがよい。

とくに私のように、ものを書く人間は、そうである。
書いてばかりいると、社会性そのものが、現実世界と
遊離してくる。
思想が偏(かたよ)ったり、極端になったりしやすい。
が、映画を見ることによって、さまざまな世界を
疑似体験できる。

泣いたり、笑ったり、怒ったり、ハラハラドキドキしたり……。

それに字幕を読みながら映画を見ることによって、
脳みそが、英語と日本語の両方で刺激される。

ということで、私とワイフは、週に2回は劇場まで足を運び、
映画を見ることにしている。
満50歳以上は、1回1000円。
6回見ると、7回目はタダ。

肉体的な健康維持のため、ジムに通う人は多い。
同じように、脳みその健康のため、映画館に通ってみてはどうか。
種類は、問わない。
というより、私のばあい、時間帯さえあえば、片っ端から見ている。
子ども向けの映画を見ることもある。
ただしどうせお金を出すなら、楽しいものを見たい。
見て、不愉快になるような映画は、いや。
ハッピーエンドで終わる映画なら、文句なしによい。


●不安の原点

++++++++++++++++++

世界経済が、おかしい。
それについて、少し前、私は
「おかしな胸騒ぎがする」と書いた。

私は、ある種の不安感を覚えた
ことになる。
それはそれとして、つまり経済問題は
別として、この問題は、「不安」について
考えるには、たいへんよいテーマと思う。

「不安とは何か?」
「不安はどこから来るのか?」
「不安を解消するためには、どうすれば
よいのか?」

++++++++++++++++++

「不安」は、心理学の分野でも大きなテーマになっている。
大きく分けて、不安の原因として、(1)抑うつ説と、(2)恐怖説がある。
またその前後関係について、(1)不安感が先にあって、抑うつ的になったり、
恐怖感を覚えるようになる。(2)抑うつ的になったり、恐怖感を覚えたあと、
不安になるの、2説がある。

私の個人的な実感としては、「不安のメカニズム」は、「ストレス学説」と似ている
ように思う。
現象面だけを見ると、たいへんよく似ている。

たとえばこんなことがあった。

数年前、健康診断を受けた。
しばらくするとセ検査ンターから検査報告書が届き、私の胃について、「要精密検査」と、
そこには書いてあった。

私にとっては、生まれてはじめての経験だった。
私はその言葉を見て、かなり動揺した。
「どの程度の心配があるのか?」
「どのレベル以上を、要精密検査というのか?」
「要精密検査とは何か?」
そういった情報が、まるでなかった。
あるいは「すでにがんにかかっているので、もう一度検査しなおす」という意味にも
とれた。

私は自分の体を静かに観察してみた。

食事はおいしい。
このところ胃の不調を訴えることはない。
体の調子も悪くない。
体重が減ったということもない、など。
そのあと、私は自分にこう言って聞かせた。
「仮にがんであっても、今なら間に合うはず」と。

こうした一連の心理状態を並べてみると、こうなる。

(要精密検査の報告書をもらった)→(得体の知れない恐怖感を覚えた)→
(不安感を覚えた)→(気分が落ち込んだ)→(「私はだいじょうぶ」と自分に
言って聞かせた)と。

「ストレス学説」によれば、(得体の知れない恐怖感)がストレッサーとなり、それが
一時的にはアドレナリンの分泌を促し、それが一巡し、気分を落ち込ませたことに
なる。

そこで私はすぐ、検査センターに電話を入れ、「要精密検査とは何か」を聞いた。
するとあちこちへ電話を回され、最後はドクターと思わしき人が、こう教えてくれた。
「今回の検査では検査できなかった部分がありますから、その部分を再検査します」と。

が、それで私の不安感が去ったわけではない。

私は翌日、かかりつけの医院へ行き、個人的に検査を受けた。
そんな状態で、再検査までに2週間も過ごしたら、気が変になってしまう。
で、結果はシロ!
とたん胸の中のモヤモヤが、スーッと消えた。

そこで得た教訓は、(1)まず敵の正体を知る、である。

何かのことで不安感を覚えたら、まず敵の正体を知る。
それが何であるか、正確に知る。
あいまいなままだと、妄想だけが勝手にふくらんでしまう。
その妄想が、強烈なストレスとなって、心を万力のように押しつぶし始める。

が、それがシロであれ、クロであれ、正体がわかれば、つぎの対処方法がわかる。
一歩、前に出ることができる。

つぎに大切なことは、(2)周辺情報を集めて、整理する。

これは大病には当てはまらないかもしれないが、情報をできるだけ多く集めて、
外堀をしっかりと埋めておく。
「こうなったら、こうする」「それでもこうなったら、こうする」と。
そういう対処法を、幾重にも、自分の周囲に、砦(とりで)のように積み重ねていく。
私はこれを「理論武装」と読んでいる。
つまり、「武装」する。

が、そうしたところで、不安感はすぐ消えるわけではない。
脳みそというのは、そういう点では、不器用。
一度分泌されたサイトカイン(ストレスの原因となる脳内ホルモン)は、すぐには
消えない。
静かに脳内で起こる(フィードバック現象※)を待つか、それとも、精神安定剤のような
薬物の世話になるしかない。
(私のばあいは、ハーブ系の安定剤をよく服用する。効果は薄いが、副作用や習慣性が
生まれない分だけ、安心してのめる。)

そこで「不安」について。

無知、無学、情報不足、経験不足、知識不足が、不安の原因の第一と考えてよい。
冒頭にあげた経済問題についても、そうである。
あまりにも情報が多く、全体として、まるで巨大な雲をつかむよう。
どの分野を、どのように切り込んでいったらよいかさえ、わからない。
そこに何があるのかさえ、わからない。
だから、言いようのない不安感に襲われる。

もうひとつの例をあげて考えてみる。

山荘が完成し、その山荘で暮らすようになってすぐのこと。
夜中に、庭をだれかが歩く音がする!
庭には、砂利を敷きつめてある。
その砂利が、ジャリ、ジャリと音を出す。

私は生きた心地がしなかった。
「だれだア!」と声をあげても返事もしない。
が、突然、風呂場のほうで、何かがバタンと倒れる音。

私は起きあがって、家中の電気をつけた。
そして懐中電灯をもって、外に出た。
が、そこには何もいなかった。
風呂場も、そのままだった。

翌日から私は、おもちゃのモデルガンと、木刀を枕元に用意した。
戸締りもきちんとした。

が、やがて、その理由がわかった。

夜になるとそのあたりでは、ハクビシン、タヌキ、イノシシ、それに近所の
イヌやネコがかわるがわる徘徊する。
それがそういう足音をたてた。
また風呂場での音は、鏡が原因だった。
バスタブをかわかすため、窓を開けておいた。
そこから風が入り、鏡を倒した。

ということで、それ以後は、恐怖心は消えた。
さらにそのあたりでは、村の人たちがこう言っているのを知った。
「この村では、この400年、泥棒(空き巣)に入られた家は一軒もない」と。

……とは言いながらも、この世界、どこもかしこも、不安だらけ。
不安と無縁で生きるほうが、むずかしい。
それぞれの不安と闘う時間すら、ない。
それに不安というのは、一度心の内壁に張りつくと、なかなか取れない。
(これは私だけの現象かもしれないが……。)
だから不安になってから、その不安と闘うのではなく、そうでないときから、
いろいろな情報を吸収しておく。

たとえば私のばあい、病気などについては、近辺にその病気の人が出たりすると、
その病気について、徹底的に調べるようにしている。
アルツハイマー病の人が出たら、アルツハイマー病について。
心筋梗塞の人が出たら、心筋梗塞について、というように。

もちろん人間関係についても、そうである。
冠婚葬祭に始まって、遺産相続問題などなど。
とくに今は、インターネットというたいへん便利なサービスもある。
以前なら、図書館で1日かかった調べ物が、ものの数分ですんでしまう。
体験談もそのまま読むことができる。

しかし悪いことばかりではない。
こうして私がものを書きつづけることにしても、見方によっては、その原点に
不安があるからにほかならない。
もし私が天国のような世界に住んで、何一つ不自由なくのんびりと暮らしていたら、
たぶん、ものなど書かないだろう。
ものを考えることもないだろう。
つまりこれも「ストレス学説」と似ている。
適度な不安は、生きる原動力となる。

それが「命」にかかわる問題でなければ、何も恐れることはない。
不安を避けるのではなく、不安とは仲よくつきあう。
それが、私の不安解消法ということになる?

なお心理学の世界では、「不安」を、心理分析の中核に置いている。
さまざまな学者が、それぞれの意見を論議しあっている。

欲求不満説
葛藤論
自己概念に対する脅威論
不安因子論などなど。

俗な言い方をすれば、「なるようにしかならないものは、あきらめ、何とか
なるものについては、がんばる」。
それしかない。

(注※)「フィードバック現象」……脳の中である種の反応が起こると、今度は、
それを打ち消すための別の反応が、同時に起こる。これを「フィードバック現象」
という。