*Those who have hunger in theri minds
●心にキズを負った人たち(Men who have deep hunger)
Just try to give warm blankets to those home-less people, then you will know what it is. But do not expect anything from them. When you are deceived by them, just forget it and forgive it. Only one thing you can do is just to walk away from them. They are the people who have deep hunger in their minds. You are too much blessed to understand or to kiberate their minds.
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「先生は、ホームレスの人たちと
友だちか」と、子どもたちは、私に
よく聞く。
私は、「友だちではない」と答える。
「友だちになりたいとは思わない」と
答える。
「友だちにはなれない」と答えるとき
もある。
相手がどう感じているかは、私は、
知らない。わからなくても、よい。
「私はいいことをした」とか、
「あの人たちは感謝しているはず」とか、
そんなことは、考えてはいけない。
私はすべきことをして、そして
目を涙で濡らす。別れる。忘れる。
ホームレスの人たちは、みな、
病んでいる。心に大きなキズを
負っている。
そのキズは、あまりにも深く、大きい。
それがわかったら、私たちは、
だまって静かに、別れる。忘れる。
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教室の近くに小さな公園がある。そこにも、3、4人のホームレスの男たちが、寝泊まりしている。ホームレスの中でも、恵まれた男たちである。登山家が使うような、大きく、がんじょうなテントをもっている。その中に住んでいる。
その中の1人が、ときどき、公園の隅で店を開く。どこかで拾ってきたものを、そこに並べる。ブリキのおもちゃに瀬戸物など。小さな植木鉢に、観葉植物を埋めたものもある。値段は、けっして、安くない。5~7センチもないような観葉植物でも、500円前後。
どうせ根など、ついていない。どこかで手に入れた葉を、植木鉢にさしただけ。今まで、何個か買ったことがあるが、どれもそうだった。そのまま枯れてしまった。
しかし私は、「また買いにきたよ」と言って、それを買う。男は、こう言う。「水はやってよ」「水は、やりすぎては、いけないよ」と。私は笑って、「またいいのがあったら、買うよ」と言って別れる。
心に大きなキズを負った人たちである。そのキズを感じたら、だまされても、だまされたフリをして、その場を去る。そして再び、また、だまされてやる。そのキズは、私やあなたが、少しぐらい親切にしてあげたからといって、癒(いや)されるものではない。私やあなたが、どうこうできるものではない。
心に病気をもった人も多い。そういう病気を感じたら、そっとしておいてやる。何も期待してはいけない。何も求めてはいけない。私は、子どもたちにこう言う。
「友だちというのはね、おたがいに、心を交換する人のことだよ」と。
私のような人間に、心の交換など、できるはずもない。私は、彼らにすれば、恵まれすぎている。その恵まれすぎている私が、どうやって、彼らの心を溶かすことができるというのか。
でもね、みなさん。みなさんも、一度でよいから、ああした人たちに、やさしい言葉をかけてやってみてほしい。「寒くありませんか?」「おなかはすいていませんか?」「何か、食べましたか?」と。
あなたの家に古着があるなら、あなたの家に、使っていない毛布やクッションがあるなら、そっと、それを手渡してみてほしい。
……そのあとのことは、あなたは自分で知る。あのマザーテレサは、こう言った。「みな、イエス・キリストだ」と。その意味が、あなたにも、わかるはず。
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●紙一重(Nothing is different)
What is the difference between the rich and the poor? Nothing! But do not have to grieve your lives. Once you live alive in a moment of the day, you will know the truth of the life.
成功者も失敗者も、紙一重。
健康な人も、病気な人も、紙一重。
幸福な人も不幸な人も、紙一重。
長生きしている人も、短命な人も、紙一重。
どこもちがわない。ちがうはずがない。
私は成功者と思う人も、
健康な人も、
幸福な人も、
長生きしている人も、
明日のことはわからない。
が、わからないからといって、嘆くことはない。
不安に思うこともない。
無益に生きる10年に、どれほどの意味があるというのか。
20年でも、30年でもよい。
明日も今日と同じという人生に、どれほどの意味があるというのか。
たった一日の、そのまた瞬間に、自分を燃やすこともできる。
それを「生きる」という。
あなたが今、ここにいて、生きているなら、
その生きていることを、みなに、伝えよう。
みなに、返していこう。
それが生きるということ。
美しく生きるということ。
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