Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, September 24, 2008

*Monkeys attacked our house

● 猿害対策

昨日、山荘のほうで、猿害対策を、いろいろほどこした。

栗、びわ、柿、さくらんぼなどの木の実については、猿にくれてやろう。
しかし山荘の雨どいが割られたり、壊されるのは、許さない。
山猿は雨どいを利用して、屋根に登る。
電話線や電線を伝ってやってくるのもいる。
足跡や、手の跡がしっかりと残っているから、それがよくわかる。

そこで私は、こうした。

(1) 雨どいについては、山猿は手をかけるところには、塩ビに、裏から
釘を刺したものを、貼り付けた。
こうすれば、山猿は雨どいに手をかけることができない。

(2) 電線には、釘を刺したテープを巻いた。

(3)裏山から飛び乗ってくる山猿もいる。私はそのあたりにある木を、3、4本、
切った。
結構太い木で、これにはてこずった。
というのも、チェーンソーを忘れ、電動ノコで切ったため。

電動ノコで、だ!

あとはこわされた雨どいの修理。
「今度山猿に雨どいを壊されたら、雨どいをすべてはずしてしまおう」と。
というのも、こうした山の中では、秋になると、雨どいは落ち葉ですぐ詰まってしまう。
用をなさない。

今のところ瓦はだいじょうぶのよう。
山猿に割られるようになったら、それこそ、たいへん。
このあたりの山猿は、(復讐)というのを知っている。

いつだったか、近くの農家の人で、山猿の集団に向かって石を投げた人がいた。
その人の家は、翌朝、山猿の襲撃を受け、屋根瓦がつぎつぎと割られてしまったそうだ。
ウソのような話だが、これはホントの話!

このあたりの山猿は、頭がよい。
本当に頭がよい。
太古の昔には、「引佐(いなさ)原人」と呼ばれる民族が住んでいたそうだ。
そのころ分派したのが、今の山猿……ということはないだろうが、そう考えてもおかしく
ないほど、頭がよい。

たいへんな作業だったが、けっこう、楽しかった。
山荘ライフのおもしろさは、こんなところにある。
まさに山猿との知恵比べ。
つまりこういう作業が嫌いな人には、山荘ライフは向かない。

……一汗かいて、体重計に乗ったら、何と、64キロ台!
この一年間で、最低記録。

これからも山猿との戦いはつづきそう!


● 岐阜の町

++++++++++++++++++H.Hayashi

JR岐阜駅でおりる。
そこから少し歩いて、岐阜乗り合いバスに乗る。
M町までの各駅停車。

空は青く澄み渡り、さわやかな風が吹いている。
最高の旅行日。

++++++++++++++++++H.Hayashi

●欲得の世界

人間がもつ強欲さは、他人を傷つけ、自分を滅ぼす。
しかし一度、身についた強欲さを体から切り離すのは、容易なことではない。
そのつど顔を出し、自分を惑わす。
どうして人間は、こうまで強欲なのか。

強欲であることが悪いというのではない。
生きる原動力になる。
無数のドラマもそこから生まれる。
しかしものごとには、程度というものがある。

そこに食べきれないほどの食物があっても、満足できない。
そこに使い切れないほどのお金があっても、満足できない。
そこにあふれんばかりの幸福があっても、満足できない。

こうなると、ビョーキ。

「さらに……」「もっと……」と、自分をせきたてる。
が、それではいつまでたっても、安穏たる日々はやってこない。
それこそ人間は、死ぬまで、馬車馬の馬のように働く。
で、やっと楽になったと思ったら、そのままあの世行き。

そこで私たちは、あるとき、自分の限界を認め、その限界の
中で、満足する術(すべ)を学ぶ。
そうでもしなければ、自分の身を支えることすら、できない。
それこそ欲望の渦の中に足をとられて、そのまま奈落の底へ。

欲得といっても、その人個人の範囲にあるなら、問題はない。
しかしその欲得が、他人とからんだとき、問題となる。
「私の財産」「あなたの財産」となる。
そういう意味では、欲得の問題は、人間関係と深くからんでいる。
言いかえると、人間関係は、どこかで、何らかの欲得とからんでいる。
大切なことは、どんな人とつきあうにしても、欲得関係をつくらないこと。
つくるにしても、銀行とか、会社とか、その道のプロとつくる。

子どもの教育についても、そう。
「親類だから安くやってもらえるだろう」「ていねいにみてもらえるだろう」と、
親類の人に家庭教師などを頼んだりする人が」いる。

しかしこういうケースでうまくいくのは、10にひとつもない。
が、そのとき、親類だからという理由で、家庭教師を変えることもできない。
ズルズルと1~2年も過ごすと、かえって成績がさがってしまう。
お金はかかっても、こういう(汚れ仕事)は、プロに任すのがよい。

さらにあえて言うなら、少しでも金銭関係がからんだら、よき人間関係など
期待しないこと。
昔から、『仕事関係では、人間関係は育たない』という。
「金の切れ目が縁の切れ目」?

私たちがどこかの会社の社員と交際するとしても、その社員というよりも、
その背後にある(会社)と交際する。

話がそれたが、欲得がからむと、親子、兄弟の関係すら、おかしくなる。
しかも相手が親子、兄弟だと、問題は、さらに複雑になる。

では、どうするか?

私にのばあい、欲得のからむ問題については、最初に、腹を決めることにしている。
「腹を決める」というのは、要するに、「欲を出さない」ということ。
最近の例では、兄の葬儀があった。
最初から、○○○万円と予算を決める。
割り切る。
全額、私が払うと、心に決める。
決めてから、喪主になる。

姉からの援助や、親類縁者たちからの香典も、アテにしなかった。
だから気が楽だった。

結果的に、大赤字だったが、それでも損をしたという思いは生まれなかった。

要するに欲得には、恐ろしい魔力がある。
つきあい方をまちがえると、とんでもない方向に、自分がころげ落ちてしまう。
が、ほんの少しだけ妥協できるところは妥協し、寛容になれるところは寛容に
なれば、欲得も、ただの風。
取るに足らない、ただの風。

所詮、欲得などというものは、その程度のもの。
「ここに私たちがいて、ここに生きている」という価値と比べたら、ひょっとしたら、
風にもならないかもしれない。

……しかし私たちは、どうしてこんなにも、欲得の世界にそのつど、巻き込まれるのか?
まだ人間が金(マネー)というものを知らなかった、遠い昔の、原始の世界が、
うらやましい。


Hiroshi Hayashi++++++++SEP 08++++++++++はやし浩司

● ミニ・パソコン

私のところでは、2台のミニ・パソコンが、大活躍している。
HP社の2133と、ACER社のASPIRE-1。
ともに気に入っている。
どこでもメモ書き帳のように、文章が打てるのがよい。
電車やバスの中。
レストランや喫茶店で。

が、世の中の多くの人は、もっと別の目的でパソコンを使っているようだ。
そのため、ミニ・パソコンは、「あまり役に立たない」と。

ふ~~~ん。