*A Short Story, "Another World"
【SF小説】
●あの世vsこの世(This World vs. That World)
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今、1人の老人が、静かに息を引き取ろうと
している。
豊かだった白髪も、今は、それもちぢれ、
乾いた皮膚には、無数の深いシワが刻まれている。
酸素マスクの下で、あごだけがかすかに
動いている。
静かな朝だった。
やわらかい朝の光が、カーテンのすき間から
部屋に流れ、その先にあるテーブルを
浮かび上がらせていた。
看護士が、隣の医局で、家族に電話をしていた。
そしてその老人のいる部屋にもどってくると、こう言った。
「孝太さん、お孫さんがもうすぐ来ますよ。
がんばってね」と。
声をかけたが、すでにその老人には、それに
答える力はない。
酸素マスクのカバーを、白い蒸気で曇らす
こと。
それだけが、その老人が生きているという
証(あかし)だった。
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(第1話)
老人の名前は、中山孝太といった。
昭和22年生まれ。
西暦1947年。
「団塊の世代、第一号」とよく言われた。
戦後の混乱期に生まれ、それにつづく高度成長期の荒波にもまれた。
家族は、8人。
兄が2人、それに妹。
祖父母と両親。
みなそれぞれに元気だったが、孝太の父親は、フィリッピンで負傷。
右足が不自由だった。
祖父は昔からの呉服屋を営んでいた。
父は、それを手伝っていた。
が、孝太のいちばん上の兄は、孝太が3歳のとき、チフスで死去。
二番目の兄は、小児麻痺をわずらい、それ以後、寝たきりの状態になっていた。
そのこともあって、祖父母、両親の愛は、すべて孝太に注がれることになった。
孝太の下に、歳違いで、妹がいた。
孝太にはよき遊び相手だったが、妹は、生来の障害をかかえていた。
今でいう、多動児だった。
いつも落ち着きがなく、動き回っていた。
よくしゃべるのだが、話の内容には、脈絡がなかった。
思いついたことだけを、ペラペラと口にしていた。
そんな妹だったが、孝太には、よき話し相手だった。
が、やがて父が酒に溺れるようになった。
戦争の後遺症とも考えられた。
ときどき戦争の夢を見て、うなされることもあった。
が、本当の理由は、母、つまり孝太の母の愛情が消えたことではなかったか。
孝太の母は、孝太の父のふがいなさに、失望していた。
その失望感が伝わったとき、孝太の父は、酒に溺れるようになった。
そこに二男の死が重なった。
こうして孝太は、幼児期、少年期を過ごし、高校を卒業すると、京都の
大学に入った。
孝太はそこで理学の勉強をした。
その間、1年間、孝太は奨学金を得て、カナダに渡った。
バンクーバーにある、王立化学アカデミー院に、籍を置いた。
専門は、光合成。
孝太にとって、人生でいちばん輝いていたのは、そのときだった。
大学4年のとき、郷里の長野県での教員採用試験に合格し、当初は、
僻地校と呼ばれた、K高校に赴任した。
研究者の道を選ぶこともできたが、孝太は教育の道を選んだ。
そのとき知り合ったのが、孝太の今の妻。
孝太の妻は、小さなレストランの店員をしていた。
孝太は、それなりの幸福な生活を送っていたが、やがて祖父母がつづいて死去。
父も、酒がたたってか、肝臓を悪くして、そのあとを追うようにして、死去。
残ったのは、母と、それと妹だけとなった。
が、稼業は母という女性の手だけでも何とか、つづけられた。
妹が近くに住んでいて、ときどき商売を手伝っていたこともある。
が、その妹も家を出た。
隣町にある時計屋の主人と結婚した。
遅い結婚だった。
いつしか孝太が、呉服屋と、そして母のめんどうをみるようになった。
何度か、母に同居を求めたが、孝太の母は、それをかたくなに、拒んだ。
こうして10年ほどが過ぎた。
孝太には2人の息子ができた。
その間も、孝太は転勤を繰り返した。
同じ長野県の範囲だったが、そのつど孝太の家族は、引越しをしなければ
ならなかった。
そういうこともあって、孝太が自分の家をはじめてもったのは、
孝太が、40歳をすぎてからのことだった。
が、ここで孝太にとって、最大の不幸が襲いかかる。
中学生になったばかりの二男が、無免許でバイクに乗り、そのまま道路わきの
大木に激突。
死亡してしまった。
原因は、道路にできた穴に、タイヤを取られたためらしい。
そのはずみに、バイクが宙を飛び、そのまま大木に激突。
あっけない死だった。
が、このときから孝太の人生は大きく狂い始めた。
孝太の妻は、そのままうつ病をわずらい、半年後には、精神をおかしくして
しまった。
何度か自殺未遂を起こしたこともある。
が、不幸には不幸が重なるもの。
妹に離婚問題起きた。
そしてそれをきっかけに、遺産相続問題が再燃した。
妹はこう言った。
「あなたが家を継いだわけではないから、おじいちゃんが残した財産の半分は
私のもの」と。
祖父母はその町の中心街に大きな土地をもっていた。
それを母が相続していた。
折からのバブル景気で、値段が高騰していた。
母は土地を売り、妹の言うがまま、それを妹に渡した。
孝太と妹の関係は、それを契機に断絶した。
言い忘れたが、孝太の母が経営していた呉服屋も、近くに大型のショッピングセンター
ができてから、開店休業の状態がつづいていた。
高級呉服店をめざして、店を改築したのも、裏目に出た。
祖父の残した財産も、それで消えた。
やがて母は呉服屋はそのままに、孝太の家に住むようになった。
孝太は拒否できなかった。
土地の名義は、母親のものになっていた。
孝太の長男は、大学を出て、都会で仕事に就いた。
ある造船会社の設計士となった。
1人の子ども(=孝太の孫)が生まれた。
名前を、慶喜(けいき)と言った。
慶喜は孝太を、「おじいちゃん」と言って、よく慕った。
で、15年の年月は流れるように過ぎた。
孝太はそのとき55歳になっていた。
母は、その数年前、80歳で他界していた。
妹との音信はなかった。
が、そのころから孝太の妻は精神を病み、精神病棟に入院することになった。
さらに10年の年月が流れた。
孫の慶喜も、20歳になった。
妻はそのあと、認知症も加わり、孝太の顔も区別できないほどになっていた。
食事は、食道に穴をあけ、そこから摂取していた。
が、孝太が、67歳になったとき、肺炎になり、そのまま死去。
闘病生活が長かったこともあり、孝太は、むしろほっとした気分に包まれた。
孝太の長男と孫の慶喜は、孝太との同居を望んだが、孝太は、それに
応じなかった。
70歳になる少し前、自ら、有料の老人ホームに入居した。
持病の腰痛が悪化し始めたのも、そのころだった。
……孝太の死は静かなものだった。
享年、76歳。
見取る人もなく、看護士がそれに気がついたときには、孝太の皮膚は、
すでに淡いおうど色に変わっていた。
(第2話)
真っ白な部屋だった。
メカニックな動きをするものは、何もなかった。
やわらかい白いモヤに包まれていた。
そのモヤ全体が、光となり、あたりを照らしていた。
1人の若い青年が、白いベッドの上に横たわっていた。
その横に、別の青年が、ベッドの上の青年の頭から、光の輪をはずすところだった。
輪は金色に輝いていた。
ベッドの上の青年は、ゆっくりと目をあけた。
とたん、まばゆいばかりの光が、その青年の目の中に飛び込んできた。
青年には、名前はなかった。
番号で呼ばれていた。
番号といっても、64進法。
いくつかの記号が、ランダムに並んでいた。
「%A&##32……」と。
横に立った青年がこう言った。
「%A&##32さん、いかがでしたか?」と。
とたん、ベッドの上の青年は、ふと我に返った。
が、そこがどこであるかを、すぐ知った。
「結構、長く感じました」と。
それを聞いて、横に立っていた青年が、やさしい笑みを浮かべた。
「そうですか……。こちらでは、25分と30秒でした……」と。
青年は自分の名前を思い出した。
「%A&##32、コータ……」と。
突然、それが引き金となって、それまでの記憶が怒涛のように押し寄せてきた。
妻との思い出、母との思い出、それに孫の慶喜のことなど。
死はつらい経験だったが、その青年にとっては、新鮮な感じがした。
青年はベッドに横たわったまま、窓があるほうの方向を見た。
するとその部分だけ、モヤがはずれ、その向こうに、形の定まらない景色が見えてきた。
おだやかな世界だった。
何色かの淡い光の渦が見え、その先に、丸いカプセルがいくつか見えた。
%A&##32は、今まで自分がいた世界のことを思い浮かべていた。
静かな時間が過ぎた。
この世界には、怒りも、悲しみもない。
苦しみもない。
死の恐怖すら、ない。
すべての人がすべての知識と知恵を分けあっている。
望むなら、広大な土地と、広大な屋敷も、自由に手に入る。
しかしそうした現実的な、あまりにも現実的な財産を求める者は、この世界には、いない。
%A&##32の肉体にしても、自由に取り替えられる。
今は若い青年だが、それよりも若くすることも、あるいは年配にすることもできる。
男性が女性になることも、女性が男性になることもできる。
この世界では、欲望という言葉そのものが、死語。
欲望が何であるかを知りたかったら、あの世でそれを体験するしかない。
%A&##32はゆっくりとベッドから離れ、出口のあるほうへと向かった。
いや、実際には、出口などなかった。
%A&##32が歩く方向に、出口が現れた。
形のないゆがんだ空間で、%A&##32は、すべるようにしてそちらに向かった。
別の若い青年が、あとからつづいた。
今、その別の若い青年が、%A&##32から、情報伝達を終えたところだ。
青「妻が死んだとき、ほっとしたのはなぜですか?」
%「妻が苦しんだからです」
青「そうですか……」
%「それに痛がりました」
青「痛みというのは、どういう感覚でしたか?」
%「あの世では、苦痛の第一です。しかしね、本当の痛みは、心の痛みですよ」
青「心……?」
%「感情の集約かな。悲しみ、さみしさ……。それが集約されたのが、孤独かな」と。
静かな会話がつづいた。
青「今度は、どこへ行くつもりですか」
%「まだ決めていませんが、行くとしても、悲しみレベルを、20%以下にしたい
です。今度のは、少し私には、きつすぎた……」
青「そのようにプログラムするのは、簡単なことです」
%「それと、……夢とはわかっているのですが、孫の慶喜に会いたい……」と。
%A&##32と別の青年は、どれだけの時間をつかって、
どれだけの距離を歩いただろうか。
歩いたといっても、2人は、やわらかい空間を、すべるようにして移動していた
だけだが……。
が、やがて出口に着いた。
そこには、無数の人たちがいた。
しかしどの人も、やわらかいモヤに包まれていた。
%A&##32が、その中の1人に話しかけた。
若い女性だった。
首が長く、皮膚は透き通るように白かった。
衣服は身につけていなかったが、裸ではなかった。
顔から足の先まで、つなぎめのない、なめらかな1枚の皮膚でおおわれていた。
%「楽しかったですよ」
女「1940年代の日本を選ばれたのですね」
%「そうです。私は日本は、これで4505度目ですが、今までの中で、
いちばん楽しかった」
女「私は日本はまだ231回しか行っていませんが、つぎはBC500年ごろの
中国を選んでみたいです」
%「はあ、あそこはいい。で、ポジション(立場)は、どうします?」
女「皇帝のお后(きさき)でもいいですが、身分の低い奴隷でも構いません」
%「そうですね。そのほうが、楽しいかもしれませんよ」
女「じゃあ、あなたの情報を少し分けていただいていいかしら?」
%「いいですよ」と。
%A&##32は静かに目を閉じた。
とたん、若い女性の顔が、さまざまに変化した。
瞬間だが、孝太の妻の顔にもなった。
妹の顔にもなった。
長男の嫁の顔にもなった。
しばらくすると、若い女性は、「ありがとう」と言って、その場を去った。
%A&##32はあの世で見た、カナダの景色を思い浮かべた。
とたん、%A&##32の目の前に、カナダの景色が広がった。
%A&##32は、その景色の中に歩み出た。
そこにはあの世で見た、あのままの世界が広がっていた。
小さな子どもがそこにいた。
子どもが%A&##32のほうを見ると、それが慶喜であることがわかった。
%A&##32は、その子どもを、ゆっくりと抱きしめた。
(第3話)
遠い昔、人間には肉体があった。
が、いつかしか、脳が小さなチップにコピーされるようになった。
人間が、小さなチップになった。
そう考えてよい。
そのチップに、無数の配線が取りつけられ、それぞれのチップが有機的につながった。
いや、そのつながりを決めるのは、別の「大きなチップ」だった。
そのチップを中心に、無数の、数のないチップが取り巻いていた。
チップは、そのつど自分を別のチップにコピーしたり、大きなチップの命ずるまま、
接続したり、断線したりしていた。
それは無数の星のようでもある。
ひとつのチップが瞬間に光ると、それに連動して、別のチップが光る。
こうして光の渦が、その空間全体を満たす。
音はない。
動くものもない。
しかしチップがまばたきするその瞬間、そのチップは、人間が肉体をもっていた
ころの、100年分が過ぎた。
チップの世界では、20数分程度の時間に、延ばされていたが、実際には、
瞬間だった。
%A&##32のチップを見てみよう。
%A&##32のチップは、中央からややはずれた、今は白い輪になっているところ
にあった。
そのチップには、「%A&##32」という文字が刻まれていた。
大きさは、そう肉体をもっていたころの人間の尺度でいえば、数ミリ程度か。
その中に%A&##32のすべてが、詰め込まれていた。
その%A&##32は、たった今、中央の大きなチップから断線し、そこから
それほど遠くないところにある、別のチップとつながった。
そのチップは、(情報チップ)と呼ばれている。
ひとつの宇宙に匹敵するほどの情報が、そこに詰め込まれている。
%A&##32は、その中から、1970年代のカナダを選んだ。
恐らく%A&##32は、今しばらくは、1970年代のカナダの中にいるはず。
しかし……。
チップの集合体は、本当は自分たちがどこにいるか、知らないだろう。
(いる)というよりも、(ある)と言うべきか。
遠い昔、人間は、自分たちの脳を保存するために、それをコンピュータに
コピーした。
「コピー脳」と呼んだ。
それほどおおがかりな装置ではなかった。
人間には、1人あたり、100億個の神経細胞がある。
そこから10万本ずつのシナプスがつながっている。
合計しても、たいした数ではない。
それをすべてコピーいた。
が、まだチップと呼ばれるような段階ではなかった。
最初は、部屋一杯を占めるほどのおおがかりな装置だった。
しかしそれがやがて、小さな箱程度になり、最終的には数ミリ程度の大きさにまで、
縮小された。
それと並行して、コピー脳に、さまざまな感覚機器が取りつけられるようになった。
目の働きをするカメラ、耳の働きをするマイクなど。
しかし実際には、人間との会話は、不可能だった。
コピー脳の回転は、怖ろしく速かった。
コピー脳が、仮に聖書をすべて朗読したとしても、人間の耳には、ピッという信号音
にしか聞こえないだろう。
反対に人間がコピー脳に話しかけたとしても、コピー脳のほうが、それに
耐えられなかった。
こうして当初の計画、つまり人間とコピー脳をつなぐ計画は、頓挫(とんざ)した。
そのかわりに、コピー脳どうしを、(つなぐ)という方法が取られた。
が、その世界で、どんなことが起きているかを知ることは、人間にも不可能だった。
ときどき情報を取り出し、それを分析することも試みられた。
が、コピー脳にとっては瞬間でも、その瞬間を分析するだけでも、
人間には、数十年もの年月が必要だった。
こうして無数のコピー脳が作られ、月の地下、奥深くに埋められるようになった。
月が選ばれたのは、地球から近いこと。
それに何よりも、地殻が安定していた。
広い空間の中央に、それらのチップを管理する中央コントロールセンターが置かれた。
人間は、それを簡単に、「大きなチップ」と呼んだ。
それぞれのチップが仮想現実の中で勝手に創りあげた世界を、大きなチップは、
情報として記録した。
%A&##32、つまり孝太があちこちの仮想現実の中で、積み重ねた経験も、
大きなチップの中に、蓄えられた。
仮想現実の世界とはいえ、そのため、ますますリアルなものへと、それは進化しつづけた。
今では、仮想現実の世界とはいえ、そこに住む(?)人間たちは、それに気づかない。
仮想現実の世界のほうを、「この世」と思い込み、チップの織りなす世界のほうを、
「あの世」と思っている。
が、地球にいた人間に、大きな変化が起きた。
第一回目は、2013年。
つづいて2036年。
二度の大戦争で、人間は、滅亡した。
しばらく宇宙をただよっていた人間も、やがてそこで力尽きて、死に絶えた。
今の今も、地球のまわりを回る月の奥深くには、無数のチップがある。
それらのチップが、整然と並んでいる。
そして音もなく、静かな光だけを、瞬時、瞬時に発しながら、たがいに生きている。
エネルギーは、月の表面から伝わってくる、太陽のぬくもりだけ。
いつ果てるともない、また果てることもないだろう、静かな眠りについている。
静かに、静かに、いつまでも静かに……。
(終わり)
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
小説 「あの世vsこの世」「この世vsあの世」 あの世論 コピー脳 はやし浩司
小説 2009 2月14日記 )
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