Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, September 28, 2008

*Night Walking with my Wife

● 夜の散歩

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このところ、やや運動不足。
風邪の症状も治まったので、ワイフと散歩に出かける。
コースは、一度バイパスに出て、コンビニに寄る。
そこから大通りに沿って佐鳴湖へ。

距離にして、5キロくらいか。
私はハナ(犬)のロープを左手に、懐中電灯を右手に。
ワイフは、バッグと傘。
出かけるとき、パラパラと小雨が降り出した。

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● 楽しみ

「楽しみ」とは何かと問われれば、私は「生きているという実感」と答える。
もう少しシニカル(皮肉ぽく)な答え方をすれば、「死の恐怖のない自由」ということ
になる。
「生きている」という感覚は、「死の恐怖」の裏返しとして実感できる。
言い換えると、死の恐怖を感じないだけでも御の字。
感謝しなければならない。
喜ばなければならない。
あるいは、それ以上の「楽しみ」はあるのか。

もちろん健康であれば、さらによし。
足が動く。
息ができる。
目が見える。
音が聞こえる。

あとはその「楽しみ」を、どう使うか。
というのも、この「楽しみ」には、限界がある。
時間という限界である。
今の状態が10年つづくという保証は、どこにもない。
が、30年は、ぜったいに、つづかない。
つまり「時(とき)」そのものが、貴重な財産。
刻一刻と、砂時計の砂が下へ落ちていくように、「時」は、減っていく。

「楽しむ」といっても、そういう「時」を無駄には使いたくない。
いや、無駄に使っても、そのあとに残るのは、空しさだけ。
ときに「しまった!」と思うことさえある。

が、今夜の散歩は、楽しかった。
あちこちの記念碑を見たり、通りの看板を読んだり……。
閉店して静まりかえった店の中も、のぞいた。
それぞれの場所で、それぞれの人たちの(思い)を感ずることができた。

家に着くころには、ワイフは、「足が痛い」と言い、私は「背中に汗をかいた」と
言った。
ひんやりとした湿った冷気が、気持ちよかった。
つまりその実感こそが、「楽しみ」ということになる。
「生きているという実感」ということになる。

そうそう、たった今、ハナが牛乳をせがんだので、それを少し分けてやった。


●母の生きがい

毎晩、7~8時ごろ、センターから電話がかかってくる。
朝のときもある。
そのときどき、母を介護する看護士さんや、介護士さんから、母の状態を知らせて
くれる。
先ほどもあった。

母の状態は、一進一退というところか。
危篤と安定を、3~4日ごとに繰り返している。
そのつど、センターへかけつけたり、ほっとしたりしている。

ほかにとくに病気らしい病気のない母だから、人によっては、「100歳まで
生きられそうですね」と言う人もいる。
しかし体重のほうは、毎月のように減っている。
今では小学生のよう。
小学生といっても、小学3~4年生の子どものよう。

昨日も食事が喉を通らなかったということで、点滴で、それをすました。
そういう母の心を思いやる。
「どんな気持ちだろう?」と。

もし母に、自分の境涯を理解できる能力がじゅうぶんあったなら、母は、きっと
自分の境涯をのろうにちがいない。
毎日、毎晩が、孤独との闘い。
生きる目的も希望もなく、また動くこともできず、ベッドの上に横たわっているだけ。

ただ幸いなことに、(それを幸いと表現してよいものかどうかはわからないが)、母には
今の境涯を理解するだけの能力はないと思う。
認知症に合わせて、脳梗塞も起こしている。
面会に行っても、毎回、ほとんど眠ったままの状態。

私は率直に言えば、母というよりは、そういう母を介護してくれる介護士さんのほうに、
頭がさがる。
介護士さんが介護してくれるおかげで、私とワイフは、自由な時間を楽しむことができる。
いや、それとて、自分で母を介護してみて、わかったこと。
老人の介護というのは、ほんとうにたいへん。
母が家にいるときは、毎日、1時間とて、気が抜けることはなかった。
事故も重なった。

もしあのまま母が私の家にいたとしたら、母は、去年のうちに他界していただろう。
だからこそ、介護士さんには、よけいに頭がさがる。

私には今の母の心を読むことはできない。
ないが、今、生きているということが、母の強い意思だと思う。
思うから、生きている以上は、どこまでも生きていてほしい。

私と母の間には、いろいろあったが、今ではそのわだかまりも、消えた。
ベッドの上で横たわっている母は、どこまでも、そしてどこまでもやさしい、
あの慈愛に満ちた母でしかない。

明日は、午前中に、少し時間があいているので、見舞いに行くつもり。
母ちゃん、ありがとう。
そしてがんばれ!
これからも、いっしょに生きていこう!