Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, April 23, 2008

*On a Spring Night

●春の夜

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このところ、楽しい話が、あまり思い浮かばない。
気分が晴れない。
で、そのかわり、ワイフとは、いつもバカ話ばかりしている。
が、その範囲。

バカ話は、バカ話。

さあて、どうしたものか。
どうしよう。

実は、今、10年以上も前に買った古いパソコンで、
この原稿を書いている。
キーが指になじんでいて、とても打ちやすい。
指がキーに触れているだけで、心地よい。

文字を打っていないときも、やさしく指先で、
キーをこする。
この感触が、たまらない。

子どもの(ものいじり)と同じ。
それとも(指しゃぶり)?
いじっているだけで、心が休まる。

私は子どものころから、いつも何かをいじっていた。
情緒が、不安定だったのかもしれない。
ものをいじることで、その刺激が脳のある部分に伝わり、
そこでモルヒネ様の物質が、放出される。
それが脳を、心地よい状態にする。
情緒を安定させる。

・・・たった今、ワイフと、脳梗塞の話をした。
「あなた、気をつけてよ」と、ワイフは言った。
「うん」と、私は答えた。

しばらく、しゃべったあと、今度は、認知症とうつ病の話になった。
認知症とうつ病は、ペアでやってくることが多いそうだ。
どっちが本病で、どっちが標病なのか、よくわからないことが多い。

「本病」「標病」というのは、東洋医学の言い方。
「本病」というのは、「本(もと)になる病気」、標病というのは、
「付属して起こる病気」という意味。
つまり認知症からうつ病になる人もいるし、
うつ病から認知症になる人もいる。

ワ「その人がそういう病気とわかっていればいいけど、わからないときが困るわ」
私「周囲の人たちが、それに振り回されるからね」
ワ「その人の言葉で、キズつくこともあるわ」
私「そうだね」と。

ところでワイフの知人に、このところ、共に、どこかおかしいという夫婦がいるという。
夫のほうは、認知症ぎみ?
妻のほうは、うつ病ぎみ?
夫婦ともどもだから、ちょっとたいへん?
近隣の人たちとのトラブルも、このところ絶えない。

ときどき奥さんの言葉を真に受けた夫が、近所の家の人のうちに、怒鳴り込んで
くることもあるという。

「お前は、うちの家内のサイフから、金を抜き取ったそうだな」とか。

こういうとき、近くに子どもでもいれば、まだよい。
しかし不幸なことに、その夫婦には、子どもがいない。

いつもその夫婦のことが話題になると、「どうするんだろ?」
「どうするのかねえ?」という会話で終わってしまう。

私「あのね、うつ状態になると、ささいなことがペタッと頭に張りついて
それが取れなくなる。悶々と、そのことばかり悩むようになる」
ワ「気分を変えることはできないの?」
私「それができれば、簡単なんだけどね。それができないからつらい。妄想というか、
被害妄想ばかり強くなるからね」

ワ「ところで、認知症からうつ病になった人と、うつ病から認知症になった人は、
どこでどう見分けるのかしら?」
私「いろいろ調べてみたけど、専門のドクターでも、むずかしいそうだ」
ワ「認知症とうつ病は、やはりペアでやってくるということかしら?」
私「病識(=自分が病気だという自覚)があれば、わかりやすいんだろうけどね・・・」
ワ「そうね・・・」と。

またまた暗い話になってしまった。
こういう文ばかり書くということは、私自身が、かなりうつ状態ということになる。
気をつけよう!

ところで今日の午後、新しいデジタルカメラを買いに行った。
ねらっているのは、C社のSxx。
値段は、3万4850円。
「3万円なら買う」と言ったが、店員は、「NO!」と言って、どこかへ消えてしまった。
買うのは、もう少し、先に延ばすことにした。

あとは、とくに書くことはなし。

もう少し原稿を書いて、静かに眠ることにする。
時刻は、午後10時40分。

アーカンソー州では、午前8時40分。
カルフォルニア州では、午前6時40分。

アメリカに住んでいる息子たちのことを、あれこれと思いやる。
「もう起きて、仕事に出かけただろうか」
「そろそろ起きるころだろうか」と。
それが今は、何よりも、楽しい。

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●今週は、すでに5単位

今日は水曜日。
月曜日、火曜日、水曜日の3日間だけで、すでに5単位も、運動をした。
1単位は、40分間程度のサイクリングをいう。

おかげで太ももの付け根あたりに、鈍痛。
鈍痛といっても、心地よい。

明日からも、がんばろう。
とにかく、こうなったら、健康を維持するしかない。
「こうなったら・・・」というのは、つまり、「いろいろあるから」
という意味。
深い意味は、ない。

ところで昨日、小6の子どもたちと、百人一首の暗記競争をした。
みなに3首ずつ渡し、3首、早く暗記したほうが勝ちというゲームだった。

結果は、ダントツに私の勝ち。
10~15分ほど時間をかけて、みな、何とかソラで言えるようになった。

理由がある。

私は、学生のころ、古文が得意だった。
百人一首を、ときどき読んだ経験もある。

つぎに私は、和歌の内容を理解しながら、暗記する。
一方、子どもたちは、意味もわからず、(音)だけで暗記しようとする。
これでは勝負にならない。

昨日私が暗記したのは、つぎの3つ。

(1) 春過ぎて、夏きにけらし、白妙の、衣ほすてふ、天の橋立
(2) 君がため、惜しからざりし命でも、xxxx
(3) 愛xxxxx

昨日は、スラスラと暗記できたが、1日たってみると、記憶しているのは、
この程度。(そのため、短歌の内容は、不正確。ごめん!)

この中の、とくに(2)の「君がためなら・・・」というのが、気にいった。
内容は、「君のためなら命も惜しくないと思っていたが、その命も、短くなってきた」
というもの。

繰りかえし読んでいるうちに、ジンときた。

(3)番目の「愛・・・」は、忘れてしまった。

つまり、私の脳みそは、まだまだ健康と判断してよいのでは・・・?
こういう競争で、子どもたちに負けるようになったら、おしまい。
今の仕事は、やめるしかない。

で、そのあと、今度は、算数の問題で、競争してみた。
何かの問題集をランダムに開き、「さあ、やってみよう!」と。

こんな問題だった。

【問い】(制限時間は10分)

10キロ離れたA町とB町から、同時に、A君がA町からB町に向かって、
またB君がB町からA町に向かって歩き始めた。
A君とB君は、25分後に、道で出会った。
で、A君は、B町に着くと、今度はA町に向かって歩き始めた。
B君は、A町に着くと、今度はB町に向かって歩き始めた。
A君とB君は、A町から2000メートルのところで出会った。

A君とB君の分速を求めなさい。
ただし方程式は使ってはいけません。

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今のところ、この程度の問題なら、スラスラと解ける。
解き方の説明もできる。
(ヒント:分速の比を求める。Aの速度と、Bの速度比は、
1000+8000:10000+2000=18:12=3:2。
それから求めて、A、Bの分速は、240メートル、160メートル。)

つまり私はこうして自分なりのやり方で、脳みそを鍛えている。
正直に告白すれば、仕事を利用しながら、脳トレをしている。


●畑仕事

庭先に、小さな畑がある。
全体で、10坪程度。
その中に、土を盛りあげて、畑を作っている。

そこで今、レタス、ナス、キュウリ、シシトウ、枝豆、ネギなどを育てている。
が、トウモロコシの生育が、あまりよくない。
発芽率も、20%以下?
そう言えば、枝豆の発芽率も、その程度。

これら2つの種は、あるところのある店で買ったもの。
多分、古い種だったのだろう。
ワイフは「古い種でも、ちゃんと発芽する」と言うが、私は、そうは思わない。
飲食物には、賞味期限というものが記載してある。
「種」にも、それと同じようなものを、表示したらよい。

今度からは、ちゃんと、裏側に記載されている数字をよく見てから種を買うことに
しよう。


●ディズニー・シー

今度、家族全員で、ディズニー・シーへ行くことにした。
息子と、息子夫婦、それに私とワイフ、プラス2人の孫たち。
計7人。

アメリカにいる三男がいないのが残念だが、私にとっては、生涯、最高にすばらしい
日になりそう。

で、その「ディズニー・シー」だが、かなり広い会場ということがわかった。
ネットで検索してみたら、「ディズニーランド」と同じくらいの広さがある。
旅行社の人が、「1日では、回れませんよ」と言ったが、納得。

息子は、「ディズニーランドは、子供向け。ディズニー・シーは、大人向け」と
言った。

孫たちには悪いが、ますますその日が楽しみになった。
ディズニーランドへ行くのは、15年ぶり?
ディズニー・シーへは、もちろん、今回がはじめて。


●認知症

先ほど書いた、「このところ、共にどこかおかしいという夫婦がいる」という
話だが、ワイフがこんなことを思い出した。

ワイフの友人が、何かの会費を、相手の妻に預けたという。
金額は、4~5万円だったという。

が、1週間たっても、会のほうへ、会費が未納のままになっていた。
そこでワイフの友人が、相手の妻のほうへ、「どうなっていますか?」と聞くと、
相手の妻は、「青い封筒に入れて、しまってあります。明日、会のほうへ
納入します」と。

が、さらに1週間ほどたったが、会費は納入されていないままだった。
そこでワイフの友人が、「どうなっていますか?」と電話を入れると、相手の
妻は、こう言ったという。

「私、そんなお金は、知りません!」と。

ワイフの友人は、驚いたというより、背筋にゾーッと、寒気のようなものを
感じたという。

私「で、その会費はどうしたの?」
ワ「たぶん、私の友人が負担したのじゃないかしら。そこまでは話を聞いていないから」
私「だんな(=相手の夫)は、どうなの?」
ワ「一見、まともそうに見えるらしいけど、こわいからだれも近寄らないそうよ」と。


●シャドウ論

親から子へと伝わるものは、多い。
その中でも、何がこわいかといって、シャドウ(ユング)ほど、こわいものはない。
親が心の隅に隠しもっている(邪悪な部分、つまりシャドウ)が、子どもにそっくり
そのまま伝わってしまう。

親子というのは、そういうもの。

こんな例がある。
例といっても、いくつかの話をまとめたものだが、こういうこと。

あるところに、小ずるい母親がいた。
やることなすこと、まさに小ずるく、小ずるさの塊(かたまり)のような人だった。
が、世間では、「仏様」と呼ばれていた。

その母親に、一人の娘がいた。
その娘は、そういう母親に反発した。
ときに猛烈な親子喧嘩もしたという。

で、母親は、15年ほど前に、他界。
今、その娘は、70歳前後になる。

が、周囲の人たちの評判を聞いて驚いた。
その娘が、母親そっくりの人間になっていた。
やることなすこと、まさに小ずるさの塊のようになっていた。

ワ「娘は、母親を反面教師としなかったのかしら?」
私「反面教師のこわいところは、そこにある」
ワ「どういうこと?」
私「反面教師を気にして、批判ばかりしていると、結局自分も、いつか、その
反面教師と同じ人間になってしまう・・・」

ワ「じゃあ、どうずればいいの?」
私「反面教師にするならするで、その相手以上のものを、自分の中で同時に作り
あげなければいけない。でないと、結局は、反面教師の毒気のようなものに、
自分が巻き込まれてしまう」と。

こういう例は多い。
あなたとあなたの親の関係にも、それかもしれない。
あるいは一歩退いて、あなたの親と、その親(祖父母)の関係が、そうかもしれない。

要するに、親は、仮面(ペルソナ)をかぶらないということ。
仮面をかぶることはあっても、脱ぐときはちゃんと、脱ぐ。
この操作を忘れると、「ペルソナ人間」になってしまう。

あなた自身は、それでよいとしても、子どもに与える影響は、甚大である。

ワ「ありのまま生きるということね」
私「同時に、自分をみがきながらね」
ワ「むずかしそう・・・」
私「それが簡単なんだよ。日ごろから、ウソをつかない。約束は守る。この2つだけを
守ればいい。日々の積み重ねが、その人の人格になる」と。

歳をとると、こうした現象が、あちこちで見られるようになる。
今、まだ若い人は、そのときを、楽しみ(?)にしておいたらよい。


●ストレス

精神的なストレスは、体によくない。
それが長くつづけば、つづくほど、精神がむしばまれる。
体調も、おかしくなる。
免疫細胞の能力が低下するから、病気にもかかりやすくなる。

しかしこの世の中で、ストレスと無縁のまま生きることは、むずかしい。
こちらにそのつもりはなくても、向こう側から、やってくることがある。
否応(いやおう)なしに、何かのトラブルに巻き込まれることもある。

そういう意味でも、生きることは、それ自体、何かとわずらわしい。
わずらわしいが、その(わずらわしさ)こそが、今、私はここにいて、
ここに生きているという証(あかし)。

「ストレスを楽しむ」というには、無理かもしれない。
が、ストレスとは、じょうずにつきあう。
うまくつきあえば、その分だけ、賢くなれる。
(悩む)こと自体、(考えること)に直結する。
それまで見えてこなかった部分まで、見えてくるようになる。

が、まずいのは堂々巡り。
堂々巡りに入ると、そのままうつ状態に落ち込んでしまう。
そして一度うつ状態になると、自分の殻(から)から、抜け出られなく
なってしまう。

あとはこの悪循環。

では、どうするか?

私のばあい、

(1) うつ状態になったら、「これはほんとうの私ではない」と、自分によく言って
聞かせる。
(2) 重要な判断などは、控える。そのつどワイフにアドバイスを求める。
(3) ハーブ系の安定剤を服用する。カルシウム剤も、私には効果的。
(4) よく眠る。
(5) あとは教室の子どもたちと、ワイワイと騒ぐ。

たいていそれで、治る。
そうそう、ストレスの原因が、人間関係にあるときは、相手を、サルか犬、
あるいはイノシシと思うようにする。
(言葉はきついが、それくらいにまで思わないと、ストレスから解放される
ことはない。)

頭の中で、それを空想する。
「あいつは、サルだ」「あいつは、イノシシだ」と。

そしてその相手から、遠ざかる。つまり相手にしない。
反論したり、弁解したり、言い争うのは、タブー。
「負けるが勝ち」と念じて、あとは、時の流れに、身を任す。

『時は心のいやし薬』と考える。
『時は心のいやし人』でも、よい。

・・・そろそろ12時になってきた。
ここらで、書くのをやめる。

みなさん、おやすみなさい!


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist)