What is "normal" for children?
●ふつうの基準(ケアセンターで)What is “normal”?
What is “normal”? And what is not “normal”? It is often hard to tell which is which. But when we see a person who is apparently not “normal”, we will know what sort man is “normal”. Here is a short story what I thought when I was seeing a man in a Care Center.
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認知症の症状には、いろいろある。
その中のひとつに、連続性の喪失というのも
あるのでは?
あるケアーセンターで、こんな老人(80歳
前後・男性)を見かけた。
その老人を、M氏としておく。
M氏は、みなといっしょに、粘土を使って、
何かを作っていた。
そのときのこと。
M氏が突然、立って、茶碗をもったまま、
うしろにやってきた。
「何をするのかな?」と思って見ていると、
M氏は、それにポットからお茶を注いだ。
「お茶をくみにきたのだ」と思った。
M氏は、茶碗にお茶を注いだ。
が、そのとき別の何かが、M氏の注意を
ひいたらしい。
M氏は、茶碗をもったまま、別のテーブルに
向かって歩き出した。
コセコセとした、落ち着きのない歩き方だった。
「?」と思って見ていると、M氏は、その
茶碗を、そのテーブルに置き、目の前にある
水槽の魚を、じっと見つめ始めた。
「魚を見ているんだ」と、私は思った。
が、その時間は長くはなかった。
ほんの5~6秒?
M氏は突然、思い立ったかのように、
またセカセカと歩き出した。
自分のテーブルに戻っていった。
茶碗は、水槽の前に置いたままだった。
M氏は、自分のテーブルの上にあった作りかけの
粘土を、両手でつぶすと、また別のものを作り始めた。
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M氏の行動には、連続性がなかった。
茶碗をもって、お茶をくみに行った。
しかしつぎの瞬間には、水槽の魚を
ながめていた。
その時点で、お茶のことは、すっかり
忘れてしまったらしい。
そして最後は、自分の席に戻っていった。
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「ふつう」とは何か。
「ふつうの子ども」とは何か。
そのひとつのヒントとして、ここで「行動の連続性」
について、考えてみたい。
たとえば……。
「行動の連続性」とは何かと聞かれると、
それがよくわからない。
しかし連続性のない人を見ると、「行動の
連続性」というのが、どういうものか
わかる。
ここに書いたM氏の行動には、明らかに、
その行動の連続性がなかった。
よく似た問題に、「正常」という言葉がある。
何をもって「正常」といい、何をもって、
「そうでない」というのか。
それがよくわからない。
しかし「正常でない人」を見ると、「正常な人」
というのが、どういうものか、よくわかる。
「正常でない人」を見ていると、そうでない
状態の人を、「正常な人」というということがわかる。
(最近の心理学によれば、「正常」の定義は
ないことになっている。念のため。)
さらに同じような問題に、「ふつうの
子ども」という言葉がある。
どういう子どもを、ふつうの子どもというのか。
またどういう子どもを、そうでないというのか。
実は、これもよくわからない。
しかし「ふつうでない子ども」を見ていると、
そうでない状態の子どもを、「ふつうの子ども」
という、ということがわかる。
そこで教育の世界では、消去法によって、
子どもの問題点をさぐっていく。
たとえば落ち着きのない子どもがいたとする。
明らかに、ふつうでなかったとする。
そういうときは、まず、AD・HD児を
疑ってみる。
しかしAD・HD児でなければ、つぎに
活発型の自閉症児を疑ってみる。
さらに過剰行動児や破滅型行動児なども
疑ってみる。
が、どれでもない……ということであれば、
最後に家庭環境や、食べ物を疑ってみる。
これは医師の診断法に似ている。
重篤(じゅうとく)なケースから順に、
軽いケースへと、診断目的を移動していく。
教育の世界では、診断名を口にすることは
許されない。
しかし親(保護者)からの質問に答えて、
「AD・HD児ではないと思います」
と言うことは、許される。
話がそれたが、その子どもが、ふつうか
どうかは、結局は、「経験」ということになる。
できるだけ多くの子どもに接し、経験を積む。
その結果として、(ふつうの子ども)と、
(そうでない子ども)を、区別することが
できるようになる。
そのばあい、できるだけ、(ふつうでない子ども)に
接してみることが大切。
その結果として、(ふつうの子ども)が、浮かび
あがってくる。
ケアーセンターのうしろに座って、老人たちを
ながめているとき、私は、そんなことを考えていた。
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