Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, February 03, 2008

*Ghost

*●ゴースト(Ghost)

Unfortunately in case you have unrepected parents, stop criticizing your parents. Or you will be the same man and woman as your parents. This is called “Ghost”, I name.

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不幸にして、親らしからぬ親をもった人は、
親を批判しても意味はない。
批判すればするほど、今度は、あなた
自身が、あなたの親そっくりの人間に
なる。

いつか反面教師の限界論について書いた。

ある人を、親なら親でもよいが、反面教師
にしていると、いつの間か、自分自身も
その反面教師そっくりの人間になってしまう。

もう少しかみくだいて説明してみよう。

仮に今、あなたがあなたの親を、猛烈に
批判しているとしよう。
「私の親は、おかしな親だ」「私は、ああいう
親にはなりたくない」「ああいう親だけには
ならない」と。

しかしその関係が濃密であればあるほど、
やがてあなた自身も、あなたの親そっくりの
親になる。

理由がある。

なぜなら、あなたは、そういう親しか
しらないからである。親を批判しながら、
実は、あなた自身が、あなた自身の中に、
あなたの親そっくりのコピー人間を
つくっている。

たとえばある女性は、若いころ、自分の
母親を、猛烈に批判していた。
「ウソつきだ」「ずるい」「人の悪口ばかり
言う」と。

しかしそれからちょうど30年。
今度は、その女性が、その女性の母親そっくり
の人間になっていた!

……というような例は多い。

私も、高校生のとき、英語教師の教え方が、
大嫌いだった。こまかく書いても意味が
ないので、このあたりは省略する。
が、しかしあるとき、私は、その英語教師
そっくりの教え方をしている自分を知った。

どこかの予備校で、英語の講師をしていた
ときのことである。

それもそのはず。

私は高校生のとき、その英語教師を批判
しながらも、その英語教師の教え方しか
知らなかったからである。

では、どうするか?

ある人を、親なら親でもよいが、反面教師
にするならするで、その人を乗り越えた
ところで、自分を作らなければならない。

もっと言えば、それがあなたの親なら、
その親が、愚かで、小さな人間に見える
ようになるまで、自分を高めなければならない。

わかりやすく言えば、あなたがあなたの親を相手に
しなくなるまで、自分を高める。

その努力を怠ると、結局は、あなた自身も、
あなたの親そっくりの、つまりは反面教師
そっくりの人間になる。

ユングという学者は、「シャドウ」という
言葉を使った。親のもつ邪悪な部分を
子どもが引き継ぐ現象を説明するのに、
ユングは、その言葉を使った。

それに似ているが、私は、こうした現象を
「ゴースト」という言葉を使って説明する。

親子というのは、そういうもの。
よきにつけ、悪しきにつけ、あなたは
親の影響を大きく受ける。先にも
書いたが、その関係が濃密であればあるほど、
そうである。

それがよいものであれば、問題はない。
しかしそれが悪いものであれば、まず、
それに気がつく。同時に、批判などやめて、
自分をそれ以上に高める。

でないと、あなた自身が、ここでいう
ゴーストを引き継ぐことになる。

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●親の悪口

この日本では、親の悪口を言うのは、
タブーということになっている。

「いくら悪くても、親は親」と言う
人は、多い。「親の悪口を言うのは、
子として失格」などと言う人も、多い。
悪しき儒教の影響と考えてよい。

しかしどうしてタブーなのか?

いろいろな親を見てきたが、「どう
してこんな人が親?」と、首をかしげたく
なる人も、これまた多い。

また「親の愛は、海よりも深い……」とか
言う人も多い。

しかしその実、つまり「愛」という言葉を
使いながら、それが溺愛であったり、
代償的愛(=親の身勝手な一方的な愛)で
あったりする。そういうケースは、多い。

世の中には、親をだます子がいるが、
一方、子をだます親だっている。
子どもの財産をまきあげ、それを自分の
ものにしてしまう親だっている。

そこでその子が、親に、「どうしてそんな
むごいことをするのか!」と泣きながら
抗議したところ、その親は、こう答えた
という。

「親が先祖を守るために子の財産を使って、
何が悪い!」と。

とんでもない論理だが、悪玉親意識、さらに
は封建時代の家意識に染まると、それがわから
なくなる。

「産んでやった」「育ててやった」「親は絶対」と。
そういう言葉を、平気で口にする。
「親絶対教」の信者ともなると、なおさらである。

しかしこの段階で、そうした親を批判して
も意味はない。

批判すればするほど、反対に、その毒牙
にかかってしまう。いや、その前に、そういう
親をもった子の苦悩には、はかり知れないもの
がある。

ある男性(当時45歳)は、こう言った。
「私は毎晩、寝る前になると、悔しさと
怒りで、体がほてりました。それが10か月
近くもつづきました」と。

不幸にして親らしからぬ親をもった人は、
親を批判しても意味はない。
批判すればするほど、今度は、あなた
自身が、あなたの親そっくりの人間に
なる。

だから乗り越える。無視する。相手に
しない。そして自分を高める。

あなたはあなたで、自分の道を歩めば
よい。

やがてあなたの親が、あわれで、ちっぽけな
人間に見えてくる。

そのとき、あなたは、ゴーストと決別
することができる。

さてここに書いた男性だが、今は、
こう言っている。

「そのあとも、私の母は、あれこれ
口実をつくっては、私をだましては、
お金を取っていきました。

私はだまされたフリをして、母に
お金を渡してきました。今では、
懸命にサル知恵をしぼって、私を
だまそうとする母が、あわれで、
かわいそうに見えるようになりました。

妻にもこう言うときがあります。
『あのバーさん、またぼくたちを
だまそうとしているよ』とね。

それを聞いて、妻も笑っています」と。

その男性は、母親のゴーストと決別
できたことになる。

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親といっても、ある年齢以上になると、
進歩を停止する。

早い人で、20代、遅い人でも40代で
進歩を停止する。

その段階で、脳みそが硬直化する。

そして一度硬直化が始まると、今度は
過去へ、過去へと、退化し始める。

特別な訓練でもしないかぎり、
(仏教ではそうした訓練を、「精進」と
呼ぶが……)、その親の進歩など、
望むべくもない。

つまりやがて子どものほうが、親に
追いつく。(追いつけないまま、親
以下に、退化する子どもも、少なく
ないが……。)

そのとき、対等の人間として、親と
子は、面と向かい合うことになる。

つまり親であることには、それなりの
きびしさが伴うということ。

その(きびしさ)を忘れて、親は
親であることはできない。

常に精進あるのみ。その努力を
怠ったとたん、結局はみじめな思いを
するのは、あなた自身ということに
なる。

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ここで私は「退化」という言葉を使ったが、
その内容は、さまざま。

いちばん多いのが、ループ状態。
毎年、毎月、毎日、同じことを考え、
それを口にするようになる。

それについては、今までたくさんの
原稿を書いてきた。