Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, March 04, 2008

*Trouble between a parent and its son

●今朝・あれこれ(3月3日)(March 3rd)
My mother was carried to a hospital by ambulance car, since she lost consciousness in that morning. She received some medical checks but she recovered her consciousness around that time. And in the next day I sent her back to the Center. In the car with my mother, I thought a lot of things. My mother is me myself of 20 0r 30 years later.

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このところ母の容体が、よくない。
今年に入ってから、これで2回、
救急車で、病院へ運ばれた。

今朝は、朝食後、意識がなくなって
しまったという。

あわててかけつけると、母は、酸素
吸入器を口につけ、ハーハーと
あえいでいた。血圧は、90弱~70
前後。

母にしては、異常な低さである。

大声で声をかけると、意識はもどった。
つきそいの看護士の方が、「一時的
だといいですね」と言った。

母を見ていると胸が詰まった。
姉だけには連絡を……と思って
電話をかけたが、つぎの言葉が出て
こなかった。

「今朝まで、ちゃんと朝食をとって
いました」とのこと。
午後からはワイフに任せた。
私は自宅にもどった。

……この静けさは何か?
この穏やかで、やわらいだ気分は何か?

カーテンを見ると、白い光が、
木々の小枝の影を、くっきりと
映し出している。

その向こうで、隣の屋根瓦が、キラキラと
光っている。

風もない。
寒さも、やわらいだ。

ワイフからの連絡を待つ。
今の私には、それしか、することがない。
静かに、静かに、どこまでも、静かに。

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(3月5日)

幸い、母は、たいしたこともなく、
「様子見入院」だけですんだ。

で、病院に1泊して、翌日(=昨日)、センターに戻った。
帰りは、タクシー会社の、寝台つきバンだった。
そのバンの中で、いろいろ考えた。

センターでは、母は、(お荷物)に
なり始めているらしい。
今年に入って、寝たきりの状態がつづいている。
だからといって、センターの人を責めているのではない。
センターとしても、できることには限界がある。
それはわかる。

一方、病院側には、病院側の論理がある。
治療が目的。
「治る見込みのある患者を治すのが、病院の役目」。
どこかの医師も、そう言っていた。老人を預かる施設ではない。

とくに母のように、とくにどこかが悪いという
わけでもない老人は、患者ではない。

医師もこう言った。「何かあっても、延命措置は
取りません」「寿命ですから」と。

その日の午後には、心電図検査を予定して
いたが、私がキャンセルした。

私が「しても意味はないですね」と言うと、
医師も、すんなりと、「そうですね」と。

……私たちも、いつかは、母のようになる。
母のようになるのが、どうこうというのではない。
現在の母が置かれているのと、同じような、立場に置かれる。

そのとき、医師も含めて、周囲の人たちは、
私たちを、どう扱うか。

「いつ死んでも仕方ない」という扱い方をするだろう。
治療といっても、治療の方法すらない。

一方、たとえば病院に、1週間も入院していると、
センターのほうでは、母の居場所が末梢されてしまう。
そうでなくても、入居を待っている人は多い。

医師もこう言った。

「そうなったら、どこかのセンターに再入居する
しかないですね」と。

しかし今度は、そうは簡単にいかない。
再入居するのに、数か月待ちということになったら、
その間、母は、どこにいればよいのか。

「やはりセンターに戻してもらったほうがいい」という
ことで、母は、センターに戻してもらった。

老人介護、老人医療には、いろいろ問題があるようだ。
そんなことを帰りのバンの中で、考えた。

見た目には、スヤスヤと眠っている母を見ながら……。

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介護のコツは、介護のことを考えているときと、
そうでないときで、頭の切り替えを、しっかりと
すること。

仕事にもどったり、家庭にもどったりしたら、
介護のことは忘れる。母のことは、忘れる。

「死んだら、死んだとき」と。

なかなかむずかしいことかもしれないが、
そこまで割り切らないと、気苦労だけが倍加してしまう。

ものごとは、なるようにしかならない。
「なるようにしかならない」と自分に言い聞かせて、
心の中を、サッと洗う。

ところで、こんな話を聞いた。

参観に来ていた母親に、「親の介護もたいへんですよ」と、
私がふと漏らすと、その母親は、こう言った。

「私の夫なんかは、母(=夫の実の母親)を見舞ったことは、
めったにありませんよ」と。

その母(=夫の実の母親)というのは、入院して、2年になるという。
事故で頭をけがしてからというもの、認知症に
なってしまったという。

年齢を聞くと、その母(=夫の実の母親)は、まだ60歳とか。

私「若いのに……。60歳で、寝たきりですか……」
母「そうですね」
私「でも、また、どうして? どうして、2年も……?」
母「いろいろありましたから」と。

親子の間で、私には想像もつかないような確執があったらしい。

私「親子関係といっても、さまざまですからね」
母「そうですね」
私「……」と。

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それぞれの家庭には、それぞれの事情がある。
外からでは、ぜったいにわからない。
だからあなたがもっている(常識)だけで、
その家庭を判断してはいけない。
一方的な話だけを聞いて、判断するのも正しくない。

仏教の世界にも、「怨憎会苦(おんぞうえく)」という
言葉がある。

「憎い相手と会う苦しみ」という意味だが、
親子であっても、どこかで歯車が狂うと、そうなる。
親子であるがゆえに、その苦しみも大きい。

さらに兄弟、姉妹となると、憎しみ合っている人は、
ゴマンといる。
遺産問題、金銭問題がからんでくると、兄弟、姉妹でも、
それこそ、血みどろの争いになる。
そういう例も、これまたゴマンとある。

そういう相手と会う……それはまさに、「怨憎会苦」。
「四苦八苦」のひとつにもなっている。

では、どうするか?
そうしたトラブルから、いかにして自分を救出するか?

つまりは、相手が、サルかイヌに見えるまで、
自分を高めるしかない。
(言葉はキツイが、それくらいに思わないと、この問題は
解決しないので、そう書く。)
が、「サルだと思え」「イヌだと思え」と言っても、
それはむずかしい。

だから自分を高める。
芸術に親しみ、本を読み、教養のある人と話をする。
その結果として、相手が、サルかイヌに見えるまで、
自分を高める。

私のばあいも、同じような立場に立たされたことが、
何度か、ある。
そういうときは、心の中で、歌を歌っていた。

(一度は、思わず、口が動いてしまい、相手に
バレそうになってしまったこともあるが……。)

言いたい人には言わせておけばよい。
思いたい人には、思わせておけばよい。

相手は、サルはサル。イヌはイヌ。どうせその程度の人間。
人間と言うよりは、サルかイヌ。
あなたが相手にしなければならないような人ではない。
また「わからせよう」と思っても、ムダ。
それだけの知恵もない。頭もない。

あとは無視。適当につきあって、それですます。

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こんな例を、ワイフが話してくれた。

「2年どころか、10年間、一度も、実の母親を
見舞っていない人もいるわよ」と。

その人を、Z氏(50歳、男性)としておく。

実の母親というのは、10年前に認知症になり、
今年85歳になるという。

「どうして、そうなったの?」と聞くと、ワイフが、
こう話してくれた。

ワ「もとはと言えば、Z氏が、今の奥さんと結婚するため、
家を出たのが始まりみたい。
1人息子だったのね。
そこでZ氏の母親が、猛反対。『結婚して家を出るなら、
今までお前にかけた、養育費を全部、返せ!』という
ことになったのね。
一時は、裁判沙汰にまでなったそうよ。
で、親子の関係は、それで切れてしまったというわけ」

私「養育費を返せというのも、ふつうではないね」
ワ「でも、そういう親も、多いわよ。私の知っている
別の人(=男性)なんか、いまだに実の親に、『お前にかけた、
学費を全部、返せ」と言われているそうよ。額は、
3000万円だってエ!」
私「でも、そんなことを親のほうが言えば、親子関係は、
おしまいだよ」
ワ「そうね。親もそのつもりではないかしら。Z氏の
母親にしてもそうよ。つまり親のほうから、先に縁を
切ってきたというわけ。だから、それでおしまい」

私「Z氏が家を出たというのも、わかるような気がする。
そういう親だから、家にはいたくなかったんだろうね。
つまりそういうことをしそうな親だということが、Z氏には
わかっていたんだよ」
ワ「そう、Z氏が家を出たから、親子関係が切れたのではなく、
すでに、Z氏が家にいるころから、切れていたのね。
それにZ氏の母親は、気づかなかっただけなのね」と。

表面的な部分だけを見れば、Z氏は、「子らしからぬ子」と
いうことになる。

事実、ごく最近まで、Z氏は、母親の兄(伯父)に、「お前は
親不孝者」と、ののしられていたそうだ。

Z氏の苦しみも、また大きい。……大きかった。

ワ「だから、今でも、Z氏は、実家の近くにさえ近寄らない
そうよ」
私「わかるね、その気持ち。とても、よくわかる」
ワ「Z氏にしてみれば、子どものときからの積み重ねも
あるから……。私の友だち(女性)にも、結婚して以来、
一度も実家に帰っていない人がいるわよ」
私「何年くらい?」
ワ「私より10歳くらい若いから、ざっと計算しても、
20年近くじゃ、ないかしら……」
私「20年ネエ~。よほどのことがあったんだろうね」
ワ「そうね……。よほどのことがあったんでしょうね」と。

そんなわけで、もし今、あなたが、どこかのだれかに、
その家の家庭問題であれこれ言っているようなら、
すぐやめたほうがよい。

あなたは気がついていないかもしれないが、
言われた人は、死ぬほど苦しい思いをしているはず。
あなたは親切心のつもりで言っているかもしれない。
もしそうなら、おカネを出してやったらよい。

それができないなら、だまっていること。
口を出すことくらいなら、だれにだって、できる!

ともかくも、これから母を見舞いに行ってくる。

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