Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, March 06, 2011

●笑えば伸びる

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 7日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【年長児・指導、1年8か月の幼児クラス】

●笑えば子どもは、伸びる!

 「笑い」を大切にし、指導させてもらっています。
そんな雰囲気を、このビデオの中で感じ取っていただければ、うれしいです。
なお現在、4月生を募集しています。
興味のある方は、上記、「はやし浩司のメインサイト」より「BW教室案内」へ
おいでください。
お待ちしています。





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Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

3月号相談事例

相談(1)小学6年生の母親から
 長女は几帳面な性格で、宿題もきちんとするし、忘れ物もしないしっかりした子なので
すが、もう少し自分の意見をみなの前で言えるような積極性を身につけてほしいと思いま
す。
 報道で社会の状況がますます厳しくなることを知るにつけ、この子の将来を考えると、
このままでいいのか考えてしまいます。何かできることはないでしょうか?


A:私の母は、いつもこう言っていました。『上見てキリなし、下見てキリなし』と。子ど
もはすでに思春期に入っています。この時期は、子どもの良い点だけを見、それを伸ばす
ことだけに心がけます。欠点を指摘すれば、役割混乱が起き、自我の確立に失敗します。
結果として自己評価力の低い子どもになり、「まだ以前の方が良かった…」を繰り返しなが
ら、「下へ、下へ」と向かってしまいます。親子の間に、大きなキレツを入れることにもな
りかねません。
 文面から判断するかぎり、すばらしい子どもです。『まじめにまさる美徳なし』。むしろ
心配なのは、不安先行型(=取り越し苦労型)のあなたの育児姿勢です。恐らくその姿勢
は、長女を妊娠したときからつづいていると考えられます。その結果が、「今の状態」とい
うことになります。ではどうするか。
 最初は言いにくくても、「うちの子はすばらしい」を、みなの前で繰り返し言ってみてく
ださい。その言葉はやがて第三者を経て、子どもの耳に入ります。直接、子どもの耳に入
るよりも、はるかに効果的です。これを「ウィンザー効果」といいます。またこうするこ
とによって、それが「パブリック・アナウンスメント(公的宣言)」になり、あなた自身の
心を作り替えることもできます。
 で、6年後、10年後の心配はしないこと。まず「今」できることを、懸命にします。「結
果」はかならず、あとからついてきます。
 
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子どもの将来 不安 積極性 子供の積極性)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


相談(2)中学3年生の父から
 入試を控え、合格に向けてがんばっている息子。しかし志望している高校は、少し背伸
びをして届くかどうかという学校を選びました。
 受験する高校を選んだのは本人だし、親としても本人とよく相談したことなので、合格
を信じて応援しています。でももしものとき、親はどういう態度を取ったらいいのかを考
えると、憂うつです。どうしたらいいでしょうか?


A:憂うつになって当然です。憂うつにならない親はいません。そこで大切なことは、視
野を広くもつ、です。そこに健康な子どもがいる。元気で生きている。そこを原点に考え
れば、子どもの受験など、腸から出るガスのようなものです。賢明な人は、その価値を失
う前に気づき、そうでない人は、失ってから気づきます。健康しかり、青春時代しかり、
そして子どもの良さも、またしかり。

 で、相談の件。子どもの受験はすべて、「不合格のときを考えて準備する」です。そのと
き親はどのように対処し、子どもの心を守るか。いかに心の傷(トラウマ)を最小限に抑
えるか。それを今から準備します。ポイントは子どもとともに、どうそれを乗り越えてい
くか、その道筋を、あなた自身が用意しておく、です。方法は簡単です。親ではなく、子
どもの「親友」として、子どもの横に立ちます。それができれば、つぎの行動は自ずと決
まってきます。

 なお、あなた自身もそうであったように、子どももまた、挫折し、失敗し、そのつど傷
まるけになりながら、よりたくましくなっていきます。親としてはつらいところですが、
その苦しみに耐えるのも、親の仕事のひとつです。恐れないこと。逃げないこと。
 あとは子どもに任せます。合格すれば祝い、そうでなければ、おいしいものでも食べて
忘れます。それがドラマ。そのドラマの中にこそ、生きる意味や価値が隠されています。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 子供の受験対策 子どもの受験への心がけ 準備 親の対処の仕方
 親の心構え 受験競争 はやし浩司 不合格 合格)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『ぼくが結婚を決めたワケ』(1-16)

+++++++++++++++++++

午前中、街へ行く用事があったので、そのついでに
劇場で映画を観てきた。
『ぼくが結婚を決めたワケ』というのが、それ。
軽いタッチのホームドラマ風の映画。
気楽に観る映画ということで、星は2つの★★。
気軽に楽しめた。

で、映画を観たあと、ワイフとこんな話し合いをした。
もし友人の妻が浮気をしていると知ったら、
どうするか、と。

ワイフは、「よく考えて、ケースバイケースね」と。

映画も、親友の妻の浮気がテーマになっている。
親友の妻が、若い男生と、浮気を重ねている。
それを知ったその男は、親友に告げるべきかで、苦しむ。
悩む。
『ぼくが結婚を決めたワケ』というのは、そういう映画。
で、あなたならどうするだろうか。
親友の妻が、若い男生と浮気をしているのを知ったら、
あなたはどう考えるだろうか。
どう行動するだろうか。

が、ここでひとつ誤解してはいけないことがある。
映画の中では、「浮気」がテーマになっている。
親友の妻の浮気をからませながら、ストーリーが
展開していく。
が、本題は、「誠実さ」。
浮気の前提として、夫はどこまで妻に誠実で
あるべきか。
友は親友に、どこまで誠実であるべきか。
(当然、誠実であるべきだが……。)

浮気の問題は、あくまでも、その結果として、
自然に処理されるべきもの。
その「誠実さ」に、英語国では、たいへんシビア。
「ウソ」をたいへん、嫌う。
「ウソも方便」と考える日本人とは、ここが
大きくちがう。
「本音と建て前」にしても、そうだ。

そのあたりのちがいをよく知った上でこの映画を観ないと、
日本人の私たちには、この映画は理解できないだろう。
「どうしてここまで?」となってしまうだろう。

さらに言えば、「誠実さ」を問題にしない日本人に
してみれば、「浮気」は、それほど重大事ではない。
ただの「浮ついた遊び」。
今でもバーやクラブで遊ぶ程度なら、浮気ではない。
そう考える男たちは多い。
戦前まで、男たちは愛人の数によって、「力」を競った。
そういう名残は、今でも日本のどこかに残っている。

一方、夫の浮気を知りつつ、体面を重んじる女性は多い。
「家庭」とか、「家族」とか、形にこだわる。
つまり「夫の浮気、即、離婚」と考える女性は、少ない。

総じて言えば、日本人の辞書には、「誠実」という言葉がない。
だから平気でウソをつく。
表面(おもてづら)を裏面(うらづら)を使い分ける。
しかしこうした二面性というのは、日本以外では理解されない。
「奇異なる民族」という言葉も、そこから生まれた。

「どうして白人は、浮気ごときでこうまで大げさに
騒ぐのか」と。
この映画を観て、もしあなたがそう感じたら、
あなたもその「奇異なる民族」の1人ということになる。

++++++++++++++++++++

●浮気

 私は浮気をしている「男」を信用しない。
妻でさえ、平気で裏切っている男である。
友人を裏切ることなど、何とも思っていない。
だから信用しない。
浮気をしていると知ったときから、一線を引く。

 が、中には、バカ(養老孟司の言葉)がいる。
平気でこう言う。
「なっ、林、若い女はいいぞ。いっしょに遊びに行くか?」と。
半ば得意げに、そう言う。
だからバカ。

 しかしそうした常識をひっくり返したのが、小説『マディソン郡の橋』。
それについて書いた原稿がある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●母親がアイドリングするとき(中日新聞発表済み) 

●アイドリングする母親

 何かもの足りない。どこか虚しくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに
幸せのハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではない
が、その充実感がない……。今、そんな女性がふえている。Hさん(三二歳)もそうだ。

結婚したのは二四歳のとき。どこか不本意な結婚だった。いや、二〇歳のころ、一度だけ
電撃に打たれるような恋をしたが、その男性とは、結局は別れた。そのあとしばらくして、
今の夫と何となく交際を始め、数年後、これまた何となく結婚した。

●マディソン郡の橋

 R・ウォラーの『マディソン郡の橋』の冒頭は、こんな文章で始まる。「どこにでもある
田舎道の土ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声がある」(村松潔氏訳)
と。主人公のフランチェスカはキンケイドと会い、そこで彼女は突然の恋に落ちる。忘れ
ていた生命の叫びにその身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛しあう。

つまりフランチェスカは、「日に日に無神経になっていく世界で、かさぶただらけの感受性
の殻に閉じこもって」生活をしていたが、キンケイドに会って、一変する。彼女もまた、「(戦
後の)あまり選り好みしてはいられないのを認めざるをえない」という状況の中で、アメ
リカ人のリチャードと結婚していた。

●不完全燃焼症候群

 心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のよう
な状態をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。からまわりばかりする。H
さんはそうした不満を実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱られた。夫は夫で、「何
が不満だ」「お前は幸せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるスト
レスは相当なものだ。

昔、今東光という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、
こんな話をしてくれた。「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わっ
てしまった。だから今でも、『しまった!』と思って、ベッドからとび起き、女を買いに行
く」と。「女を買う」と言っても、今氏のばあいは、絵のモデルになる女性を求めるという
ことだった。晩年の今氏は、裸の女性の絵をかいていた。細い線のしなやかなタッチの絵
だった。私は今氏の「生」への執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というのは、そうい
うものか。その人の人生の中で、いつまでも重く、心をふさぐ。

●思い切ってアクセルを踏む

 が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、二人の女の子がい
たが、下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手
伝ううち、医療事務の知識を身につけ、やがて医療事務を教える講師になった。またNさ
んは、ヘルパーの資格を取るために勉強を始めた、などなど。

「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、道路を走り出した人は多い。だから今、
あなたがアイドリングしているとしても、悲観的になることはない。時の流れは風のよう
なものだが、止まることもある。しかしそのままということは、ない。子育ても一段落す
るときがくる。そのときが新しい出発点。アイドリングをしても、それが終着点と思うの
ではなく、そこを原点として前に進む。方法は簡単。

勇気を出して、アクセルを踏む。妻でもなく、母でもなく、女でもなく、一人の人間とし
て。それでまた風は吹き始める。人生は動き始める。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●真剣かどうか?

 見た目には「浮気」でも、真剣かどうかで、中身は変わる。
「真剣」というのは、内なる「生」に基づいているかどうかということ。
「生」が発する叫び声に基づいているかどうかということ。
それがあれば、浮気は浮気ではない。
そのよい例が、R・ウォラーの『マディソン郡の橋』ということになる。
映画『マディソン郡の橋』を観てみるのもよい。

もしそれさえ「悪」と否定されてしまったら、人間は人間でなくなってしまう。
だから私はときどき、こう言う。
「どうしても浮気をしたかったら、命がけでしたらいい」と。
そう、命がけ。

 それができないようであれば、やめたほうがよい。
夫や妻への誠実さを優先させ、ぐいとがまんする。

●最初の命題

 さて、最初の命題。
親友の妻が浮気をしていると知ったら、あなたはどうするか。

 実のところ、私は今までそういう経験を数度、している。
親友ではないが、近い知人である。
で、私のばあいは、今までそうした事例を、黙認というか、無視してきた。

 バカな伯父がいて、私に彼の愛人を自慢げに紹介してくれたこともある。
あるいはある会社の社長に呼ばれて、小さな割烹へ行くと、そこにその社長の愛人が
同席していたこともある。

 が、そのつど私は、こう考えた。
「へたに騒いで、ことを荒立てたくない」と。

 が、親友だったら、どうか。
もっとも親友といっても、数名程度しかいないが、そういう親友の妻が浮気をしていると
知ったら……。

 やはり映画の中にもあったように、まず最初に、親友自身にではなく、浮気をしている
妻に警告するだろう。
「あなたの夫のために、浮気をやめなさい」と。
親友に告げるかどうかは、そのあとの状況による。
それで妻が浮気をやめたのなら、そのままにしておく。
が、それでもやめなかったら……。

 そのあとの展開は、映画のストーリーと同じになるだろう。
言い替えると、映画『ぼくが結婚を決めたワケ』は、そういう意味では、たいへん常識的
な映画ということになる。
(あくまでも私の常識に照らし合わせて……という意味だが。)

●本能の奴隷

 ともあれ、その映画を観ながら、こう考えた。
「みな、本能の奴隷だな」と。

 私のように本能、つまり性欲から解放されつつある人間からみると、どの人も、本能の
奴隷のように見える。
本人たちは意識していないかもしれないが、まさに奴隷。
奴隷となって、ドタバタ劇を演じているだけ。
「私」と思い込んでいるだけで、その実、「私」はどこにもない。

 若い人たちにこんなことを言っても、理解されないだろう。
「私は私」と思い込んでいる。
思い込んだ上で、行動している。
恋愛にしても、それにつづく結婚、育児にしても、そうだ。
が、それが無駄とか、虚しいとか言っているのではない。
私が言いたいのは、その逆。

 つまり本能の奴隷であるがゆえに、そこから無数のドラマが生まれる。
私たちがなぜ、今、ここで生きているかと言えば、そのドラマに価値を見出すからである。
もしあの映画『タイタニック』に、ジャックとローズが出てこなかったら、あの映画は
ただの船の沈没映画で終わってしまっていたはず。
あの映画を観て涙を流す人はいなかっただろう。
言い替えると、それが本能に基づくものであれ、何であれ、「真剣さ」こそが大切。
その真剣さが、ドラマを、光り輝かす。
人間が織りなす無数のドラマを、光り輝かす。
『マディソン郡の橋』を観れば、それがわかる。

 その真剣さについて書いたのが、つぎの原稿(中日新聞発表済み)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●今を生きる子育て論

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもな
っている格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れて
しまって、結局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生
き方をしてはいけません」と教えている。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人が
いる。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大
学へ入るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。

こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未来」のために犠牲にするという生き方は、
ここでいう愚かな生き方そのものと言ってもよい。いつまでたっても子どもたちは、自分
の人生を、自分のものにすることができない。あるいは社会へ出てからも、そういう生き
方が基本になっているから、結局は自分の人生を無駄にしてしまう。「やっと楽になったと
思ったら、人生も終わっていた……」と。

 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、
偽らずに生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、
一人の高校生が自殺に追いこまれるという映画である。

この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて疲れる』という生き方の、正反対の位
置にある。これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれない。しか
し今、あなたの周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映るのは、「今」という現実であ
って、過去や未来などというものは、どこにもない。あると思うのは、心の中だけ。だっ
たら精一杯、この「今」の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではないのか。子
どもたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そうい
う子ども時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、大切で
はないのか。

 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」
ということは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといって
も、そのつどなすべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。たと
えば私は生徒たちには、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。
それでいい。結果はあとからついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、真
っ先に追い求めたら、君たちの人生は、見苦しくなる」と。

 同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親た
ちは子どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。日本では
「がんばれ!」と拍車をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくてもいい
のよ」と。

ごくふつうの日常会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観の基本的
な違いを感ずる。その違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の意味がわか
らないのではないか……と、私は心配する。

+++++++++++++++++++++

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。価値があるかないかの判断は、あとからすれば
よい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。

私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるか
らではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」
だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違
う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの「ヘアー」を見た。幻想
的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪その人はど
こにいる。私たちがなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、それを教えてくれる人はどこにいる」と。

それから30年。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけ
ではないが、トルストイの「戦争と平和」の中に、私はその答えのヒントを見いだした。
生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は減びるアンドレイ公爵。一方、人
生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福に
なるピエール。そのピエールはこう言う。

「(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること」(第五
編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などというも
のは、生きてみなければわからない。映画「フォレスト・ガンプ」の中でも、フォレスト
の母は、こう言っている。「人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、(そ
の味は)わからないのよ」と。

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャ
ーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みん
な必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、
そしてそれが宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬
時間が止まる。が、そのあと喜びの歓声と悲しみの悲鳴が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみ
あって人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うな
ら、懸命に生きるからこそ、人生は意味をもつ。生きる価値がある。

言いかえると、そうでない人に、生きる意味などわからない。情熱も熱意もない。夢も希
望もない。毎日、ただ流されるまま、その日その日を無難に過ごしている人には、生きる
意味などわからない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子
どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生
きる、その生き様でしかない。

あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほうばりながら、適当に試合をして
いたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういう
ものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生からは、
結局は、何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
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Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『ソーシャル・ネットワーク』  ●教師が親を訴えた?!

 昨夜、映画『ソーシャル・ネットワーク』を観てきた。
ストーリー性に乏しい、ただの映画。
娯楽性も、ほとんどゼロ。
ネット・ユーザーには興味深い映画かもしれない。
が、その範囲。
つまりその範囲に収まる映画。
一般性のある映画ではない。
星は、1つか2つの、★。

 劇場を出たのが、午後11時過ぎ。
そのままワイフと近くのビジネスホテルへ。
そこで一泊。
今朝、早く、帰宅。

+++++++++++++++++++

●「人体の不思議展」

 私は、子どものころから、ああいうのが苦手。
道路にころがっている、動物の死骸を見ただけで、吐き気を催す。
少なくとも、あえてお金を出してまで見たい展覧会ではない。
称して「人体の不思議展」。
この浜松市でも10年ほど前から、ときどきその「不思議展」が、催されている。
で、見てきた子どもたちに「どうだった?」と聞くと、みな「おもしろかった」と。

 おもしろい?
人間(もちろん死体)を、盾に薄く切った現物を、パネルに挟んで展示してある。
それがおもしろい?
学生時代、医学部へ遊びに行くと、よくホルマリン漬けの標本が並べられていた。
臭いも不快だったが、それを見るたびに、私はゾッとした。
私は、「おもしろい」と思ったことは、ない。
それが今では、「展覧会」として、堂々と市中で公開されている。
どんなものかは、直接は見たことがないので、ここではコメントできない。

しかし率直に言えば、ああいうものは、子どもには見せない方がよい。
10人のうち8人までは大丈夫であるとしても、残りの2人の子どもが心配。
大きなショックを受ける。
そのショックが、トラウマ(傷)になることもあれば、ひょっとしたら残忍性の
引き金を引くことにもなりかねない。

 また見せたところで、それがどういう意味があるのか。
どういう教育的効果があるのか。
みながみな、ドクター(医師)になるというわけでもあるまい。
「腹の中には腸がある」と教えて、イラストで見せれば、それですむ。
それを現物まで見せて、「これが腸です」と。
(「人体の不思議展」に、そういうものがあるかどうかは、知らないが……。)

 むしろ映画『ミクロの決死圏』のような提示の仕方のほうが、好ましい。
どこかの大学付属の科学館に、そういうところがあった。
大きな口(これが入り口)を入っていくと、食道や胃を通り、最後は肛門から出てくる。
肛門が出口になっていた。
全体が、大きなお化け屋敷のようになっていた。
そういうものなら、楽しめる。

 「科学展示会」というのは、口実。
実際には、興業屋の金儲け。
私も若いころ、そういう仕事を手伝ったことがあるので、内情をよく知っている。

「人体の不思議展」は、どうか?



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