Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, January 31, 2008

*A Homeless Man

●濃密に生きる

Some home-less people were living underpass in the city, but last night I found there left only one man. Along the pass dozens of flowerpots to exclude home-less people from there. I felt a strong anger about it. I kicked two flower pots besides him and I gave some money to him, saying “Are you all right?” He said “I am sorry.” I came back again to my office and went back to him with two thick cushions and another money.

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「映画も見たい」「山荘へも泊まりたい」
「HPの更新もしたい」「ビデオも制作したい」
「原稿も書きたい」・・・と。

そういうときは、すべてをする。選ばない。

X曜日の夜は、ワイフと2人で、映画を見に
行くことにしている。

で、最近は、その映画を見たあと、一度、
家に寄って、そのまま山荘に行くように
している。

山荘には、古いパソコンが置いてある。
原稿は、それで書ける。

またその途中で、あちこちを回り、ビデオを
撮る。家に帰ってからは、HPの更新をする。
電子マガジンを発行する。

もちろんその間に、仕事もする。講演もする。
加えて、ほかにも、やりたいことが、たくさん
ある。USTREAMで、声も録音したい。

忙しいというより、私には、時間がない。

昨夜も、午前1時ごろまで、ビデオの編集を
した。デニーズの誕生日祝いをしていなかった
ので、孫たちの写真を、ビデオに編集した。

朝は、6時に起きた。再び、編集。ビデオが
できあがったのは、午前9時頃ごろ。ワイフを
書斎へ呼んで、2人で、試写会。そのあと、
そのビデオを、デニーズに送った。

月末は、さらに忙しい。マガジンの翌月号の
準備がある。原稿の整理もしなくてはならない。

BOXというサービスを使って、原稿を、
そこに保存している。BOXというのは、
原稿の倉庫のようなもの。書いた原稿は、
そこに保管する。

午後からは、仕事の準備。教材を用意し、
プリントを作る。が、ここで大切なことが
ある。

できるだけワイフの相手をする。ワイフが
行きたいと言えば、外食することにしている。
家族の主導権は私にあるとしても、その絆(きずな)
をつなぐのは、私の役目。

この世界には、「パソコン未亡人」という言葉も
ある。ワイフをその未亡人にしたくはない。

・・・ということで、今日も、始まった。
がんばろう! あと10年か? それとも
20年か? どうせ、それまでの命。
徹底的に燃やし尽くす。燃やし尽くして、
おしまい。

そのときが来たら、いさぎよく、サラバ。
未練はない。未練は残さない。悔いも残さない。

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●「切符が、どうした?」

 昔、こんな手記を書いた男の人がいた。戦後直後のことだった。その人は、放心状態だった……と思う。戦争で、家も家族も、すべて失っていた。その上、日本は敗戦した。それまでの価値観が、すべて否定されてしまった。

 電車をおりて改札口を出ようとしたときのこと。駅員が、その男の人に声をかけた。「切符は?」と。その言葉を聞いて、その男の人は、ふと我に返った。そしてこう言ったという。「切符ぐらい、何だ!」と。その男の人は、切符をもっていなかった。

 私はときどき、その男の人の話を思い出す。そして今でも、自問する。その男の人の言ったことは、正しかったのか、それともまちがっていたのか、と。その男の人は、「切符がないからといって、それがどうした」と言った。

 実は、今夜も、似たような場面に出くわした。

 私の教室の近くに、地下道がある。その地下道をくぐると、ザザシティと呼ばれる、ショッピングセンターに出る。いつもなら、その地下道に、3~4人のホームレスの男たちが、いる。が、今夜、そこを通ってみると、60センチ長の植木鉢が、通路に沿って、並べてあった。

 ホームレスの男は、一人しか残っていなかった。

 ポケットの中をさぐると、小銭が少しあった。それをすべてその男に渡した。渡しながら、「役人のすることは、せこいね」と声をかけた。植木鉢を並べることで、ホームレスの男たちを、追い出した。

 男は、ただだまって、「ああ、すんません」とだけ言った。とたん、涙が、私の目を濡らした。

 成功者も失敗者も、紙一重。大きくちがうようで、どこもちがわない。ほんの少しリズムが狂っただけで、失敗者は、失敗者になる。今、成功者だと思っている人だって、明日のことはわからない。

 同じ、日本人ではないか。同じ、人間ではないか。同じ、この日本に住んでいるではないか。私有地ならともかくも、通路のすみで小さく身をかがめて生きている人に、どうして、そういうむごいことができるのか? 

 教室へ帰ると、小5のS君が来ていた。私はサイフから1000円を取り出した。S君には、こう言った。「フトンを届けるから、手伝ってくれるか?」と。S君は、すなおに、それに応じてくれた。

S「先生の友だち?」
私「友だちじゃあ、ないよ」
S「・・・」
私「友だちになりたいとは思わない……」と。

 男にザブトン2枚と、1000円を渡した。男は、再び、「すみません」「すみません」と何度も言った。私たちは、そそくさと、その場を離れた。

 「通路を占有したぐらい、何だ!」と思ったとき、あの男の人の書いた手記が、頭の中を横切った。「切符ぐらい、何だ!」と。

 そう、道路を占有したぐらい、何だ!

 役人たちは、中央の官僚は言うにおよばず、市町村の村レベルまで、天下りに天下りを重ねている。それぞれの役人に責任があるわけではないが、一方で、こうした矛盾を放置しておきながら、何が、ホームレスだ!

 昨日も、1台分、5000万円の費用をかけてつくった駐車場の話を書いた。私たちが支払うガソリン税を流用して、どこかのだれかが、そういう駐車場を建設している。もちろんそうした駐車場は、役人たちの天下り先になっている。しかも、だ。土地代は、ただ。収入として入ってくる駐車料金は、すべて自分たちで使っているという(報道番組)。

 言うなれば、この世の中、矛盾だらけ。ホームレスの男と、駐車場とを直接結びつけることは、正しくないかもしれない。それはわかっている。わかっているが、「切符ぐらい、何だ!」

 実は、私は若いころは、こう考えた。いくら終戦直後であっても、法治国家なのだから、無銭乗車は許されない、と。

 しかし今は、ちがう。無銭乗車を擁護するわけではないが、私がそのときの男の人なら、私も、同じように言っただろう。「切符ぐらい、何だ!」と。

 ……だから、あえて浜松市の役人たちに、もの申す。

 通路に、必要もないような植木蜂を並べて、ホームレスの男たちを追い出すような、小細工はやめろ! どうして地下道に、植木鉢なのか? 彼らには、あそこしか住むところがない。公衆トイレも近い。洗面は、近くのショッピングセンターですますことができる。

どうして、そんなことがわからないのか、バカヤロー!