Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, April 19, 2008

*We think, therefore we are (1)

【生きることは考えること】(I think, therefore I am)
Why are we here? The answer is very simple. Because we think. In other words, if we don’t think, we are the same animals which live and die there in the nature.

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生きるということは、どういう
ことなのか?

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私たちは生きているというよりは、
生かされているだけ?

今朝、そんなことを考えた。

たとえば「見る」ということを考えてみる。

目の前には、コナラの木がある。
淡い黄緑色の葉をつけ始めた。
水色の空を背景に、春のそよ風の中で、
やさしく揺れている……。

で、「見る」ということは、コナラの木に
反射された「光」を、目が、感受している
からにほかならない。

そこで私は、ふと考える。

「どうして空気は見えないのか」と。
「窒素や酸素は、見えないのか」と。

物理学的に言えば、空気は、光をそのまま
通してしまうから、ということになる。

が、ほんとうに、そうだろうか。
そう考えてよいのだろうか。

そこで見えるということを、
こう考えなおしてみたらどうだろうか。

「もし空気を見ることができたとしたら、
人間の目は、どうなっていただろうか」と。

紫色なら紫色でもよい。
青色なら青色でもよい。
もし私たちが空気の色を見ることができた
とするなら、空気以外のものは、見えない
ことになる。

そこは紫色だけの世界。
青色だけの世界。

たとえて言うなら、土の中に住むミミズの
ようなもの。

ミミズは、土の中で、土しか見ていない。
土しか、見ることができない。
しかも光のない世界だから、そこは暗闇の
世界。

となると、ミミズの目が退化してしまった
ように、人間の目も退化してしまっていたに
ちがいない。

見えるものが空気だけでは、目としての意味はない。

が、そのままでは、困る。
空気にじゃまされて、その向こうのものが
見えないとしたら、人間は、そのつど、
種々の物体と、衝突を繰りかえすことになる。

あっちでゴツン、こっちでゴツンと……。
崖があれば、そのまま、まっさかさまに、落ちていく……。

そこで、もし、人間が空気を見ることができたとするなら、
(あるいは空気が見えるものであったとするなら)、
人間は(目)に代わるものを、進化させていたに
ちがいない。

深海に住むイルカは、超音波で、物体をさぐる
ことができるという。
あるいは、暗い洞窟に住むコウモリのようでもよい。
人間も、そういった能力を進化させたにちがいない。

しかしそうなったとするなら、今度は、コナラの木も、
ずいぶんとちがったものに見えているはず。

そこは白黒の世界? 
枝は黒い影、葉はうすい影……。

つまり「見る」ということをひとつ取りあげても、
人間にたいへんつごうよく、そのように、
できるようになったにすぎないということがわかる。

「見る」と言っても、そのように見させられて
いるだけ、ということ。

で、人間は、こう思う。

「気持ちいいな」
「やはり山の緑はいい」
「とくに春先の若葉の色がいい」
「水色の空も、美しい」と。

しかしこれについても、こう言える。

「そういうふうに思うのも、実はしくまれた
感動である」と。

というのも、太古の昔、人間は、猿に近い
動物であったという。

さらにその前は、魚に近い動物であったという。

緑が美しいと思うのは、私たちが猿であった時代の
名残かもしれない。

淡い水色の空を美しいと思うのは、私たちが
魚であった時代の名残かもしれない。

猿であった時代には、私たちは森の木々に
守られて生きた。

魚であった時代には、透明な水の中で、
餌をさがしながら生きた。

それがそのまま今、(感覚)として反映されている。

反対に、不毛の砂漠を見たり、大きな火を見たり
したとき、不安になることがある。

それも、進化の過程で、つくりあげられた(感覚)
ということになる。

つまりこうして考えていくと、(生きる)といっても、
私たちは、実は(生かされているだけ)という
ことがわかってくる。

中には、「私は生きている」「自分の力で生きている」と
思っている人もいるかもしれない。
が、実は(生かされているだけ)と。

そのことは、野原で遊ぶ小鳥たちを見ればわかる。

どの小鳥も、それぞれがてんでバラバラに、
好き勝手なことをしている。

しかし小鳥は小鳥。
その(ワク)の中でしか、生きていない。
つまり、そのワクの中で、生かされているだけ。

居心地がよいから、小鳥は、野原にいる。
餌があるから、そこで遊ぶ。

人間も、またしかり。
「私は私」と思っている人も多いが、実は、
内なる命令に、従っているだけ。
わかりやすく言えば、(ワク)の中で、
生かされているだけ。

食欲や生存欲、性欲については、今さら
説明するまでもない。

私たちの生活のほとんどは、そのバリエーションの
上に成り立っていると言っても過言ではない。

そこにレストランがあるのも、仕事をするのも、
また結婚するのも、そうだ。
もとを正せば、その向こうに、食欲があり、
生存欲があり、性欲があるからにほかならない。

となると、改めて、(生きる)とは何か、
考えてしまう。
あるいは(生きる)ということは、どういうことなのか、
考えてしまう。

……といっても、私の結論は、いつも同じ。

こうした(ワク)の外にあるものは何かと
問われれば、それは(考えること)に
ほかならない。

この(考える)ということだけは、だれにも
じゃまされない。
この(考える)という部分だけは、
(ワク)の外にある。

言いかえると、私たち人間は、考えることによって、
(ワク)の外に出ることができる。
(生きる)ということを、私たち自身のものとする
ことができる。

もっと端的に言えば、私たちは考えるからこそ、
人間ということになる。

裏を返していうと、考えない人というのは、
人間ではない、つまりそこらの動物と同じ
ということになる。
……というのは、少し言い過ぎということは
わかっている。

しかしこの視点を踏み外すと、では私たちは
何のために生きているか、それがわからなく
なってしまう。

あるいは「生きている」と思いこんで、
生きているだけということになってしまう。

朝起きて、毎日、同じことを繰りかえす。
そして同じように一日を終えて、床につく。

しかしそれでは、冒頭に書いたように、
ただ生かされているだけということになる。

それを避けるためのゆいいつの手段といえば、
(考えること)ということになる。

以前、「生きることは考えること」という題で、
こんな原稿を書いたことがある。

書いてから、すでに6、7年になるが、
今でも、その思いに変わりはない。

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●生きることは、考えること

 毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新聞を届けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、ときどき、こんな意地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中から引っ張ったらどうなるか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。

 今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代の子育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。

しかし新聞にものを書くと言うのは、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。読者の顔が見えない。反応もわからない。だから正直言って、いつも不安だった。中には「こんなことを書いて!」と怒っている人だっているに違いない。

私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野を歩いているような気分になった。果てのない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、それは私にとってはスリリングな世界でもあった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。

 よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくはないですが、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことが多い。

女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」ということは、「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなのだ。私はその荒野をどこまでも歩いてみたい。そしてその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴールには行きつけないかもしれない。しかしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。

 私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事があると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと私は起きあがる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出ている朝は、そのまま読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころになると横の女房も目をさます。そしていつも決まってこう言う。

「載ってる?」と。その会話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお読みくださり、ありがとうございました。」 

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みなさんへ、

生きているって、すばらしいことですね。
これからも、そのすばらしさを、このマガジンを
とおして、追求していきたいと思います。
今回は、「おわび号」ということで、その
「生きる」について、書いてみました。

これからも、どうか、マガジンを、お読み
ください。


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同じような内容の原稿ですが、もう一作
添付します。

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●雑感

 六月に静岡市で講演会をもつ。私はどうしてもその講演会を、成功させたい。「成功」というのは、心残りなく、自分を出しきるということ。講演をしていて、一番、つらいのは、終わったあと、「ああ言えばよかった」「こう言えばよかった」と後悔すること。どこか中途半端なまま終わること。正直に告白するが、そういう意味では、私はいまだかって、一度とて成功したためしがない。

 それに「アメリカのある学者がこう言っています」などという、いいかげんな言い方はしたくない。言うとしても、きちんと、「マイアミ大学の、T・フィールド博士はこう言っています」という言い方をしたい。そのためにも、下調べをしっかりとしておきたい。

 ここで「静岡市」にこだわるのは、静岡県の静岡市、つまり県庁所在地だからである。同じ静岡県の中でも、浜松市で講演するのと、静岡市で講演するのとでは、意味が違う。それに私の講演では、東は大井川を越えると、とたんに集まりが悪くなる。さらにその東にある静岡市となると、もっと悪くなる。恐らく予定の半分も集まらないだろう。だからよけいに、成功させたい。

 しかし私はときどき、こう思う。講演のため、数百人もの人を前にしたときだ。「どうしてこの私がこんなところにいるのだろう?」と。それは実におかしな気分だ。「この人たちは、何を求めて、ここに来ているのだろう」と思うこともある。だから私は、来てくれた人には、思いっきり、役にたつ話をすることにしている。私利私欲という言葉があるが、講演では、「私」そのものを捨てる。かっこよくみせようとか、飾ろうという気持ちも捨てる。こういうとき政治家だったら、自分をより高く売りつけて、票に結びつけようとするだろう。が、私には、そういった目的もない。

よく主催の方が本を売ってくれると申し出てくれることもあるが、ほとんどのばあい、私のほうが、それを断っている。そういう場を利用して、本を売りつけるというのは、私のやり方ではない。

 ひとつ心配なことがある。それはこの数年、体力や気力が急速に衰えてきたこと。講演の途中で、ふと自分でも何を話しているかわからなくなるときがある。あるいは頭の中がボーッとしてきて、話し方そのものがいいかげんになることもある。言葉が浮かんでこなかったり、話そうと思っていたことを忘れてしまうこともある。こうした傾向は、これから先、ますます強くなるのでは……?

 生きている証(あかし)として、私は講演活動をつづける。私にとって生きることは考えること。考えるということは、書くこと。その結果として、私の意見に耳を傾けてくれる人がいるなら、私は自分の経験と能力を、そういう人にささげる。本当のところ、「メリット」を考えても、それは、あまりない。もちろん「仕事」にはならない。しかし以前のように、疑問をもつことは少なくなった。

三〇代のころは、「なぜ講演をするのか」「なぜしているのか」ということを、よく考えた。が、今は、それはない。そういうことは、ほとんど考えない。今は、やるべきことのひとつとして、講演活動を考えている。

どうせやがて消えてなくなる体。心。そして命。死ねば、二度と見ることもないこの世界だが、そこに生きたという証になれば、私はそれでよい。

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● このマガジンの読者の方で、静岡市周辺に住んでおられる方がいらっしゃれば、どうか、講演会においでください。まだ私が元気なうちに、私の話を聞いてください。一生懸命、みなさんの子育てで役立つ話をします!
03年6月24日(火) アイセル21 午前10時~12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054-246-6136

(03-1-22)記