Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, April 20, 2008

This world is the Heaven itself

【4月21日】(月曜日)(April 21st, Monday)

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昨日は、ほんとうにさわやかな一日
だった。

私とワイフは、近くの弁当屋で弁当を
買い、佐鳴湖の湖畔で、それを食べた。

その前に、浜名湖まで行こうとしたが、
大渋滞で、断念。

あちこちを回って、結局、佐鳴湖へ。

(佐鳴湖(さなるこ)というのは、
浜松市内の西にある、縦2キロ、幅
1キロの小さな湖。)

近くで、珍しくも琵琶(びわ)の
練習をしている人が2人いた。

BGMは、生演奏!、ということで、
さらに弁当がおいしかった。

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●彼岸論(Heaven)
They say when we die, we will go to the heaven. But I think this world itself is the heaven. This means we live in the heaven!

この世(此岸)と、あの世(彼岸)。
この世があるなら、かならず、あの世もある。
この世だけが、(大宇宙)と考える方が、おかしい。

そこでもう一度、考えてみる。

「この世があの世なのか。それとも、あの世がこの世なのか」と。

この世だって、あの世から見れば、「あの世」。
あの世へ行けば、今度は、この世が、「あの世」。
どちらでもよい。

つまり、この世は、あの世。

美しい景色を見ながら、私は、そんなことを考えた。

私「あのなア、どこかメタボリックな弁天様が、半分、オッパイ出して、琵琶を弾いている……。そんなあの世へは、行きたくないよ。それに聞くところによると、あの世は、真っ白けだそうだ。つまらない世界だね」
ワ「私も、どうせ住むなら、こちらの世界のほうがいいわ」
私「だろ……。黄緑色の若葉、それに水色の空……。この世のほうが、ずっと美しい。この世のほうこそ、あの世かもしれないよ」
ワ「そうねえエ~」と。

私は最近、この世のほうが、実は、あの世ではないかと思い始めている。
あの世のほうが実は(現世)で、そこで死んだ人たちが、この世へやってくる。

たしかにこの世(此岸)は、未熟で不完全かもしれない。
が、その分だけ、楽しさにあふれている。
努力次第では、それこそ神のような人間にもなれる。

かりにあの世(彼岸)があるとしても、この世(此岸)よりすばらしいところとは、とても考えられない。

ワ「じゃあ、あの世って、どんなところ?」
私「きっと、生老病死がごちゃごちゃになった、恐ろしいところかもしれないよ」
ワ「そう……?」
私「きっとそうだよ。そこで行いのよかった人たちだけが、この世へやってくることができる。つまりこの世こそが、あの世というわけ。この世こそが、実は、天国というわけ。極楽でもいい」
ワ「フ~ン。……でもね、あの世では、永遠に生きられるということだそうよ」

私「ハハハ、そんなのは、相対的なものにすぎない。ぼくたち人間は、70~90歳まで生きられる。しかし、宇宙の時間では、3100万年分かもしれない」
ワ「じゃあ、あの世の人たちは、寿命が短いということ?」
私「かもね。自分たちは、70~90歳まで生きているつもりかもしれない。しかし、宇宙の時間では、ほんの数秒かもしれない」
ワ「わけのわからない話ね」と。

要するに、この世(此岸)こそが、天国であり、極楽であると思って生きるということ。
それが大切ということ。

あとは、個人の問題。

与えられた人生は同じでも、パチンコをしたり、野球中継を見ながら時間をつぶす人もいる。
一方、真・善・美の追求に、命を燃やす人もいる。

愚かな人は、自分たちが天国にいることも知らず、時間を無駄にする。
賢い人は、自分たちが天国にいることを知って、時間を大切にして過ごす。

どちらがどうというのではない。
あくまでも個人の問題。

ワ「じゃあ、私たちは、死んだら、どうなるの?」
私「この世がゴールだから、あの世はもうないかもよ」
ワ「あの世のあの世は、ないってことね」
私「……わからない。まあ、ないという前提で生きる。死んだとき、あの世がさらにあれば、もうけもの。死んでからのお楽しみ、というわけ」と。

大切なことは、この世(此岸)のあとに、あの世(彼岸)はないという前提で、この世を懸命に生きるということ。
あの世があると思って、この世の人生を無駄にしてはいけない。

たとえば時間の使い方にしても、使い方の問題。使い方によっては、ふつうの人の何倍も濃く生きることができる。
1日を、1年のようにして生きることができる。

反対に時間の使い方をまちがえると、1年を、1日のように生きてしまうかもしれない。
同じ「70~90年」といっても、人、それぞれということ。

どちらが損とか、得とかいうことになれば、もう結論は出ている。
あとは、懸命に生きればよい。
それだけ。
ほんとうに、それだけ。

さあ、今日も、がんばろう!