Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, April 23, 2009

*Consciousness of Social Standings

【身分意識論】


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定年退職になって、それを悲しんでいる人ばかりではない。
中には、「やっとやめられた!」と喜んでいる人もいる。

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●組織意識


私、個人について言えば、今、こうして好き勝手なことを書き、好き勝手な仕事
ができることを、喜んでいる。
仕事の量も内容も、自分で調整できる。
私に命令できる人は、1人もいない。
毎日が、それなりに楽しい。

そんなわけで、「退職」なんて、とんでもない!
今の私から「仕事」を消したら、私に、何が残る?
こうして仕事ができることそのものが、(喜び)につながっている。
これから先、1年1年が、(もうけもの)。
1年生き延びるたびに、「もうけた!」と思う。
そのために体を鍛える。
頭を鍛える。


が、こうした(考え)は、みなに共通しているわけではない。
中には、「やっと会社をやめられた!」「思う存分、朝寝坊ができる!」と喜んで
いる人もいる。
そういう人の話を聞くと、「そういうものかなあ?」とは思う。
が、そういう人がいるのは、事実。
長い間、サラリーマンをしてきた人の中に、多い。

そこで大切なことは、人、それぞれ、ということ。
私は私。
人は、人。
100人いれば、100通りの生き方がある。
100通りの退職の仕方がある。
100通りの老後の過ごし方がある。

ところで、昨日、私はワイフとこんな会話をした。
このところ毎日、私の教室の様子をビデオに撮り、それをYOU TUBEに
アップロードしている。
自分でも、たいした仕事ではないと思っている。
少なくとも、社会的な地位というか、権威は、ゼロ!
「教育」といっても、「番外」。
まさに「吹けば飛ぶような」仕事。

が、このところ、それが楽しい。
60歳を過ぎても、子どもたちを相手に、好き勝手なことができるところが、楽しい。
昨日も、年長児を相手に、プロレスをした。
私は、何とかマンのコスチュームを着た。
1人の年長児と戦った。
もちろん私は負けて見せた。
「降参!」「降参!」と。

大企業やそれなりの肩書のある人たちが見たら、実にバカげた仕事に見えるかも
しれない。
しかし、だ。
あえて私は言う。
それこそ、偏見!
江戸時代の亡霊!
身分制度の名ごり!

中には、退職し、70歳を過ぎても、現役時代の地位や肩書にしがみついて生きている
人がいる。
が、そういう人は、少しは自分に恥じたらよい。
いや、そう書くのは失礼なことかもしれないが、そんな過去を引きずったところで、
得るものは何もない。
そればかりか、退職後、社会に同化できなくなってしまう。
社会から、浮いてしまう。
みなから、相手にされなくなってしまう。
自分では「私は偉い」と思っているかもしれないが、そんなプライドは、使い済みの
トイレット・ペーパーのようなもの。
見るのも、イヤ。
聞くのも、イヤ。

退職と同時に、それまでの地位や肩書は、捨てる。
学歴も捨てる。
自分を、ただの老人と思う。
すべては、そこから始まる。
大切なことは、「今、何が残っているか」ということ。
「今、何ができるか」でもよい。
「今、何をしているか」でもよい。

……というのは、言い過ぎ(?)
それはわかっているが、それくらいのことを言わないと、このタイプの人は、
それに気づかない。
一方、私は、プライドを捨てた。
だからありのままを書く。
ありのままをさらけ出す。
それがYOU TUBEということになる。

「私のことをバカと思いたければ、思えばいい」と。

それをワイフに言うと、「そうよねエ」と。
あのワイフが、意外とあっさりと、同意してくれた。

私「あの林(=私)は、こんなバカなことをしていると思う人もいるよ」
ワ「そうかもしれないわね」
私「それが、自分でもよくわかる」
ワ「でも、気にすることないわよ。思わせておけばいいのよ」
私「ああ、気にしていない。どうせ、付きあわないし……」と。

そこで私の定年退職。
ワイフとあれこれ話したあと、こういう結論になった。

私「ぼくは、職場で、バタンと倒れたときが、退職のときと思う」
ワ「あなたは、そういうタイプね」
私「だから、ぼくが倒れても、延命処置はするな。そのままぼくは死ぬ」
ワ「……」
私「今はまだだいじょうぶだが、70歳を過ぎたら、あぶない」と。

しかし……。
この日本は、ありとあらゆるものが、(組織)で成り立っている。
その組織にいる人たちが、(権威)を利用して、たがいに自分の地位や立場を守り
あっている。
言うなれば、「組織意識」。
組織の中にいる人には、それがわからないかもしれない。
それが(当り前の世界)と思っている。
そういう人に、「組織意識を捨てなさい」といっても、無理かもしれない。
そういう世界しか知らない。

……そう考えると、「やっとやめられた!」と、定年退職する人のほうが、正解かも
しれない。
しょせん、組織意識などというのは、その程度のもの。


Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司

●自分を見る


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遠い昔、日本を2分する女性週刊誌に、「女性S」というのがあった。
(今でも、あるかな?)
IKという人が、その週刊誌の編集長をしていた。
そのIK氏の仕事を手伝っているとき、IK氏がこう言った。
その少し前、「バカママ狂騒曲」(仮題)という題のコミックが始まった。
いわゆる常識はずれの母親を、酷評した連載だった。
それに驚いて、私が、「そんな読者を見くだしたような記事を書いたら、
雑誌が売れなくなるのではないですか」と聞いたときのこと。
IK氏は、あのダミ声で、「いいや、だいじょうぶ。女性というのはね、
どんな記事を読んでも、ぜったい、自分のこととは思わないから」と。


女性蔑視!と、どうか怒らないでほしい。
もう30年近くも昔の話である。
まだ女性の地位そのものが、確立されていなかった。
あやふやな状態だった。
また女性蔑視の意見にも聞こえるが、しかしこうした現象は、何も、
女性だけにかぎらない。
「男性も含めて、どんな読者も、ぜったい、自分のこととは思わないから」
というのが正しい。
つまりそれくらい、自分のこと知ることは、むずかしい


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●自己中心性vs客観性の喪失


自己中心性が肥大化すればするほど、同時に、自分の姿が客観的に見えなくなる。
自己中心性と客観性の喪失は、同時進行の形で進む。
言い換えると、その人が自分の姿を客観的に見えるかどうかで、その人の
自己中心性を知ることができる。
自分の姿を客観的に見ることができれば、それでよし。
しかしそうでなければ、あぶない!


ずいぶんと理屈ぽい書き方をしたが、自分を客観的に見ることは、むずかしい。
最近でも、私はこんな経験をした。


●ビデオ撮影


このところビデオ撮影にこっている。
私には周期的、かつ定期的に、趣味を変える。
今は、ビデオ撮影。
これがおもしろい。
毎日何かの動画を撮っては、YOU TUBEにアップロードしている。
そんなある日、庭掃除をしている自分の姿を撮ってみた。


が、その映像を見て、ガックリ!
ショック!
何と、この私が、ジー様歩きをしていた。
ひざをあまりあげず、前かがみに、足を引きずって歩いていた!
ジー様特有の歩き方である!


私は若いときから、そういう歩き方を見るたびに、「どうして
老人は、ああいう歩き方をするのだろう」と思っていた。
が、私がそういう歩き方をするとは!
私は私なりに、結構、運動をしているつもりである。
若い人と同じと思っていた。
が、そうではなかった。
ビデオを見て、それがわかった。


そこでいくつか理由を考えてみた。
第一に、運動はしているものの、ほとんどは座っての仕事。
第二に、体重は適正体重ギリギリの66キロ。
私の年齢では、適正体重x0・8くらいがちょうどよい。
それで計算すると、6キロ以上もオーバーしていることになる。


●自分を知る


同じように、自分が子どもたちを指導している姿を、ビデオに収めてみた。
が、それを見て、ガックリ、ショック!
いろいろあるが、ともかくも、ガックリ、ショック!
(もちろん、よい面も発見したが……。)


そこで改めて、(自分を知る)を、このところ生き様のテーマにしている。
それには、こんなことがあった。


●礼儀


ときどき都会から、この地方へ客が来る。
そんな話を、数日前、郷里の従兄(いとこ)とする。
そのとき、従兄がこう教えてくれた。

その従兄のところにも、都会からよく客が来るそうだ。
仕事関係の人であったり、知人であったりする。
そういう人たちを見ていると、その従兄は、都会人独特の(おごり)のようなものを
感ずるという。
たとえばそういう人たちは、常識的な礼儀に欠けている、と。

客で行くなら、手土産(てみやげ)は常識。
食事など世話になったら、礼の電話や手紙は常識。
……私もそう思っているが、手土産をもってくる人は、まず、いない、と。

会話をしていても、随所に、田舎という地方を、「下」に見る。
地方の文化そのものを認めていない。
どこかに、「来てやった」「ありがたく思え」というような雰囲気さえ感じるという。
都会で、それなりの地位や立場にいる人ほど、そうである。
「大学の後輩が、ここの支店で、支店長をしていますよ」とか何とか言う。
こういうのを「メジャー意識」という。
メジャー意識が強くなると、マイナー・リーグにいる人を、「下」に見る。

また都会へ帰ってからも、何の音沙汰もない。
礼の電話もない。
「どうしたのかな?」と思っているうちに、それで終わってしまう、と。

だから従兄は、ここ10年ほどは、都会から来たからといって、歓待しないとも
言った。


もっとも、だからといってそういう人たちを責めているのではない。
これは個人的な現象というよりは、都会人と言われる人たちが、共通してもって
いる現象である。
この私も、反対に、さらに田舎のほうへ行くと、似たような行動をするときがある。
都会に向かうときは、それなりの緊張感を覚えるが、反対に田舎へ向かうときは、
それがない。
どこか、気楽?
どこか、いいかげん?


あとは油断の問題ということになる。
油断すれば、相手を不愉快にする。
礼儀を忘れる。
そこで私はこう心に決めている。
「田舎のほうへ向かうときは、礼儀を忘れない」と。
もっと言えば、『他人のふりみて、我が身を直せ』ということか。


●客観的に見る


自己中心性の肥大化をいかにして、防ぐか。
それが人格の完成度に深く関係しているとするなら、常に自分を客観的に見る。
その努力を怠ってはいけない。


その訓練法のひとつとして、私が考えたのに、こんなのがある。
以前にも書いたが、相手の脳みその中に、自分を置いてみる。
電車などで、対峙して座った人でもよい。
そういう人を選んで、その人の脳みその中に一度、自分を置いてみる。
そこから自分を見つめてみる。
「あの人から見ると、私はどんな人間に見えるか」と。


私のばあい、職業がら、子どもの脳みその中に自分を置くことが多い。
が、それだけではない。
ときどき、「この子たちがおとなになったら、私という人間は、どのように
彼らの心の中に残っているか」と考えるときがある。
それには、私の過去が役に立つ。


私にも子ども時代があった。
いろいろな先生に、めぐり合った。
よい印象をもった先生もいるが、悪い印象をもった先生もいる。
そういう自分を思い出しながら、「悪い印象だけは、子どもたちに与えたくない」
と。


それはそれとして、いつもそれを繰りかえす。
そうすると、自分の姿が、客観的に見えてくるようになる。
ちょうどビデオカメラか何かで、自分を撮影するように。


●私は(私)を知らない


さらにつづきがある。
この方法で自分を訓練していくと、逆に相手の心の中をのぞくことができるようになる。
「この人は、自己中心的だな」とか、「この人は、こちらの心の中を理解しているな」とか。
その結果、ときとして、ぞっとするほど自己中心的な人に出会うときがある。
そういうときは、そういう人とは、すぐ別れる。
それっきり。


……ということで、改めて自分を知ることの大切さというか、むずかしさを
思い知らされている。
だれしも、(私もそうだったが)、「私のことは私がいちばんよく知っている」と
思っている。
しかしその実、何もわかっていない。
「わかっている」と思い込んでいるだけ。
最後にこんなこともあった。


●AD・HD児だった、G君


G君は、小学校の低学年時まで、どうしようもないような(失礼!)、AD・HD児だった。
(当時はまだAD・HD児という言葉もなかった。)
学校でも、私の教室でも、騒ぎまくった。
そのためG君のために、クラスそのものが崩壊してしまったことが、何度かある。


「崩壊」というのは、つぎつぎとほかの生徒がやめていくことをいう。
経営が成り立たなくなってしまったことをいう。
学校社会でいう、「学級崩壊」とは、少し意味がちがう。
もちろん指導など、不可能。


しかしAD・HD児でも、小学3~4年生を境に、急速に落ち着いてくる。
自己管理能力が育ってくるためである。
で、そのG君は、もちまえのバイタリティがよいほうに作用して、県下でも
トップクラスの高校に入学した。
そのときのこと。
私はG君に、こう質問してみた。


「君は、幼稚園児や小学1、2年生のとき、クラスでみんなに迷惑をかけたが、
覚えているか」と。
が、それに答えて、G君はこう言った。


「ぼくは何も悪いことをしていないのに、先生も友だちも、みな、ぼくを目の敵
(かたき)にして、いじめた」と。


私はその話を聞いて、何度も念を押した。
「君は、みなに迷惑をかけたという意識が、本当にないのか?」と。
G君は、それに対して、同じ答をそのつど繰り返した。


そのとき私はこう思った。
「自分を知ることは、むずかしい」と。
恐らくG君は、おとなになっても、それに気づくことはないだろう。
教育の世界に入っても、それに気づくことはないだろう。


自分を知ることのむずかしさの一例として、G君をあげた。



Hiroshi Hayashi++++++++APRIL・09++++++++++++はやし浩司


●逆進的歴史観


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宇宙に広がったゴミを観測すると、その様子から、太古の昔の
様子が、わかるそうだ。
たとえば現在の今も、この宇宙は拡大しつづけている。
それを逆回しに過去へ過去へと戻っていくと、太古の昔、この
宇宙は、「ビッグバン」と呼ばれる、爆発で生まれたことが
わかる。
(用語の使い方が、適切でないかもしれないが、そこは許して
ほしい。)


で、同じように、この「社会」も逆回転させることができる。
たとえば現在の今をていねいに観察、分析すると、江戸時代という、
あの封建時代が、どんな時代だったかがわかる。
そのひとつ。
身分による差別意識。


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●退職者のあがき


私の年代の人たちは、今、つぎつぎと退職している。
民間企業に勤めていた人たちの中には、2度目、3度目の退職を繰り返し、
「今度こそ、本当の退職」という人もいる。


私もその中の1人だが、こうして退職していく人たちには、一定のタイプが
あるのがわかる。

(1) 悠々自適タイプ
(2) 趣味三昧タイプ
(3)勤労タイプ
(4)ボランティア活動タイプ
(5)引きこもりタイプ
(6)真・善・美の追求タイプなど。

それについては前にも書いたので、ここでは省略する。
で、ここではその先について書いてみたい。


●内面世界で分類すると


先のタイプは、いわば外面を分類したタイプだが、内面で分類すると、
つぎのようになる。

(1) 過去、決別タイプ
(2) 過去、引きずりタイプ

「過去、決別タイプ」というのは、退職と同時に、まったくの別人となって、
新しい人生を歩む人をいう。
「過去、引きずりタイプ」というのは、過去の学歴や職歴、肩書きや名誉に
しがみついて生きる人をいう。


もちろん程度の問題もある。
それほど過去にこだわらない人もいれば、かなり過去にこだわる人もいる。
その一方で、学歴や、職場での肩書きに、異常なまでにこだわる人もいる。
「私は○○会社の、元部長だった」とか、など。


●悪玉プライド


プライドにも2種類ある。
善玉プライドと悪玉プライドである。
「私は自分の過去を汚したくない」「経歴を汚したくない」と思うのは、善玉プライド。
「私は偉い」「だから周りの者たちは、みな、私より下」と思うのは、悪玉プライド。


問題は、この中の悪玉プライド。
どうしてそういうプライドを、日本人はもちやすいかということ。
つまり職種による上下意識。
それに中央集権意識が加わると、その人自身が社会に同化できなくなって
しまう。
具体的には、退職後、だれにも相手にされなくなってしまう。


●差別意識


ではなぜ、こうした職業による差別意識が、この日本で生まれたかということ。
一方、外国には、こうした差別意識は、ほとんどない。
(軍事国家のばあい、軍人の地位が高いということはある。)
反対に、日本では高くても、外国では低いということもある。
(もちろん、そのまた反対もあるが……。)


私が学生時代、オーストラリアへ行って驚いたのは、銀行員の地位が
恐ろしく低かったこと。
「銀行員は、高卒の仕事」ということになっていた(当時)。
また日本では外交官というと、あこがれの職業だった。
が、向こうではちがった。
(あの国は、もともと移民国家だから、「外国へ出る」という意識が、日本人のそれとは、
180度、違っていた。)
一方、ユンボやブルドーザを動かすのは、大卒の仕事ということになっていた。


今でこそ、こうしたバカげた職業観は色あせてきたが、まったくなくなった
とも言えない。
その亡霊のようなものが、退職者の中に、見え隠れする。


●原因は、こだわり


もっともそれぞれの人が、過去のある部分に、強いこだわりをもつのは、
悪いことではない。
たいていは、最終学歴だが、古い世代になると、生まれ故郷や、先祖の血筋など。
生きる誇りも、そこから生まれる。
私のばあいは、高校でも、大学でもない。
留学時代の(私)に、とくに強いこだわりを覚える。


が、そのこだわりが、相手を見くだす道具となったとき、ここでいう悪玉プライド
となる。


この悪玉プライドは、長い時間をかけて、その人を孤独にする。
気がついてみたら、周りに人は、だれもいないという状態になる。
ただ見かけの様子に、だまされてはいけない。
見た感じ、腰の低い人でも、悪玉プライドのかたまりといった人も少なくない。
計算づくで、そう演技しているだけ。
あるいはそういう演技が身についてしまっているだけ。
S氏(70歳)もそうだった。


退職前は、国の出先機関の副長をしていた。
実際の肩書きは、「副局長」だったと記憶している。
そしてS氏にペコペコする人に対しては、必要以上に寛大な様子をしてみせ、
そうでない人には、必要以上に威張ってみせた。
その落差が、極端だった。
そのS氏について、こんなことがあった。
友人のX氏が話してくれた。


たまたまS氏の車と、X氏の車が、細い路地で、正面で向き合ってしまったという。
そのときのこと。
状況から考えて、S氏の車がバックして、道をあけなければならなかった。
が、S氏はそのままの状態で、まったく車を動かそうとしなかったという。
デンというか、ハンドルを握ったまま、車の中でふんぞり返っていた。
X氏はこう言った。
「過去は過去でも、人間って、ああまで威張れるものでしょうかねエ」と。


●過去との決別


退職したら、過去とは決別する。
とくに悪玉プライドは、捨てる。
そんなものを引きずっていたら、それこそ社会のつまはじき。
その先で待っているのは、孤独という無間地獄。


で、ここで本題。


こうした悪玉プライドというのは、若い人たちの世界からは、消えつつある。
権威主義が崩壊し、つづいて職業観も変化した。
中央集権意識も消えつつある。
もちろん上下意識も消えつつある。
で、逆にこうした変化を、過去へさかのぼっていくと、その先に封建時代が
見えてくる。
宇宙のゴミの動きを逆回しにしていくと、太古の昔、ビッグバンがあったことが
わかるように、だ。


恐らくあの時代は、息苦しい時代であったにちがいない。
身分により、着る着物の色まで指定された。
職業による差別感も、当然、あった。
それが今より、何十倍も、何百倍も、強かった。
もちろん武士階級が頂点にあったが、その武士階級の中でも、きびしい上下
関係があった。
制度としてではなく、「意識」として、それがあった。
それが家制度を支えた。


●たった40年前


ここまで書いて思い出したが、こんなドラマが昔、あった。
舟木和夫(歌手)主演の映画にもなったが、京都大学へ入った学生と、
身分の低い(?)女性との恋愛映画だった。
女性の名前は、たしか「小雪」と言った。
恋愛というより、悲恋物語。
たしか最後は、その女性は身分を考え、まわりの人たちが反対する中、病気で死んで
しまったと記憶している。
(調べてまで書くような話ではないので、いいかげんなままで、ごめん。)


40年前後前には、(たった40年前だぞ!)こうした悲恋映画は、
抵抗なく観客に受け入れられた。
今なら、若い人たちは、映画の背景そのものを理解できないだろう。
「身分」と言っただけで、拒絶反応を示すにちがいない。
が、私たちの世代は、そうでない。
身分意識が、いまだに残っている!


●上下意識


一度身にしみついた上下意識というのは、簡単には消えない。
ある男性(当時、50歳くらい)だが、そのときどこからか電話がかかってきた。
受話器を取りながら、まるで米つきバッタのようにペコペコしていた。
が、電話が終わるや否や、私のほうに向いてこう言った。


「ところでねえ、林君……」と。


私を見くだした言い方だったが、私は、その変わり身のほうに驚いた。
その男性は、瞬時に(上下)を判断し、その意識に応じて、話し方まで変えていた。


上下意識の強い人は、独特の雰囲気をもっている。
その上の人にはわかりにくいかもしれないが、下の人には、それがよくわかる。
「自分は重要な人物(VIP)だ」「大切にされて当然」というような態度をとる。
こんなことがあった。


ある日突然、その人から電話がかかってきた。
当時、年齢は60歳くらいだった。
いわく、「浜松へ来たから、ちょっと君の家に寄りたい」と。
場所を聞くと、JRの浜松駅にいるということだった。
それほど親しい人ではなかった。
私が戸惑っていると、こう言った。
「それでね、林君、ぼくには、足がないのだよ……」と。
つまり駅まで車で、迎えに来てほしい、と。


そのとき私は50歳。
その人は、年齢だけで、私を下に見ていた。
それが私にも、ありありと(?)、よくわかった。


●封建時代の負の遺産


世の中には、その負の遺産に目をくれることもなく、あの時代の封建制度を
美化する人がいる。
「武士道こそ、日本が誇る精神的バックボーン」と説く人もいる。
さらには、「恥の文化を子どもに教えれば、学校からいじめはなくなる」と。
一理ある。
いじめを「恥」と位置づければ、たしかにそうなる。
しかし恥を教えたからといって、いじめなど、なくならない。
だいたい、どうやってそれを子どもたちに教えるのか。


今に残る亡霊を寄せ集めていくと、武士道など、日本が誇るべきバックボーン
でも何でもない。
ただの官僚道。
あるいは軍人訓。
私が子どものころには、その武士道なるものが、まだ生き残っていた。
中学校の授業でも、竹刀(しない)をもち歩いていた教師すらいた。
宿題を忘れたりすると、その竹刀で、容赦なく、頭をバシバシと叩かれた。
そんなバカげた教育がどこにある?


それが武士道の亡霊とは言わないが、そうでないとは、もっと言えない。
日本の軍国主義なるものを陰で支えたのも、やはり武士道である。


●福沢諭吉

仕事に上下はない。
よいも悪いもない。
(もちろん犯罪的な職業は別だが……。)
それによって人間の上下が決まるということは、ぜったいにない。
またあってはならない。

ここまで書いて、福沢諭吉を思い出した。

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以前書いた原稿を、そのまま転載します。

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●血統空想

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「私だけは特別でありたい」という
思いは、だれにでもある。そのひとつ
が、「血統」。

「私の血統は、特別だ」「だから私は
特別な人間」と。

あのジークムント・フロイトは、
そうした心理を、「血統空想」という
言葉を使って説明した。

年齢で言えば、満10歳前後から
始まると考えられている。

しかしそう思うのは、その人の勝手。
それはそれでかまわない。しかし、その
返す刀で、「私以外は、みな、劣って
いる」と考えるのは、まちがっている。
自己中心性の表れそのものとみる。

EQ論(人格完成論)によれば、
自己中心性の強い人は、それだけ
人格の完成度の遅れている人と
いうことになる。

わかりやすい例でいえば、今でも
家系にこだわる人は多い。ことあるご
とに、「私の先祖は、○○藩の家老だ
った」とか何とか言う。

悪しき封建時代の亡霊とも考えられる。
江戸時代には、「家」が身分であり、
「家」を離れて、個人として生きていく
こと自体、不可能に近かった。

日本人がいまだに、「家」にこだわる
理由は、ここにある。

それはわかるが、それからすでに、
約150年。もうそろそろ日本人も、
そうした亡霊とは縁を切るべきときに
来ているのではないのか。

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 かつて福沢諭吉は、こう言った。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」(「学問のすすめ」)と。

その「天は人の上に……」という名言が、生まれた背景として、国際留学協会(IFSA)は、つぎのような事実を指摘している。そのまま抜粋させてもらう。

 『……さらに諭吉を驚かせたことは、家柄の問題であった。

諭吉はある時、アメリカ人に「ワシントンの子孫は今どうしているか」と質問した。それに対するアメリカ人の反応は、実に冷淡なもので、なぜそんな質問をするのかという態度であった。誰もワシントンの子孫の行方などに関心を持っていなかったからである。

ワシントンといえば、アメリカ初の大統領である。日本で言えば、鎌倉幕府を開いた源頼朝や、徳川幕府を開いた徳川家康に匹敵する存在に思えたのである。その子孫に誰も関心を持っていないアメリカの社会制度に、諭吉は驚きを隠せなかった。

高貴な家柄に生まれたということが、そのまま高い地位を保障することにはならないのだ。諭吉は新鮮な感動を覚え、興奮した。この体験が、後に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」という、『学問のすすめ』の冒頭のかの有名な言葉を生み出すことになる』と。

 意識のちがいというのは、恐ろしい。恐ろしいことは、この一文を読んだだけでもわかる。いわんや明治の昔。福沢諭吉がそのとき受けた衝撃は、相当なものであったと考えられる。そこで福沢諭吉らは、明六社に合流し、悪しき亡霊と闘い始める。

 明六社……明治時代に、森有礼(もり・ありのり)という人がいた。1847~1889年の人である。教育家でもあり、のちに文部大臣としても、活躍した人でもある。

 その森有礼は、西洋的な自由主義者としても知られ、伊藤博文に、「日本産西洋人」と評されたこともあるという(PHP「哲学」)。それはともかくも、その森有礼が結成したのが、「明六社」。その明六社には、当時の若い学者たちが、たくさん集まった。

 そうした学者たちの中で、とくに活躍したのが、あの福沢諭吉である。

 明六社の若い学者たちは、「封建的な身分制度と、それを理論的に支えた儒教思想を否定し、不合理な権威、因習などから人々を解放しよう」(同書)と、啓蒙運動を始めた。こうした運動が、日本の民主化の基礎となったことは、言うまでもない。

 で、もう一度、明六社の、啓蒙運動の中身を見てみよう。明六社は、

(1)封建的な身分制度の否定
(2)その身分制度を理論的に支えた儒教思想の否定
(3)不合理な権威、因習などからの人々の解放、を訴えた。 

 しかしそれからちょうど100年。私の生まれた年は、1947年。森有礼が生まれた年から、ちょうど、100年目にあたる。(こんなことは、どうでもよいが……。)その100年の間に、この日本は、本当に変わったのかという問題が残る。反対に、江戸時代の封建制度を、美化する人たちまで現われた。中には、「武士道こそ、日本が誇るべき、精神的基盤」と唱える学者までいる。

 こうした人たちは、自分たちの祖先が、その武士たちに虐(しいた)げられた農民であったことを忘れ、武士の立場で、武士道を礼さんするから、おかしい。悲しい。そして笑える。

 武士たちが、刀を振りまわし、為政者として君臨した時代が、どういう時代であったか。そんなことは、ほんの少しだけ、想像力を働かせば、だれにも、わかるはず。そういったことを、反省することもなく、一方的に、武士道を礼さんするのも、どうかと思う。少なくとも、あの江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほどの暗黒かつ恐怖政治の時代であったことを忘れてはならない。

 その封建時代の(負の遺産)を、福沢諭吉たちは、清算しようとした。それがその明六社の啓蒙運動の中に、集約されている。

 で、現実には、武士道はともかくも、いまだにこの日本に、封建時代の負の遺産を、ひきずっている人は多い。その亡霊は、私の生活の中のあちこちに、残っている。巣をつくって、潜んでいる。たとえば、いまだに家父長制度、家制度、長子相続制度、身分意識にこだわっている人となると、ゴマンといる。

 はたから見れば、実におかしな制度であり、意識なのだが、本人たちには、わからない。それが精神的バックボーンになっていることすら、ある。

 しかしなぜ、こうした制度なり意識が、いまだに残っているのか?

 理由は簡単である。

 そのつど、世代から世代へと、制度や意識を受け渡す人たちが、それなりに、努力をしなかったからである。何も考えることなく、過去の世代の遺物を、そのままつぎの世代へと、手渡してしまった。つまりは、こうした意識は、あくまでも個人的なもの。その個人が変わらないかぎり、こうした制度なり意識は、そのままつぎの世代へと、受け渡されてしまう。

 いくら一部の人たちが、声だかに、啓蒙運動をしても、それに耳を傾けなければ、その個人にとっては、意味がない。加えて、過去を踏襲するということは、そもそも考える習慣のない人には、居心地のよい世界でもある。そういう安易な生きザマが、こうした亡霊を、生き残らせてしまった。

 100年たった今、私たちは、一庶民でありながら、森有礼らの啓蒙運動をこうして、間近で知ることができる。まさに情報革命のおかげである。であるなら、なおさら、ここで、こうした封建時代の負の遺産の清算を進めなければならない。

 日本全体の問題として、というよりは、私たち個人個人の問題として、である。

 ……と話が脱線してしまったが、これだけは覚えておくとよい。

 世界広しといえども、「先祖」にこだわる民族は、そうは、いない。少なくとも、欧米先進国には、いない。いわんや「家」だの、「血統」だのと言っている民族は、そうは、いない。そういうものにこだわるということ自体、ジークムント・フロイトの理論を借りるまでもなく、幼児性の表れと考えてよい。つまりそれだけ、民族として、人格の完成度が低いということになる。

(付記)

 この問題は、結局は、私たちは、何に依存しながら、それを心のより所として生きていくかという問題に行き着く。

 名誉、財産、地位、学歴、経歴などなど。血統や家柄も、それに含まれる。しかし釈迦の言葉を借りるまでもなく、心のより所とすべきは、「己(おのれ)」。「己」をおいて、ほかにない。釈迦はこう説いている。

『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』(法句経)と。「自由」という言葉も、もともとは、「自らに由る」という意味である。

 あなたも一言でいいから、自分の子どもたちに、こう言ってみたらよい。「先祖? そんなくだらないこと考えないで、あなたはあなたはで生きなさい」と。

 その一言が、これからの日本を変えていく。

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Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司