Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, April 28, 2008

The Exaggerated Nationalism

●今日・あれこれ(4月28日)(April 28th, French Friends came to my office)
We have to be careful about the exaggerated nationalism, which is now often seen among Chinese people. The exaggerated nationalism often causes a heavy war.
(誇張された民族主義に警戒しよう!)

フランスの友人が、息子さんを2人連れて、
私の教室へ、遊びに来てくれた。

フランスのブルターニュというところから
やってきた。
観光用のパンフレットを見せてもらったが、
どのページも、夢の中の世界のよう。
「いいところですね」の連発。

で、2週間ほど前から、フランス語の
特訓を始めたが、覚えても、覚えても、
そのまま忘れてしまう。

別れるとき、やっと、「オーフォア」と言える
ようになった。
それも、息子さんたちに教えられて……。

フランス語は、発音がむずかしい。
とくに「r」の発音がむずかしい。
鼻から息を抜きながら、「フ」と発音する。
「ブルターニュ」にしても、
「BRETAGNE」と書いて、「ブルターニュ」と
発音する。

再開を約束して、昼過ぎに別れる。

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Sさん、またおいでください!
今度は、たまたま二男夫婦たちが日本へ
来るため、ゆっくり話をする機会を
つくれませんでした。

どうか、お許しください。

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●フランス語

今、どこの国の言語を学びたいかと聞かれたら、
私は、「フランス語」と答えるだろう。
ドイツ語も中国語も、学生時代にかじったが、
身につかなかった。
そこで「フランス語を」と考えたが、そこで
時間切れ。
以来、そのままになってしまった。

で、今回、先にも書いたように、自分なりに
時間を見つけて、せめて簡単な会話くらいはと
思ったが、やはりだめだった。

その国の言葉というのは、その国で、その
状況の中で学んで、はじめて身につく。
本の中のカタカナを読んだくらいで、
身につくはずもない。

プラス、脳みその働きも、かなり悪くなっている。
今回、改めて、それを実感した。

●国際結婚

国際結婚がどんどんとふえている。
ふえているというより、当たり前になりつつある。
すばらしいことだと思う。

私の従兄弟(いとこ)の娘さんも、アメリカ人と
結婚した。
30年来の友人も、中国の女性と結婚した。
5、6年前に、フィリッピンの女性と結婚した
友人もいる。
年齢は、30歳くらい離れていた。
今では、そんな結婚も、珍しくない。
ないが、そのときは、少なからず、嫉妬した。

奥さんが、まるでモデルのように、顔立ちの
整った、美しい人だった。

で、みんな、うまくやっている。

が、それを迎える親のほうはどうかというと、
心境は、やや複雑。
私の二男にしても、会えるのは、1、2年に一度。
今は、インターネットもある。
スカイプ(テレビ電話)もある。
が、どこか、さみしい。
だから「やや複雑」。

「複雑」というのには、「心配」という意味も
含まれる?

まあ、その分、身近にいる外国の人たちに、親切にする。
回りまわって、そういう(やさしさ)が、二男の
ところに伝わる。
そんな気がする。

今どき、「日本人だ」「外国人だ」と言っているほうが、
おかしい。

●人種差別

40年前には、国際結婚というのは、
ほとんど考えられなかった。

オーストラリアにしても、当時は白豪主義。
「ホワイト・ポリシー」というのがあった。

白人以外は、みな、第2級人種ということに
なっていた。
「セコンド・クラス・ピープル」という。

白人以外の人と結婚した白人も、第2級人種
ということになった。
第2級人種になると、いろいろな差別を
受けた。

だから、アジア人と結婚する白人は少なかった。
当人たちはともかくも、親たちが、反対した。

が、そのうち、アジア人の女性と結婚する
オーストラリア人男性が急増した。

そういう人たちが、ホワイト・ポリシーに反発した。
それだけではないが、やがてこのホワイト・ポリシーは
廃棄された。

そういうこともあって、私がオーストラリアに
いたころは、アジア人の私は、まったくと言ってよいほど、
女性にもてなかった。

背も低かった。
顔立ちも悪く、見栄えもよくなかった。
あの人口300万人(当時)のメルボルン市ですら、
日本人の留学生は、私、1人だけ。
後見人と呼ばれる、それなりの身元保証人がないと、
正規の留学すらできなかった。

珍しいというより、奇異な目で見られた。

それが今では、日本人の男性が、オーストラリア人の
女性を連れ立って、堂々と街中を歩くようになった。
「時代が変わった」というだけでは説明できない。
あまりにも、大きな変化である。

「友人」とうときと、「恋愛、結婚」というときには、
その間には、越えがたいほど、大きな壁がある。
その「壁」が、たいへん低くなった。

私の二男にしても、アメリカ人の女性と結婚すると
言ったとき、「よく、相手の両親が許してくれたな」と、
むしろ、私は、そちらのほうに驚いた。

いくら人種差別がなくなったとはいえ、二男が住んで
いるのは、アメリカの南部。
州庁舎の前には、いまだに南軍の旗がひらめいている。

あのあたりでは、黄色人種は、黒人より、下に見られている。

が、ともかくも、結婚してしまった。

●血の交流

日本人は、たいへん不幸なことに、長い間、他民族との
血の交流をしてこなかった。

そのため骨相学的には、日本民族は、特異な(?)
骨相をもつようになってしまった。

が、それだけではない。

思想そのものまで、ゆがんでしまった。
称して、「極東アジアの島国根性」。

いまどき、世界で、「男だから……」「長男だから……」と、
安っぽい『ダカラ論』をふりかざしているのは、
世界広しといえども、この日本くらいなもの。

中には、そういう『ダカラ論』をふりかざして、「これが
日本が誇るべき民族意識」とか、「国の品格である」
とか説いている人さえいる。

今でも、この日本を見ながら、「奇異」という言葉を
使う欧米人は、多い。
それがわからなければ、欧米の映画に出てくる日本人を
見てみることだ。

どこか、へん?
どこか、おかしい?

欧米の人たちは、そういう目で、日本を見ている。

世界的に見れば、フィリッピンの人たちのほうが、
よっぽど国際性に富んでいる。
1970年代の当時ですら、マナーも、社交のし方も、
日本人の私たちより、ずっと洗練されていた。

こうした民族性を打破するためには、他民族と
血の交流をするしかない。

……といっても、もちろん簡単なことではない。

たとえば現在、この浜松市には、約3万人の外国人が
住んでいる。
住人の20人に約1人が、外国人ということになる。
しかし、たがいの間には、厚い壁がある。
言葉の壁、習慣の壁、文化、風習の壁などなど。
ときどき、日本人との間で、トラブルが起きることもある。

「南米の人たちと、もっと仲良くなりましょう」と
言ったところで、簡単なことではない。

日本人と南米の人たちとの恋愛や結婚の話が話題になるように
なるのは、まだまだ先の話。
10年とか20年の年月が必要かもしれない。

●EUはなぜ統合できたか

フランスの友人は、こう言った。

「ブルターニュ地方は、避暑地としてもよく知られている。
ドイツ人やイギリス人の別荘が、あちこちにある」と。

つまり、ドイツ人やイギリス人が、自由にやってきて、
ブルターニュというフランスに住んでいる、と。

このアジアでは、まだそこまでは考えられない。
同じような例が、ないわけではないが、
「自由」とまではいかない。

しかしもしそういうことが、この日本でも
自由になされるようになったら、「国」に対する
考え方も、大きく変わるのではないか。

今どき、「薩摩出身だ」「長州出身だ」と言っている人はいない。
同じように、近い将来、「日本出身だ」「中国出身だ」と
言う人はいなくなる。

そうなれば、このアジアも、大連合できるかもしれない。

そのためにも、つまりそういう未来像を描きながら、
今、私たちがすべきことがあるとするなら、
それは偏狭な民族主義と戦うこと。

「国の品格」を問題にするなら、その国家を
超えたところで、日本を考える。
「日本だから……」とか、「日本人だから……」と
気負うことはない。

日本も中国もない。韓国も、ない。
私たちはみな、同じ、アジア人。

そういう視点で、日本の未来を考える。

フランスの友人が帰ったあと、私は、そんなことを考えた。