Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, March 02, 2009

*March 2nd 2009

.  mQQQm           
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ     
.  /~~~\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 3月 2日
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3月2日  第1168号になりました!

★ ★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
* ***********************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page003.html

★★みなさんのご意見をお聞かせください。★★
(→をクリックして、アンケート用紙へ……)http://form1.fc2.com/form/?id=4749

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【AD・HD児、今、アメリカでは……?】
●unmanageable class(収拾不能の学級)
by michael, posted on 5/11/2006 at 11:37.

There is a class of young children (6-10) in the children psychiatric where I work. The
class is out of control. If a closet is open they crawl in. An open window-they crawl out.
They open board and throw them on the floor. There is one child who breaks computers
without the slightest hesitation. If two of these kids do not agree then is the answer.
私は現在、精神病棟で働いています。その中に、6-10歳の子どもたちがいる学級があ
ります。その教室は、収拾不能です。クロゼットがあいていると、子どもたちはそこへ入
ります。窓があいていれば、そこから出ていきます。ボードをあけて、それらを床に投げ
つけます。まったくためらわずに、コンピュータをこわした子どももいます。これらの中
の2人の子どもが同意しなければ(以下、意味不明)……。

The Dr. feels that there are no medications that can address their problems. They are
too damaged or too young. Each one of the children has learning and psychological
pathologies and at least 5 of the 6 children are mildly retarded. This statement is based
on psychological testing. So far I have not seen the class participate appropriately for
longer than five minutes.
医師は、これらの問題を解決するための医薬品はないと感じています。彼らはあまりにも
障害の程度がひどく、若すぎます。それぞれの子どもは、学習および精神的な病理をかか
えていて、少なくとも、6人のうち5人は、軽い障害をかかえています。ここに書いたこ
とは、心理テストに基づいたものです。今のところ、学級が、5分以上、適正に運営され
たのを見たことがありません。

There are six children, one new teacher and two staff members in the class. There are
always two s for six kids. The staff members in the class are not paras. They are therapy
aides and they are not responsible for helping with education. They are there to see that
no one gets hurt and that the physical needs of the children are met. I would appreciate
any suggestion for working with an incredibly infantile and violent group.
6人の子どもがいます。それに対して1人の新しい教師と、2人のスタッフが付き添って
います。6人の生徒にいつもは2人です。教室にいるスタッフは、parasではありません。
彼らは、介護ヘルパーで、子どもたちの教育には、責任をもっていません。彼らはそこに
いて、子どもたちがけがをしないように、見ているだけか、行動面で助けたりしているだ
けです。こうした暴力的な学級で、仕事をすることについて、何らかの提案をいただけれ
ば、うれしいです。

We need new ideas for management. How can I reinforce the positive behavior I see?
How can I extinguish the hitting and kicking? These kids can hurt each other! We have
a behavior management plan based on points. It is a system used by the whole hospital.
It is used by all the state hospitals. But it does not seem to be working here. ANY
IDEAS?
学級運営の新しいアイデアを必要としています。どうすれば、前向きな行動を強化できる
でしょうか。殴ったり、蹴ったりすることを消すことができるでしょうか。これらの子ど
もたちは、たがいに傷つけあっています。この点に関する運営プランはあるにはあります。
それはすべての病院で使われているシステムです。しかしここでは役に立っていません。
何かアイデアは?

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

disruptive student who cannot focus
by joy kuemmerle, posted on 5/5/2006 at 21:6.

I have a student who has the attention span of about 5 seconds. I constantly have to
redirect him and keep him on task, which leaves the rest of my class neglected and free
to get off task as well. When I ask him why he constantly gets distracted, he tells me
that he had a brain injury and can't help it. I am wondering if there are any tips out
there for me whether he had a brain injury or not.
私は、5秒も注意力を集中できない学生をかかえています。常に彼を学習に向けさせなけ
ればなりませんが、そうしていると、ほかの子どもたちが、学習から逃げてしまいます。
私がどうしてあなたは集中できないのかと聞くと、彼は、ぼくには脳の障害があって、自
分ではどうしようもないと言います。彼に脳の障害があるかどうか、それを知る方法はあ
るのでしょうか。

Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●AD・HD児、体力との勝負

こうした子どもと接するときは、まさに体力との勝負。
私も、ずっと、こうした子どもたちの指導をしてきた。
1クラス2人にまで減らして、対応したこともある。
それでも、1~2時間で、ヘトヘト。
小学1~3年生の子どもなら、まだ何とかなる。
しかし4~6年生となると、そうはいかない。
(もっとも、小学3年前後を境として、このタイプの子どもも、
急速に落ちついてくる。
自己管理能力が育ってくるためである。)

「1クラス、6人」とあるが、6人というのは、もとから不可能。
仮にそういう子どもが、12人中、1人いただけで、数か月後には、そのクラスは
バラバラになってしまう。
またその子どもだけを集中的に指導していると、ほかの子どもたちが神経質に
なってしまう。
もちろん「教育」など、どこかへ吹き飛んでしまう。

が、何よりもつらいのは、たいていのばあい、親に、その自覚がないということ。
「何とかしてほしい」と言うだけで、それ以上の協力は、ほとんどない。
そういった子どものかかえる問題点を、理解しようともしない。
「うち(=家の中)では、静かです」とか、「学校の先生と相性が悪いだけです」とか、
言って、子どもをかばったりする。

●制度の問題

ことAD・HD児に関していうなら、それは「教育の問題」ではなく、「制度の問題」
ということになる。
そういう制度を用意しないまま、AD・HD児を、(ふつうの学級)へ押し込むほうが、
まちがっている。
投薬によって、落ちつかせるという方法もとられているが、こうした精神薬の投与には、
慎重であったほうがよい。

治る(直る)とか、治らない(直らない)とか、いう問題ではない。
AD・HD児は、その症状が出ているときは、基本的には、治らない(直らない)。
むしろ幼児~小学3年生の間は、それ以上に、症状をこじらせないことだけを考えて、
その子どもに合った、学習システムを用意するほうがよい。
それ以後は、ここにも書いたように、このタイプの子どもでも、急速に落ちついてくる。

そして高学年(小5、6~中学生)になると、もちまえのバイタリィティが、よい方向
に向き始める。
学習面やスポーツ面で、飛躍的に伸びたりする。
が、無理な学習や、強制、投薬などによって、症状をこじらせると、かえって、その
あと、その影響が長くつづいたりする。
だから「制度の問題」ということになる。

現行の制度には、つぎのような問題点がある。

(1) 親の抵抗……親が、それに抵抗する。「特別学級」イコール、「排除」「差別」と
ととらえる。無知、無学な親も多い。
(2) 強制権がない……学校側に強制権がない。子どもを専門医に診断させることに
ついても、学校側は、あくまでもそれを提案する立場でしかない。

そこで、好ましい制度としては、

(1) 専門医による診断を、就学前に義務づける。その診断結果をもとに、
教師は、行動を開始する。
(2) AD・HD児については、小学3年生までは、ほかの子どもたちと分離し、
別の学級を用意する。アメリカでは、現にそうしている。
(3)(学習)よりも、(運動)を中心にした教育、あるいは(運動を利用した学習)
   に、指導の中心を置く。別のカリキュラムを用意する。
(4)子どもよりも、親への指導を徹底する。「子育て学級」を立ち上げ、親には
   強制的に参加してもらう。

今、多くの学校で、多くの教師たちが悲鳴をあげている。
そうした現実に、社会はもっとすなおに、目を向けるべきではないか。
アメリカのBLOGを読んで、そんなことを感じた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
ADHD  AD・HD児 集中力欠如 多動性 子どもの多動 子供の多動 多動児)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【田舎者は、イチコロよ】

●片Yさつき氏という国会議員

++++++++++++++

片Yさつき氏は、私の選挙区選出の
国会議員である。

その片Yさつき氏が、佐鳴湖の湖畔で
なされた花火大会の会場にやってきた。

従者として、2~3人のカメラマンと
数人の秘書! おかしな連中を連れて
やってきた。

++++++++++++++

 8月11日の夜、佐鳴湖の湖畔で、花火大会が開かれた。私とワイフは、その花火を見
に行った。ワイフは夕食も食べず、「屋台のやきそばが食べたい」と言った。そこで大会の
本部のある佐鳴湖の南端に行ってみた。みると……。

 そこに何と、あの片Yさつき氏が来ていた。私の選挙区出身の国会議員である。見ると、
煌々(こうこう)と照らされた、ライトの中に立っていた。どこかの人と、立って、イン
タビューらしきものをしていた。私とワイフは、その場を通り過ぎた。

 が、おかしなことに、たいへんおかしなことに、片Yさつき氏が歩くところ、どこへで
もそのライトがついていくではないか! カメラで収録するだけなら、ライトをともすの
は、インタビューする、その瞬間だけでよいはず。どこのテレビ局でも、そうしている。

 まさに見え見えの演出! 私は腹の中に、言いようのない怒りが充満するのを覚えた。
地元では、何ら、活動らしい活動もせず、こういうところに来て、選挙運動用のためだけ
のパフォーマンスを繰りかえす。

 たまたま焼きそば売り場のところに、知りあいの市会議員の議員がいた。汗を流しなが
ら、焼きそばを焼いていた。

 「あれ、どう思いますか?」と声をかけると、その議員は、こう言った。「ぼくには、関
係ありませんから」と。

 私は片Yさつき氏に質問をぶつけるつもりで、彼女のほうへ歩いていった。ここにも書
いたように、片Yさつき氏の位置は、すぐわかる。そのあたりだけ、煌々と明るい! 強
烈なライトだ。

 片Yさつき氏は、どこかのおばあちゃんと並んで記念撮影していた。私は横に立ってい
るテレビ局の人間とおぼしき男に声をかけた。「これはヤラセですか?」と。

男「ヤラセ? ヤラセではありません」
私「本当にテレビ局ですか・」
男「朝日テレビの者です。2~3時間分、収録しますが、実際に放映されるのは、2、3
分ですが……」
私「だったら、そういうのをヤラセというのです」と。

 テレビ局の人間と思ったが、片Yさつき氏の秘書だった。テレビ局(?)の男たちは、
これ見よがしに胸に、ひもでつりさげたカードをぶらさげていた。

 私は数歩、前に出て、片Yさつき氏に近づいた。インチキ・インタビュー(まさに「イ
ンチキ」と断言してよいのだが)、それが一休止したとき、声をかけるつもりだった。

 「あなたは、『私が土下座すれば、このあたりの田舎者は、(私に)イチコロ』と東京で
は言っているそうだが、それは事実か」と。

 もし片Yさつき氏がそれを否定したら、「では、あなたは雑誌(諸君)に書かれた記事に
対して、抗議なり、そういうことをしたのか」と。

 が、そのときうしろから強く私のワイフが、私のシャツを引いた。「やめましょうよ。あ
んな女、本気で相手にする価値はないわよ」と。

私「でも、ぼくは許せない」
ワ「みんな無視しているでしょ。冷たい視線を感じないのかしら」
私「そうだね」と。

 その前、片Yさつき氏は、本部のマイクを借りて、5分ほどあいさつらしきものをした
が、拍手はなかった。どこかでブー音すら聞こえた。

私「こういうときだけ、東京からやってきて、あいさつする。ぼくはああいうインチキな
選挙運動が許せない」
ワ「そうね」と。

 私が住む地区の子供会にしても、30年前に、私たちがたちあげたもの。会長はS氏。
私が会計。それまで子どものリトルリーグ(野球チーム)をいっしょにしていた仲間であ
る。近くの公園で、焼きそばや、フランクフルトを売ったのが、始まりだった。だから今
でも、子供会が、毎年より盛大になっていくのを見るたびに、心のどこかで誇らしげに思
う。

 そういう会場へ、あとからノコノコとやってきて、「みなさん、こんばんは!」と大声で
あいさつをする。煌々とライトを照らす手法は、昔、ドイツのヒットラーが用いた手法と
同じである。私は、そういうインチキを許さない。

 今まで、片Yさつき氏の実名は伏せて批評してきたが、もうこれからは遠慮しない。あ
あいう国会議員をのさばらせてはいけない。

 1年前に書いた原稿を添付します。

+++++++++++

●田舎者はイチコロよ!


+++++++++++++++++++++++

片Yさつき氏は、私の選挙区から選出された、
国会議員である。

ふつうは、こうしたエッセーでは、実名を伏せる
ことにしているが、ここでは、あえて、実名で
書かせてもらう。

雑誌「諸君」の中に、こんな記事があった。

「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、
イチコロよ」(片Yさつき談)と!

++++++++++++++++++++++

 06年の8月。先の衆議院議員選挙(05年8月)が終わって、ちょうど1年になる。
同じ自民党の城内実氏を僅差で破って、衆議院議員になった。それが片Yさつき氏である。
城内実氏は、郵政民営化に反対して、K首相の反感をくらった。

 つまり片Yさつき氏は、城内実氏をたたき落とすために、中央から送り込まれた、刺客
ということになる。片Yさつき氏は、財務省主計局主計官(防衛担当)を退官し、静岡県
7区から立候補した。

 私が住む、この選挙区で、である。

 その片Yさつき氏について、倉田真由美氏(マンガ家)が、こんな気になる記事を書い
ている。

 『……片Yさつきさんの地元代議士への土下座は、毒々しさすら漂っていた。謝罪では
ない、媚(こび)の土下座は見苦しいし、世間からズレている。未だに「ミス東大→財務
省キャリア」という自意識に浸(つ)かり、「謙虚」のケの字もわからないまま、「私が土
下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」と高を括(くく)る。

 そうしたバランス感覚の欠如も、いくら揶揄(やゆ)されても変えない髪型や化粧も、
自分が客観視できない、強すぎる主観の表れだ。

 「私いいオンナだから、これでいいの」という思い込みに対して、周りの人間も、もは
やお手上げなのだろう』(以上、原文のまま。雑誌「諸君」・05年11月号・P87)と。

 この記事の中で、とくに気になったのは、「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、
イチコロよ」という部分である。本当にそう言ったかどうかは、この記事を書いた、倉田
真由美氏に責任を取ってもらうことにして、これほど、頭にカチンときた記事はない。

 片Yさつき氏が、どこかの席で、土下座をして、「当選させてほしい」と頼んだという話
は、当時、私も耳にしたことがある。しかしそのあと、東京に戻って、「私が土下座なんて
したら、この辺の田舎者は、イチコロよ」と話した部分については、私は知らなかった。

 何が、「田舎者」だ! 「イチコロ」とは何だ! しかしこれほど、選挙民をバカにした
発言はない。民主主義そのものを否定した発言はない。そういうタイプの女性ではないか
とは疑っていたが、片Yさつき氏は、まさにその通りの女性だった。

 私たちが、田舎者? ならば聞くが、いまだにあちこちに張ってある、あのポスターは
何か? あれが都会人の顔か? あれが元ミス東大の顔か? 笑わせるな!

 もしこれらの発言が事実とするなら、私は片Yさつき氏を許さない。片Yさつき氏は、
まさに選挙のために地元へやってきて、私たち選挙民を利用しただけ。しかも利用するだ
け利用しておきながら、その私たちを、「田舎者」とは!

 そして先の選挙からちょうど1年になるが、片Yさつき氏が、この1年間、この地元に
帰ってきて、何かをしたという話を、私は、まったく知らない。念のためワイフにも聞い
てみたが、ワイフも、「知らない」と言った。ワイフの知人も、「知らない」と言った。

 つまり、片Yさつき氏は、選挙のために、私たちを利用しただけ。もっとはっきり言え
ば、自己の名聞名利のために、私たちを利用しただけ。

 しかしこれがはたして、民主主義と言えるのか? こんな民主主義が、この日本で、ま
かり通ってよいのか?

 ある日、突然、中央から、天下り官僚がやってくる。それまで名前のナの字も知らない。
もちろん地元のために、何かをしてきた人でもない。そういう人が、うまく選挙だけをく
ぐりぬけて、国会議員になり、また中央へ戻っていく! どうしてそういう人が、地元の
代表なのか?

 そののち片Yさつき氏は、派手なパフォーマンスを繰りかえし、政界ではさまざまな話
題をふりまいている。しかしそれらは、あくまでも、自分のため。私たちの住むこの地元
の利益につながったという話は、まったく聞いていない。少なくとも、私は、まったく知
らない。

+++++++++++++

同じようなテーマで書いたエッセー
がつぎのものです。

先のエッセーの直後に書いたもの
です。

+++++++++++++

●仕事開始!

 夏休みも終わって、仕事開始。とはいっても、これとて大きな変化はない。淡々と、そ
の日のルーティーン(茶飯事)をこなすだけ。

 やりたいことは、いろいろある。しかしどれも、時間がかかることばかり。そのため、
とりかかる前に、何かと、おっくうになる。

 そういえば、昨日(19日)は、頭にカチンとくることがあった。あの片Yさつき氏(静
岡県7区から立候補、当選)のことだ。

 片Yさつき氏は、この選挙区(地方区)で敗れても、全国区の比例区で当選する段取り
になっていた。だから当時から、(熱意に欠ける選挙運動)が、問題になっていた。その片
Yさつき氏が、東京へ戻ってから、こんなことを言っていたという。

「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」(倉田真由美氏指摘・「諸君」)。

 ここまで書いて思い出したことがある。昔、中央官庁で部長をしていた知人が、私にこ
う言った。

 「定年退職をしたら、郷里の長野県のS市に帰って、市長でもしようかな」と。「……で
も」というところが、恐ろしい!

 片Yさつき氏の発言は、その部長の発想の延長線上にある。何が、市長だ! バカヤロ
ー!

 何でもかんでも、「東京からきた」というだけで、ありがたがる田舎根性。それはたしか
に、この浜松市にもある。私は、否定しない。

 しかしその田舎根性を逆に利用して、中央からやってくる政治家たち。私は、そういう
政治家というより、そういう政治家を生み出す、この日本のシステムに腹が立つ。

 わかりやすく言えば、日本の民主主義も、この程度。みなが、何かに動かされるまま、
動かされてしまう。自分で、考えようとしない。自分で考えて、行動しようとしない。

 近く、もう少し涼しくなったら、この問題に取り組んでみよう。今は、暑くて、脳みそ
も、だらけがち。それに明日から、仕事が待っている。まず、私の生活を優先させなけれ
ばならない。

 がんばろう! がんばります!
(2006年8月記)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【1月26日】2009

●年賀状・当選番号

+++++++++++++++++++++

昨日、お年玉つき年賀はがきの、当選番号の
発表があった。
当選番号は、つぎのとおり。

【1等6ケタ×1本】345898
【2等6ケタ×3本】663829/908796/028962
【C組限定賞6ケタ×2本】882347/223109
【3等下4ケタ×1本】5070
【4等下2ケタ×2本】94/46 

それに私は、勝手に一等の番号を、ひとつ、つけ足した。

【1等6ケタ×2本】345898/821819
【2等6ケタ×3本】663829/908796/028962
【C組限定賞6ケタ×2本】882347/223109
【3等下4ケタ×1本】5070
【4等下2ケタ×2本】94/46 

この中の1等、「821819」は、ウソである。
私のところへ届いた年賀状の1枚に、
「821818」というのがあった。
それに「1」を加えて、「821819」とした。
それを1等につけ足した。

(「821818」としようかと思ったが、それでは
ワイフがかわいそう。
あとであの当選番号はウソでしたとは、ちょっと
言いづらい。)

あとでワイフにプリントアウトしたのを見せる。
きっとワイフはこう言うにちがいない。

「アラ~~、残念、1番違い!」と。
がっかりするだろう。
それが楽しみ。

ヒヒヒ+ハハハ!

今日も、こうして私の1日が始まった。
1月26日、月曜日。

++++++++++++++++++++

●呼吸法

息を吐き出しながら、声を出す。
当たり前の動作である。
しかしちょっと練習すると、息を吸いながらでも、声が出るようになる。
甲高い声になるが、それで話をすることもできるし、歌を歌うこともできる。
つまりこの方法を使うと、息つぎなしで、長~イ歌も歌うことができる。
私の得意芸のひとつである。

子どもたちとは、こんな競争をする。

私「ピーポー、ピーポーと、長く言いつづけた人が勝ち。やってみるか?」と。

最初は、見本で、息を吐き出しながら、「ピーポー、ピーポー」と言って見せる。
そしてつぎに、「ヨーイドン!」で始める。

私は息を吐いて「ピー」と言い、すかさず吸いながら「ポー」と言う。
これを繰り返す。
この方法だと、永遠に(?)、私は言いつづけることができる。

ただし息を吸っていることがわからないように、体をやや丸め、腕組をして
やるのがコツ。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●景気回復

++++++++++++++++++++++++++

おおかたの経済学者たちは、「今年(09)いっぱいは、
だめだろう」と言う。
「景気回復は見込めない」と言う。
よくて今年の夏以降、あるいは来年、と。
このまま不況は、5年つづくと主張する学者もいる。
日本のばあい、バブル景気が崩壊したあと、それが10年もつづいた。

しかし経済なんてものは、その兆候が見られただけで、
パッと動く。
だから私は、それほど悲観していない。

「今年いっぱいは、だめだろう」と思っていても、
「来年からよくなる」という兆候をつかんだだけで、
その時点から好転する。
それがこの春になるか、夏になるかはわからない。
しかし秋まで、この状態がつづくとは思っていない。

あるいはその直前までドン底でも、数日単位で
好転するということもある。
そのカギを握るのが、中国であり、アメリカという
ことになる。
中国やアメリカが動けば、世界も動く。

だからここは、じっとがまんのとき。
成り行きを静かに見守る。
穴にこもって、嵐が過ぎ去るのを待つ。

+++++++++++++++++++++++++

●大不況の発端

だんだん日がたつにつれて、今回の大不況の輪郭が、おぼろげながら、わかってきた。

原因は、やはりアメリカの住宅バブル。
ひとつのモデルケースを考えて、説明してみよう。

A氏は、10万ドルで、家を買った。
しかし半年後には、その家の価値が、15万ドルになった。
そこでA氏は、自分の家を担保に、銀行から15万ドルを借りて、
となりの15万ドルの家を買った。
が、その半年後には、最初に買った家と、新しく買った家が、それぞれ20万ドルに
なった。
計40万ドルの資産ということになる。
気をよくしたA氏は、さらに25万ドルを銀行から借りた。
その25万ドルで、3軒目の家を買った。
今度は、すこしばかり豪華な家である。

が、さらに半年後、住宅の価値があがった。
住宅バブルがつづいた。
その結果……

1軒目……20万ドル→25万ドル
2軒目……25万ドル→30万ドル
3軒目……25万ドル→30万ドル、になった。

この時点で、借金の総額は、40万ドル。
資産の総額は、85万ドル。
A氏は、差し引き、45万ドルの資産家になった。
そこでそのお金で、車を買ったり、海外旅行を楽しんだりした。
住宅の値上がりを見込んで、45万ドルのうち、大半を使い果たしてしまった。
A氏は、こう思った。
「オレは住宅を3軒も、もっている。値上がりすれば、その分で、取り返せる」と。

が、ある日、それが限界にやってきた。
住宅価格の値上がりが止まった。
この点は、日本のバブル景気(1980年代の後半→90年代の前半)の
崩壊したときの様子に似ている。
とたん、A氏の資金計画に誤算が生ずるようになった。
ローンの支払いに、苦労するようになった。
銀行も、お金を貸してくれなくなった。

で、さらにしばらくすると、今度は、住宅価格が下落し始めた。
経済の逆回転が始まった。
こうなると、今度は逆に、A氏は損害に損害を重ねることになる。
経済のこわいところは、みなが「まさか」と思っていると、その(まさかの状態)に
なること。
その(まさかの状態)になってしまった。
A氏についていうと、こうなる。

1軒目……25万ドル→10万ドル
2軒目……30万ドル→20万ドル
3軒目……30万ドル→20万ドル、になった。

資産価値は、50万ドル。
借金は、85万ドル。

あっという間にA氏は、奈落の底に転落!
それが今度の、世界大恐慌の引き金を引いた。

最初に、住宅金融会社が炎上した。
その中でも、最大手のリーマン・ブラザーズが、倒産した。

世界中の投資会社や投資家が、住宅金融会社に金を貸していた。
そのため、世界中の投資会社や投資家が、被害をこうむった。
何しろ、ケタはずれ。
ざっとみて、1000兆円。
日本の国家予算の約15倍!
アメリカが100兆円、日本が50兆円、ドイツが50兆円ほか、
それぞれお金をばらまいた。
が、とてもそれで足りる額ではない。

……ということで、経済そのものが、麻痺状態に陥ってしまった。

が、本当の問題は、これから起きる。

(1) 社会不安の増大
(2) ハイパー・インフレの到来

失業率が10%を超えると、町に失業者が現れるようになる。
15%を超えると、それがだれの目にもわかるようになる。
20%を超えると、略奪、暴行が起こるようになる。
おおざっぱに言えば、そう考えてよい。
職を失った人たちは、社会から見捨てられたと、とる。
それがそういう人たちの心をゆがめる。
犯罪を犯すことを、悪いことと思わなくなる。

またこれだけお金をばらまいて、無事ですむはずがない。
世界中が、お金でジャブジャブになる。
現在の「100円ショップ」が、やがて「200円ショップ」になり、
最終的には、「500円ショップ」になる。
戦後のあの混乱期と同じような状況が、やってくる。

借金をかかえている人にとってはよい話かもしれない。
しかし退職して、退職金を手にした人は、どうか。
実質、退職金が、5分の1、つまりたとえば2000万円の退職金でも、
400万円にまで目減りすることになる。
中には、退職金を、債権投資や株式投資に回した人もいる。
そういう人は、今度の大不況で、そのほとんどを失った。

住宅バブルがはじけて、損をした人のことは、心配しなくてもよい。
それこそまさに、自業自得。
が、まじめにコツコツ働いてきた人はどうか。
回りまわって、そういう人たちが、結局、いちばん損をすることになる。
バカげた話だが、これが現実。

日本人の平均貯蓄額を、仮に1073万円(金融広報中央委員会・06)とすると、
何とか1年くらいは、もちこたえることができるかもしれない。
しかし2年は、無理。
だから日本は、それまでには、この大不況から脱しなければならない。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●人が殺意を感ずるとき

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先日、知人のZさん(55歳、女性)と話して
いたら、「殺意」という、おどろおどろしい言葉が話題になった。
何でもその女性は、ときどき、義理の父親に
殺意を覚えるという。

冗談ではない。
本気である。

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同居している義理の父親は、かなりわがままな人らしい。
今年、85歳になるという。
こまかい話はさておき、実の息子や娘が正月などで
やってくると、それとなくZさんの悪口を言うという。
たとえば息子が何かの食べ物をもってきたりする。
それについて、「こんなおいしいものは、この半年、
食べていない」とか言うなど。

事実は、どうも逆らしい。
Zさんの趣味は、料理。
だからそれなりにおいしいものを食べてもらおうと
努力しているという。
が、そういう努力は完全に無視。
その上で、そう言うという。

「あたかも私が何も料理していないような言い方をします。
頭にカチンときます」
「ときどき、包丁を義父の腹に突き刺してやりたく
なることもあります」と。

そういうZさんの気持ちを察して、Zさんの息子(30歳、
税理士)は、ときどきZさんにこう言うという。
「お母さん、事件だけは起こさないでくれよな」と。

で、殺意論。

「殺意」がどういうものか、それを知っている人は、
心のどこかに傷のある人とみる。
それは研ぎ澄まされた感覚で、憎しみや嫌悪感とはちがう。
ふつうなら、(殺人)→(犯罪)→(反社会的行為)と
いうふうに、つなげていく。
だから「殺したい」とは思っても、実行まではしない。
その一歩手前で、踏みとどまる。

しかし人が殺意を覚えるときは、そういった理性の
ブレーキすら、どこかへ消えてしまう。
「相手を殺すことによって、自分を取り戻す」。
「相手がいたら、自分が成り立たなくなってしまう」
「相手を殺すというよりは、相手を無にしたい」と。

そういう感覚になる。

Zさんは、そういった気持ちを、ていねいに説明してくれた。
で、「林さんは、そういう殺意を感じたことがありますか?」と
聞いた。

実は、私も生涯において、二度ほど、殺意を覚えたことがある。
詳しくは書けないが、一度は、私が27、8歳のとき。
相手は仕事先の人だった。
もう一度は、4、5年前。
このときは、近親の人だった。
つまりそういう殺意を覚えるということは、私の心がかなり
ゆがんでいることを示す。
成長過程のどこかで、はげしい憎悪、恐怖、不安を感じたのが原因と思われる。
それがトラウマとなり、ある状況下で、殺意へとつながっていく(?)。
だからZさんの気持ちが、よく理解できる。

そこで話は、今度は、「殺人論」になった。

私「殺人事件というのは、よくありますが、無差別な殺人事件は別として、
親戚、兄弟、あるいは親子の間で起きる事件には、それなりの背景が
あるということです」
Z「そうですよ。長い時間をかけて、悲しみや苦しみが、圧縮されますから。
他人なら、距離を置くことで、その人を忘れることができます。
しかし近親者だと、そうはいきません」
私「今はなくなりましたが、私が学生のころには、尊属殺というのがありました。
尊属殺というのは、ふつうの殺人よりも、ワンランク、刑が重かったのです。
しかし、これはおかしい。人が殺人に走るときというのは、それなりの背景
というものがある。親子であるがゆえに、確執も深いと考えるべきです。
やむにやまれず、親を殺したという事件も、数多くあります」と。

が、殺意を覚えたことがない人もいる。
私のワイフも、その中の1人である。
何度も確かめたが、ワイフには、それがない。
反対に、殺意というものがどういうものか、理解できないらしい。
「本当にお前は、人を殺したいと思ったことはないのか?」と私が聞いても、
「あなたのほうが、おかしいわよ」で、終わってしまう。

もちろんこう書いたからといって、殺人を肯定するわけでも、支持するわけでもない。
犯罪は、犯罪。
しかも最悪の犯罪。
しかし同時に、こうも言える。

殺人を犯す人には、それなりの過去があり、心に傷をもった人が多いということ。
刑法の世界では、よく『罪を憎んで、人を憎まず』という。
悪いのはその人のした行為であって、その人自身ではないという意味である。
もう少し深くいうと、こうなる。

だれしも同じような境遇で生まれ、同じような状況に置かれたら、同じような立場
に立たされたら、同じような行動をとるようになるということ。
善人も悪人も、基本的には、どこもちがわない。
殺人という犯罪についても、そのひとつ。

繰り返すが、だからといって、殺人という反社会的行為を容認するわけではない。
反社会的行為は、反社会的行為として、罰していかねばならない。

そこでクエスチョン。

あなたはどうだろうか?
今までに、だれかに対して、ここに書いたような殺意を覚えたことがあるだろうか。
もしそうなら、あなたの不幸な過去を、さぐってみるとよい。
そこに何かあるはずである。

最後にZさんは、こう言った。

「でも、後味のわるいことだけは、したくありませんね。
たった一度しかない人生ですから……。
死ぬときは気持ちよく死にたいです。
だから『殺してやりたい』と思っても、その一歩手前で、踏みとどまるのです」と。

まったくの同感である。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●歩く

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今日も、街までの7・5キロを歩いた。
毎回、コースを変えている。
今日は、南を流れる、川沿いに、歩いた。
昔は、その両横は、うなぎの養殖池になっていた。
が、今は、荒れ放題。
その面影すら、残っていない。

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全国のみなさん、「浜松のうなぎ」は、今は昔の物語。
「浜松産のうなぎ」とか、「浜名湖産のうなぎ」という文字を見ても、
信用しないほうがよい。
養殖池は残ってはいるが、しかし今では、さがさなければ見つからないほど、少ない。
もちろん天然のうなぎなど、庶民の口に届くことは、めったに、ない。

そんな話をしながら、街までの距離を歩いた。
大回りしたので、8、9キロは歩いたかもしれない。
万歩計では、9900歩になっていたが、私の万歩計は100円ショップで買ったもの。
アテにならない。

今度の「歩こう会」では、10キロを歩くことになっている。
だいじょうぶかな?
トップランナーをキープできるかな?

とにかくこうして足腰を鍛えるしかない。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●特養ホーム、待機者、全国で38万人(?)

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共同通信社の調べによれば、現在、特別養護老人
ホーム(以下、特養ホーム)に入れず、待機している人が、
38万人もいるという。
入所者は現在40万人前後(中日新聞)というから、
ほぼ同じ数だけの人が、入所を希望しながら、入所
できない状態ということになる。
しかしこの「38万人」という数字は、どこから
みても、おかしい(?)。
そんなはずはない!

たとえば近くの特養ホームでも、入所待ちという人が、
100~150人はいる。
私の母のケースでもそうだったが、当初、その数を
聞いただけで、あきらめてしまった。

また実際には、要介護度が4~5の人でないと入所
できないと言われ、申し込みそのものをやめる人も
多いはず。

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記事には、こうある。

「国が社会保障費抑制策を続けてきた結果、需要の高まりに施設整備が追いついていない
現状が裏付けられた」(同、新聞)と。

しかしこの意見も、おかしい。

特養ホームを訪れてみて、まず驚くのが、その「豪華さ」。
「ここまで必要なのか?」と疑問に思うほど、豪華である。
冷暖房完備なのはわかる。
大型のエレベーターが必要なのも、わかる。
地震対策として、耐震性の鉄筋の建物にすることも、わかる。
しかしあそこまで豪華にする必要はあるのか?
私の意見がおかしいと思うなら、あなたの家の近くにある特養ホームを、一度でよいから、
のぞいてみたらよい。

国がいう「社会保障費」といっても、その中身は、施設の建設費。
箱モノ。
そういうことばかりに、金をかける。
が、これでは、社会保障費がいくらあっても、足りない。

また老人たちを利用して、営利を求める組織の多いのには、驚いた。
たとえば要介護度にもよるが、要介護度4くらいになると、年間20万円程度の
補助金が出る。
その補助金を使って、家の改築などができる。
で、私も、母の車椅子の出入りのためにと思って、玄関先にスロープをつけることにした。
が、ケアマネの紹介してくれた業者に見積もってもらったら、ギリギリの20万円!

つまり「スロープをつけるには、いくらかかるか?」という発想ではなく、最初から、
「20万円を使うためには、どこまでできるか?」という発想で、業者は動く。

そのため、手すりを付けるとか、歩行者用にすべり止めをつけるとか、言い出した。
私は、「そんなものは、必要ない」ということで、断った。
断って、自分で、段差のあるところを、コンクリートで埋めた。
その費用、たったの1000円弱!
(砂入りのコンクリート、一袋分。)

つまり社会保障費なるものが、無駄なところで無駄に使われている。
そういう事実をさておいて、「需要の高まりに、施設整備が追いついていない」は、ない。
つまりバカげている!

が、それだけではない。
これはあくまでも私の推察だが、特養ホームでは、面接を通して、ある程度の人選を
しているのではないか。
特養ホームによっては、医療設備がないところも多い。
常駐する看護士の数もかぎられている。
そういうこともあるのだろうが、世話のかかる老人は、敬遠されている(?)。
(だからといって、特養ホームを責めているのではない。
中には夜中じゅう、大声で騒いで暴れる老人もいる。
毎日医師の診断を受けなければならない老人もいる。
世の中、きれいごとばかりでは、動かない。)

一方、去年、オーストラリアで、友人の母親がいるケア・センターを訪れてみた。
町の中のビルの一角にあったが、もともとはオフィスビルであったとか。
病院のように、個室に分けられていた。
(というより、病院そのものという印象をもった。)
友人はこう言った。

「お金のある人は、若いときから積み立てをして、いい施設に入れる。
そうでない(=国の支給する年金しかない)老人は、こういう施設に入る」と。

ついでに言うと、向こうでは、「親は親、子は子」という考え方をする。
日本のように、子どもが親のめんどうをみるという発想は、ない。
……というより、はるかに希薄。
「在宅介護」という発想は、子どもにもないが、親にもない。
「君が少しお金を足して、もう少し快適な施設に入れてやったら」と言いたかったが、
それは言わなかった。

日本の特養ホームを、都会のホテルにたとえるなら、友人の母親の入っていた
施設は、町の雑居ビル。
それくらいの落差は感じた。

話はそれたが、社会保障費が足りないというわけではない。
莫大な予算が、そこに注ぎ込まれている。

2006年度だけでも、国の社会保障費(社会保障給付費)は、89兆1098億円。
国民1人あたり、69万円。
69万円だぞ!
3人家族で、210万円!
4人家族で、280万円!

内訳は、医療……28兆1027億円(31・5%)
年金……47兆3253億円(53・1%)、
福祉……その他、13兆6818億円(15・4%)、
高齢者関係給付金……62兆2297億円(69・8%)(以上、ウィキペディア百科事典)。
(参考:国の国家税収は、約40兆~43兆円。)※

ないよりは、あったほうがよい。
不完全よりは、完全なほうがよい。
それは、よくわかる。
しかしそういう発想だけで、税金を湯水のごとく使ってよいものか。
また使っているから、こういう矛盾が噴出する。

基本的に、日本は貧乏国である。
少なくとも、これからは、そうなる。
欧米にもないような豪華な施設ばかり作って、どうする?
むしろ見習うべきは、日本より貧しい国々が、どのようにしているか、である。

もっと言えば、箱モノではなく、中身。
その充実にこそ、お金を使うべきではないのか。

(注※)……これに対して、日本保険医団体連合会は、つぎのように反論している。

『福祉先進国といわれる北欧のスウェーデンが32.0%、ドイツ28.2%、公的医療
保険未整備のアメリカが14.5%なのに対し、日本は13.1%という水準でしかあり
ません。日本の水準はドイツの約半分、スウェーデンの約3分の1しかないことが分かり
ます。
今求められているのは、他の先進国なみに、国力にふさわしい社会保障給付を充実させ
ることです』(同団体・HP)と。

つまりスウェーデンやドイツは、30%前後使っている。
しかし日本は13%に過ぎない。
だからまだ日本の社会保障費は、少ない、と。
しかしこの論法は、まちがっている。

スウェーデンやドイツは、1人あたり、69万円も使っていない。
それにこれらの国々は、ほかの支出を極力、低く抑えている。
「%」だけをみて比較するところが、怖ろしい。

しかしこのままいったら、社会保障費は、1025年前後には、
141兆円(国民所得比26・1%)になるという(ウィキペディア百科事典)。
もうメチャメチャな額といってよい。

それにしても、日本では、公共施設ばかりが、飛びぬけて立派である。
「飛びぬけて」で、ある。
官僚と政治家、それに大手建設会社が、三位一体となって、日本を、
こういう国にしてしまった。
国民は、青息吐息で、苦しんでいるというのに……!

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家 特別養護
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社会保障給付金)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●大丸デパート、出店を断念

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市の中心部にあるMデパートが倒産したとき、
私たちは心底、驚いた。
2001年の11月のことである。
が、それから7年。
Mデパートは、そのまま幽霊ビルとなった。
が、これではいけないと、元Mデパートの再開発策が
あれこれと練られた。
結果、一時は、大丸デパートが出店をするという話も
あった。
が、それがこのたび(09年1月)、出店を断念したという(中日新聞)。
折からの大不況が理由というが、実際には、
全国的にみても、デパートでの売り上げが激減している。
この浜松市でも、駅前にあったIYドーも、数年前、
撤退したばかり。

そんな浜松市で、新たにデパートを、という発想そのものが、無理。

Mデパートが再開発されたとしても、また同じ道を歩むだけ。
そんなことは、浜松市民なら、だれでも知っている。
が、市は、「市街化区域の活性化」を、十年一律のごとく叫びつづけている。
それはそれで結構なことだが、そのため、どれほどの税金が無駄になったことか。
一度、自然の成り行きに、町のあり方を任せてみたらどうなのか?

たとえば浜松市では、郊外に、大型店がつぎつぎと進出してきている。
私の住むI町の近くにも、東海イチと言われる、超大きなショッピングセンターができた。
とたん、車の流れが逆になった。
町のほうから、郊外へ車が流れるようになった。

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こういうのを「城下町思考」という。
「駅前は立派でなければならない」と。
つまり駅前はその市の看板だから、それなりに立派でなければならない、と。
しかしこれは世界の常識ではない。
どこの国の、どこの大都市へ行っても、駅前というのは、閑散としている。
あたりが工場街というところも、少なくない。
(日本のように鉄道網が発達している国も、少ないが……。)

しかし化粧にいくら化粧を重ねても、化粧は化粧。
(ありのままの市)を見せていく。
そんな勇気も、浜松市には、必要ではないか。

つまりこれは生き様の問題。
一人ひとりの生き様が集約され、それがやがて市の行政に反映されていく。
浜松市が悪いというよりは、私たち自身が、意識を改めていかねばならない。
その意識を変えないかぎり、行政の姿勢も、変わらない。


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●ダイハツ・NAKED

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ダイハツ・NAKEDという車がある。
「NAKED」というのは、「裸の」という意味である。
どちらかというと、下品な言葉に属する。
「naked girl」といえば、ズバリ、「素っ裸の女」を意味する。
しかしどうしてそんな形容詞を、車につけたのか。
そのまま読めば、「素っ裸のダイハツ」という意味になる。

そこで家に帰って、もう一度、辞書で確かめてみた。
ほかに意味があるのかもしれないと思った。
しかしNAKEDはNAKED。
ほかに意味はなかった。
(あるいは英語ではない?)

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1970年代のはじめ、日産が、セドリックという名前の車を発売した。
それを知って、オーストラリアの友人が、ゲラゲラと笑った。
オーストラリアでは、セドリックというのは、「同性愛者の貴公子」という意味である。
「同性愛者」の代名詞にもなっていた。

こうしたミス・マッチは、ときどきある。
富士通のファコムにしても、そうだ。
「ファコム」という名前は、外国ではまことにもってまずかった。
40年前には、「Fuxx」(ひわい語)という単語の意味を知っている日本人は、
ゼロに等しいほど、ほとんどいなかった。
だからそういう名前にしたのだろう。
で、そののち、富士通は、その名前を変えた。

ほかにもいろいろある。
あるが、そうした大会社の中には、英語のわかる人もいるはず。
どうしてそういう人たちが、もっと声をあげないのか?
「ダイハツ・NAKED」というのは、私の英語力からみると、おかしい。
(それとも私の英語力が、不足しているのか?)

また地元にも、「HARD OFF」という、中古品店がある。
「The Grave」というホテルもある。
「○○ターミナル・ホテル」というのも、そうだ。
また、その学校の校長の退任式を、「○○先生、メモーリアル・パーティ」と
書いていた学校もあった。

それぞれがどういう意味か、近くに外人がいたら、聞いてみるとよい。
(ただし自己責任で! 私は責任を取らない!)

これ以上のことは、ここには書けない。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●『慰めの報酬』

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今夜、仕事が終わったら、映画『慰めの報酬』を
見てくる。
10代のころから、007シリーズは、すべて見てきた。
今回は、その最新作。

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しかしタイトルがよく理解できない。

「慰めたから、報酬をもらうのか」、それとも
「慰められたから、報酬を与えるのか」、と。
いろいろ考える。

……とまあ、映画を見る前に、あれこれと内容を
考えるのは、楽しい。
それが私の趣味にもなっている。

予告編は、劇場で何度か、見た。
それによれば、007は、恋人をどうやら殺されるらしい。
それでその復讐劇が始まる(?)。
が、どうしてそれが、「慰めの報酬」につながるのか。
ひょっとしたら、『慰めの復讐』ではないのか。
いや、そんなはずはない。
タイトルは、何度も、見た。

で、今度の007は、ウクライナ系の美男子。
どこかロシアのプーチンに似ている。
おもしろそう。
プラス、楽しみ。

(追記)

『慰めの報酬』の評価は、星2つの★★。
主演した、ダニエル・クレイグは別として、脇をかためる女優たちがみな、
かっこのつけすぎ。
不自然。
日本映画に出てくる、女優たちのよう。
中身が演技にともなっていない。
それに007特有の、新兵器もなければ、地下の大要塞もなし。
ただのアクション映画(失礼!)。
それにストーリーも不自然。
無理に無理を重ねたような流れ。
だから星は、2つ。
ついでながら、ワイフの評価は、星3つ。

帰りにこんな会話をした。
「ショーンコネリーの007がなつかしいね」
「そうね」と。

つぎの楽しみは、何といっても、『オーストラリア』。
ぜったいに見るぞ!

その前に、『チェンジリング』『レボリューショナリー・ロード』もある。
ワイフは、『ママミーヤ』(ABBA)を見たいと言っている。
ぜんぶ、見る!


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●やる気喪失

昨日のクラスで、1人、「今日でやめます」と言ってきた母親がいた。
月末の4週目のレッスンが終わったあとに、である。
私は、ズキンと大きな衝撃を受けた。
こういう仕事をして、37、8年になるが、いまだに、これだけは、xxxxx。
生徒への通信にも、毎回、こう書いている。
「退会届けは、前月の3週目までにお願いします」と。

が、若い母親の中には、それが理解できない人もいる。
「いろいろ事情があるのだろう」とは思ってみたが、それでも怒りと悲しさの
入り混じった気持ちが、胸の奥から、こみあげてきた。

おかげで昨夜は、よく眠れなかった。
今朝も、4時に、目が覚めた。

社会全体をみわたしても、こんな首切りの仕方はない。
しかも私の教室は、毎月の、1か月払いで、月謝をもらっている。
ほかの教室は、3か月の前払い。
ほとんどがそうである。
途中でやめたからといって、払い戻しはしない。
が、これはお金の問題ではない。

あとでワイフに、「ぼくの仕事は、こんなものかなあ?」とグチをこぼした。
自分がなさけなかった。

で、私は、ただ一言、「申し訳ありませんが、規約により、来月の月謝をいただきます」
とだけ、言った。
その母親は、どこかムッとした表情で、不満そうだった。
(これは私の思いすごしか?)
月謝袋には、電話番号だけ書いて、そのまま帰っていった。
机の上には、その袋に入っていたお知らせだけが、無造作に放り投げてあった。

何があったのだろう?
しかしそれにしても……?

私はそのお知らせを、戸棚にしまった。
無念さが、こみあげてきた。

……ということで、その生徒のことは忘れた。
忘れて、家に帰って、夜食を食べた。
二杯も食べた。

大半の親たちは、私の教室をよく理解してくれている。
ルールを守ってくれる。
が、中には、そうでない親もいる。
数は少ないが、そういう親に出会うと、やる気を失う。

が、一言。

Gさん、長い間、ありがとうございました。
どうか、お元気で、さようなら!

(付記)

その一方で、1月28日、地元のタウン誌の『中日ショッパー』が、BW教室の広告を
載せてくれた。
無料である。
いつも孫の誠司の写真を、モデルに使っている。
先日、「載せますよ」と連絡してくれたが、今度のは、大きく、目立つ。
その孫(誠司)の顔を見ながら、心がなごむのを知る。

ショッパー様、
ありがとうございます。
今日はとくに、そのありがたさが、心にしみ込みます。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●オーストラリアの猛暑
“Garden City”, is the name of Melbourne, Australia. But according to the news-site, it
has been over 40 C degrees these days. The city used to be known as the most
confortable city of the world only 40 years ago. Then we ask ourselves, what is the
modernization for human-beings? Wise men create something on the basis of what we
have now, but stupid men try to have more, destroying what we have now. I am not
saying Australians are stupid. This is the matter for all human-beings. Are we wise or
stupid?

++++++++++++++++

今朝のニュースによれば、オーストラリア
のメルボルン市では、連日40度を超す
猛暑がつづいているという。
全豪のテニス大会も、そんため一時中断される
はめになったという。

また南オーストラリア州では、45度を
記録したところもあるとか。
熱波がオーストラリア全土を襲っている
らしい。

++++++++++++++++

オーストラリアというところは、不思議な国で、日中、40度を超えていても、
夜中には急激に涼しくなる。
もちろんその反対のこともある。
夜中には身を切るほど寒くても、日光を肌に感じたとたん、暖かくなる。
大陸性の気候というのは、そういうもの。
しかしそれにしても、45度というのは、すごい。
常識を逸脱している。
ニュースサイトの報道によれば、70年ぶりの猛暑とか。
昨年のオーストラリアも暑かったそうだが、今年は、さらにひどい。
さっそく、何人かの友人に見舞いのメールを送る。

●メルボルン市

オーストラリアのメルボルン市といえば、別名「ガーデン・シティ(庭園都市)」と
呼ばれている。
市の3分の1が、緑豊かな公園になっている。
が、3分の1というと、公園の中に都市があるような感じがする。
町の中に公園があるのではなく、公園の中に町がある。

そのメルボルン市は、40年前には、世界でももっとも温暖で、気候に恵まれた
都市として知られていた。
一年中、偏東風が吹いて、気温の変化も少なかった。
が、今は、ちがう。

最初に異変に気がついたのは、今から30年ほども前のこと。
メルボルン市の中心にある議事堂の石像が、排気ガスの影響なのだろうが、
ボロボロになり始めていた。
そのころ日本でも、酸性雨による影響が問題になり始めていた。

そして今。
昨年もそうだったが、オーストラリアは慢性的な水不足に苦しんでいる。
「それが理由で、これ以上、移民は認められない」という話も聞いた。
そういう現状を知ると、「では、この40年間は何だったのか?」と
いうことになる。
つまり私がオーストラリアにいたころと、現在を比較してみて、
オーストラリアは何を得て、何を失ったのか、と。

この日本は、たしかに大きく変わった。
生活の質は、飛躍的に向上した。
しかしことオーストラリアに関して言うなら、生活の質そのものは、
この40年間、ほとんど変わっていない。

生活の質が悪くなったと書いているのではない。
オーストラリアは、すでに40年前、きわめてハイ・スタンダードな生活を
完成させていた。

が、それが今、崩壊しつつある。
地球温暖化の影響をモロに受け始めている。
内陸部の砂漠化は、容赦なく進行している。
仕事ができなくなった農場主の自殺も相次いでいるという。
このまま進めば、(すでにそうなりつつあるが)、人間が住めるのは、海岸部の、
ごく限られた地域だけということになる。

つまりこうなってみると、「むしろ40年前のほうが、よかった」ということに
なってしまう。
が、そう考えると、同時に、「この日本も、そうではないか」ということになって
しまう。

私たちはいつも、何かを得るために生きている。
しかし(生きる)ことによって、これまた失うものも多い。
全体のバランスの中で見ると、プラスマイナス・ゼロ。
ゼロならまだよいほうかもしれない。
へたをすれば、マイナスになってしまう。
言うなれば、『賢明な人は、今あるものを大切にして生き、愚かな人は、今あるものを
破壊しながら生きる』ということか。

何も、オーストラリア人が愚かと書いているのではない。
オーストラリア人も含めて、全人類が、という意味で、そう書いている。

昨年(08)、レア・メタル(希少金属)の高騰で、オーストラリアは空前の利益をあげた。
が、その一方で、気温45度!?
「これでは何にもならないではないか」というのが、今の私の率直な感想ということに
なる。

ともあれ、オーストラリアのみなさんへ、

暑中、心より、お見舞い申し上げます。


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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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