Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Friday, March 21, 2008

*Diary from March 21st, 2008

【3月21日】

●離婚問題(Divorce for My Case)

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恐る恐る、聞いた。
とうとう、聞いた。

「お前なあ、ぼくと別れたいなら、別れてやってもいいよ。
いろいろ苦労もかけたし……。
ぼくのほうが、この家を出ていっても、いいんだよ」と。

するとワイフは、こう言った。

「何、言っているのよ。
私は、そんなこと、ゼンゼン、考えてないわよ」と。

私「ゼンゼンって?」
ワ「あなた、どうかしてるんじゃない、ない? そういうふうに考えるのは、
うつ病だからじゃ、ない?」
私「でも、お前って、そういう雰囲気をもっているよ」
ワ「ないわよ……」
私「だってさあ、結婚なんて、こりごりとか、そういうふうに言うじゃない」
ワ「そりゃあ、そういうふうに言うこともあるけど、そのときは、そのときよ」と。

ホ~~~ッ! クビがつながった?

熟年離婚というのは、私の年代の男たちにとっては、深刻な問題。
ほとんどのばあい、夫である男たちが気がつかないところで、
妻である女のほうが、先に心の準備を始めてしまう。

で、ある日、突然、妻の方から、別れ話を切り出される。
夫のほうが、狼狽(ろうばい)する。うろたえる。

まあ、夫のほうがビクビクしながら生きるのも、よいのではないか。
つまりワイフの前では、夫たるもの、それくらい謙虚に生きた方がよい。

私「ぼくね、お前に離婚されたら、ひとりぼっちになってしまうよ」
ワ「わかっているわよ。あなたって、かわいそうな人ね」
私「うん」と。

今しばらくは、私の家庭も、安泰なようだ。


Hiroshi Hayashi++++++++MAR.08++++++++++はやし浩司

●新製品(iPod Touch)

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S社のW-マンを買って、数か月になる。
で、たまたまパソコンショップへ足を運んでみると、
そこにA社の、iPod Touchというのが目にとまった。

何となくすごいとは思っていたが、これほど、すごいものだとは、
思っていなかった。

三男がたまたま帰省していたので、「買ってあげようか?」と
声をかけると、英語式に、「Thank you」と。

それでそれを買ってやった。
メモリーは、(8GB)のでよいと言ったので、それにした。

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いったい、この世界は、どこまで進歩するのだ!

こんどのiPod Touch は、YOU TUBEをそのまま
ダンロードできる。インターネットの端末機としても、
もちろんそのまま使える。

驚いたことに、世界の地図が、まるごと、そのまま入っている。
1時間ほど、さわらせてもらったが、驚きの連続。

フ~~ン、ヘ~~エ、と。

大きな画面で、タッチ操作できるところも、すばらしい。
軽くトントンと2度たたくと、画面が拡大されたり、
あるいは2本の指で、画面をはさむようにこすると、
縮小したりする。

S社には悪いが、これでは勝ち目はない。
デザインも、劣る。
改めて、自分のW―マンをながめる。
そしてこう思った。

「かつての日本は、こういうヒット作を、つぎつぎと売り出し、
現在の地位を確立した。その元気は、どこへ消えたのか」と。

タッチパネルにしても、もとはといえば、日本の技術者の
発明である。

「ぼくもほしいなあ」と思ったところで、おしまい。
今しばらくは、W-マンを使うしかない。

心のどこかで引け目を感じながら……。


●若い人たちのBLOG

このところよく若い人たちのBLOGを読む。
参考になる。おもしろい。

「そういうものでもないんだがなあ」と思う半面、
同時に、「私も若いころは、そうだったなあ」と思う。

若い人たちは若い人たちなりに、懸命に模索している。
そこにある何かをつかもうと、がんばっている。

一方、私について書いているBLOGも、ある。
数年前までは、そういうのを読むのが、こわかった。
できるだけ読まないようにしていた。

が、最近は、一歩退いて、醒(さ)めた目で読むことが
できるようになった。

もちろん中には、私のことをボロクサに書いているのもある。
「まだ、あのオッサン、がんばっているようだな」とか、何とか。
私が書いた「ポケモン・カルト」が、よほど気にくわなかったらしい。

しかしそれも、一面。
そういう一面が無数に集まって、今の私がある。
そこは謙虚に反省しよう。

ところでその「ポケモン・カルト」だが、あの本は、ポケモンという
ゲームを通して、人間がもつカルト性を問題にしたもの。
ポケモンそのものは、コミック雑誌の主人公にすぎない。

その本の冒頭の部分を紹介しよう。

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●はびこるカルト信仰

 ある有名なロックバンドのHという男が自殺したとき、わかっているだけでも女性を中心に、3~4名の若者があと追い自殺をした。家族によって闇から闇へと隠された自殺者は、もっと多い。自殺をする人にはそれなりの人生観があり、また理由があってそうするのだろうから、私のような部外者がとやかく言っても始まらない。しかしそれがもし、あなたの子どもだとしたら……。

 1997年の3月、ヘールボップすい星が地球に近づいたとき、世にも不可解な事件がアメリカで起きた。「ハイアーソース」と名乗るカルト教団による、集団自殺事件である。

当時の新聞記事によると、この教団では、「ヘールボップすい星とともに現われる宇宙船とランデブーして、あの世に旅立つ」と、教えていたという。結果、39人の若者が犠牲になった。

この種の事件でよく知られている事件に、1978年にガイアナで起きた人民寺院信徒による集団自殺事件がある。

この事件では、何と914名もの信者が犠牲になっている。なぜこんな忌まわしい事件が起きたのか。また起きるのか。「日本ではこんな事件は起きない」と考えるのは早計である。子どもたちの世界にも大きな異変が起きつつある。現実と空想の混濁が、それである。

あの「たまごっち」にしても、あれはただのゲームではない。あの不可解な生きもの(?)が死んだだけで、大泣きする子どもはいくらでもいた。そして驚くなかれ、当時は、あのたまごっちを供養するための専門の寺まであった。ウソや冗談で供養しているのではない。本気だ。本気で供養していた。中には手を合わせて、涙を流しているおとなもいた(NHK『電脳の果て』)。

さらに最近のアニメやゲームの中には、カルト性をもったものも多い。今はまだ娯楽の範囲だからよいようなものの、もしこれらのアニメやゲームが、思想性をもったらどうなるか。

仮にポケモンのサトシが、「子どもたちよ、21世紀は暗い。一緒に死のう」と言えば、それに従ってしまう子どもが続出するかもしれない。そうなれば、言論の自由だ、表現の自由だなどと、のんきなことを言ってはおれない。あと追い自殺した若者たちは、その延長線上にいるにすぎない。

 さて世紀末。旧ソ連崩壊のときロシアで。旧東ドイツ崩壊のときドイツで、それぞれカルト教団が急速に勢力を伸ばした。社会情勢が不安定になり、人々が心のよりどころをなくしたとき、こうしたカルト教団が急速に勢力を伸ばす。終戦直後の日本がそうだったが、最近でも、経済危機や環境問題、食糧問題にかこつけて、急速に勢力を拡大しているカルト教団がある。

あやしげなパワーや念力、超能力を売りものにしている。「金持ちになれる」とか「地球が滅亡するときには、天国へ入れる」とか教えるカルト教団もある。

フランスやベルギーでは、国をあげてこうしたカルト教団への監視を強めているが、この日本ではまったくの野放し。果たしてこのままでよいのか。子どもたちの未来は、本当に安全なのか。あるいはあなた自身はだいじょうぶなのか。あなたの子どもが犠牲者になってからでは遅い。このあたりで一度、腰を落ちつけて、子どもの世界をじっくりとながめてみてほしい。

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これだけ読んでもらっても、「ポケモン・カルト」の本旨というか、
書いた目的がわかってもらえるはず。

が、その読解力もない(?)。

この種の読者は、(ポケモンを批判された)ことを、そのまま(自分が
否定された)と勘違いしてしまうらしい。
あるいはタイトルしか、読んでいない?
もう少し中身までじっくりと読んで、その上で、批評してほしかった。

ともかくも、先ほども、いくつかのBLOGをのぞいてみた。
おもしろかったのは、ある女性の書いている料理レシピのBLOG。

「なかなかおいしそうだな」と感心して、そのBLOGを閉じようとして、
そのとき気づいた。

表題に、「ワンちゃんのレシピ」と書いてあった。
何と、ペットの犬の料理法について書いたBLOGだった!

「みんな、一生懸命なんだなあ」と思って、今度はほんとうにそのまま
そのBLOGを閉じた。