Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, April 27, 2008

*Parents are everything for sons and daughters to obey

●田んぼの中の水鳥(A water bird in the rice field)
My mother often said to me, “I have raised up you”, or “I have brought you into this world”. But one day I rejected it, shouting, “When did I ask you to bring me up here?”

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信号待ちで車を止めたとき、
田んぼの中に、大きな水鳥が
いるのを知った。

私がそちらを見ると、水鳥も、
こちらを見ていた。

サギの一種だと思う。
細い首をこちらに向けたまま、
じっとそこに立っていた。

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私の母は、ことあるごとに、私に
こう言った。

「産んでやった」「育ててやった」と。

大学へ入ると、「学費を出してやっている」
「お父ちゃんに感謝しろよ」「J(=兄)に感謝しろよ」と。

それこそ耳にタコができるほど、それを
言って聞かされた。

それで私が、高校1年か、2年生になった
ときのこと。
私は、ついにキレた。
ある日、私は、こう叫んだ。

「だれが、お前に産んでくれと頼んだア!」と。

そう、だれが産んでくれと頼んだ?
たしかに私は生まれた。
が、だからといって、そのことで、
親に感謝しろと言われても困る。

親は親で、勝手に私を産んだだけではないのか。

……というようなことを、私は、水鳥を見ながら
思い出した。

水鳥は、そこにいる。
それほどよい環境に住んでいるとも思われない。
農薬の影響で、餌も、少なくなったにちがいない。

その水鳥のことは知らないが、
季節に応じて、極地方から東南アジアまで、
旅をするのも、いるそうだ。

水鳥にしてみれば、(生きること)イコール、
(苦労の連続)ということになる。

車が動き出したとき、私は、ワイフにこう言った。

私「あの水鳥たちは、何のために生きているのかねえ?」
ワ「そうねえ……」
私「生きていても、苦労の連続で、楽しみなんか、ほとんどないと思う」
ワ「空からの美しい景色を楽しむということは、ないのかしら?」
私「どうだろう? そんな余裕はないかもしれないよ」

ワ「だったら、自然の中で生かされているだけ?」
私「ぼくは、そう思う。ゆいいつの楽しみと言えば、交尾をして、
雛(ひな)を育てることかな?」
ワ「しかし、それだって、苦労のひとつよ」
私「そこなんだよな。本能の命ずるまま、交尾して、雛をかえしているだけ?」
ワ「でも、水鳥は水鳥で、それでハッピーなのかもしれないわよ」と。

この世に生まれたからといって、よいことなど、数えるほどもない。
一見華やかに見える恋愛にしても、それにつづく苦労のはじまりでしかない。
まさに生まれてから、死ぬまで、苦労の連続。
もっとはっきり言えば、私たち人間にしても、死ぬことができないから、
生きているだけ?
生かされているだけ?

水鳥と私たち人間は、どこがどうちがうというのか。

母は、「産んでやった、(だから私に感謝しろ)」と、私に言いたかったのだ。
「育ててやった、(だから私に感謝しろ)」と、私に言いたかったのだ。

戦後のあの混乱期ということもあった。
今になってみると、母の気持ちを理解できなくはない。
母は母なりに、苦労もあったのだろう。
しかしこと(私)について見れば、私は、望んでこの世に生まれたわけではない。
そもそも(私)という主体すら、なかった。

たまたま生まれてみたら、私が人間であったというに過ぎない。
はやし浩司という名前の、人間であったにすぎない。

言いかえると、その(私)が、水鳥であったとしても、何ら、おかしくない。
私と水鳥の間には、一見、越えがたい距離があるようで、その実、距離など、ない。

私「あの水鳥も、死ぬこともできず、ただ生かされているだけかもしれないね」
ワ「生まれた以上、生きていくしかないって、ことよね」
私「そう。とにかく、生きていくしかない。いつか、死ぬときがくるまで、ね」
ワ「子どもたちは、どうかしら? この世に生まれてきて、よかったと思っている
かしら?」
私「そういうふうに、思ってくれれば、うれしいけどね」と。

が、だからといって、生きることが無駄であるとか、生きていても、
虚(むな)しいだけとか、そんなことを言っているのではない。

大切なのは、生き方。
その生きざま。

私自身は、この世に生まれてきて、よかったと思っている。
とくにこれといって、よいことはあまりなかったが、しかし今日まで、
無事、こうして生きてこられただけでも、ありがたい。

ワ「結局は、あなたがいつも言っている、『私論』に行き着くのね」
私「そうなんだよな。あの水鳥は、自分では、『私は私』と思って
いるかもしれない。危険が迫れば、飛んで逃げる。しかしその実、
どこにも、『私』がない」
ワ「あの水鳥が、人間に向かって踊り始めたら、おもしろいわね」
私「そう。もしそんなことをすれば、全国のニュースになるよ」
ワ「そのとき、あの水鳥は、『私』をつかんだことになるのよね」と。

「私をつかんだ」というよりは、「私らしい生き方の第一歩を
踏み出した」というほうが、正しい。

ワ「でも、あなたのお母さんって、どうして、そういう言い方をしたのかしら?」
私「G県の人たちは、ほかの県の人たちと、少しちがうよ。Mという、親絶対教の発祥の
地にもなっている」
ワ「静岡県では、そんなことを口にする人は、少ないわよ」
私「ぼくも、聞いたことがない……。G県には、それだけ民族的な土着性が
残っているということかな。人の交流も少ないし……」と。

私も自分の息子たちに、同じような言葉を言いそうになったことはある。
息子たちが、私に生意気な態度を示したときだ。
しかし私は、言わなかった。

むしろ事実は逆で、私は息子たちに感謝している。
息子たちは、いつも私に生きる希望を与えてくれた。
生きる目標を作ってくれた。
私にとっては、生きがいそのものだった。
もし息子たちがいなければ、私は、こうまでがんばらなかったと思う。
がんばることもできなかった。

ついでに言えば、息子たちががんばっている姿を見ることで、
私は、自分の命を、つぎの世代にバトンタッチすることができる。
(死の恐怖)すら、それで和らげることができる。

そうそう私が、母にはじめて反発したとき、母は、狂った
ように泣き叫び、こう言った。

「バチ当たり! お前はだれのおかげで、ここまで
大きくなれたア! その恩を忘れるな!」と。

それは母の言葉というよりは、母自身も、そういう言葉を、
さんざん聞かされて育ったにちがいない。
そういう環境の中で生まれ、育った。
母にしてみれば、きわめて常識的な
言葉にすぎなかったということになる。

私「あの水鳥の親は、そんなバカなことは言わないね」
ワ「言わないわよ」
私「やるべきことをやって、雛たちを空へ放つ」
ワ「それが子育ての原点なのね」
私「ぼくは、そう思う。ハハハ」
ワ「ハハハ」と。

……それにしても、美しい水鳥だった。

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子育ての原点について
書いた原稿です。
(中日新聞経済済み)

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●家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむける。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。

「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえている。

いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようになる。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言った父親もいた。

が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったまま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずねる。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることができるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかりではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。

親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生は手記の中にこう書いている。

「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二~一九七〇)は、こう書き残している。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。

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ついでに一言。

親風、叔父風、年長風、そのどれも、
吹かせば吹かすほど、
人間関係は疎遠になる。

親子であれば、そこに
大きなキレツを入れる。

以下、4年前(04年)に
書いた原稿です。

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【親・絶対教】

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「親は絶対」と思っている人は、多いですね。
これを私は、勝手に、親・絶対教と呼んでいます。
どこかカルト的だから、宗教になぞらえました。

今夜は、それについて考えてみます。

まだ、未完成な原稿ですが、これから先、この原稿を
土台にして、親のあり方を考えていきたいと
思っています。

          6月27日

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●親が絶対!

 あなたは、親に産んでもらったのです。
 その恩は、忘れてはいけません。
 親があったからこそ、今、あなたがいるのです。

 産んでもらっただけではなく、育ててもらいました。
 学校にも通わせてもらいました。
 言葉が話せるようになったのも、あなたの親のおかげです。

 親の恩は、山より高く、海よりも深いものです。
 その恩を決して忘れてはいけません。
 親は、あなたにとって、絶対的な存在なのです。

 ……というのが、親・絶対教の考え方の基本になっている。

●カルト

 親・絶対教というのは、根が深い。親から子へと、代々と引き継がれている。しかも、その人が乳幼児のときから、徹底的に、叩きこまれている。叩きこまれるというより、脳の奥深くに、しみこまされている。青年期になってから、何かの宗教に走るのとは、わけがちがう。

 そもそも「基底」そのものものが、ちがう。

 子どもは、母親の胎内で、10か月近く宿る。生まれたあとも、母親の乳を得て、成長する。何もしなくても、つまり放っておいても、子どもは、親・絶対教にハマりやすい。あるいはほんの少しの指導で、子どもは、そのまま親・絶対教の信者となっていく。

 が、親・絶対教には、もともと根拠などない。「産んでやった」という言葉を口にする親は多い。しかしそれはあくまでも結果でしかない。生まれる予定の子どもが、幽霊か何かの姿で、親の前に出てきて、「私を産んでくれ」と頼んだというのなら、話は別。しかしそういうことはありえない。

 少し話が飛躍してしまったが、親・絶対教の基底には、「親がいたから、子どもが生まれた」という概念がある。親あっての、子どもということになる。その概念が基礎になって、親は子どもに向かって、「産んでやった」「育ててやった」と言うようになる。

 それを受けて子どもは、「産んでいただきました」「育てていただきました」と言うようになる。「恩」「孝行」という概念も、そこから生まれる。

●親は、絶対!

 親・絶対教の信者たちは、子どもが親にさからうことを許さない。口答えなど、もってのほか。親自身が、子どもは、親のために犠牲になって当然、と考える。そして自分のために犠牲になっている、あるいは献身的につくす子どもをみながら、「親孝行のいい息子(娘)」と、それを誇る。

 いろいろな例がある。

 父親が、脳内出血で倒れた夜、九州に住んでいたKさん(女性、その父親の長女)は、神奈川県の実家の近くにある病院まで、電車でかけつけた。

 で、夜の9時ごろ、完全看護ということもあり、またほかにとくにすることもなかったので、Kさんは、実家に帰って、その夜は、そこで泊まった。

 が、それについて、妹の義理の父親(義理の父親だぞ!)が、激怒した。あとで、Kさんにこう言ったという。「娘なら、その夜は、寝ずの看病をすべきだ。自分が死んでも、病院にとどまって、父親の容態を心配するのが、娘の務めではないのか!」と。

 この言葉に、Kさんは、ひどく傷ついた。そして数か月たった今も、その言葉に苦しんでいる。

 もう一つ、こんな例がある。一人娘が、嫁いで家を出たことについて、その母親は、「娘は、親を捨てた」「家をメチャメチャにした」と騒いだという。「こんなことでは、近所の人たちに恥ずかしくて、外も歩けない」と。

 そうした親の心情は、常人には、理解できない。その理解できないところが、どこかカルト的である。親・絶対教には、そういう側面がある。

●子が先か、親が先か

 親・絶対教では、「親あっての、子ども」と考える。

 これに対して、実存主義的な立場では、つぎのように考える。

 「私は生まれた」「生まれてみたら、そこに親がいた」「私がいるから、親を認識できる」と。あくまでも「私」という視点を中心にして、親をみる。
 
 親を見る方向が、まったく逆。だから、ものの考え方も、180度、変ってくる。

 たとえば今度は、自分の子どもをみるばあいでも、親・絶対教の人たちは、「産んでやった」「育ててやった」と言う。しかし実存主義的な考え方をする人は、「お前のおかげで、人生を楽しく過ごすことができた」「有意義に過ごすことができた」というふうに、考える。子育てそのものを、自分のためととらえる。

 こうしたちがいは、結局は、親が先か、子どもが先かという議論に集約される。さらにもう少し言うなら、「産んでやった」と言う親は、心のどこかに、ある種の犠牲心をともなう?

たとえばNさんは、どこか不本意な結婚をした。俗にいう「腹いせ婚」というのかもしれない。好きな男性がほかにいたが、その男性が結婚してしまった。それで、今の夫と、結婚した。

そして、今の子どもが生まれた。その子どもどこか不本意な子どもだった。生まれたときから、何かにつけて発育が遅れた。Nさんには、当然のことながら、子育てが重荷だった。子どもを好きになれなかった。

そのNさんは、そんなわけで、子どもには、いつも、「産んでやった」「育ててやった」と言うようになった。その背景にあるのは、「私が、子どものために犠牲になってやった」という思いである。

 しかし親にとっても、子どもにとっても、それほど、不幸な関係はない。……と、私は思うが、ここで一つのカベにぶつかる。

 親が、親・絶対教の信者であり、その子どももまた、親・絶対教であれば、その親子関係は、それなりにうまくいくということ。子どもに犠牲を求めて平気な親と、親のために平気で犠牲になる子ども。こうした関係でも、親子関係は、それなりにうまく、いく。

 問題は、たとえば結婚などにより、そういう親子関係をもつ、夫なり、妻の間に、他人が入ってくるばあいである。

●夫婦のキレツ

 ある男性(55歳)は、こう言った。「私には、10歳、年上の姉がいます。しかしその姉は、はやし先生が言うところの、親・絶対教の信者なのですね。父は今でも、元気で生きていますが、父の批判をしただけで、狂ったように、反論します。『お父さんの悪口を言う人は、たとえ弟でも許さない』とです」と。

 兄弟ならまだしも、夫婦でも、こうした問題をかかえている人は多い。

 よくある例は、夫が、親・絶対教で、妻が、そうでないケース。ある女性(40歳くらい)は、昔、こう言った。

 「私が夫の母親(義理の母親)と少しでも対立しようものなら、私の夫は、私に向って、こう言います。『ぼくの母とうまくできないようなら、お前のほうが、この家を出て行け』とです。妻の私より、母のほうが大切だというのですね」と。

 今でこそ少なくなったが、少し前まで、農家に嫁いだ嫁というのは、嫁というより、家政婦に近いものであった。ある女性(70歳くらい)は、こう言った。

 「私なんか、今の家に嫁いできたときは、召使いのようなものでした。夫の姉たちにすら、あごで使われました」と。

●親・絶対教の特徴

 親・絶対教の人たちが決まってもちだすのが、「先祖」という言葉である。そしてそれがそのまま、先祖崇拝につながっていく。親、つまり親の親、さらにその親は、絶対という考え方が、積もりにつもって、「先祖崇拝」へと進む。

 先祖あっての子孫と考えるわけである。どこか、アメリカのインディアン的? アフリカの土着民的? 

 しかし本当のことを言えば、それは先祖のためというよりは、自分自身のためである。自分という親自身を絶対化するために、また絶対化してほしいがために、親・絶対教の信者たちは、先祖という言葉をよく使う。

 ある男性(60歳くらい)は、いつも息子や息子の嫁たちに向って、こう言っている。「今の若いものたちは、先祖を粗末にする!」と。

 その男性がいうところの先祖というのは、結局は、自分自身のことをいう。まさか「自分を大切にしろ」とは、言えない。だから、少し的をはずして、「先祖」という言葉を使う。

 こうした例は、このH市でも見られる。21世紀にもなった今。しかも人口が60万人もいる、大都市でも、である。

中には、先祖崇拝を、教育理念の根幹に置いている評論家もいる。さらにこれは本当にあった話だが、(こうして断らねばならないほど、ありえない話に思われるかもしれないが……)、こんなことがあった。

 ある日の午後、一人の女性が、私の教室に飛びこんできて、こう叫んだ。「あんたは、先祖を粗末にしているようだが、そういう教育者は、教育者と失格である。あちこちで講演活動をしているようだが、即刻、そういった活動をやめなさい」と。

 まだ30歳そこそこの女性だったから、私は、むしろ、そちらのほうに驚いた。彼女もまた、親・絶対教の信者であった。

 しかしこうした言い方は、どこか卑怯(失礼!)ではないのか。

 数年前、ある寺で、説法を聞いたときのこと、終わりがけに、その寺の住職が私たちのこう言った。

 「お志(こころざし)のある方は、どうか仏様を供養(くよう)してください」と。その寺では、「供養」というのは、「お布施」つまり、マネーのことをいう。まさか「自分に金を出せ」とは言えない。だから、(自分)を、(仏様)に、(お金)を、(供養)に置きかえて、そう言う。

 親・絶対教の信者たちが、息子や娘に向って、「お前たちのかわりにご先祖様を祭ってやるからな」と言いつつ、金を取る言い方に、よく似ている。

 実際、ある母親は、息子の財産を横取りして、使いこんでしまった。それについてその息子が、泣きながら抗議すると、その母親は、こう言い放ったという。

 「親が、先祖を守るため、自分の息子の金を使って。何が悪い!」と。

 世の中には、そういう親もいる。

●親・絶対教信者との戦い

 「戦い」といっても、その戦いは、やめたほうがよい。それはまさしく、カルト教団の信者との戦いに似ている。親・絶対教が、その人の哲学的信条になっていることが多く、戦うといっても容易ではない。

 それこそ、10年単位の戦いということになる。

 先にも書いたように、親・絶対教の信者であっても、それなりにハッピーな人たちに向って、「あなたはおかしい」とか、「まちがっている」などと言っても、意味はない。

 人、それぞれ。

 それに仮に、戦ったとしても、結局は、その人からハシゴをはずすことで終わってしまう。「あなたはまちがっている」と言う以上は、それにかわる新しい思想を用意してやらねばならない。ハシゴだけはずして、あとは知りませんでは、通らない。

 しかしその新しい思想を用意してやるのは、簡単なことではない。その人に、それだけの学習意欲があれば、まだ話は別だが、そうでないときは、そうでない。時間もかかる。

 だから、そういう人たちは、そういう人たちで、そっとしておいてあげるのも、私たちの役目ということになる。

たとえば、私の生まれ故郷には、親・絶対教の信者たちが多い。そのほかの考え方ができない……というより、そのほかの考え方をしたことがない人たちばかりである。そういう世界で、私一人だけが反目しても、意味はない。へたに反目すれば、反対に、私のほうがはじき飛ばされてしまう。

 まさにカルト。その団結力には、ものすごいものがある。

 つまり、この問題は、冒頭にも書いたように、それくらい、「根」が深い。

 で、この文章を読んでいるあなたはともかくも、あなたの夫(妻)や、親(義理の親)たちが、親・絶対教であるときも、今、しばらくは、それに同調するしかない。私が言う「10年単位の戦い」というのは、そういう意味である。

●自分の子どもに対して……

 参考になるかどうかはわからないが、私は、自分の子どもたちを育てながら、「産んでやった」とか、「育ててやった」とか、そういうふうに考えたことは一度もない。いや、ときどき、子どもたちが生意気な態度を見せたとき、そういうふうに、ふと思うことはある。

 しかし少なくとも、子どもたちに向かって、言葉として、それを言ったことはない。

 「お前たちのおかげで、人生が楽しかったよ」と言うことはある。「つらいときも、がんばることができたよ」と言うことはある。「お前たちのために、80歳まで、がんばってみるよ」と言うことはある。しかし、そこまで。

 子どもたちがまだ幼いころ、私は毎日、何かのおもちゃを買って帰るのが、日課になっていた。そういうとき、自転車のカゴの中の箱や袋を見ながら、どれだけ家路を急いだことか。

 そして家に帰ると、3人の子どもたちが、「パパ、お帰り!」と叫んで、玄関まで走ってきてくれた。飛びついてきてくれた。

 それに今でも、子どもたちがいなければ、私は、こうまで、がんばらなかったと思う。寒い夜も、なぜ自転車に乗って体を鍛えるかといえば、子どもたちがいるからにほかならない。

 そういう子どもたちに向かって、どうして「育ててやった」という言葉が出てくるのか? 私はむしろ逆で、子どもたちに感謝しこそすれ、恩を着せるなどということは、ありえない。

 今も、たまたま三男が、オーストラリアから帰ってきている。そういう三男が、夜、昼となく、ダラダラと体を休めているのを見ると、「これでいいのだ」と思う。

 私たち夫婦が、親としてなすべきことは、そういう場所を用意することでしかない。「疲れたら、いつでも家にもどっておいで。家にもどって、羽を休めなよ」と。

 そして子どもたちの前では、カラ元気をふりしぼって、明るく振るまって見せる。

●対等の人間関係をめざして

 親であるという、『デアル論』に決して、甘えてはいけない。

 親であるということは、それ自体、たいへんきびしいことである。そのきびしさを忘れたら、親は親でなくなってしまう。

 いつかあなたという親も、子どもに、人間として評価されるときがやってくる。対等の人間として、だ。

 そういうときのために、あなたはあなたで、自分をみがかねばならない。みがいて、子どもの前で、それを示すことができるようにしておかなければならない。

 結論から先に言えば、そういう意味でも、親・絶対教の信者たちは、どこか、ずるい。「親は絶対である」という考え方を、子どもに押しつけて、自分は、その努力から逃げてしまう。自ら成長することを、避けてしまう。

 昔、私のオーストラリアの友人は、こう言った。

 「ヒロシ、親には三つの役目がある。一つは、子どもの前を歩く。ガイドとして。もう一つは、子どものうしろを歩く。保護者(プロテクター)として。そしてもう一つは、子どもの横を歩く。子どもの友として」と。

 親・絶対教の親たちは、この中の一番目と二番目は得意。しかし三番目がとくに、苦手。友として、子どもの横に立つことができない。だから子どもの心をつかめない。そして多くのばあい、よき親子関係をつくるのに、失敗する。

 そうならないためにも、親・絶対教というのは、害こそあれ、よいことは、何もない。

【追記】

 親・絶対教の信者というのは、それだけ自己中心的なものの見方をする人と考えてよい。子どもを自分の(モノ)というふうに、とらえる。そういう意味では、精神の完成度の低い人とみる。

 たとえば乳幼児は、自己中心的なものの考え方をすることが、よく知られている。そして不思議なことがあったり、自分には理解できないことがあったりすると、すべて親のせいにする。

 こうした乳幼児特有の心理状態を、「幼児の人工論」という。

 子どもは親によって作られるという考え方は、まさにその人工論の延長線上にあると考えてよい。つまり親・絶対教の人たちは、こうした幼稚な自己中心性を残したまま、おとなになったと考えられる。

 そこでこう考えたらどうだろうか。

 子どもといっても、私という人間を超えた、大きな生命の流れの中で、生まれる、と。

 私もあるとき、自分の子どもの手先を見つめながら、「この子どもたちは、私をこえた、もっと大きな生命の流れの中で、作られた」と感じたことがある。

 「親が子どもをつくるとは言うが、私には、指一本、つくったという自覚がない」と。

 私がしたことと言えば、ワイフとセックスをして、その一しずくを、ワイフの体内に射精しただけである。ワイフにしても、自分の意思を超えた、はるかに大きな力によって、子どもを宿し、そして出産した。

 そういうことを考えていくと、「親が子どもを作る」などという話は、どこかへ吹っ飛んでしまう。

 たしかに子どもは、あなたという親から生まれる。しかし生まれると同時に、子どもといえでも、一人の独立した人間である。現実には、なかなかそう思うのも簡単なことではないが、しかし心のどこかでいつも、そういうものの考えた方をすることは、大切なことではないのか。

【補足】

 だからといって、親を粗末にしてよいとか、大切にしなくてよいと言っているのではない。どうか、誤解しないでほしい。

 私がここで言いたいのは、あなたがあなたの親に対して、どう思うおうとも、それはあなたの勝手ということ。あなたが親・絶対教の信者であっても、まったくかまわない。

 重要なことは、あなたがあなたの子どもに、その親・絶対教を押しつけてはいけないこと。強要してはいけないこと。私は、それが結論として、言いたかった。
(はやし浩司 親絶対教 親は絶対 乳幼児の人工論 人工論)

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以前、こんな原稿を書いたことがあります。
内容が少しダブりますが、どうか、参考に
してください。

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●かわいい子、かわいがる

 日本語で、「子どもをかわいがる」と言うときは、「子どもにいい思いをさせること」「子どもに楽をさせること」を意味する。

一方、日本語で「かわいい子ども」と言うときは、「親にベタベタと甘える子ども」を意味する。反対に親を親とも思わないような子どもを、「かわいげのない子ども」と言う。地方によっては、独立心の旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。

 この「かわいい」という単語を、英語の中にさがしてみたが、それにあたる単語すらない。あえて言うなら、「チャーミング」「キュート」ということになるが、これは「容姿がかわいい」という意味であって、ここでいう日本語の「かわいい」とは、ニュアンスが違う。もっともこんなことは、調べるまでもない。「かわいがる」にせよ、「かわいい」にせよ、日本という風土の中で生まれた、日本独特の言葉と考えてよい。

 ところでこんな母親(七六歳)がいるという。横浜市に住む読者から届いたものだが、内容を、まとめると、こうなる。

 その男性(四三歳)は、その母親(七六歳)に溺愛されて育ったという。だからある時期までは、ベタベタの親子関係で、それなりにうまくいっていた。が、いつしか不協和音が目立つようになった。きっかけは、結婚だったという。

 その男性が自分でフィアンセを見つけ、結婚を宣言したときのこと。もちろん母親に報告したのだが、その母親は、息子の結婚の話を聞いて、「くやしくて、くやしくて、その夜は泣き明かした」(男性の伯父の言葉)そうだ。

そしてことあるごとに、「息子は、横浜の嫁に取られてしまいました」「親なんて、さみしいものですわ」「息子なんて、育てるもんじゃない」と言い始めたという。

 それでもその男性は、ことあるごとに、母親を大切にした。が、やがて自分のマザコン性に気づくときがやってきた。と、いうより、一つの事件が起きた。いきさつはともかくも、そのときその男性は、「母親を取るか、妻を取るか」という、択一に迫られた。

結果、その男性は、妻を取ったのだが、母親は、とたんその男性を、面と向かって、ののしり始めたというのだ。「親を粗末にする子どもは、地獄へ落ちるからな」とか、「親の悪口を言う息子とは、縁を切るからな」とか。その前には、「あんな嫁、離婚してしまえ」と、何度も電話がかかってきたという。

 その母親が、口グセのように使っていた言葉が、「かわいがる」であった。その男性に対しては、「あれだけかわいがってやったのに、恩知らず」と。「かわいい」という言葉は、そういうふうにも使われる。

 その男性は、こう言う。

「私はたしかに溺愛されました。しかし母が言う『かわいがってやった』というのは、そういう意味です。しかし結局は、それは母自身の自己満足のためではなかったかと思うのです。

たとえば今でも、『孫はかわいい』とよく言いますが、その実、私の子どものためには、ただの一度も遊戯会にも、遠足にも来てくれたことがありません。母にしてみれば、『おばあちゃん、おばあちゃん』と子どもたちが甘えるときだけ、かわいいのです。

たとえば長男は、あまり母(=祖母)が好きではないようです。あまり母には、甘えません。だから母は、長男のことを、何かにつけて、よく批判します。私の子どもに対する母の態度を見ていると、『ああ、私も、同じようにされたのだな』ということが、よくわかります」と。

 さて、あなたは、「かわいい子ども」という言葉を聞いたとき、そこにどんな子どもを思い浮かべるだろうか。子どもらしいしぐさのある子どもだろうか。表情が、愛くるしい子どもだろうか。それとも、親にベタベタと甘える子どもだろうか。一度だけ、自問してみるとよい。
(02-12-30)

● 独立の気力な者は、人に依頼して悪事をなすことあり。(福沢諭吉「学問のすゝめ」)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親風、親像、親意識

 親は、どこまで親であるべきか。また親であるべきでないか。

 「私は親だ」というのを、親意識という。この親意識には、二種類ある。善玉親意識と、悪玉親意識である。

 「私は親だから、しっかりと子どもを育てよう」というのは、善玉親意識。しかし「私は親だから、子どもは、親に従うべき」と、親風を吹かすのは、悪玉親意識。悪玉親意識が強ければ強いほど、(子どもがそれを受け入れればよいが、そうでなければ)、親子の間は、ギクシャクしてくる。

 ここでいう「親像」というのは、親としての素養と考えればよい。人は、自分が親に育てられたという経験があってはじめて、自分が親になったとき、子育てができる。そういう意味では、子育てができる、できないは、本能ではなく、学習によって決まる。その身についた素養を、親像という。

 この親像が満足にない人は、子育てをしていても、どこかギクシャクしてくる。あるいは「いい親であろう」「いい家庭をつくろう」という気負いばかりが強くなる。一般論として、極端に甘い親、反対に極端にきびしい親というのは、親像のない親とみる。不幸にして不幸な家庭に育った親ほど、その親像がない。あるいは親像が、ゆがんでいる。

 ……というような話は、前にも書いたので、ここでは話を一歩、先に進める。

 どんな親であっても、親は親。だいたいにおいて、完ぺきな親など、いない。それぞれがそれぞれの立場で、懸命に生きている。そしてそれぞれの立場で、懸命に、子育てをしている。その「懸命さ」を少しでも感じたら、他人がとやかく言ってはいけない。また言う必要はない。

 ただその先で、親は、賢い親と、そうでない親に分かれる。(こういう言い方も、たいへん失礼な言い方になるかもしれないが……。)私の言葉ではない。法句経の中に、こんな一節がある。

『もし愚者にして愚かなりと知らば、すなわち賢者なり。愚者にして賢者と思える者こそ、愚者というべし』と。つまり「私はバカな親だ」「不完全で、未熟な親だ」と謙虚になれる親ほど、賢い親だということ。そうでない親ほど、そうでないということ。

 一般論として、悪玉親意識の強い人ほど、他人の言葉に耳を傾けない。子どもの言うことにも、耳を傾けない。「私は正しい」と思う一方で、「相手はまちがっている」と切りかえす。

子どもが親に向かって反論でもしようものなら、「何だ、親に向かって!」とそれを押さえつけてしまう。ものの考え方が、何かにつけて、権威主義的。いつも頭の中で、「親だから」「子どもだから」という、上下関係を意識している。

 もっとも、子どもがそれに納得しているなら、それはそれでよい。要は、どんな形であれ、またどんな親子であれ、たがいにうまくいけばよい。しかし今のように、価値観の変動期というか、混乱期というか、こういう時代になると、親と子が、うまくいっているケースは、本当に少ない。

一見うまくいっているように見える親子でも、「うまくいっている」と思っているのは、親だけというケースも、多い。たいていどこの家庭でも、旧世代的な考え方をする親と、それを受け入れることができない子どもの間で、さまざまな摩擦(まさつ)が起きている。

 では、どうするか? こういうときは、親が、子どもたちの声に耳を傾けるしかない。いつの時代でも、価値観の変動は、若い世代から始まる。そして旧世代と新生代が対立したとき、旧世代が勝ったためしは、一度もない。言いかえると、賢い親というのは、バカな親のフリをしながら、子どもの声に耳を傾ける親ということになる。

 親として自分の限界を認めるのは、つらいこと。しかし気負うことはない。もっと言えば、「私は親だ」と思う必要など、どこにもない。冒頭に書いたように、「どこまで親であるべきか」とか、「どこまで親であるべきではないか」ということなど、考えなくてもよい。無論、親風を吹かしたり、悪玉親意識をもったりする必要もない。ひとりの友として、子どもを受け入れ、あとは自然体で考えればよい。

 なお「親像」に関しては、それ自体が大きなテーマなので、また別の機会に考える。