*There was a child treated by mother cruelly….
●悲しき子どもの心
There was a child treated by mother cruelly….
母親に虐待されている子どもがいる。で、そういう子どもを母親から切り離し、施設に保護する。しかしほとんどの子どもは、そういう状態でありながらも、「家に帰りたい」とか、「ママのところに戻りたい」と言う。それを話してくれた、K市の小学校の校長は、「子どもの心は悲しいですね」と言った。
こうした「悲しみ」というのは、子どもだけのものではない。私たちおとなだって、いつもこの悲しみと隣りあわせにして生きている。そういう悲しみと無縁で生きることはできない。家庭でも、職場でも、社会でも。
私は若いころ、つらいことがあると、いつもひとりで、この歌(藤田俊雄作詞「若者たち」)を歌っていた。
♪君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで
もしそのとき空の上から、神様が私を見ていたら、きっとこう言ったにちがいない。「もう、生きているのをやめなさい。無理することはないよ。死んで早く、私の施設に来なさい」と。しかし私は、神の施設には入らなかった。あるいは入ったら入ったで、私はきっとこう言ったにちがいない。「はやく、もとの世界に戻りたい」「みんなのところに戻りたい」と。それはとりもなおさず、この世界を生きる私たち人間の悲しみでもある。
今、私は懸命に生きている。あなたも懸命に生きている。が、みながみな、満ち足りた生活の中で、幸福に暮らしているわけではない。中には、生きるのが精一杯という人もいる。あるいは生きているのが、つらいと思っている人もいる。まさに人間社会というワクの中で、虐待を受けている人はいくらでもいる。が、それでも私たちはこう言う。「家に帰りたい」「ママのところに戻りたい」と。
今、苦しい人たちへ、
いっしょに歌いましょう。
いっしょに歌って、助けあいましょう!
若者たち
君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで
君のあの人は 今はもういない
だのになぜ なにを探して
君は行くのか あてもないのに
君の行く道は 希望へと続く
空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた 歩きはじめる
空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた 歩きはじめる
作詞:藤田 敏雄
そうそう、学生時代、NW君という友人がいた。10年ほど前、くも膜下出血で死んだが、円空(えんくう・17世紀、江戸初期の仏師)の研究では、第一人者だった。その彼と、金沢の野田山墓地を歩いているとき、私がふと、「人間は希望をなくしたら、死ぬんだね」と言うと、彼はこう言った。「林君、それは違うよ。死ぬことだって、希望だよ。死ねば楽になれると思うのは、立派な希望だよ」と。
それから35年。私はNW君の言葉を、何度も何度も頭の中で反復させてみた。しかし今、ここで言えることは、「死ぬことは希望ではない」ということ。今はもうこの世にいないNW君に、こう言うのは失敬なことかもしれないが、彼は正しくない、と。何がどうあるかわからないし、どうなるかわからないが、しかし最後の最後まで、懸命に生きてみる。そこに人間の尊さがある。生きる美しさがある。だから、死ぬことは、決して希望ではない、と。
……いや、本当のところ、そう自分に言い聞かせながら、私とて懸命にふんばっているだけかもしれない……。ときどき「NW君の言ったことのほうが正しかったのかなあ」と思うことがこのところ、多くなった。今も、「若者たち」を歌ってみたが、三番を歌うとき、ふと、心のどこかで、抵抗を覚えた。「♪君の行く道は 希望へと続く……」と歌ったとき、「本当にそうかなあ?」と思ってしまった。
(02-11-20)
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