Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, April 22, 2008

*The real stupid man

【今日・あれこれ】4月22日(April 22nd 2008)
Sage and Mae are coming to Japan soon!

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これから買い物。
誠司のために、鯉のぼりを買ってくる。
芽衣のために、人形を買ってくる。

ほかにもいろいろ。

それから、誠司を連れて、ディズニーランドへ
行く予定。
その予約を、これからしてくる。
先ほど、嫁のデニーズのほうから、了解の
メールが届いた。

Sage would love to go on a
trip with you and Akiko!
Thank you so much for thinking of that!
(誠司は、旅に行きたがります。
お考えくださってありがとう)と。

そうそう、もうひとつ。
息子がデジタルカメラを壊してしまったという。
「パパのがあれば、ひとつ、ほしい」と。

バンザーイ!

私は、これで新しいのを、ひとつ買える。
つまり今使っているのを、息子に払い下げる。
そのかわり、私は私のを、また別に買う。
その口実ができた。

ワイフも「OK」と言ってくれた。

今度は、C社のデジタルカメラにする。
あの金属感がたまらない!

先日、手で触れてみたが、それだけで、
ゾクゾクした!

(もっている株の株価も、少し、あがったぞ!)

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●N県のZ寺(Someone scribbled the wall of Zenko-ji Temple in Nagano)
Those who do stupid things are call “Stupid”. Not the problem of the brain.

どこかのバカが、N県にあるZ寺に、落書きをした。

「バカなことをする人を、バカという」(「フォレスト・ガンプ」。
頭ではない。バカなことをする人を、バカという。

それについて、M君(小6)が、こう聞いた。
「先生は、どう思う?」と。

たぶん、学校の宿題か何かに、出たのだろう。
すかさず私は、こう答えた。

「世の中には、5%のバカがいる。頭ではない。
バカなことをする人を、バカという。

その5%のうち、さらに5%のバカは、大バカ。
さらにそのうちに5%は、超大バカ。

そういう超大バカが、Z寺に火をつけたんだよ」と。

(本当は、オリンピック聖火に反対しただれかが
落書きをした可能性もある。が、あえてそれについては
言わなかった。話が複雑になる。)

するとM君が、「じゃあ、どうすればいいの?」と。

私「あのね、そのために刑法という法律があるんだよ。
そういうバカは、逮捕されて、裁判にかけられて、
刑に服すればいい」
M「でも、刑務所では、カツ丼が食べられるんでしょ」
私「はあ~~?」

M「この前、テレビを見ていたら、刑事が、『白状しろ、
カツ丼食わせてやるから』と言っていたよ」
私「それは刑務所での話ではないよ。警察での取り調べの
ときの話だよ。刑務所というところは、裁判がすんで、
刑が確定した人が入るところだよ」と。

私は、(被疑者の取り調べ)→(検事調書の作成)→
(裁判)→(判決)→(刑務所)という、流れを説明して
やった。

私「取り調べのときは、まだ犯人と確定したわけでは
ない。だから、カツ丼を食べさせてもらえることもあるよ」
M、ほかの子どもたち、「カツ丼かあ。いいなあ。食べたいなあ」
私「バカなこと、言ってるんじゃない! ところでぼくは
刑務所へ入ったことがあるよ」

M「いつ?」
私「学生のとき、大学の授業でね。見学のため、中に
入ったことがある」
M「な~んだ」
私「いやなところだよ。狭くて、息苦しくて……」と。


●バカは相手にしない

ところで、そういうバカは、相手にしない。
これは人生をより豊かに生きる鉄則のようなもの。
相手にしたとたん、相手のペースに、巻き込まれて
しまう。
つまり自分も、そのバカになってしまう。
そういう点では、バカな人のもつ力には、ものすごいものがある。

「バカなことをする人を、バカという。(頭じゃない。)」と。
フォレスト・ガンプの母親が、フォレストに言った言葉で
ある。

では、そういうバカは、どうして生まれるか?

というより、その方向性は、幼児期に決まる。
つまりその子どもが、そういう人になるかどうかという
方向性は、幼児期に決まる。
反対に、幼児期の子どもをていねいに観察すれば、その
子どもが、将来、どんなおとなになるか、おおかたの
予想がつく。

幼児でも、(ここでいう)バカな子どもは、いくらでもいる。
そうでない子どもも、いる。

では、だれが、子どもをバカにするかだが、言うまでもなく
親である。

子どもは、親の、日ごろの何気ない行動を見ながら、
自分の行動規範を作りあげていく。

35年ほど前のことだが、こんな子ども(小3・男児)がいた。

「ぼくは、遊園地は、どこへでもただで入れる」と。

そこで私が「どうして?」と聞くと、その子どもは、
こう言った。

「おとなの背中のうしろに隠れて、おとなが
中へ入るとき、スーッといっしょに中に入る」と。

そこで私が、「そんなことをしたら、お父さんやお母さんに
叱られるよ」と言うと、その子どもは、臆面もなく、
こう言った。

「だって、ママが、そうしろって、言ってるもん」と。

その子どもは、その後、I市の若手経済人として活躍したが、
つい少し前、何かの偽ブランド品販売事件にからんで、警察に
逮捕されている。

警察の調べに対して、「知らなかった」と言っているそうだが、
私は、「あっ、あのときのあの子どもだ」と思っただけで、
それ以上、言葉が出てこなかった。

で、この言葉を、もう一度。

「バカなことをする人を、バカという」。


●「お金では、心は買えない」

だれかが言った。
「お金で買った忠誠心は、お金が切れたとき、消える」と。
つまり、「お金で、忠誠心は買えない」。

小銭を稼いで、得意になっている人ほど、要注意。
昔、(今でもいるそうだが……)、アジアの中の貧しい国へ行き、
小銭をばらまいて、得意になっていた日本がいた。

ある国には、日本人が橋の上から、コインをばらまくと、子どもたちが
水に潜って、それを取るという話もあった。

「お金をあげたから、相手は感謝しているはず」、あるいは
「自分は立派な人間と評価されたはず」と思いがち。
しかし事実は、逆。

当初は感謝されても、次からは、それが当たり前になり、
さらにその次からは、相手のほうから、それを要求してくるようになる。

なぜか?

貧しい人たちは、常に金持ちをうらんでいる。
日常的に、うらんでいる。あるいはねたんでいる。
だから金銭的な援助をしても、その(うらみ)で、好意を帳消しにしてしまう。
援助の額が大きければ大きいほど、また期間が長ければ長いほど、そうなる。

「お金で人の心は買えない」というのは、そういう意味である。


●しかしこれは私自身の問題

特別に訓練をした人、あるいは訓練をしている人は別として、
人もある年齢に達すると、思考がループ状態に入る。
早い人で、20歳くらいから。
遅い人でも、40歳くらいから。

10年どころか、20年、一律のものの考え方をするようになる。

こういう現象は、久しぶりに人と会ってみると、よくわかる。
中には、「この人は、30年前のまま」と思う人もいる。

が、これは何も、他人の問題ではない。
私自身の問題である。

日々に研鑽(けんさん)あるのみ。
しかしその一方で、知識や知恵は、どんどんと消えていく。
加齢とともに、それがさらに加速される。

少し前に、私ながらの方法で計算してみたが、6年で、そのときの
記憶や知識、経験の約80%が消えると思ってよい(満55歳前後)。

たとえば2002年に蓄(たくわ)えた記憶や知識、経験のうち、
2008年まで残っているのは、約20%前後ということ。

さらに6年もすると、そのうちの約20%しか、残らない。
0・2x0・2=0・04で、約4%ということになる。

(たったの4%だぞ! 今、あなたが蓄えている記憶や知識、
経験は、12年後には4%になってしまう!)

これに(年齢)というファクターが加わるから、0・02%以下に
なるといってもよい。
さらに脳の病気が加われば、……? ゾーッ! へたをすれば、ゼロ?

では、どうするか?

人は歳をとったら、なおさら、若い人たちよりも、もっと記憶や知識、
経験を補充していかねばならない。
「私は完成された人間」と思っている人がいたら、その人は、
ほんもののバカ(失礼!)と考えてよい。
そう思った瞬間から、その人の人格、人間性は、後退する。
これは健康論に似ている。

究極の健康法などというものはない。
同じように、究極の精神論などというものはない。
釈迦だって、「精進」という言葉を使って、それを説明している。

……と言いながら、私も、そのほんもののバカに向かって、
まっしぐら!

もともと素性が、それほど、よくない。
全身が化けの皮みたい?
歳を取ると、一枚ずつ、その化けの皮がはがれてくる。
だから、こわい。
だから、これは私自身の問題。

そういうことになる。